第18章 バトル


第十八章 バトル



 また、唄子をかくまうことになった。美智子のところなら、マスコミにはかぎつけられない。木を隠すなら林の中。人を隠すなら都会の群衆の中。マスコミのひとたちが、絶えず監視しているいるタレントの家のほうが、かえって見つからない。

 知られても、石塀が高い。城塞のようだ。

 庭も広いから入ってはこられない。侵入者があればすぐにわかる。

 門扉を閉ざせば、プライバシーは守られる。

 美智子も直人の死後。門を閉ざして耐えてきた。ひとりひっそりと生きてきた。ひとは世を忍び、孤独に耐えてこそ。大きく成長する。モノの見方が大きくかわる。ひととの付き合い方が変化する。ひとりでいる寂しさ。世の中にとりのこされた。みんなに忘れられた。もうがまんできない。精根尽き果てた。もうだめ。それでもさらに耐える。

 孤立感に苛まれた。隠れ忍ぶ。苦行だ。

「男は女性をつなぎとめておくために……麻薬をすすめる。いずれにしても、麻薬を取り締まるキリコさんの仕事は高く評価されるべきだ」

 隼人がめずらしく唄子の夫、大津健一のしたことを批判している。

 キリコがめずらしく吐息をもらす。

「ごめんね。美智子さん。唄子さんのことで頭がいっぱいなのに。仕事の話しして」

「キリコさんがんばっている。リッパヨ。それに唄子が被害者だってわかってもらえて、うれしいわ」

 このとき。

 バリン。

 と。

 ガラスの割れる音。

「二階よ!!」

 百子が動いていた。

 二階の階段を駈けあがった。



「二階よ!! 唄子さんの部屋よ」

 それまでなにか考えていた。沈黙していた百子が叫んだ。

「襲撃だ!! 唄子さんが危ない」

 隼人の脳裡にこのところ戦いつづけている黒服の姿がうかんだ。どうして、やっらはこうも執拗に襲って来るのか。キリコと隼人は、同時に行動していた。百子を追いかけた。

 窓からは死角になっている壁際に百子はいた。遅れて部屋に入った隼人とキリコも壁に背を押しつけた。

「わたしこわいよ、こわいよ。死にたくない」

 さきほどまで死ぬことを考えていた唄子が、部屋では座り込んでふるえていた。

「死にたくない。死にたくない」

 青白い顔でふるえていた。猫のモーが毛を逆立ててうなっている。猫にしかわからない。異様な気を感知したのだろう。

「だいじょうぶ。わたしたちが守るから」

 唄子を励ましながら、百子は窓から外を覗いている。街灯の明かりの中でクレーンがみえた。小型のクレーンのうえには人影が。

「そのまま動かないで。敵は高いところから狙っている」

 隼人は拳銃をかまえた。しかし暗闇でうまく標的をとらえられない。敵は暗視装置つきのライフルを使っている。大通りを小型のクレーン車できた。

 二階の窓よりは少し高い場所から狙撃している。

 唄子がぼそぼそひとりごとをいっている。

 バシッバシッと壁に銃弾が撃ちこまれた。

「みんながいるから。唄ちやんのこと守ってくれる仲間がいる」

 それでも唄子のおびえはおさまらない。百子のケイタイが鳴った。

「リーダ。大丈夫ですか」

 美智子の家のガード任務についていたクノイチ第2班長マキからだった。

「黒服。ワンサカきています。警備破られました」

「黒服が攻めこんでくるよ」

 隼人がクレーンに向かって発砲した。ピストルで狙うには距離がありすぎる。

「タマをムダにしないで。わたしに作戦がある」

 百子は裏の非常階段に走る。

 門扉が開かれた。

 黒服がなだれ込んでくる。 

 隼人は眼下の黒服を撃つ。

 玄関に迫った男が倒れた。

「キリコ!! 美智子さんたちを二階に連れてくるんだ」

 隼人は大声で叫んだ。興奮していた。

 美智子とその家族が襲われる。

 急がないと間に合わないようで、つい大声になった。

「聞こえているわよ」

 キリコのたのもしい声がした。



 淡い月明りに照らされた庭。

 薄闇のなかで庭の空気がかたまった。

 鹿沼石の、さらにその上のバラヘンスをのりこた黒服の襲撃。

 あっ!!

 隼人は見た。百子が人工の滝の上に姿を現した。

 だが、見えないはずだ。クレーンを足場にしてのスナイパーには。

 百子は大型のボウガンをかまえた。かなりの射程距離がある。いつのまにあんなものを備えて置いたのだ。

 それにあの場所。忍者としての勘。

 いつか来る敵の襲撃を予感しての、ボウガンの配備なのだろう。

 塀の外にも、庭にも的を絞れる。

 クノイチ48にガードを頼んでおいて、よかった。

 ぼくとキリコだけでは一気に攻めこまれていた。

 矢が放たれた。気配でそれと知れた。スナイパーが消える。射殺すことが出来ないまでも、ダメージをあたえたことは確かだ。

 百子は庭の黒服に向かって矢を射こむ。

 黒服がばたばたと倒れる。

 闇で使用する武器としてはボウガンはサイコウだ。

 音がしない。マズルフラッシュがない。音も、光りもない。

 だから、何処から狙われているかわからないのだ。

 闇からふいに必殺の矢がとんでくる。こんなこわい武器はない。 

 玄関に近寄る黒服に隼人も銃弾を撃ちこむ。

 この距離この位置からでは外すはずがない。

 さすがの黒服もひるむ。

「わたし。百子をヘルプする」

 キリコが廊下のはずれの非常階段から庭に飛びだす。

「どうして……美智子。どうしてわたし狙われるの。どうして……」

「唄子じゃないかもしれないよ。わたしかも」


 キリコが小太刀を引きぬいて黒服のむれに斬りこんだ。

 小太刀がキラッとひから。小太刀が光の尾を描いて闇を斬る。

 黒服が倒れる。日光忍者の剣技が薄闇のなかで冴える。

 だがしかし、門扉に強い衝撃。

 ダンプがつつこんできた。

 門扉がダンプの激突で全壊。



「唄子がもどらない。トイレからもどらない。どうしょう」

 美智子が母の里恵に訴える。トイレには唄子の姿はなかった。廊下のさらに奥の非常階段への扉が半開きになっていた。おかしい。百子もキリコも閉めて出たはずだ。扉のすき間からは、庭での怒号が聞こえている。扉の細い空間には闇が詰まっていた。

「唄子。唄子」

 美智子が扉から外に飛びだそうとした。

「やめなさい」

「でも……でも、唄子が」

「モーもいない。猫をつれて出ていったのよ」

「黒服に拉致されたんじゃない」

「ここもあぶない。パニックルームへ隠れなさい」

 トレイレのドアの隣の壁がするすると上った。母は美智子を押しこむ。

「美智子さんは?」部屋に戻った里恵に隼人が訊く。

「美智子はパニックルーム。唄子さんは出ていってしまった」

「黒服の攻撃がじぶんだけに向けられている。じぶんさえいなければ……そんなことを思いつめて――、唄子さんは行動した」

 里恵は床の間の刀掛から刀をとる。むかし、里恵が中山家へ嫁ぐとき、守り刀として贈られた。鹿沼は細川忠相の鍛えた名刀だ。気配でさっした隼人が「ぼくもお伴します」といった。

 これは光と闇の戦い。日光の先住民族。鬼神と、麻耶、黒髪、榊一族との戦いなのだ。むかしから戦いつづけてきた。

 過激派さえいなければ。人の世に破滅を!! テロをも辞さない。そう願う過激派の存在がなければ――。

 理佳子もナギナタをひっさげて庭に飛びだした。キリコと百子が玄関前で黒服を防いでいた。

 なぎなたの刃が月光にきらめいた。黒服の首がふたつ宙にとんだ。

「遠慮いらないからね。里佳子。敵は鬼神よ」

「すごい。おふたりとも勇ましい」

 さすが鹿沼麻耶族の姉妹。戦う術は心得ている。

 百子とキリコが驚嘆の声援をあげる。

「あんたら。こんどこそ、許さないわよ。世の平穏をみだすヤカラ。ぜったいに許さないから」

 里恵が古風な挨拶をおくる。里恵の剣がきらめく。黒服をなぎたおす。

「わたしの家に乱入するなんて身の程知らずもいいとこよ」

 里佳子も叫ぶ。しかし敵はさすがに鬼族。タジロガナイ。

 隼人は弾つきた拳銃を黒服になげつけた。

 顔面にヒットした。

 隼人は徒手空拳。

 このほうが、隼人らしい。

 榊流拳法が炸裂した。



 美智子はパニックルームにひとり閉じこもっていた。

 トイレの隣から。玄関の脇から。何箇所か入口はある。

 でも外からではパニックルームの入り口はわからないように偽装されている。

そとからは、家族以外は入れない。入ると直に地下への階段がある。広い地下室だ。45インチのモニターをつけた。すさまじい戦いだ。みんな無事に戻ってきて。

 神に祈った。なんの気なしに、門の外に切り替えた。そこで、美智子は息をのんだ。さいしょはわからなかった。舗道の暗闇に――。

 いくつも人形が倒れていた。まだ動いている。人形であるはずはなかった。

 クノイチ48。彼女たちだ。

 クノイチ48。彼女たちが門扉の外で黒服と死闘をくりひろげていたのだ。

 クノイチ48。彼女たちが黒服が門扉からなだれこむのをくい止めていた。

 その戦いの犠牲者だ。戦って倒れた百子の配下だ。

 だから狙撃されてから門扉が破られるまでにタイムラグがあったのだ。

 美智子は泣いていた。涙が流れた。とめどもなく流れた。ひとは、だれかに支えられている。そのだれかの名前も顔もわからない。でも、そのひとたちの支えで、そのひとたちとの絆で、救われている。わたしたちが、今あるのは、そうしたひとたちのお蔭なのだ。わたしの映画を三年も待ってくれたフアンがいた。

 ありがたい。

 うれしい。

 ありがとう。

 そして。

 クノイチ48のメンバーが命がけでわたしたちを守ってくれている。隼人がキリコがわたしたちを守ってくれている。救急車がふいに画面に現れた。警察車両も来た。そして秀行が霧太が庭に駆け込んできた。よかった。ああ、よかった。これで、これ以上みんな傷つかなくて済む。みんな、助かった。 

 警官が到着した。パトカーが来た。ふいにケイタイがなった。

 唄ツピーと名前がでている。

「ブジ帰れたから。家にいるから」

「どうして? どうしてわたしのところにいなかったの」

「迷惑かけられないから……」

「わたしのところのほうが安全だから」

「わたしの部屋でないとモーがおちつかないのよ」

「わたしは、唄子さんにあこがれて芸能界に入った。あたたかく、唄子さんは迎えてくれた。それからずっと世話になってきた。こんどは、わたしが恩を返す番だから。唄子のこと守るから」



 唄子は麻薬をやっていた。野外パーティで両手をあげてハシャいでいた。夫婦で踊りまくっている同じ映像がなんどもテレビで放映されている。

 オチメのタレントほどかわいそうなものはない。人気が一日で逆転する。そうなると風評被害もともなってとめどもなくおちていく。

 日輪教団に捕らえられていた。あのときマインド・コントロールにかかっていた。恐れがある。

 なにをいっても、ムダみたい。

 それでも「帰ってきて」と呼びかけた。

「そこは危険なのよ」

「ここにはモ―がいるのよ。わたしにスリスリしてあまえているの。モーはこの部屋がいちばん落ち着くの。手のひらにのるような小さな子猫のときからここで育った……。どこにも行きたくない――モーがいればいいの」

 いちばんあとの言葉は唄子の心の叫びなのだろう。そういうことではない。ひとりでいてはアブナイ。わたしの家だって襲われているのだ。暴力には暴力で武装していないと、身の安全は守れない。わたしには、直人とキリコがいる。百子さんたち伊賀のクノイチが味方してくれている。大勢の仲間がいる。

 わたしはパニックルームにいる。外には出られない。

 庭には黒服がおおぜいいる。死闘はつづいている。

 母も里佳子おばさんも、キリコも隼人も百子もみんな戦っている。

 長押にかけてあったナギナタ。

 床の間の刀。

 あれがみんな真剣だった。

 知らなかった。

 パニックルームが役に立つなんて。

 想像もしなかった。

 こうしてフツウの生活をしている。

 フツウの家が襲われるなんて恐怖。

 戦いをモニターで見ているだけのわたし。

 なんの役にもたたない。

 歯がゆい。

 悲しい。

 唄子。もどってきて。もどってきてよ。


 黒服が一団となって襲ってきた。

 わたしたちの憩いの庭に侵攻してきた。

 平穏な日常がいかに酷くくずれるか。

 破壊されるか。

 バラの庭がもうめちゃくちゃだ。

 春にはまたバラが見られるとみんなで楽しみにしていたのに。

 理不尽だ。なんてことが、起きたの。

 黒服。まるで津波のよう。そう黒い津波。

 黒服は溶けあって黒い波。

 魔の波動となった。

 庭に満ちている。

 黒服は集まってきた。

 どこに、こんな大勢の黒服がいたの。

 あいつら悪魔だ。


 広域指定暴力団。鬼門組。日輪教と組んでわるさをしている。

 黒い津波となってわが庭におしよせてきた。

 平凡な家を。

 平凡な家庭の団欒を。

 悪の津波は破壊した。

 わたしたちを殲滅しょうと襲ってきた。

 美智子は黒服の集団の巨大さに慄いた。

 そして黒服の波動は……。唄子ものみこもうとしている。

 周囲からせまる暴力。恐怖のもたらすさむけに美智子は戦慄した。

 わたしたちは、わが家の歴史のターニング・ポイントに。

 いつしかさしかかっていたのだ。

 いままでのなんの変哲もない日常。

 平和はもう望めないのだろうか。

 平凡だが幸せな家庭は消えてしまった。

 不安MAX。

 美智子はあいつぐトラブルに襲わた。

 DNAのなかに潜んでいた能力に目覚めたようだ。

 ふいに、キーンと耳鳴りが始まった。それにつられて脳がフツフツと沸騰しているような感じがする。わたしには武術の鍛錬に耐え気力も体力もない。カヨワスギル。……かよわい、やさ女だ。でも、いま危機を察知する予知能力が目覚めた。体のふるえがとまらない。

 唄子があぶない。どうしょう。どうしょう。

 唄子が襲われる。

 見える。

 感じる。

 なにか不吉なことが起こる。

 唄子があぶない。

 唄子は死神にとりつかれている。

 憑依されている。

 唄子の背中の死神が。

 見える。


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