フツカヨイ的日記

藤原遊人

第1話 6月下旬の1日

ぐるりと見渡すばかりの青空、この季節にしては珍しく青々と広がる空はこのちょっとささくれだった私の気持ちを少しばかり明るくしてくれる。


そう、そうなのだ、ほんの少しだけなのだ。


ふーうと声を出して息を吐き、うっそりと笑うが誰も気にもしやしない。周囲に知らぬ人はなく、ただぽつりぽつりと連なる小さな鳥居があるだけだ。その小さな鳥居の向こうにはこの小さな鳥居に相応しい小さな神社があるのだ。

その小さな神社の横には切り立った崖、日本海の荒れた、今は全然荒れてなく白青い綺麗な海面が光を浴びて輝々キラキラとそれは美しく波を寄せている。

これが写真映え《インスタ映え》と呼ばれて近頃、人気らしい。私がどこへやら仕事に追われて世界から離れていたら、こんなにも社会は変わっている。


いや、世界とは一体なんだろうか。手元にあるこの小さな透明なガラス越しに見える文字面が世界なのであろうか?考えても考えても仕方がない、でも映像機器テレビの勢力が衰えているのは間違いがない。

そうだ、これからは世界を決めていくのはこのちっぽけな画面に違いない。



「どうしたの?」

「なんでもないよ」



知っている、とても良く知っている私の婚約者が話しかけてきた。骨自体のガタイも良く、資本主義の塊と言われる、要は脂肪だ、がたくさんついている私と比較して、細く可愛らしい彼だ。

そう、彼だ。こんなに不釣り合いな二人が会って結婚の同意をするに至った場所は仕事場だ。彼の腕は折れそうに細い、それでも私たちは二人とも国を守る防人だ。


つかの間のこの休息の時間ですら、連絡招集があるかもしれないと震える可哀想な労働者なのだ。月あたり25万程度で、うん十人の部下の世話をやき、なんにもできない上司の電子手紙メールを代わりに打ち、失敗した事案のケツを拭きにまわる。高々二年ですら辟易としているのに彼はもう五年も勤めていて、そして防人であることが好きなのだという。


だから私は彼と婚約して辞めるのだ。


そうしたいしたくないの問題ではなく、防人であれば防人を定年する56歳までは年に二回会えればいい方の生活になる。私たちはまだ25歳である。31年もの間、共に暮らせず会話すらままならない。交代制シフトだから休みの日すら合わない。

それは果たして結婚というのか、なんともバカバカしい。どんなに時代が進んでいようと私のそういった感性のみが旧時代に置いていかれている。


だから防人をしながら彼と結婚するのは嫌だ。でも彼と結婚しないのも嫌だ。それがこうなった次第だ。



「いい格好ポーズを決めて」

「そんな仏頂面で言われても」

「仕方ない、はい、笑え《チーズ》」



仏頂面なのは仕方ない。今日の旅行に行くと決めた朝に仕事から帰ってきたのだ。

防人とは激務だ。早く辞めてしまいたい。欲を言えば彼も辞めてほしい。でもそれは彼の希望と自身の性格アイデンティティを否定することにほかならない。


だから私はそれを黙って、彼の希望を伝えてあげるのだ。彼は心から防人であり続けたいと願っているから「君は辞めない方がいいと思うよ」とだけ伝える。



「いい写真撮れた?」

「撮れたよ」

「神社の方も見に行こうよ」



そう言った私たちに同調してくれた一緒に来ている今回の旅仲間たちを見たバスツアーの添乗員ガイドさんが丁寧な案内をしてくれる。神社の鳥居のこと、神社の狐について。これは稲荷神社だったのか。


鳥居を潜ってから、「へえ、君は稲荷神社なんだ」と言われるのは神様も不本意かもしれない。それとも、知らなくてもお賽銭さえくれるならどうぞどうぞという資本主義的な発想だろうか。

日本の神様ならどっちも有り得そう。浮気して神様同士で殺し合いをして、人間より人間くさい神話の世界の方々の話を聞いている限りではきっと「お賽銭ありがとう」というに違いない。神社も鳥居もお金なしに維持はできない。


頭を下げる順番がやってきて、お作法通り礼をして手を叩いて「お邪魔しました」と内心のうちにお礼を言った。

防人の幹部である私たちはそういう教育もされている。隊長がそういうことが見栄え良く《カッコよく》できなかったら、何かあったときに見映えが悪い。そういうことだ。

旅仲間の老女に「若いのにきちんとしてるわねえ」と言われた。ただにこりとだけ微笑んだ、下手に返事をするのも誇示しているようで、はしたない気がしたからだ。しかし、心の中では「そうしないといけないと躾られましたから、ええ」と皮肉屋の私が呟いている。


稲荷神社でお願い事をして叶ったときにはお礼をしないと祟られると噂で聞いたことがある。だから何も願わない。

それを誰から聞いたのかは塵も覚えていない。自分の祖母だったか、母親だったか。父親はそういうのは疎かった。祖父のことは、うん、自分が幼かったからあまりたくさんは覚えていない。もしかしたら祖父かもしれない。



「今日のバスツアー楽しかったね」

「うん、良かった。でも疲れただろう?今日は早く寝よう」

「それがいいね、君も疲れてるように見えるよ」

「なんか最近寝れなくてね」



防人でありたい彼の願いとは裏腹に防人の仕事は彼を蝕んでいる。

殴られ、怒鳴られ、そして誰かの失敗の吐き散らしたあとを片付けながら、仕事をし続けているのに。彼の僅かばかりな願いすら叶えられない世の中なんか腐り落ちてしまえと私は思ってしまう。



「今日はね、さっき温泉の素を買ったから。これであったまったら夜寝れるよ」

「そうかもしれないね、いい匂いだといい」



そう嘘をつくしか、私は何も出来ない。お風呂一つで不眠が解消されるなら年に一〇以上もの防人が自害している現実はとうの昔に解消されてる。


きっとここで仕事を辞めて一緒に普通に暮らそうと喚いたら彼は優しいからそうしてくれるだろう。でも、それは彼の自己アイデンティティを殺す以外の何物でもない。



ぷあーと間抜けな音を鳴らしながらバスは街に帰る。こうして私たちはまたお互いが会えない交代制シフトの生活に戻る。私はあと数日の辛抱だ。



「本日は誠にご利用ありがとうございました。当社のバスツアー…」



次のご案内を貰って、バスを降りた。現実に降り立つと急に空は灰色だ。


ビルに遮られた鬱屈したこの都市の真ん中に私たちの腐りきった職場がある。見映えだけが嫌に立派な中身は腐っている。

そう、中身のない木製のリンゴのようなものだ。本来の目的を忘れて、リンゴの形であることがさぞ美しく本意であるとみんなで勘違いしているど阿呆な職場だ。とっくに中身は失っている。いや、この国の場合、最初からリンゴは食べれない張りぼてだった。


うぃんうぃんと泣き続けるセミの声がやけに忌々しい。心無しかちょっと泣き声がか細い。



「帰ろうか」



全てに蓋をして、気付かないことにした。そうして豆だらけの手を繋いで私たちは家まで帰った。

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