第4話  直人!! タスケテ


第四章 直人!! タスケテ。



「ただのオッカケでないみたい」

 里佳子がバックミラーをのぞきながら呟く。美智子がカムバックしたので。美智子が『日本アカデミ―主演女優賞』に輝いたので。マスコミに追っかけられる日常。だれかの視線をたえず感じているこころよい緊張感。それがもどってきたとよろこんでいた里佳子だった。

 だが、後ろか追ってくる黒のセダンに不吉なものを感じだ。里佳子は体をこわばらせた。

 あおり運転でもシカケテくる気。いや、もつと強烈な害意がある。

「ふりかえらないほうがいい。気づいていないふりをしていたほうがいいわ」

 黒いセダンがつけてきている。近づくでもなく。遠のくでもなく。一定の距離を置き追尾してきている。圧迫感がある。恐怖を感じる。

「わたしたちの行き先はわかっているはずよ。あわてて、つけてくる必要なんかないもの。プレスの車ではないわ」

「くるわ」

 里佳子は高速道路を猛烈なスピードで疾走しだした。勾配もカーブもない。ただ平坦な道が続く。BMWのエンジンをうならせる。せいいっぱい馬力をしぼりだす。

 午後の青い霞のかかった空気を切り裂く。追尾してくる車との距離は開かない。

 むしろ、確実に接近してきている。怖い。襲われる。

 ぐいぐい距離が縮まる。スモークフイルムがはられているのか? 車の中はわからない。

 美智子は思い出から覚めた。体がをこわばらせた。危険が迫っている。顔からすうっと血の気がひく。

「直人。タスケテ!! だれか追いかけてくる」

 美智子は無意識だった。どうしてケイタイをとりだしたのかわからない。直人の登録ナンバーをプッシュしていた。ところが、彼の声がした。現実に彼の声がひびいてくる。このケイタイは冥府とつながっているのかしら。そんなわけはない。わたしはまちがいなく直人の臨終に立ち会った。でも、この声は直人だ。美智子は頭がまっ白になった。歓喜でわきたった。

 うれしい。うれしいわ。

「いまどこです」

「直人、直人なの」

 夢中で美智子は問いただしていた。愛おしい直人の声がする。

 大好きな直人の声だ。

「ごめん。直人のいとこの隼人です」

「従弟だったの」

「さきほどはご馳走さまでした」

「……いま鹿沼インターを通過したとこ。二十分も走れば佐野。変な車が全速力で追いかけてきている。なんなの? これってただのいやがらせ……」

 切迫していた。

 美智子の声は震えている。



 美智子さんを助けに行きたい。でもどうやって――。

 距離が離れ過ぎぎている。

 いまからでは間にあわない。キリコが隼人の焦る胸の内を察した。

「オジイチャンの遺体はそのままでいい。野ざらし覚悟の人生だったから。畳の上というか、家の庭で死ねてしあわせよ」

 キリコは凄絶な顔に涙を浮かべていた。庭の苔の上に倒れたサル

 彦を凝視していた。涙がキリコのほほを伝って流れおちた。

 急転直下のかわりようだ。サル彦は鬼神と刺し違えた。互角の戦いだった。だが、敵は不死の者。瀕死の重傷を負ったはずなのに。現われたときのように。よろけながらも。黒い霧の森の中に消えてしまった。

 あの霧のどこか見えないところから。

 野獣のように危険なものが。こちらをうかがっている。それは子どものころから。感じていた恐怖だ。牙をむき出しにして。鉤爪を光らせて。獰猛なものが。襲ってくる。

鬼族が出現するる前に生じる黒い霧が。まだ晴れない。

「もう――サル彦はいない。わたし怖い」

 命がけで、わたしを守ってくれた。サル彦はもういない。キリコはすがるように隼人につぶやく。ここを離れなければ。危険だ。サル彦の死をゆっくりと悲しむことは出来なかった。涙をぬぐった。直人のケイタイがまた鳴っている。

「裏庭にヘリがある。会社のヘリで行きましょう」

「えっ。ヘリがある??」

 そういえば――。〈日光遊覧飛行〉というポスターが街に張ってあった。

 上空でたえずヘリのローター音がきこえていた。

「こうゆう事態になることをジイチャンは予知していた。ここにいたのでは、鬼神の仲間は大勢いるの。わたしたち東京に脱出する準備はできていたの」

 キリコは着物からジーンズ姿にかわっている。

「さようならサル彦ジイチャン。さようなら日光」

 キリコの目に涙が光っていた。生まれ育った故郷日光をあとにするのだ……。

 遊覧飛行用の小型ヘリが日光の空を飛びたった。



 直人の従弟だった。直人は三年たてば従弟の隼人がじぶんの今の歳になる。それを計算にいれていた。そして、霧降での三年後の再会を演出した。ニクイひと。だがそこまでだった。思いでにひたっているどころではない。黒のセダンがフロントガラスを銀色に光らせてBMWと並んだ。バンとノーズをたたきつけてくる。あおり運転ではない。凶暴な害意がある。

 強引におどして、美智子たちの車を停止させる気だ。

 里佳子がブレーキを踏んだ。

 相手の車が前方に遠ざかる。

「美智子、体をひくくして」

「おばさん、わたしこわい」

「がんばって。あなたは鹿沼の翔太郎オジイチャンの孫よ」

 バシッとサイドウインドウが砕けた。

「美智子。かがんで」

「隼人。銃撃されてる。どこ、どこにいるの。助けにきて」

「もうきている。頭上にいる」 

 ばりばりとヘリがホバリングしている音がする。


「どうする。隼人」

「キリコ。武器は」

「攻撃ヘリじゃないから。でも、サル彦ジイチャンの猟銃がある」

「ウインチェスターのライフルじゃないか。直人の霊体装甲も着ている。ピストルも入っていた。これで十分だ」


「狙撃されてる。早く来て」

「路肩に車を止めるんだ。心配するな。いますぐ降りる」

 クラクションを鳴らして迫ってくる。

 威嚇しているのだ。

 どうせ逃げられっこない。

 嘲笑っているのだろう。 

 二〇分ちかく追われている。

 獲物を追いかける肉食獣のように執拗だ。

 この襲撃がなにを目的としているのか?

 なにを意味しているのか?

 美智子にはわからない。

 だからこそ怖い。敵の車が前に回りこんだ。ドスンと衝突した。襲撃犯がBMWの後部扉から美智子をひきずりたした。

 速く。

 隼人。

 タスケテ。

 速く!!

 美智子はパニックを起こした。

 うわ言のように、タスケテ。

 直人。

 と叫んでいた。

 

 キリコのヘリが着地した。襲撃犯の男は信じられないものを見た。信じられないことが起きた。ふいに空から男がヘリで降りてきた。邪魔がはいるなんて想像もしていなかった顔だ。

 恐怖に歪んだ顔。

 男は夢中で発砲した。

 銃弾は隼人の肩口をかすめた。青白い炎が直人から譲り受けたコートの肩口で爆ぜた。隼人は男の首筋に空手チョップをきめた。銃を使うほどのことはなかった。その油断をつかれた。離れたところに停車していたセダンから狙い撃ちにされた。まだ運転手がいたのだ。美智子を襲った男の体がぐにゃっと跳ね上がった。隼人がライフルをかまえて応戦する。

 黒のセダンは急発進した。

 現れたときと同じように。

 唐突に。

 逃げていく。



「コイツもうたすからないよ」

 仲間に撃たれた。死んでいく男の額にキリコは手を置いた。目を閉ざしてやっている。

 じぶんたちの、正体を隠すために。襲撃の意図を知られないため消された男。なんていうやっらだ。

 男のために合掌した。

 死者を憐れみ、それから立ち上がった。キリコは大きく手を広げて死体の横にいる。

 まるでブルーシートで人目を遮断しているようだった。いや実際にそうした効果があるらしい。何台もの車がなんの注意も払わずに通過していく。

「あのかたどなた」

 パニックから立ち直った美智子が発した言葉だ。しみじみとした    

 顔で隼人の返事を促している。

「キリコ。黒髪キリコ」

 隼人もそれしか知らない。

「知り合いが、日光にいたのね」

 すこし、オコッテいるようだ。声が尖っている。

「美智子。早く乗って」

 里佳子がふたりの会話に割ってはいる。

 ぼくだってキリコのことは、まだなにもわかっていない。全裸の少女が幻のように二社一寺への街道に現れたときは、おどろいた。それがいまは、完全に実体化した。

 そのうえどこかに暴漢の死体の処理をケイタイでたのんでいた。死体は路肩に寄せて放置した。死体はまだ、人目につかない。

 先ほど、キリコが手を広げて、隼人たちを人目から遮ったような効果だ。不透明なビニールシートでも死体にかけたのか。

「クリーニング屋は呼んどいたから。ぐずぐずしないで、さきにいって。ケイタイに連絡はいれるから。直人さんのね」

 隼人はからかわれている。

「クリーニング屋? それって……」

「わたしは日光忍軍の棟梁の孫娘。これくらいの手配はなんでもないわよ」

「これって、ロケですか」

 直人との思い出の場所を覚えていてくれた記者が追いついてきていた。

「東都週刊の三品です。写真は撮りません。だから、教えてください。トラブルですか」

「ごめんなさい。東京にもどってからにしてくださいね」

 里佳子が応える。プレスの車がつぎつぎに到着する。危ないところだった。美智子が隼人といるところを目撃されるところだった。隼人は後部座席に身を伏せていた。里佳子はゆっくりとBMWをスタートさせた。

 隼人がいる。急ぐことはない。これから、なにか危険があっても頼りになる若者がいる。

 でも、隼人を人目にさらしたくはない。直人とそっくりなのを気づかれたくなかった。

 それこそ、マスコミの狙い撃ちに美智子をさらすようなものだ。だれもが、直人そのものが生きていたと思うだろう。

 わたしだってまだ半信半疑なのだから。

 イトコだと聞いたいまもまだ信じられない。隼人が美智子の隣にいる。美智子はうれしそうにほほえむ。

「ほんとにあのころの直人さんに瓜二つね。そっくりよ」

 里佳子が慎重に車をスタートさせた。すぐに後部座席に声をなげかけてくる。

「叔母の、里佳子です」

 と隼人に挨拶する。 

「美智子。怪我はなかったでしょうね」

 美智子は窓の外を見あげている。上空をキリコの操縦するヘリが東京方面に飛び去っていく。

「ビビットなひとね」

「ぼくは直人兄さんの恋人が女優さんだなんて聞いていなかった。きれいなひとだとは母からいわれていました」

 美智子は静かに吐息をもらした。

「……あいつらだれです。プロですよ。襲われるこころあたりは」

 美智子は危うく拉致されるところだっのだ。



「こころあたりは?」

 隼人が同じ質問をまたくりかえす。里佳子も美智子も。ふたりとも絶句している。いまになって恐怖がよみがえってきたのだ。美智子は男のおぞましい手に引かれた。車からひきずりだされた。男のどろんとよどんだ目、臭い口。

 沈黙をやぶったのは美智子だった。まったく心当たりはないらしい。

「だって、わたしは直人の喪にふくしていたのよ。三年間も芸能界から遠ざかっていたの。たった一本の主演映画だけで、引退したも同然の生活を母と里佳子おばさんと三人で送っていたのよ」

 あの狙撃はわたしに向けられたものだったの? 

 口封じに仲間を撃つだろうか。

 わたしは、命を狙われている。

 信じられない。

 その信じられない襲撃が白昼堂々と実施された。

 たえず尾行されていたのだ。

 ねらわれていた。でなかったら、わたしが、霧降りに向かったことなど、わかるはずがな。

 なぜなの? 

 命をねらわれる覚えはない。なにもない。美智子は体をこわばらせた。ふるえていた。

「ひとに恨まれることなんてしてないわよね」

 里佳子は大きなため息をもらす。

「隼人さんは、学生さん……じゃないわよね」

「もちろんです」

「ガールフレンドは」

 いちばん、気がかりなことを、美智子が訊く。隼人は笑っている。

「どうなの……」

「美智子さんは、これからも、撮影のスケジュールがあるのですか」

 今度は、美智子が笑う。

「女優さんですものね。新作の予定がビッシリなんだろうな」

「わたしまだ生きていると実感したかった」

 美智子が唐突にいった。美智子はパーティー会場をぬけだしてからの。小さな旅。危険との遭遇に疲れ果てた。美智子は、隼人の肩にほほをよせて眠ってしまった。

 ほほのまだ乾いていない涙。隼人は、そっとハンカチでふいてやった。隼人を信頼しきっている。あどけない寝顔だ。無邪気な少女のような寝顔だ。直人の夢でも見ているのだろう。

 朝までつづいていた受賞パーティーの記者会見をすっぽかした。一昼夜も寝ていないことになる。

「美智子はあのまま引退するきだったの。わたしたちが、直人さんの三回忌の記念に、彼をまだ忘れていない証に、彼の仏前に新作の映画を供えたらとすすめたのよ」

 どう話を引きだしても、なにも利権のからんだことは出ない。美智子はなぜ襲われたのか? 熱烈なファンの暴挙でないことはたしかだ。相手は暴力のプロだ。

 

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