週末だけの恋
うーろんちや
週末だけの恋
「月曜日なんて来なくていいのに…」
点々と水滴がついた窓ガラス越しに空を眺めながら僕は呟いた。明日、つまり月曜日に文化祭でクラスの劇を発表するのでその準備をしているのだ。といっても、内容については完成しており、今教室で準備をしているのは教室整備係の僕と内田彩音の二人だけだ。二人というと変な噂が立ちそうだが僕達の間には何も無い。
「あー確かに休み長いほうが嬉しいよねー」
彼女はおっとりとした口調でそう言った。僕が何も返事をしなかったので、そこで会話が止まり、暫く雨の音だけが教室の中に響いた。
作業を進めているなかで、ふと窓の外を確認すると先程より雨脚が強まり、どっしりと腰を据えているみたいだった。そんな雨を眺めていると僕はいつもなんだか心が洗われるような感じがする。糸のように細く柔らかく降る雨はきっと人の心に滑らかに入ってくるのだろう。
そんな雨の余韻に浸っていたかったのだが、
「雨、強くなってきたし今日は帰ろっか」
と彼女に提案してみた。まだ幾ばくか作業が残っているがこの位、明日にでも出来るだろう。
「うん、そうだね。それだったら明日少し早く来てやろっか。七時にここでいい?」
彼女は頷き、納得したようにいった。集合時間も妥当なところだろう。
「うん。分かった。それじゃあまた明日」
彼女に別れの合図を送り帰ろうとすると、何かが引っかかっているような感触を覚えた。
後ろを振り返ると、内田さんは顔を少し赤らめて遠慮気味に僕の袖を掴んでいた。そんな内田さんと目を合わすことのできなかった僕はすぐに目をそらしてしまった。
「ど、どうしたの? 内田さん」
心臓の鼓動が早くなるのを感じたが、声が震えるのを必死に押し殺して言った。
「ご、ごめん。きょ、今日傘忘れちゃったんだけど… 傘二つ持ってたりしないよね?」
僕は胸をなでおろし、やり場のないもどかしさを胸にしまい、カバンの中に手を入れ傘を探した。
「はいっ、これ使って。もうひとちゅ持ってるから…」
自分でも顔が赤くなっているのを実感し両手で顔を覆いながら目線だけ彼女の方を確認すると、彼女は手を握りそれで口を隠していた。
改めて咳払いをして、
「ご、ごめん。それで、この傘使っていいから」
今度こそ傘をさしだし、改めて教室から去ろうとすると、再び体が後ろに引かれるような感じを受けた。すると、それと同時に小さな声で
「ありがとう」
と聞こえた。
僕は早歩きで教室から離れた。そして靴箱に行き、外に出るとそこにはどんよりとしている雲の間から陽の光がさしていた。
「なんだ… ほんとは濡れて帰る予定だったのにな」
僕はなんだかスキップして帰りたい気分だったが、気持ちを落ち着けて帰った。
普段だったら、寝ているはずの午前五時。それなのに今日は誰かにスイッチを入れられたかの様に目が覚めた。カーテンを開け外を見ると、葉についた雫がキラキラと光っていた。
言葉では上手く表現できない、行事前の興奮を胸にしまいこみ学校への支度を始めた。
約束の時間の五分前に僕は教室に入った。するとそこには昨日の状態のまま色々な物が散らかっていた。朝の心地よい日差しと学校の独特な匂いに包まれていると気がつけば内田さんが隣にいた。
「お、おはよ」
昨日のことを思い出した僕はすぐに彼女のことを見ることが出来なかった。
「おはよ」
彼女の返事で黙々と作業を始める僕達。このままのペースだと十分もすれば終わりそうだ。
そして、僕の予想通り十分程度で作業が終わり、また二人の間に沈黙が広がった。彼女に傘のことを聞こうとしたが何度か目が合いそうになり、避けてしまった。
その後も暫く続いた沈黙だがそれは不意に破られた。また昨日と同じように僕達は雨に包まれていたのだ。しかしそれはすぐに変化し、たった五メートル先の物すら見せてくれなくなってしまった。
二人の間に激しく窓ガラスが叩かれる音が響いた。その音は不規則でとてもじゃないがいい音とは言えない。しかし、なぜか僕達の間の空気は心地よいものになっていっているように感じる。
そんなことを考えていると突然、教室のドアが開いた。
「お、二人とも早いな。けど、申し訳ない。たった今、警報が発表されたから今日の文化祭は中止だ」
先生の言葉は僕達の心にストンと入ってきた。そこで僕の中に生まれた感情は悲しみとは言えず、なんと表現したらいいか分からなかった。
「そっか… なら帰らないと行けませんね」
僕達のクラスにはまだ僕達二人と先生しかいない。この流れだと内田さんと二人で帰ることになるかもしれない。
そう思った僕は自然と体がドアの方へ向かっていた。
「それじゃあ、僕は帰ります。ここにある荷物は明日片付けたらいいですよね?」
内田さんの方を向けないまま僕は言った。焦りが僕を僅かに震えさせる。
「あぁ、気をつけて帰れよ」
内田さんは黙ったままだった。先生の声に肩を落とし僕は教室を離れて靴箱に向かった。
その最中、教室での彼女のやり取りの記憶のページを捲っているとある一つのことに気づいた。
「傘のこと、忘れてた…」
慌てて教室に戻るとそこには誰もおらず、雨の匂いが充満していた。
「もう帰っちゃったか…」
昨日と同様に雨に濡れながら帰ることを決意し、靴箱に向かうとそこには見覚えのある絹の様に綺麗な黒髪の女の子が立っていた。すこし早歩きになりながら彼女の方に近づくと、黒髪の女の子は内田さんだった。
「どうしたの?」
少し戸惑いながら彼女に尋ねると、不意をつかれた様な顔で振り向いた。
「よかった、まだ学校にいたんだ。」
彼女は胸に手を当て息を吐いた。彼女も僕を探してくれていたのだろうか。そう思うとなんだか微笑ましく思えた。
「うん… 内田さんはどうしたの?」
期待と不安が入り混じる中、彼女に聞いた。もし… もし期待通りだったらどうしよう。僕はそのことで頭がいっぱいだった。
「えっと、これ昨日借りた傘… なんだけど今日も傘持ってきてなくて…」
予想とは少し異なった返答に嬉しい様な悲しい様な感情が僕の中に起こった。
「そっか… 僕も今日は傘持ってきてないんだ」
そこから少しの沈黙が続いたが、意を決して僕は彼女に言った。
「よかったら一緒に帰らない?」
手が震えているし、目を強くつむっているそんな状態で彼女に投げかけた。そして恐る恐る目を開けると、彼女はキョトンとした顔でこちらを見ており、しばらくすると体がピクリと動いた。
「あ、ありがとう。ならお願いしようかな」
頰を赤らめ、顔を伏せ気味に彼女は呟いた。彼女から自分の傘を受け取り、外に向かう。雨はいまだに強く降り続けていた。
「それじゃあ、行こっか」
僕が傘をさし、彼女をそっと招きいれて、彼女と肩が触れない様に気をつけながら歩く。それは俗に言う相合傘とは違って、周りから見るととてもぎこちないものだっただろう。
しばらく歩き続け、僕たちが利用する駅に着いた。どうやら彼女に確認したところ彼女の駅は僕の駅の随分近くらしい。そのため二人で話し合った結果、僕たちは電車で別れることになった。
しばらくすると雨に打たれながら電車がやって来た。運転席の窓は大量の雨に打たれてずいぶんと前が見にくそうだ。そして電車が停車し、ゆっくりとドアが開き僕たちを乗せて出発した。
しばらくの間、電車のガタゴトという音とともに窓の外を眺めていると、彼女が口を開いた。
「いつも、いつも一緒の電車に乗ってるよね?」
ささやく様な声で彼女は言った。確かに僕たちは文化祭の準備で休日に学校に行くときは、同じ電車に乗っている。平日のダイヤと時間が異なるためだ。
「確かに準備の時は一緒にいるね」
つい素っ気なく言い返してしまった。もうすぐ彼女が降りる駅に到着してしまうのだ。あと少し、ほんの少しだけでいいからこの時間が続けばいいのに。
「どうして声、かけてくれなかったの?」
思わぬ質問につい「えっ?」と声が出てしまった。
「い、いやだって同じクラスで同じ委員で話さないなんて変じゃない?」
手を顔の前で振りながら早口で言った。僕も釣られて焦ってしまいそうになったが、深呼吸して気持ちを落ち着けた。
「変な噂とかたったら迷惑だと思って」
僕の返事を聞くと、彼女は優しい笑顔を僕に向けてくれた。
「やっぱり、君は優しいね」
彼女が優しい言葉を掛けてくれる度に僕の中で二つの気持ちが入り交じり、自分のことをちゃんと考えられなくなった。
ただ伝えたいことがある。今まで伝えることが怖くて逃げてしまっていたが、認めざるをえないほどそれは大きくなっていた。
「そんなこと、ないと思うけど」
余計なことを喋らないよう簡潔に言った。
すると彼女は片手を胸の前で握り僕の肩のあたりを指差した。
「私のことかばってくれてたんでしょ?そういう所、私は好…」
するとそこで彼女の降りる駅に到着することを伝えるアナウンスが流れた。そのせいで、話の語尾は上手く聞こえなかった。聞き返そうにも、彼女は目を伏せてそっぽを向いているし、手もなんだか震えているようにも見える。それとは対照的に列車は落ち着き、スピードを落としていく。
時間による焦りと、今日しかないという責任感に駆られ、僕はありったけの勇気を振り絞って言った。
「僕は優しくなんかないよ。だって僕が優しくするのは…」
列車のドアが開く。
「僕が優しくするのは内田さんだから! 内田さんじゃなきゃ優しくしない!」
彼女が電車から降りてしまう。その時、彼女は目元を潤ませながら言った。
「どうして?」
「だって… だって僕は… 内田さんのことが!」
列車のドアが閉まった。列車はノロノロとスピードを上げて動き始める。
そして、彼女はその場に座り込んでしまっていた。
僕も吐息を洩らし、ドアにもたれかかった。そして次に彼女に会った時には、自分の気持ちを届けることを決意した。
だけど、次に彼女に会えるのは休日ダイヤの日だ。
「あーあ、やっぱり月曜日なんて来なくていいのに…」
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