5.恋人
翌日からの学校生活は耐え難いものだった。
鈴木は、私を追いかけたせいで事故に遭った事を強く恨んでいるようで、以前よりもあからさまな嫌がらせをするつもりらしかった。
今までの仕打ちは靴を隠されたり、机に落書きをされたりと精神的苦痛を伴うものだったが、給食に虫を入れられたり、教科書の間にカッターの刃が挟んであったせいで手を切ったりと、肉体的苦痛を伴うものに変化した。
鈴木が生徒に命じたのだろうと思い、これからの事を思うとさらに胃が痛くなった。
休み時間や昼の時間に席を立って、佐藤先生の姿を探した。
しかし先生は見つからず、落胆して席に戻ると机に酷い言葉の羅列が書き加えられていて、さらにどっぷりと落ち込んだ。
結局、その日は佐藤先生を見つけられないまま、最後の授業が終わってしまった。
私は佐藤先生を探す事は諦めて、早々に帰宅しようと思った。居残りをしているとクラスメイトに絡まれる恐れがあったからだ。
下駄箱に移動し、上履きを外靴に履き替えた所で、足に痛みが走った。
その場に転がり、息を荒らげ手で今履いた靴をはぎ取った。
足の裏に画鋲が三本刺さっていた。慌てて画鋲を抜くとじんわりと血がにじんだ。生理的に出た涙を手でぬぐう。靴を履いて帰宅しようとしたが、足の裏が痛くてうまく歩けなかった。
仕方なく、足を引きずって保健室へ向かった。
せめて絆創膏でも貼れば、痛みが和らぐのではないかと考えたのだ。
保健室に着き、まず中の様子を窺った。
中にクラスメイトが居れば絆創膏は諦めようと思った。
扉を僅かに開け目を凝らすと、そこには思いがけない人がいた。
保健室の中に佐藤先生が居たのだ。
私は嬉しくなり、保健室の扉を開けようとした。
しかし女性の声が聞こえ、中にもう一人居るようだと寸での所で留まった。もう一人は誰だろうと目を凝らす。
その人物は良く知る、よりにもよって一番会いたくない女だった。
そこに居たのは鈴木だった。
佐藤先生と鈴木は二人で保健室にいた。
保健室の中にある椅子に座り、鈴木先生が佐藤先生の腕をとり、消毒液をつけている所だった。その様子から、佐藤先生が何らかの怪我をしたのだろうと予想した。
早くここから離れないと鈴木に見つかってしまう。
頭ではそう分かっていたのに、目の前の光景から目が離せなかった。
話している内容までははっきり聞こえないが、二人の仲は良さそうだった。身体を密着させ、楽しそうに笑っていた。
突然、鈴木先生は甘えるように媚びはじめ、佐藤先生の頬に手を伸ばした。
やめろ。やめろ。
汚い手で佐藤先生に触るな。
私の心の叫びもむなしく、佐藤先生は鈴木の伸ばした手を取った。そして、身体を引き寄せて唇にキスをした。
頭をがつんと殴られたような衝撃だった。
くらくらして倒れこみそうだった。二人は恋人同士だったのだ。
私はすぐにその場を離れ、帰路についた。
足の痛みなどもう忘れてしまっていた。
家に着いてすぐ、母親に体調が悪いと嘘をついた。
気持ちが悪くて何も食べられそうにないから部屋で寝ていると伝えると、母親は酷く心配した。仮病に罪悪感を覚える程、その時の私には余裕がなく、母親をあしらって自室に入った。
部屋に入ってすぐに床に座り込み、膝を抱えて声を殺して泣いた。
そのとき、私は初めて自分の感情を知ったのだ。
そう。私は佐藤先生に恋をしていた。
当時、私は精神的にも肉体的にもまだ幼く、色恋事にも疎かった為、佐藤先生への感情は憧れだと思っていた。
しかし、保健室での出来事を見て湧き上がったのは、間違いなく鈴木への嫉妬の感情だった。
年の差や相手が教師である事など関係ない。
生まれてはじめて優しく接してくれた他人を好きにならない筈がなかった。
どうしてあんな意地悪な女が、あの優しい佐藤先生と恋人同士なのだろう。
世の中は理不尽でそして不公平だと思った。
ふと、足を怪我していた事を思い出した。思い出してから、すぐに鋭い痛みが襲った。
足を確認すると、傷から血があふれ出ていた。手当てをせずに歩いたため、傷が開いてしまったのだろう。傷を見た途端、眩暈がした。
涙をぼろぼろとこぼしながら、どうして私だけがこんなに苦しいのだろうと思った。
クラスには私を含め、全員で三十人いた。その中の二十九人は毎日楽しそうに学校に通っている。ちっぽけな悩みぐらいはあるだろうが、私のように登校中吐き気に襲われたり、胃が痛くて眠れない事などないだろう。どうして私がその中の、たった一人になってしまったのだろう。
次第に足は尋常ではない程痛みはじめ、私は床に倒れこんだ。足に触れると熱を持っていた。身体も熱く、息も荒くなった。
私はその時、何かに縋りたかったのだと思う。身体を引きずりながらも、無意識にルーズリーフをとりにいった。
ルーズリーフを手に取り、床にうずくまりながら字を書き始めた。
〝いたいよ。あしがいたい。はやくいたいのなくなって。いますぐに、あしがなおって〟
震える手で書いたにも関わらず、それは美しい字だった。
〝字〟などと一文字で表現できない、一つの生き物のような、卓越した美しい字だった。
書き終わると、脱力したようにフローリングの床に仰向けに倒れこんだ。
痛みが落ち着くまでこうしていようとそう思った。すると不思議な事にすぐに痛みは引いていった。引いていく、なんてものではない。最初から何事も無かったかのように、ぴったりと治まったのだ。私は勢いよく起き上り、すぐに足を確認した。
そこにあった筈の傷口は、綺麗に消えていた。
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