友情と夢の重り

  カリフォルニア州 サクラメント 二〇一五年八月二四日 午後二時〇〇分

 どこか不安を覚えるマーガレットへ追い打ちをかけるかのように、突如彼女のスマホの着信音が鳴る。一瞬身震いしてしまうものの、すぐにスマホの画面を確認するマーガレット。マーガレットがスマホの画面を見ると、そこにはジェニファーの名前が表示されていた――だがこの時のマーガレットの顔は、いつになくけわしい。

『相手は……ジェンね。“今日の夕方からオーディションがあるから、私に連絡がある時はメールにして”ってあれほど言ったのに……』

 

 軽く心の中で愚痴をこぼしながらも、ジェニファーからの電話に対応するマーガレット。

「……もしもし、マギーよ。どうしたの、ジェン?」

「あっ、マギーですか? ジェンです。と、突然お電話してごめんなさい。悪いとは思ったのだけど……あ、あなたにどうしても伝えたいことがあるの」

「ジェン、もうすぐオーディションが始まるから後でもいい? オーディションが終わったら、後でこちらからかけ直すわ」

 

 表向きは後でかけ直すと少しぶっきらぼうに言うものの、マーガレットの本心は異なっていた。このタイミングでジェニファーがメールではなく電話をしてきたということは、彼女の近辺で何か大きな変化があったことに違いない――真面目でマーガレットのことを心から応援していたジェニファーが、彼女へいたずら目的で電話することはありえない。

 そしてマーガレットのスマホから聞こえてきたジェニファーの声は、どこか緊張しているようにも聞こえた。本人にその自覚はないようだが、ジェニファーは極度の不安や緊張状態になると、言葉を詰まらせる・語尾を荒げるなどの癖がある。それに加えて今から数分ほど前に突然切れた、香澄からマーガレットへ送られたネックレス。

 これらのピースを組み合わせることで出される答えはただ一つ――ということに他ならない。


 今は香澄以外の声を聞きたくないとマーガレットは思いながらも、ジェニファーが伝えようとしている真相に興味があるようだ。そんな二つの相反する葛藤にゆられながらも、香澄の身に起きた出来事を聞くマーガレット――その内容が身の毛もよだつ内容だと知りつつも、彼女はジェニファーの言葉に耳を傾けずにはいられなかった。

「――というわけなの。わ、私はこれからフローラの教員室へ行って、そこで今後の対策について考えるわ。だからマギーもオーディションが終わったら、出来るだけ早くこっちへ戻ってきて! そそしてなるべく早く、私たちの誰でもいいから連絡してね」

「え、えぇ……分かったわ。ジェン、勇気を出して伝えてくれてありがとう」

「ううん、気にしないで。そろそろフローラたちの所へ行くから、一度電話を切るね」


 ジェニファーからの驚愕の真相を聞かされたマーガレットの顔色は、フローラたち同様に真っ青だ。だがそれに加えて、マーガレットはある恐怖に怯えて苦しんでいる。

『あの時私がにジェンの言うことを聞いていれば、こんなことにならなかったかもしれないのに。私みたいな馬鹿が余計なことを言わなければ……もっと早く香澄を救えたかもしれないのに……』


 さらに不幸なことは続き、マーガレットを苦しめている要因は香澄の一件だけではない。マーガレットへ電話で香澄の一件を伝えてくれたジェニファーは、自宅やワシントン大学があるワシントン州にいる。そのためジェニファーはすぐにワシントン大学で待っているであろう、フローラやケビンたちと直接会うことが出来る。


 だが今マーガレットがいるのは彼女たちがいるワシントン州ではなく、遠く離れたカリフォルニア州。しかもこれはとてもデリケートな問題ということもあり、同じ劇団で働くメンバーたちには香澄の一件について、相談することが出来ない。

 仮にオーディションを直前に控えたこのタイミングで今回の一件を相談すれば、ほぼ間違いなくその場の空気は寒く凍りつくだろう。それだけでなく、マーガレットにとって言われもない中傷や陰口なども出てくるかもしれない。


 しかもマーガレットはベナロヤ劇団に所属仲間の誰よりも、今回のオーディションに向けて気合が入っている。そのために数ヶ月以上も必死に練習を積み重ねてきたので、今ここで夢を諦めるわけにはいかない。

 香澄の行方が心配という理由で闇雲に飛び出すことも、マーガレットにとって夢が途絶えてしまうかもしれない選択肢の一つ。

『本当はジェンたちと一緒に香澄の行方を探しに行きたいけど、あと数時間後には大切なオーディションがある。そして香澄のことを誰かに相談したいけれど、そんなこと言えるわけないわ――あぁ、私は一体どうすればいいの!?』


 真面目で少し内気な香澄やジェニファーと異なり、比較的前向きで明るい性格のマーガレット。また舞台女優という職業柄一人で発声練習や外出する機会なども多く、単独行動にも何かと慣れている。

 そんなマーガレットでさえも、この瞬間ばかりは一人でいることにひどく怯えている。震える両手で頭を抱えつつも目を大きく見開いていることから、今のマーガレットは一種の恐怖に支配されている状況にある。時折訳の分からない独り言もつぶやいていることから、ジェニファーと同じくマーガレットの心もまた混乱しつつある。


 マーガレットはこの時初めて、今まで体験したことがないという感覚に陥ってしまう。だがそれが皮肉にも、マーガレットが香澄という存在の大きさを知るきっかけにもなる。


 今年の冬にシアトルで公開予定となる、ベナロヤ劇団主宰によるクリスマス公演――この舞台で主役もしくは準主役級の役を演じることが出来れば、舞台女優としてのマーガレットの未来はより明るいものとなるだろう。

 だがそれはある意味、自分が最も信頼する香澄の命を天秤にかける行為でもある。しかも香澄の危険を知りながらも一切手を貸さないという選択肢は、それはある意味マーガレットが彼女を見捨てた行為にもつながる。その結果トーマスに続いて香澄まで他界してしまったら、いくら気丈で明るい性格のマーガレットでも、その事実に耐えること出来ないだろう。


 目の前にある未来や夢と香澄という親友の命――残念なことに今のマーガレットには、その二つとも選ぶことが出来ない状況下にある。はたしてマーガレットは、どちらの道を選ぶのだろうか?

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