真実と嘘の境目

    ワシントン州 ワシントン大学 二〇一五年八月三日 午後七時〇〇分

 香澄とエリノアの二人が旧心理学サークルの部室で話を終えてから、約一時間が経過。ジェニファーはフローラと一緒に教員室で書類整理をしていた。もうすぐ大学院生となるジェニファーにとって、フローラと新たな道を歩むための準備でもある。

「ごめんなさい、ジェニー。急に呼び出したりして」

「フローラ、気にしないでください。だってこれだけの書類をフローラだけで整理したら、帰りが遅くなってしまいますから」


 もうすぐ新学期が始めるということもあり、色々と整理をしないといけない書類も多い。だが一人では今日中に処理出来ないと思ったフローラは、急遽ジェニファーを呼び出したのだ。

 だが今のジェニファーには重要な役割があり、それは香澄の側にいること。しかし今まで香澄は何も問題を起こさなかったことをふまえ、“たまには香澄を一人にしてもいいかしら?”とフローラは気を使う。

 マーガレットは午後次回公演に向けた練習のため、ベナロヤホールでお芝居の稽古にに励んでおり、ケビンは学会の準備で何かと忙しい。彼らの行動予定を事前に把握していたフローラは、ジェニファーに助け船を求めた。


 フローラ一人では夜遅くまでかかるはずだった書類整理も、ジェニファーのおかげで予定より早めに終わった。長い時間ひたすら書類整理をしていた二人は、その場で軽く腕を伸ばしストレッチを行う。

「よし。今日中に片づけないといけない書類は、これで終了よ。ジェニー、お疲れさま」

「フローラもお疲れさまでした――少し遅くなりましたけど、今日は夜ご飯どうしましょうか?」

 ジェニファーの言葉を聞くと同時に、とっさに教員室にかけてある時計の時刻を確認するフローラ。時刻は午後七時〇〇分を指していた。

「えぇ、ちょうど良い時間ね。それではジェニー、そろそろ帰りましょうか。香澄も今頃、お腹を空かせていると思うから」

「フローラ、香澄は私たちよりもしっかりしているから、いざとなったら一人でも夜ご飯を作れると思いますよ」

「それもそうね。……そういえば私、まだ香澄の手料理食べたことがないわね」

などと楽しく世間話をしながら、ジェニファーとフローラの二人は教員室を後にする。


 このまま何事もなく自宅へ戻り、急いで夕食の準備をするはず――だった。ジェニファーが図書館で借りていた本へ返却することを知ったフローラは、先に車をワシントン大学 正門前に停車させる。それから一〇分後にジェニファーが戻ってくるのだが、彼女の横にはなぜか香澄も一緒。

 フローラの元へ駆け寄るジェニファーは少し遅くなったことを先に謝りつつも、

「実はさっき大学で香澄と出会ったので、それで少し遅くなりました。それと……どうしても勉強がしたいということで、香澄は午後に大学のスザロ図書館へ行っていたみたいです」

自分がなぜ香澄と一緒にいるのか、その理由もしっかりと説明する。


 てっきり自宅にいるものとばかり思っていたためか、大学で香澄と出会ったことに驚きを隠せないジェニファーとフローラ。とっさに香澄の身を案じたフローラは、

「香澄……それ本当なの?」

と優しく問いかける。

「えぇ。急遽一人の時間が出来たので、久々に勉強がしたくて大学に来ました。その……悪いとは思ったんですけど、どうしてもこの本が読みたくて」

いつものように落ち着いた口調で弁解しつつも、スザロ図書館で読んでいた二冊の書物を二人へ見せる。その二冊の書物を見るや否や、

「香澄、これって……じゃない!?」

自分が出版した本を香澄が持っていたことに驚きを隠せないフローラ。

 香澄の言っていることはあながち嘘ではなく、スザロ図書館で読書をしていたことは紛れもない事実。だがエリノアと出会ったことまでは語ろうとはしない――いや、あえて話そうとはしないという表現の方が正しいかもしれない。

 

 香澄は普段あまり自分の気持ちを正直に伝えない性格なだけに、自分が書いた本を読んでいたと聞いた瞬間、目頭が熱くなってしまうフローラ。

『本当に勉強熱心で心理学が好きなのね、この子は』

 とっさのことに思わず口元が緩みながらも、後部座席に乗るように香澄とジェニファーへ告げるフローラ。

 二人が後部座席に乗ったことを確認したフローラは、車のギアをPからDに変えてアクセルを踏み、急いで帰路へと向かう。

 なお車の中で香澄の目が若干赤いことに気が付いたジェニファーは、その原因を尋ねる。だが香澄は“最近少し寝不足だから、そのせいだと思うわ”とそっけなく返すだけ。

 確かに最近の香澄は少し寝不足気味であったことから、その言葉の真意を探ろうとはしなかったジェニファーとフローラ。同時にジェニファーとフローラはこの時、香澄とエリノアの溝が一層深くなってしまったことなど夢にも思っていなかった。


 サンフィールド一家――特にトーマスとの出会いが、香澄たちの運命を大きく変えようとしている。特に香澄とエリノアの関係が悪化してしまったことに、天国で眠るトーマスたちもひどく胸を痛めているに違いない。だが住んでいる世界が異なるため、今のトーマスたちに香澄とエリノアの関係を修復することは出来ず、ただ祈ることしか出来ないのだ。

 トーマスという少年が他界してしまったことにより、香澄とエリノアは今まさに異なる道を歩もうとしている。それは命の重さと人の温もりを語る、『時の万華鏡』に導かれるかのように……


                              第一幕 完

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