レイジ2 裏切り

 レイジは扉の開閉をコントロールするパネルとTMをケーブルで繋ぐと、プログラムを起動させた。


「多少の時間は掛かるが、これで開くだろう」

「……いつも思うんですけど、レイジさんのTM、改造されすぎでは?」

「そういうのが得意な奴がいるんだよ」

「それって違ほ……いや、なんでもないです」


 ミカが警察と『黒山羊協会』が衝突すると伝えると、レイジはすぐに地下空間へと向かった。署から脱走したにもかかわらず警察の集まる場所へ行くということにミカは不安を覚えたが、レイジには考えがあるのだと判断してそのまま従った。


 とはいえ、今はレイジの相棒なのだ。何も知らないままというわけにもいかない。

「レイジさんは、地下空間にルナさんがいると考えているんですか?」

「ああ」レイジは答える。「行く前に話しておいたほうがいいだろう。俺の推理、というか仮説を」


「まず、『黒山羊協会』とあの悪魔・黒山羊について、二つの疑問が浮かんだ。


・ルナはなぜ連れ去られたのか。

・黒山羊はどういった存在なのか」


「前者の疑問はもっともですが、後者はもうわかっているんじゃないですか? モンテロが儀式で呼び出した悪魔、ということなのでしょう?」


「もちろん、そこに疑いはない。問題は、『なぜ呼び出された黒山羊はモンテロを殺したのか』、逆に言えば、『なぜモンテロは自分を殺すような存在を呼び出したのか』」


 たしかに、呼び出した悪魔に殺されたモンテロの動悸はいまいちわからない。

 何らかの手段で黒山羊をコントロールできると思っていた? もしくは……。


「……もしかして、モンテロは”黒山羊ではないもの”を呼び出そうとしていたんじゃないでしょうか。それが、何らかの手違いにより黒山羊が呼び出されてしまった、とか」


「ああ。おそらくその通りだ。一般的な悪魔の召喚の場合、呼び出した者は対価――命や魂――を払う代わりに願いを叶えてもらう”契約”を結ぶことになる。モンテロが想定していた悪魔もそういう存在だろう。だが、黒山羊に人間と契約を結べるほどの知性が備わっているようには思えない。黒山羊の召喚はモンテロの想定外だったと考えたほうがいいだろう。

 逆に、黒山羊がモンテロを殺し、ルナを連れ去った理由だが……それは”生きるため”だと思う」


「生きるため?」

「おそらく、黒山羊は単独では自分の存在を維持できないんだ。俺たちが生きるのに食事が必要なように、奴も”エネルギー”を摂取しなければ、この世に居続けることができないんだろう」

「そのエネルギーというのが、人間の命、ということですか?」

「正確に言えば”生命力”といったところか――ボリスが黒い煙を見た後、急に気分が悪くなったという話を覚えているか?」


「ええ」突然話が変わったので、ミカは眉をひそめた。「たしか、最初は風邪かと思ったけど違ったとか」

「ああ。それに、ルナが黒山羊に背負われているあいだは一度も目を覚まさなかったということ。この二つから考えると、黒山羊は二人から生命力を吸収していたんだと思う」

「なるほど。体調を崩したり、意識を失ったりしていたのは、黒山羊から生命力を

奪われていたからだと」


「そう考えれば、黒山羊がルナを連れていた理由もわかる。黒山羊はルナを殺さず、生命力の供給装置として連れ歩いていたんだ。モンテロではなくルナを選んだのは、ルナの方が若く、回復が早いからだろう。

 また、黒い煙は遠隔的に生命力を吸収する装置なのかもしれない。その近くに来た生き物から少しずつ生命力を奪っていくような。だから、黒い煙の近くにいたボリスは体調を崩した」


「そうやって集めても足りない分の生命力を、人を殺すことで吸収してきたということですね」

「ああ」レイジの表情が悔しそうに歪む。「ボリスはそのために殺された。だが、奴は今、ルナという供給源を失っている。殺人が一晩起こっていないことも考えると……かなりの空腹かもしれない」

「そんなところに、人間がたくさん集まれば」

 ミカの顔から血の気がさっと引いていく。

「あまり期待はできないが、弱っているという可能性もある。まあ、これが黒山羊の正体に対する俺の仮説だ」


「もう一つ、なぜルナは連れ去られたのか」

「ルナさんを連れ去ったのは『黒山羊協会』なのでしょうか」


「まず間違いない。そもそも、ルナはなぜ『黒山羊協会』に連れて行かれたのか。組織の人間の信仰心を満たすため、という表面上の理由はあったが、本来の意図は別にあるはずだ。そして今回、留置所に囚われているルナを、かなりのリスクを冒してまで連れて行った。そこまでする理由はなんだ? 奴らが求めるルナの”価値”とはなんだ?」


「ルナさんでなくてはならない理由?」

 ルナが持つ属性はなんだろうか。若い女性であること、教団に所属していること、信仰心を持っていること、黒山羊を呼ぶ儀式に利用されたこと……ミカが知る限りでは、このくらいが限度だった。


「おそらくは『シスターであること』あるいは『信仰に帰依していること』が条件なんだ。とにかく、やつらはそういった女を必要としていた。何故か? モンテロの行動を見ればわかる。『黒山羊協会』は最初から儀式の生贄とするためにルナを連れてきたんだ」


「……ところが、モンテロが勝手にルナさんを連れ出して儀式を行ってしまった」

「いや、おそらくモンテロが裏切ったのは連中の想定内だった。あるいは、わざとそうけしかけたのかもしれない」


 語り続けるレイジの額にはびっしょりと汗が流れていた。


「さっきの話に戻るが、モンテロは何らかの願いを持って悪魔を呼ぼうとし、誤って黒山羊を呼んだ。では、なぜモンテロは儀式に失敗したんだ?」

「それは……呼び出される悪魔について嘘をつかれていたのか、誤った儀式の方法を教えられていたのか」

「モンテロが儀式の方法を本で読んだのか、人伝えに聞いたのかはわからない。だが、部分的に改変されていたのは間違いないだろう。そのやり方が大きく違っていれば、黒山羊も呼び出されなかったのかもしれない」

「ということは、改変されたのはほんの一部ということなのでしょうか」

「ああ。そして、おそらくそれは供物の項目だ」


「供物というと……」ミカはモンテロ殺しの現場を思い出す。「ニワトリの死骸と生き血!」

「その部分が改変されたんだと思う。供物のグレードが下がったから、呼び出される悪魔が黒山羊のような低級になったんだ」

「グレードが下がった?」


 それならば、本来は何を供物として捧げるはずなのか。

 ミカの疑問を察したかのように、レイジは答えた。


「人間の死体と血液だ。それも、一人のものじゃない。たくさんの人間のものだ」

「なっ……」ミカの目が大きく見開かれる。「そんなバカな話が……だいたい、どうやってそんなものを用意するつもりなんですか」

「用意ならもうされているだろ。この――地下空間のなかに」


 ミカの背筋を冷たいものが走る。


 供物は今この地下空間で生み出されているのだ。

 ――多くの警官と『黒山羊協会』の人間の死によって。


「交戦を止めることは、もはやできないだろう。だから、俺は儀式を止める」

「儀式も地下空間で執り行われているんですか!?」

「まず、間違いない。儀式の斎場と供物の場所がそこまで離れていて良いわけがない。おそらく、戦闘の影響を受けない程度の距離で儀式は行われるはずだ」

「そこにルナさんもいるわけですね」

「ああ。間違いなくな」

「助けましょう! 今度こそ、必ず!」

 力強く意気込むミカに、レイジは面食らいつつ、少し笑った。

「当然だ」

 重々しい音と共に、地下への扉が開いた。


 レイジとミカは、警察が待機している場所から一つ離れた入口を使い、地下空間へと侵入した。『黒山羊協会』との銃撃戦に巻き込まれるのを避け、いち早くルナを見つけ出すためである。


 想像した通り、二人が降り立った地点では戦闘の形跡はなかった。暗闇のなかに身を隠し、交戦地域に近づくように移動を開始する。


「……銃声が聞こえますね」

「まだ戦闘が続いているのか、黒山羊も出てきているのかもしれないな」

「……黒山羊をどうにかする方法はないんでしょうか」

 悲しげな声を出して、ミカがつぶやく。

「儀式を執り行っている連中を捕まえれば、そいつらが退散の方法を知っている可能性はある。望みがないわけじゃない」

 それが慰めだとはわかっていたが、ミカは気持ちを切り替えた。

「そう、ですね! とにかく、まずはルナさんを助けましょう!」

 

 暗闇のなかを進んでいく。

 銃声は止むどころか、先に行くにつれて音は大きくなっていった。

 心なしか、悲鳴のような声も聞こえてくる。


「……止まれ。誰か来る。柱の裏に隠れろ」

 レイジに制され、ミカは身を隠した。

 耳を澄ませる。


 カツ、カツ、とかすかに足音のようなものが聞こえてきた。


「……あれは」

 レイジに続き、柱のかげから覗く。

 見覚えのある人影。

 日頃見慣れた巨体の人物――クレマン・バルトー警部がそこにいた。


 クレマンはキョロキョロと顔を動かしながら、二人の隠れる柱へと近づいてきている。

 今のレイジとミカは脱獄犯と共犯者だ。クレマンに見つかることは望ましくなかったが、状況が状況だ。理由を話してクレマンに協力を求めるのは悪い選択肢ではない。


 レイジの意見はどうなのだろうか、と表情を伺う。瞬間、ミカは思いがけないものを見た。

 レイジは愕然とした表情を浮かべていた。まるで、見るはずのないものを目撃したというような、驚愕が顔に表れている。


(……そういえば、さっき説明したときにはクレマン警部が来ていることは言わなかったかもしれない。だから驚いているのかな)

 ミカが納得し、レイジにどうするか訊こうとした時だった。


「そこに隠れているのは誰だッ!?」

 クレマンが怒鳴り声を上げながら、銃を二人のいる方へ向ける。


「ク、クレマン警部! 私です! ミカです!」

 ミカは慌ててクレマンを制止した。

「ミカ? それに、レイジ……。二人とも、これはどういうことだ」

 クレマンは銃口を下げたものの、厳しい口調で二人を問い詰めた。

「警部……すみません。今回の事件の解決には、レイジさんの力が必要だと思い、ここまで来てもらいました」

「何を勝手なことを……それに、誰がレイジが出てくるのを許可したんだ?」

「それは……」

 ミカの目が泳いでいることで、クレマンは事態を察したようだった。


「……お前たちには心底呆れた。もういい、ここまで来れば状況はわかっているんだろう? お前たちはさっさと撤退しろ」

「待ってください! レイジさんは、ここにルナさんがいると推理して!」

「いいかげんにしろ! 今のお前たちに事件に首を突っ込む資格はな……」

 クレマンの表情が驚愕へと変わり、言葉が途切れた。


 いったいどうしたというのか。ミカはクレマンの視線の先を追った。

「……レイ、ジさん? い、いったい、何を……?」

 レイジが真剣な表情でクレマンへと銃を向けていた。


「……どういうつもりだレイジ。脱獄の口封じで俺を殺すつもりか」

「そんなわけがないだろう」

「だったら、どうしてクレマン警部に銃を向けるんです!?」

 金切り声を上げて、ミカが叫ぶ。

 今のレイジの行動は、常軌を逸している。おかしくなったようにしか思えなかった。


「単純な話だ――それは、クレマンが裏切り者だからだよ」

「裏切り、者?」

 ミカの脳裏には、クレマンにレイジを偵察するように命令されたことが思い浮かんだ。それを裏切りというなら、ミカこそがそうだ。


「おかしいと思わなかったのか? ルナが連れ去られたとき、署への侵入経路が事前に調べられたのはわかる。だが、留置所の管理システムまで完全に把握しているのはおかしいだろう。それに、情報の流れが速すぎる。ルナが収監されてから脱獄するまで一日も経っていない。ルナの逮捕は世間に公にされていないにもかかわらずだ」


「つまり……警察のなかに『黒山羊協会』と通じているものがいる、と」

「それが俺だと? 何をバカな! 何の根拠がある!」

「今の今まで根拠はなかった。だが、俺たちのところまで来たことが、お前を疑う理由になった」

「どういうことです?」


「これから儀式を行う連中が気にすることはなんだろうか。それは、儀式の失敗となる原因を極力排除することだろう。特に、地下空間内部の人間が外に逃げること、地下空間の外部から人間が入ってくることには一番注意するはずだ。ゆえに、連中は”地下空間の扉の開閉”を管理している可能性が高い」


「もしかして、脱走者、あるいは侵入者が扉を開けようとすれば感知する仕組みになっているんですか!?」

「おそらくそうだ。そして、俺たちの前に最初に姿を現したのがクレマンというわけだ」

「たった、それだけの根拠で……レイジ、お前どうかしているぞ!」


 クレマンは汗を噴出しながらわめき立てている。たしかに、彼の主張はもっともだ。レイジの言う”扉の管理”がされている確証はないし、クレマンが二人を見つけたのが偶然という可能性もある。


「ああ。たしかにな。だが、今は時間がない。いちいちお前が味方かどうか確かめる余裕もないんだ。だから、リスクがある以上、疑ってかかるのは当然だろう」

「それで、俺が無実だったらどうするつもりだ」

「……きちんと謝るさ。お前はきっと許してくれる」

「……勝手にしろ!」

 不貞腐れたように、クレマンはうつむいた。


「クレマン警部をどうするつもりですか?」

「連れて行く。クレマンが儀式の斎場から来たなら。クレマンが歩いてきた方向にルナがいるはずだ」

「なるほど――ッ、レイジさん!」

 

 瞬間的にミカはレイジに飛びついた。

 ズドォン!

 銃声が響き、レイジの立っていた場所を銃弾が通過した。


 同時に、銃声の方向へとクレマンが駆け出す。


「待て!」

 レイジがクレマンに向けて発砲するも、銃弾は当たらない。

「まだ向こうから狙われています! 隠れないと!」


 暗闇のなか、ミカは離れたところにいる人影に気づいた。

 その人影がこちらを狙っていると直感し、レイジを突き飛ばして銃弾を回避したのだった。


「すまないなフィリップ」

御身おんみを大切になさってください。あなたは我々の将軍ジェネラルなのですから」

「ああ。儀式の方は?」

「準備は整っております。早くお戻りください」

「ここは任せても大丈夫か?」

「問題ありません」

「そうか、頼んだ」


 男とのやり取りの後、クレマンは暗闇のなかへと駆けていった。


「待て!」

 レイジが追いかけていこうとするのを、銃弾が制した。


「アンタたちの相手は俺だ」


 照明の光で男の姿が視認できる。

 細身の中年男だ。顔色が悪く、不健康そうな男だが、一見ただのサラリーマンのような見た目をしている。手に持ったライフルが絶妙に似合っていなかった。


「クッソ!」

 悪態を吐きながら銃弾を放つ。男はすぐに柱へと隠れて回避した。

 レイジとミカも、近くの柱のかげに身を隠す。

「こんなところで時間を食うわけには……」


「レイジさん」決意を秘めた瞳で、ミカは見つめる。「クレマン警部を追って、先に行ってください。あの男は、私がなんとかします」

「バカなことを言うな! 相手はライフルを持っているんだぞ。お前一人でどうにかできる相手じゃ」

「ですが、あの男を倒してからではきっと儀式には間に合いません。……大丈夫です。こう見えても、学校時代は射撃と武道の成績はダントツでしたから」

 笑って話すミカの肩が震えていることに、レイジは気づいていた。


「ミカ……すまない」

 そっとミカの肩に手を置く。

 震えが止まった。


「何で謝るんですか――ルナさんのこと、絶対に助けてください」

「ああ。当然だ」


 レイジは柱のかげから飛び出した。

 銃弾が足元を掠める。

 無視して全力で駆け抜けた。


 レイジを追おうと、男も柱の外から出て行こうとした。

 パァン、とミカの拳銃が火を噴いた。

 男は寸前で身を翻し、銃弾を回避する。


「あなたの相手は……私よ!」

 ミカは高らかに宣言した。

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