第6話 記者会見

第六章 記者会見        



 沈黙をやぶったのは、ケイタイの着信音だった。

「わたしよ、美智子。ヤッパ、おかしい。だれかに監視されてる」

 東北道で襲われた後だ。

 自宅からは盗聴器が発見されている。

 美智子の不安はよくわかる。彼女の不安から逃れようとする焦りが――いたいほど伝わってくる。

 襲われたり、監視されている。

 その相手の顔が見えない。

 具体的に敵の姿が見えないのだ。

 一瞬、隼人はことばを失った。

 何と答えたらいいのだ――。

「いまキリコの車で、事務所に向かているから」

「こっちへきて」

「いまどこ」

「六本木の東都テレビ。これから記者会見。プレスのひとに。きのう世間をさわがせたこと。わびてから。新作発表会があるの」

「すぐ向かう」

「いろいろハジマルヨ」

 ふたりのやり取りをきいていた、キリコがいった。

 かなり真剣だ。



 司会者の男がマイクを持った腕を下ろした。

 美智子が卓上にずらりと並んだマイクを前にして話しだした。

 記者会見をドタキャンした謝罪会見だった。宣伝をかねている。

 謝罪会見とはいうものの――。賞味期限改ざんなどの謝罪ではない。

 華やかなムードが漂っていた。部屋は報道の腕章をつけた男女で満室になっていた。隼人は注意深くひとりひとりに視線を向ける。あやしい人物はいない。各メディアから集まった取材陣の多さに美智子の人気を知った。うれしかった。彼女は輝いていた。

「来春にクランクインする作品は、監督は香取俊平。タイトルは『戦火の村で』。場所は中近東のとある村。ストーリーは日本から来た報道カメラマンと。村で日本語を教えている――NPOから派遣された女子大生の愛の物語です。ラブストーリーです。わたしはその女子大生の役で出演します」

 ひととおり謝罪がすむと、受賞第一作の新作発表となった。

 謝罪のほうはさっと流した。パーティー会場をぬけだした。プレスのインタビューをドタキャンした。そのことには、あまり触れなかった。さすがに演出がいきとどいている。

 


 中山美智子はほほえんでいる。

 隼人の存在に気づいた。

 不安が払拭された顔だ。

 でも、記者はだれもそのことには気づかない。

「どうだ」

「あやしい感じのひとはいないみたい」

 キリコが隼人を見上げてささやく。隼人の内部ではかすかにアラームベルがなりひびいている。美智子はいまおおぜいのプレスの質問にあざやかにこたえている。これだけのひと、さまざまな質問。それらの質問を、あるときは真剣に。またあるときは軽くいなし、もう一時間ちかくなる。直人が死んでからの三年、つらく悲しい日々に耐えた。孤独に耐えぬき、みごとにカムバックした。

 そして、主演女優賞をかちとった。いまふたたび脚光をあびている。芯はつよい。美しいだけではない。悲しみに耐え忍ぶ強さがある。古典的な日本女性の忍耐力と美貌をあわせもっている。

 直人の死因を調べる。それも任務のうちだ。直人が転落事故などおこすはずがない。フリーのカメラマンだった彼は、むろん榊一族だから武芸に秀でていた。忍びの技にもたけていた。それで裏で麻薬捜査官の仕事をアシストするようにスカートされたのだ。

 日光は先祖の住んでいた土地だ。ぼくとちがい、日本で生活していた彼には馴染みの場所だったはずだ。それがあの程度の傾斜で転落するなんてことが起こるわけがない。

「隼人」

 キリコが叫んでいる。

「水よ。水」

 美智子が口をうるおすために含んだ水をはきだした。

「美智子さん。美智子さん」

 隼人とキリコが左右から美智子をかかえて廊下を走る。



 後ろでシャッターを切る音がする。

 美智子の悲鳴のようにきこえる。

 耳ざわりな音。

「わたしのガード。心配ないから」

 ふいに現れ、美智子をかかえて走る二人。

 警備員が声をかけた。

「あんたら、なにものだ」

 名札ストラップは胸に下げている。

 入場するときに、美智子の付き人、原村が立ち会って、色々聞かれ、手続きをとった。そのあげく、渡されたネームholderだ。

「わたしの友だち。心配ないから」

 美智子の返事だ。

 意外としつかりした音声だ。

「舌先がピリッとしびれたの――」 

「医務室へいくほうが」

 警備の男が言う。もちろんそのつもりだ。

 男は一緒について来る。

「そうして」

「中山さん。だいじょうぶですか」

 美智子担当の男、原村が声をかける。

 地味な紺のストライプの背広をきている。

 目立たないように配慮しているのだ。

「だいじょうぶですか」

 並走しながらなんども声をかけている。

「心配しないで――」

 隼人は鼓動が高鳴る。

 走ったためではない。

 美智子のことが心配だ。

 なにが水に混入されていたのか。

 体にさしさわりはないのか。

 心配だ。

 恋人の身を案じるような気持ちだ。 

 はじめての感情だ――。

 この胸の高鳴り。

 普通ではない。

 美智子はだれかに襲われるのではないかと不安だ。

 舌先にぴりっときた。

 それで恐怖におそわれた。

 水を吐きだした。

 パニックを起こした。

「一滴も飲んでなかった」

 と美智子はいう。

 それでも、医務室の椅子にすわると「直人。わたし こわい」と隼人の手を放さない。

「美智子さん。わたしと隼人がついている。守るから。二人で守るから。すこしよこになったら」

 キリコが大人びたようすで美智子をいたわる。

 美智子は直人と呼びかけたことに気づいていない。

 素直に医療用の機能つきベッドに横になる。

 すんなりとした両脚をそろえてのばす。

 目を軽く閉じる。

「直人がきてくれてよかった」

 気丈にふるまっている。

 だが、かなり混乱してもいる。

 直人の死によるPTSDから立ち直っているわけではなさそうだ。

「水は飲まなかったわ」 



「だったら、静かに休むといいわ」

 医務室で、なんどもうがいはした。

「水はあとで分析します」

 白衣の医師が言う。

 気をきかしてデスクにもどっていく。

「どういうことなんだ」

 自問するように隼人がキリコと並ぶ。部屋の隅のソファにかける。

「隼人を脅かすのが狙いかもね」

「ぼくはフロリダからきたばかりだ。だれがぼくの到着を知ってい

るというのだ」

 隼人は辺りを気にしている。

 医師も看護師も、すこし離れた処にいる。

 声は聞こえていないはずだ。それでも、さらに声を低める。

「おこらないで。あくまでもアタシの考えよ。だって、美智子さんと一緒にいて。事故死したのは直人でしょう。こんどだって、美智子さんに怪我はない。あくまで隼人にたいする警告とみたらどうなの。おれたちは、おまえさんの存在に気づいている」

 隼人はさらに声を低める。

 いままで、美智子の周辺でなにも起きなかった。

 盗聴器で身辺はたえず見張られていた。

 それでもなにも起きなかった。

 それなのに、ぼくがきたとたんに……。

 美智子の周辺がヤバクなった。

 そう言う見方もある。

 キリコの耳もとでささやく。

「おれの任務がもれている。そういうことか。麻薬シンジケートから汚い金をうけとっているヤツがいる」

 どうせぼくの素性はキリコたちには知られている。

「わたし兄貴に連絡してくる」


「直人の夢を見ていた。あんなに夢でもいいから。会いたいと思っ

ていた直人の夢見た」

 美智子はすがるような眼差しをしている。

 隼人をじっとみている。少女のようだ。

 直人のことを思いだしている。

 水に何が混入されていたのか。

 美智子が狙われているのか。

 いまのところはなにもわかっていない。

 美智子の顔色は平常にもどっている。

 美智子がベッドでつぶやいている。

「直人の夢みたわ」

 美智子が落ち着いてきた。隼人は美智子の危うい場面に同席していたことに感謝している。美智子の危機を傍にいて、回避するための手助けが出来た。

 よかった。

 そばにいられて、よかった。

 隼人は愛おしい人を見る眼差しで美智子を見ていた。

 記者たちの声が廊下でする。キリコがすばやく部屋にもどってくる。

「隼人が直人に似ていることに気づいたひとがいるみたい。美智子さんのモト彼が生きていた。なんていってる。ヤバいよ。どうする」



 美智子の付き人の原村に隼人は相談する。

「つぎの関東テレビの出演の時間までに三十分しかありません」

原村が感情的な声でいう。若い隼人にしきられるのが気にくわないのだ。しかたあるまい。事務所でも局の人間でもない。美智子の私設ボデーガードなのだから。隼人とキリコは。

「隼人さんとキリコさんは裏口からでてください。こちらは会見のつづきをすませて合流します」

 ピザ屋のラップがほどこされた配達車できていた。それが幸運だった。キリコの車はプレスにつけられなかった。

 局前のロータリーから美智子のBMWがゆつくりとすべりだしてきた。


「隼人」

 不意に呼びかけられた。隣にはキリコがいるきりだ。

「隼人。美智子を守れ。彼女を守ってくれ」

 これは、幻聴か。

「直人。直人なのか」

「美智子をたのむ。しっかりガードしてやってくれ。これは大切なことなのだ」

 やはり、直人の声だ。直人の声が耳元でした。


「隼人。なにひとりでつぶやいているの」

 キリコの声がしていた。幻聴だった? たしかになつかしい直人の声がした。

「なにか他の人の声でも聞いたの」

「キリコには……きこえたのか? 男の声がしなかったか」

「だれかと話しているようだった。直人、直人っていっていた」

「ああ。直人の声がした」

 耳をすましても直人の声はもう聞こえない。あたりを見回しても、もちろんキリコのほかには誰もいない。美智子を想う直人の残留思念がぼくのまわり浮遊している。

 それなのに、ぼくは彼女を肩にだいて走りながら……彼女の体のぬくもり、彼女の声にときめいていた。彼女のそばにいられることに恍惚としていた。ぼくはなんてひとりよがりなのだ。彼女は直人とともにいまでもいる。ぼくの入りこむ場所はない。ぼくは直人のために彼女を守ればいいのだ。

 直人の携帯をポケットの中で隼人はしっかりとにぎりしめた。

「直人の顔は血だらけだった」

 隼人が悲しみに耐えるような声をだした。

「声だけでなく姿も幻視したのね」

「ああ、直人は血だらけだった」

 隼人はさらに強く携帯をにぎりしめた。携帯が手の中で振動した。ギクッとした。マナモードにしておいたのを忘れていた。

「直人。ついてきている?」

 美智子の声がひびいてきた。まだハイテンシヨンだ。


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