叶わぬ夢と離れる心

    ワシントン州 ワシントン大学 二〇一五年八月三日 午後六時〇〇分

 お互いの気持ちを語り合うことで、無事にわだかまりを解消することが出来た香澄とエリノア。最初は暗い陰を見せることが多かった二人の表情にも、少しずつではあるが自然な笑顔が見え隠れしている。

「私たちも何とかトムに元気になってもらうと思って、色々と手を尽くしたつもりよ。だけど結局……あの子は私たちの元を去ってしまったの。……もしかしたら、私たちは最初からあの子を救うことなんて出来なかったのかもしれないわね」


 これまで抱えていた緊張の解放からくる気の緩みからか、ある意味無責任とも呼べる香澄の発言に耳を疑うエリノア。そして一度は平穏を取り戻しつつあったエリノアの心が、再度哀しみに打ち浸れる瞬間でもあった。

「……トムを救うために努力した!? そして……ですって!? ふざけないで!」

一瞬の気の緩みから発せられた香澄の本音とも呼べる一言が、エリノアの心に再び嵐を呼び起こしてしまう。


 突如声を荒げるエリノアの言葉に、思わず身震いしてしまう香澄。そしてこれまで以上に強い敵意と憎しみを自分に向けるエリノアの視線を見た瞬間、またもや香澄は言葉を失ってしまう。

「香澄、今までそんなでトムの心のケアを行っていたの!? ……最初にあなたからお話を聞いた時、“香澄たちは真剣にトムと接してきたけど、あの子を救うことは出来なかった。そしてそのことを香澄たちは心から悔いていて、今も苦しみ続けている”って私は思っていたのに。……香澄にとってトムの命って、そんなに軽いものなの!? あなたにとって人の命は、簡単に入れ替えが出来るような安いもの!? そして愛する両親を失ったトムがどんなに寂しい思いをしていたか……数年間も一緒にいたのに分からなかったの!?」


 自宅で見せた豹変ぶり以上に態度を一変させ、どうしようもない怒りを香澄へぶつけてしまうエリノア。その感情を止めることなど今の香澄に出来るはずなどなく、的を射たエリノアの言葉一つ一つが、まるでナイフのように彼女の心へ深く突き刺さる。現に香澄の手足は震え視線が泳いでおり、彼女の気持ちがそのまま体に出ている。……いつもの冷静沈着な香澄とは思えないほど、彼女が動揺していることが確認出来る。

「もしかしてあなた――“自分は学生だから、心のケアにしても構わない。どうせ身よりもない子だから、のつもりで接しましょう”なんて思っていたの!? あなたって……そんなに冷たい人間だったの!? お、お願いだから香澄……と、トムを返してよ!」


 重ね重ねに傷ついた香澄の心をえぐっていく、エリノアの言葉。この状況はその後もしばらく続き、これまで心の内に秘めていたやりきれない気持ちをすべて吐き出すエリノア。

 時折香澄のブラウスを握りしめることもあったが、恐怖に支配されたエリノアを止めることなど、とても出来るような状況ではない。前回は何とかエリノアの自制心が働いたことで最悪の事態は免れたが、再び彼女の神経を刺激したらどうなるか分からない――まさに一触即発のような雰囲気だ。


 トーマスが亡くなったことを必死に受け入れようと、時折言葉をつまらせながらもエリノアの真実を伝える香澄。一方トーマスの訃報を突然知ったためか、少年の死を素直な気持ちで受けとることが出来ないエリノア。むろん香澄を責めても何も解決しないことは承知していたものの、今のエリノアにとってそんな冷静な判断が出来る状況下ではない。

「……か、香澄。ご、ごめんなさい。わ、私自身も一体どうすればいいのか……どうすればトムの死を受け入れられるか……分からないの」

 やはり香澄の思惑通り、エリノアもまたトーマスの訃報を深く受け止めていた。だがその訃報はある意味エリノアの夢を一つ打ち砕くことでもあり、彼女自身どうすれば良いのか判断出来なくなっているようだ。


 これ以上この場にいると今度こそ手を挙げかねない問題に発展すると思ったのか、エリノアは香澄に別れの言葉を告げずにそのまま旧心理学サークルの部室をあとにする。同時に無言の重圧に押しつぶされてしまった香澄の心も、これ以上エリノアに何も語ることはなかった。

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