非リア讃歌
深夜 酔人
「君はひとりじゃない」
君はひとりじゃない。
誰もが一度は目にしたことがあるだろう。あれだ、児童相談所とかのキャッチコピーでお馴染みのセリフだ。うん、なんと甘美な響きだろう。誰か一人は自分の味方で窮地から救ってくれる――
なんて、そんなことあるわけが無いだろう。ラノベの読みすぎだ。そう、キモいやつはキモいのだ。誰も寄り付かないのは火を見るより明らかであり、むしろそんな非リアに君はひとりじゃないと声をかけられるもんなら俺はその勇気に感動を通り越して軽蔑しよう。
そもそもだ。前提からこの言葉は間違っている。一人じゃないというのなら、その人の周りには友と呼べる存在がいるはずである。そう、そこでこんなことが言える。
互いに友と言い合える仲がいるなら非リアじゃないから!
非リアは確定的に一人である。教室において隅か自分の机でクラスメートの笑い声(誰宛かは察せ)をBGMにひたすら暇を潰す、それが非リアの常である。では、この言葉はいったいなんの意味があるのか。
そう、この言葉は、リア充に向けて言われたリア充至上主義の言葉だという事だ。
この世界はリア充至上主義。リア充には救いの手が差し伸べられ、それすら与えられない非リアは泥水を啜るような毎日を過ごすことを強要させられる世界。「君はひとりじゃない」、これはまさにこの世界を一言にまとめていると言っても過言ではないだろう。なんと醜き言葉か。なんと卑しい言葉か。おぞましさで身の毛がよだつ。
しかも、しかもである。リア充は君はひとりじゃないという言葉で人を救うのが大好きなのだ。
具体的にどういうことかというと、まずリア充の一人が非リアを攻撃する。一人で太刀打ちするしかない非リアは、そのリア充にそれ相応の攻撃をし返したとしよう。そりゃあ、目には目を歯には歯をというやつだ。やられっぱなしではきつい。
で、どうなるかである。そのリア充は友の元に駆け込み、自分可哀想アピールをするのである。すると、友は立ち上がり、こういうのだ。
「大丈夫。君はひとりじゃない」と。
後日、非リアは10倍以上返しされるわけである。半沢直樹もビックリである。
この例からも分かる通り、「君はひとりじゃない」とはリア充の浅ましく醜い行動の象徴と言える。そんなものを「正義」だと振りかざす今のこの世界は正気の沙汰とは言えない。
故に、俺はこういう結論を出した。
リア充は死ねェ!
リビングにて俺は熱弁を終えた。
「あんた酔っ払ったの?お酒でも飲んだ?」
母さん、僕はまだ未成年だよ……
非リア讃歌 深夜 酔人 @yowaiyei
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