第9話

 俺のつぶやきは実夏達には聞こえなかったみたいだけど、両親にはばっちり聞こえていたらしい。




「何だ、お前?」




 父さんにそう尋ねられるし、母さんも変な顔をしている。


 二人に言わせれば俺の方が変なんだろうけどさ。


 親戚の家に遊びに来て、その家の叔母と従妹を見て突然「嘘だろ」とか言い出す奴がいたりしたら、俺だって額に手を置くくらいの事はするに違いない。


 熱はないんだけどな、多分。


 今は何だか説明する気にはなれなかった。


 よく考えてみれば二人の服装は、以前に見た事があるものじゃないか。


 つまり、無意識での予想があっただけなのかもしれない。


 そう言い聞かせると気分が楽になった。




「みっくん、久しぶり」




 実夏は嬉しそうに俺に声をかけてくる。


 三度目にもなればもう驚かない。




「うん、久しぶり」




 そう応えると何故か皆が驚いた顔をした。




「な、何だよ?」




 驚かれた事にびっくりして言うと、実夏が両手を口に手を当てながら、




「だって、いつものみっくんなら、二か月ぶりだけど久しぶりじゃない、みたいな事を言うもん」




 と言い放ち、叔母さんと両親も首の動きで賛意を示す。


 失礼だとは言えない。


 事実、二回の夢では両方ともそういう反応をしたしな。


 そんな事は言えないのでごまかしを試みる。




「じゃあ、今度からまたそう言う事にする」


「わ、なしなし、いつものみっくんに戻らなくていいよ」




 実夏が慌てて、俺を含めた他のメンバーは一斉に笑い出す。


 笑われた実夏がむくれる。




「ひどい、みっくん」


「ごめん、ごめん」




 俺が謝ると実夏はぷいっとそっぽを向いた。


 やばい、結構本格的に拗ねたかもしれない。


 このまま拗ねられてしまうと後々面倒になるので、俺は実夏をぎゅっと抱きしめる。




「わ」




 驚いて固まる実夏の耳元でささやく。




「ごめんな」




 耳に息が吹きかかるよう、計算しながらである。




「う、うん」




 実夏は何とか許してくれた。




「仲いいわねぇ」




 叔母さんと母さんは微笑ましそうに俺達の事を見守っている。


 俺が言うのも何だけど、年頃の娘が年頃の男に抱きしめられてもそんな反応でいいのだろうか。


 父さんはと言うと、




「うーむ、実夏ちゃんの扱いに慣れすぎているな」




 何やら失礼な分析をしている。


 俺は聞えないフリをして実夏から離れた。


 「あ」と何やら残念そうな声が聞こえた気がしたけど、やはり聞こえなかったフリをしておく。




「部屋に行こう?」




 そう誘われて一瞬迷う。


 断る理由はないんだけど、すぐ叔母さんが呼びに来るよな。


 夢の話だけど、あのあたりはかなりリアルだ。




「いいけど、手伝いはしないといけないんじゃないか?」




 答えつつ叔母さんに目でおうかがいを立てる。


 叔母さんは頷いて、




「そうね。遊ぶのはお昼ご飯を食べてからにしなさい」




 そう娘に命じる。


 実夏は不満そうな顔はしたものの、「はーい」と元気のいい返事をした。


 ここで逆らって遊ぶ時間を減らされたらたまらない、とでも判断したのだろう。




「それに伯父さんと伯母さんに挨拶を忘れているわよ」




 叔母さんは更にそう指摘する。




「あ」




 実夏は口に手を当てて、それから両親に頭を下げた。


 どうやら意図的に無視したわけではなく、素で忘れていたらしい。




「ごめんなさい。伯父さん、伯母さん久しぶりです」




 負い目があるからか、いつもよりもかしこまっている。


 両親はそんな姪っ子に苦笑に近い笑顔で応えた。




「はい、久しぶり」


「実夏ちゃん、可愛くなったね」




 母さんの挨拶はまともだが、父さんのはナンパにも聞こえる。


 俺は一回目の夢の会話を思い出した。


 あれが現実でもあった事なのかは分からないけど、もし現実だったのなら本気で口説こうとしているのかもしれない。




「あなた? 実夏ちゃんを口説くつもりですか?」




 母さんがジト目で自分の旦那を睨む。




「あ、いや、そんな気は全くないよ」




 父さんは何故だか焦る。


 実夏は自分の胸を腕で隠すようにして後ずさりをし、




「伯父さん、ロリコンだったの?」




 などと言い放つ。


 俺も悪ノリして、




「実夏は姪だろ? ロリコンで近親相姦とか二重に変態だな」




 としみじみつぶやいてみる。




「え? いや、ちょっと待ってくれ。何故そんな事に?」




 おろおろとする父さんに叔母さんが、




「お義兄さん。とりあえず実夏から一万キロメートルほど離れていただけませんか?」




 と一番ひどい事を言う。




「ええ? それって日本から出て行けって事?」




 父さんはのけ反ったが、俺も違った意味で驚いた。


 叔母さんなら俺達をたしなめると思ったんだけど、まさか冗談に付き合ってくれるとは。


 いや、目が全く笑っていないから、冗談だとは理解していなくて、本気で父さんを追い出しにかかっている……?


 まさかな。


 サンドバック状態になってしまい、すっかりしょぼくれてしまった父さんに助け船を出したのは、やはり叔母さんだった。




「冗談はこれくらいにしておきましょうか?」




 そう言われて俺、母さん、実夏は一斉に頷く。


 よかった、伯母さんはちゃんと冗談だと分かっていたのか。


 父さんも同様の不安を抱いていたらしく、傍目には大げさと思えたくらいほっとしていた。


 結構打たれ弱いらしい。


 まあ、俺も人の事は言えないんだけどね。




「お茶を淹れるのでリビングへどうぞ。おじいちゃん達はじきに戻ってくるでしょう」




 叔母さんに言われて俺達は中に入った。








 リビングに座ると実夏がガラスのコップを二つ、ティーカップを一つ持ってきてくれる。


 俺と母さんがアイスコーヒー、父さんがホットコーヒーだ。


 ついでに言うと俺はクリープを入れ、母さんは何も入れず、父さんは砂糖とクリープを入れる。




「ごゆっくり」




 実夏はおどけながら一礼して、台所へと戻っていく。


 昼食の準備が始まるのだろう。


 まさかと思うが、昼は鍋なんだろうか?


 まだ肌寒い季節だし、鍋が好きな人は多いから充分ありえるな。


 それとじいちゃん達はどこに行っているんだろう?


 俺達が遊びに来た時、じいちゃんとばあちゃんはほとんど家の中にいて迎えてくれる。


 叔父さんはいる時といない時が半々くらいかな。


 夢の時は、「そんな事もあるか」くらいにしか思わなかったけど、よく考えてみれば三人ともいないのは珍しい。


 とそんな事を考えていたら、じいちゃん達がやってきた。




「おう、いらっしゃい」


「お邪魔しています。そしてお帰りなさい」


「ただいま」




 挨拶の交換に忙しい。


 本来なら立ってやるべきなんだろうけど、そこは身内の話。


 俺も両親もわざわざ立たないし、じいちゃん達も気にはしなかった。




「実夏が恭子の手伝いをしているって事は、稔君が来ているって事だな」




 叔父さんがからかうように言うと、




「お父さん!」




 実夏の鋭い抗議が聞こえてきた。


 叔父さんは笑いながら肩を竦める。


 俺が座ってじいちゃん達を迎えたせいか、身長の話が来ないみたいだ。




「しかしなんだな」




 じいちゃんがつぶやくように言う。




「稔もとうとう高校生か。時が流れるのは早いのぉ」


「本当にねぇ」




 ばあちゃんがすかさず相槌を打った。




「クラブは決めたのか?」


「ううん、まだだよ」




 叔父さんの問いかけられ、率直に答える。


 ちょっと反応が速すぎたかもしれない。


 同じような会話が三回目となると、何と言うか苦痛に近い感覚があった。


 他の人にとっては一回目なんだろうから申し訳ないんだけどさ。


 それはそうとして、クラブは本当にどうしようかな。


 まだ余裕はあるけど、決めるのは早い方がいいんだろうし。




「実夏ちゃんはどうなんだい?」




 父さんが叔父さんに尋ねる。


 今年受験生なんだから話題になるのは自然なんだけど、父さんの口調はどこか義務的なものだった。


 まあ、実夏の学力を考えれば仕方ないけどな。




「はあ、おかげさまで、志望校には入れそうかなと」




 叔父さんは恐縮したような表情で、控えめに答える。


 表面的な態度とは裏腹に、うちの両親が持っていた緊張感のようなものは見られない。


 余裕と言えるかはさておき、ゆとりがあるのは確かのようだ。




「ふむ。それは羨ましいな。今だから言える事だが、稔にはやきもきさせられたからなぁ」




 父さんがぼやくと母さんが合いの手を入れる。




「本当にね。この子ったら、二月に入ってもマイペースだったし……」 




 やばい、二人にとって受験の話は地雷だったらしい。


 と言っても今回の場合、父さんが話を振った訳だが。




「まあまあ、終わりよければ全てよしって言うし」




 じいちゃんがフォローしてくれたが、父さんの愚痴は止まらない。




「いえいえ。稔にとってはそうでしょうが、親の身にもなってくれって話ですよ」


「そうですよ、本当にこの子ったら……」




 両親の愚痴合戦が始まってしまい、俺は思わず天を仰ぎたくなった。








 両親のマシンガン愚痴は昼食まで続いた。


 針のむしろって言い得て妙だと実感させられたね。


 心にちくちくと無数の針が突き刺さった感覚だったよ。


 自業自得なんだけどな。


 そしてそんな事は些事だと断言出来る理由が目の前にある。


 昼食は鍋料理だったのだ。


 食材は何から何まで同じで、三回目である。


 これはもう笑えない。


 ほんと、俺の身に何が起こっているんだろうか。


 何も起こってないといいんだけどなぁ。




「みっくんどうぞ」




 ポン酢を差し出してくれる実夏に癒される。


 とりあえず食べてから考えた方がいいかな。


 魚肉団子を頬張り、次に白菜をかじる。


 鍋って最高だよな。


 日本人の心のふるさとだよ。


 日本に生まれてよかったです、はい。


 などと感激していたら、実夏がひそひそ声で話しかけてくる。




「ねぇ、みっくん美味しい?」


「うん。さすが叔母さんだな」




 正直に言うとちょっとむくれる。




「私だって手伝ったのに」




 可愛いなと思いながら、ついからかってしまう。




「野菜切っただけじゃないの?」


「むむ。魚も切ったもん」




 思わず笑ってしまう。


 そのせいでむせそうになった。


 実夏ってしっかり者のはずなのに、癒し系なんだよなぁ。


 もしかして俺が思っているだけかもしれないけど。




「食べながら喋るのは止めなさい」




 母さんに注意され、首を竦める。


 二人で顔を見合わせ、同時に苦笑した。


 別に深い意味はなく、「怒られたね」とアイコンタクトを交わしただけである。


 俺が新しく白菜と豆腐とネギとうどんをよそい、次に実夏の分もよそってやった。




「ありがと」


「おう」




 うどんも鍋で食べると、また違った味になる気がする。


 豆腐はひややっこは正直苦手だったりするけど、鍋で食べる分には美味しい。


 過去二回(便宜上そう呼ぶ)であったバレンタインの話は今回はないようだ。


 愚痴マシンガンのせいか、そんな雰囲気じゃなくなったからなぁ。


 細かい部分が変わる事には驚かない。




「雑炊はどうしますか?」




 ある程度お腹がいっぱいになった頃、叔母さんが皆にそう尋ねる。




「食べたい」




 俺と実夏がハモり、父さんと叔父さんも同調した。




「少しだけなら」




 母さんとじいちゃんはそう言う。


 ばあちゃんはもう食べられないようだ。


 小食だし、雑炊はあんまり好きじゃないみたいだからな。


 実夏だってそんなに食べる方じゃないけど、雑炊は好きだから抑えてた。


 父さんやおじさんは結構食べるし、俺は育ち盛りという事で。


 そうでなくても叔母さんが作る雑炊はとても美味しく、おかわりが出来てしまう。


 母さんのより美味しいのは秘密だ。


 叔母さんが立ち上がると実夏がお茶で口の中の物を流し込み、急いで後に続く。




「あら、手伝ってくれるの?」




 思いっきり意外そうに言う叔母さんに、実夏は苦い顔をしながら頷いた。


 いちいちそんな反応をされるのが煩わしいらしい。


 雑炊って作るのに二人も必要なのか?


 そんな疑問を持ったが、料理が出来ない俺は黙っておこう。


 実夏よ、俺が言えた義理じゃないかもしれないが、お前はお前で自業自得だと思う。


 日頃から手伝っていれば、そんな事を言われなかっただろうに。


 日頃から勉強していれば、俺も愚痴られなかったようにな。


 俺の場合、勉強しても結果は大して変わらなかっただろうけど。


 あくまでも愚痴られなかっただけで。


 俺は食べ終えるとポン酢を捨てる。


 叔母さんの雑炊は、鍋の残りに卵を入れるシンプルな物だ。


 でもそれが美味しいんだよなぁ。


 俺が分からないだけで、隠し味に何か入れてるのかもしれんけど。


 実夏にこっそり聞いてみようかな。


 聞いたところでよく分からんだろうけど……それじゃ聞く意味ないよなと自分で突っ込みを入れた。

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