音もなく崩れていく心
ワシントン州 ハリソン夫妻の自宅二〇一五年七月二四日 午後九時三〇分
これまで穏やかな表情をしていたエリノアの顔も、香澄たちに対する恨みや憎しみといった負の感情をあらわにしている。それは香澄たちが今まで見たことがないほどの憎悪、そして深い哀しみに満ちた瞳をしていた。
どうすることも出来ない心のモヤモヤを抑えきれないエリノアは、その怒りの矛先を香澄へ向ける。むしろそうすることでしか、今の自分の心を制御することが出来ないのだ。
「ど、どうして――トムを見捨てたの!? 数年間もトムの側にいながら、あの子がどれだけ愛情を求めていたか……考えたことある!? そして大好きだったご両親を突然亡くし、どれだけあの子が寂しい日々を過ごしていたのか……香澄たちには分からなかったの!?」
香澄たちを責めるうちに自分の感情が抑えられなくなったのか、その瞳からひっそりと涙を流し続けるエリノア。だがそれはエリノアの目の前にいる香澄たちも同じ気持ちで、弁解するための理由を必死に頭で考えている。
やり切れない気持ちにお互いが涙を流すものの、香澄たちとエリノアではその理由が異なる。
小さな命を救うことが出来なかったことによる罪悪感に怯え、心の底から震えの涙が頬を伝う香澄たち。
そして怒りと憤りに我を忘れ、感情のままの気持ちを言葉を香澄たちへぶつけながらも、エリノアは憎しみと悔し涙を流し続ける。
エリノアの追及に自ら
「ご、ごめんなさい。わ、私たちがあの子の本当の気持ちを知った時には……もうすでに手遅れだったのよ。私たちにはもう、どうすることも出来なかったの。エリー……ほ、本当にごめんなさい!」
謝罪の言葉をエリノアへ伝えていくうちに、香澄の心奥底に眠らせていた感情を抑えられなくなってしまう。そこにはマーガレット・ジェニファー・フローラらが知る、冷静沈着な香澄の姿はない。今彼女たちの目の前にいる香澄は、いたずらをして両親に叱られている少女のようだった。
そんな香澄たちの悲痛な叫びが心に届いたのか、憎しみと怒りに満ちていたエリノアは香澄の目の前に立ちそっと瞳を閉じる。その落ち着いた姿を見た香澄たちは、“エリー、やっと分かってくれたのね”と内心思っていた。
これで仲違いも解消されると思っていた香澄たちだが、エリノア本人の顔色は悪いまま。むしろ哀しみよりも怒りの感情が勝っていたようで、エリノアの右手は今にも香澄の頬を叩く一歩寸前だった。
だがその感情に任せた行動はあまりにも大人げないと思ったのか、寸前のところでその手を思いとどまらせるエリノア。とっさのところでエリノアの自制心が働いたため、最悪の事態は何とか免れたようだ。
一方何も反論することが出来ないマーガレットたちは、身動き一つ取れない香澄の姿をただ見守ることしか出来なかった。とっさにエリノアへ視線を向けるものの、彼女の瞳からは大粒の涙が流れ落ち、白い頬を濡らしつつ頬を薄紅色に染めている。
そしてエリノアは自分の苛立ちを香澄たちへぶつけるかのように、
「……わ、私……絶対にあなたたちのことを……許さないわ!」
と言葉を吐き捨てリビングを出て行ってしまう。
そんなエリノアを追いかけようとするものの、マーガレットたちの体にはなぜか力が入らない。……まるでかなしばりにでもあったかのような、言葉では言い表せない体験をする。
しかし一番心をひどく痛めているのはマーガレットたちではなく、エリノアに頬を叩かれた香澄本人だろう。ふとした運命のいたずらによって、トーマスとの過去がよみがえってしまう。
そして茫然と立ち尽くすしか出来ないマーガレットたちの前には、床に膝を落とし一人泣き崩れる香澄の声がただ聞こえてくる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます