第6話 記者会見
第六章 記者会見
1
沈黙をやぶったのは、ケイタイの着信音だった。
「わたしよ、美智子。ヤッパ、おかしい。だれかに監視されてる」
東北道で襲われた後だ。
自宅からは盗聴器が発見されている。
美智子の不安はよくわかる。彼女の不安から逃れようとする焦りが――いたいほど伝わってくる。
襲われたり、監視されている。
その相手の顔が見えない。
具体的に敵の姿が見えないのだ。
一瞬、隼人はことばを失った。
何と答えたらいいのだ――。
「いまキリコの車で、事務所に向かているから」
「こっちへきて」
「いまどこ」
「六本木の東都テレビ。これから記者会見。プレスのひとに。きのう世間をさわがせたこと。わびてから。新作発表会があるの」
「すぐ向かう」
「いろいろハジマルヨ」
ふたりのやり取りをきいていた、キリコがいった。
かなり真剣だ。
2
司会者の男がマイクを持った腕を下ろした。
美智子が卓上にずらりと並んだマイクを前にして話しだした。
記者会見をドタキャンした謝罪会見だった。宣伝をかねている。
謝罪会見とはいうものの――。賞味期限改ざんなどの謝罪ではない。
華やかなムードが漂っていた。部屋は報道の腕章をつけた男女で満室になっていた。隼人は注意深くひとりひとりに視線を向ける。あやしい人物はいない。各メディアから集まった取材陣の多さに美智子の人気を知った。うれしかった。彼女は輝いていた。
「来春にクランクインする作品は、監督は香取俊平。タイトルは『戦火の村で』。場所は中近東のとある村。ストーリーは日本から来た報道カメラマンと。村で日本語を教えている――NPOから派遣された女子大生の愛の物語です。ラブストーリーです。わたしはその女子大生の役で出演します」
ひととおり謝罪がすむと、受賞第一作の新作発表となった。
謝罪のほうはさっと流した。パーティー会場をぬけだした。プレスのインタビューをドタキャンした。そのことには、あまり触れなかった。さすがに演出がいきとどいている。
3
中山美智子はほほえんでいる。
隼人の存在に気づいた。
不安が払拭された顔だ。
でも、記者はだれもそのことには気づかない。
「どうだ」
「あやしい感じのひとはいないみたい」
キリコが隼人を見上げてささやく。隼人の内部ではかすかにアラームベルがなりひびいている。美智子はいまおおぜいのプレスの質問にあざやかにこたえている。これだけのひと、さまざまな質問。それらの質問を、あるときは真剣に。またあるときは軽くいなし、もう一時間ちかくなる。直人が死んでからの三年、つらく悲しい日々に耐えた。孤独に耐えぬき、みごとにカムバックした。
そして、主演女優賞をかちとった。いまふたたび脚光をあびている。芯はつよい。美しいだけではない。悲しみに耐え忍ぶ強さがある。古典的な日本女性の忍耐力と美貌をあわせもっている。
直人の死因を調べる。それも任務のうちだ。直人が転落事故などおこすはずがない。フリーのカメラマンだった彼は、むろん榊一族だから武芸に秀でていた。忍びの技にもたけていた。それで裏で麻薬捜査官の仕事をアシストするようにスカートされたのだ。
日光は先祖の住んでいた土地だ。ぼくとちがい、日本で生活していた彼には馴染みの場所だったはずだ。それがあの程度の傾斜で転落するなんてことが起こるわけがない。
「隼人」
キリコが叫んでいる。
「水よ。水」
美智子が口をうるおすために含んだ水をはきだした。
「美智子さん。美智子さん」
隼人とキリコが左右から美智子をかかえて廊下を走る。
4
後ろでシャッターを切る音がする。
美智子の悲鳴のようにきこえる。
耳ざわりな音。
「わたしのガード。心配ないから」
ふいに現れ、美智子をかかえて走る二人。
警備員が声をかけた。
「あんたら、なにものだ」
名札ストラップは胸に下げている。
入場するときに、美智子の付き人、原村が立ち会って、色々聞かれ、手続きをとった。そのあげく、渡されたネームholderだ。
「わたしの友だち。心配ないから」
美智子の返事だ。
意外としつかりした音声だ。
「舌先がピリッとしびれたの――」
「医務室へいくほうが」
警備の男が言う。もちろんそのつもりだ。
男は一緒について来る。
「そうして」
「中山さん。だいじょうぶですか」
美智子担当の男、原村が声をかける。
地味な紺のストライプの背広をきている。
目立たないように配慮しているのだ。
「だいじょうぶですか」
並走しながらなんども声をかけている。
「心配しないで――」
隼人は鼓動が高鳴る。
走ったためではない。
美智子のことが心配だ。
なにが水に混入されていたのか。
体にさしさわりはないのか。
心配だ。
恋人の身を案じるような気持ちだ。
はじめての感情だ――。
この胸の高鳴り。
普通ではない。
美智子はだれかに襲われるのではないかと不安だ。
舌先にぴりっときた。
それで恐怖におそわれた。
水を吐きだした。
パニックを起こした。
「一滴も飲んでなかった」
と美智子はいう。
それでも、医務室の椅子にすわると「直人。わたし こわい」と隼人の手を放さない。
「美智子さん。わたしと隼人がついている。守るから。二人で守るから。すこしよこになったら」
キリコが大人びたようすで美智子をいたわる。
美智子は直人と呼びかけたことに気づいていない。
素直に医療用の機能つきベッドに横になる。
すんなりとした両脚をそろえてのばす。
目を軽く閉じる。
「直人がきてくれてよかった」
気丈にふるまっている。
だが、かなり混乱してもいる。
直人の死によるPTSDから立ち直っているわけではなさそうだ。
「水は飲まなかったわ」
5
「だったら、静かに休むといいわ」
医務室で、なんどもうがいはした。
「水はあとで分析します」
白衣の医師が言う。
気をきかしてデスクにもどっていく。
「どういうことなんだ」
自問するように隼人がキリコと並ぶ。部屋の隅のソファにかける。
「隼人を脅かすのが狙いかもね」
「ぼくはフロリダからきたばかりだ。だれがぼくの到着を知ってい
るというのだ」
隼人は辺りを気にしている。
医師も看護師も、すこし離れた処にいる。
声は聞こえていないはずだ。それでも、さらに声を低める。
「おこらないで。あくまでもアタシの考えよ。だって、美智子さんと一緒にいて。事故死したのは直人でしょう。こんどだって、美智子さんに怪我はない。あくまで隼人にたいする警告とみたらどうなの。おれたちは、おまえさんの存在に気づいている」
隼人はさらに声を低める。
いままで、美智子の周辺でなにも起きなかった。
盗聴器で身辺はたえず見張られていた。
それでもなにも起きなかった。
それなのに、ぼくがきたとたんに……。
美智子の周辺がヤバクなった。
そう言う見方もある。
キリコの耳もとでささやく。
「おれの任務がもれている。そういうことか。麻薬シンジケートから汚い金をうけとっているヤツがいる」
どうせぼくの素性はキリコたちには知られている。
「わたし兄貴に連絡してくる」
「直人の夢を見ていた。あんなに夢でもいいから。会いたいと思っ
ていた直人の夢見た」
美智子はすがるような眼差しをしている。
隼人をじっとみている。少女のようだ。
直人のことを思いだしている。
水に何が混入されていたのか。
美智子が狙われているのか。
いまのところはなにもわかっていない。
美智子の顔色は平常にもどっている。
美智子がベッドでつぶやいている。
「直人の夢みたわ」
美智子が落ち着いてきた。隼人は美智子の危うい場面に同席していたことに感謝している。美智子の危機を傍にいて、回避するための手助けが出来た。
よかった。
そばにいられて、よかった。
隼人は愛おしい人を見る眼差しで美智子を見ていた。
記者たちの声が廊下でする。キリコがすばやく部屋にもどってくる。
「隼人が直人に似ていることに気づいたひとがいるみたい。美智子さんのモト彼が生きていた。なんていってる。ヤバいよ。どうする」
6
美智子の付き人の原村に隼人は相談する。
「つぎの関東テレビの出演の時間までに三十分しかありません」
原村が感情的な声でいう。若い隼人にしきられるのが気にくわないのだ。しかたあるまい。事務所でも局の人間でもない。美智子の私設ボデーガードなのだから。隼人とキリコは。
「隼人さんとキリコさんは裏口からでてください。こちらは会見のつづきをすませて合流します」
ピザ屋のラップがほどこされた配達車できていた。それが幸運だった。キリコの車はプレスにつけられなかった。
局前のロータリーから美智子のBMWがゆつくりとすべりだしてきた。
「隼人」
不意に呼びかけられた。隣にはキリコがいるきりだ。
「隼人。美智子を守れ。彼女を守ってくれ」
これは、幻聴か。
「直人。直人なのか」
「美智子をたのむ。しっかりガードしてやってくれ。これは大切なことなのだ」
やはり、直人の声だ。直人の声が耳元でした。
「隼人。なにひとりでつぶやいているの」
キリコの声がしていた。幻聴だった? たしかになつかしい直人の声がした。
「なにか他の人の声でも聞いたの」
「キリコには……きこえたのか? 男の声がしなかったか」
「だれかと話しているようだった。直人、直人っていっていた」
「ああ。直人の声がした」
耳をすましても直人の声はもう聞こえない。あたりを見回しても、もちろんキリコのほかには誰もいない。美智子を想う直人の残留思念がぼくのまわり浮遊している。
それなのに、ぼくは彼女を肩にだいて走りながら……彼女の体のぬくもり、彼女の声にときめいていた。彼女のそばにいられることに恍惚としていた。ぼくはなんてひとりよがりなのだ。彼女は直人とともにいまでもいる。ぼくの入りこむ場所はない。ぼくは直人のために彼女を守ればいいのだ。
直人の携帯をポケットの中で隼人はしっかりとにぎりしめた。
「直人の顔は血だらけだった」
隼人が悲しみに耐えるような声をだした。
「声だけでなく姿も幻視したのね」
「ああ、直人は血だらけだった」
隼人はさらに強く携帯をにぎりしめた。携帯が手の中で振動した。ギクッとした。マナモードにしておいたのを忘れていた。
「直人。ついてきている?」
美智子の声がひびいてきた。まだハイテンシヨンだ。
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