忍者が御社を破壊します
青海老圭一
第1話
「誰なの!」
早出出勤で業務に邁進していた私はそう叫ばずにはいられなかった。
身長190センチ越えの巨体の大男、それも黒装束の怪しい忍者を社内で見た記憶はないからだ。良くて泥棒か産業スパイ、最悪の場合は快楽殺人者かもしれない。
そっと机の陰に隠れることも考えたが、なぜか男に声をかけてしまった。
――なぜって、男がコピー機の上のスペースに張り紙を張っていたから!
「む……」
男が一瞬こちらを向くが、すぐに私への興味は失ったようだ。男はまた黙々とコピー機の上に紙を貼り続ける作業に戻った。
一瞬目が合ったような気がしてはっとしてしまったけれど、その後に思いきり無視された。
それにいら立ってしまった。哀れ私は迂闊にも再び叫んでしまった。
「張り紙をテープで貼ると――壁紙が傷つくでしょう!」
自分でも「なんて頓珍漢なことを……」と思ったが、飛び出た言葉はもう戻らない。
男は一瞬ピクリと反応して、その後くるりとこちらを振り向いた。
――あ、これはいけないやつでは――
反射的にそう思ったが、後悔先に立たず。
巨体の大男に、大卒2年目のかよわいOLは流石に敵わない。大人しく陰に隠れておけばよかった、無視しておけばよかった――
ニヤリと男が笑った気がした。その下卑た笑いに、私は固まるより他なかった。
もっとも口元まで布で覆われていたので、笑ったかどうかは定かではなかった。なんとなく男がニヤっと笑った気がしたし、きっとそうに違いないと思ったのだ。
もしかすると自他ともに認める夢見る少女ちゃんなので、なんとなく悲劇のヒロインぶりたかったのかもしれない。まあ、そこはご愛嬌ということで。
とにもかくにも、男が私の方を振り向いたのは事実で、身長190センチを請える大男と、150センチそこそこのOLが対峙してしまったのは事実だ。
男が右手を大きく掲げた。最近付け替えたLED蛍光灯に、鈍く光る金属片。
――絶体絶命……、というか私は既に負けている――
観念して目をつぶろうかと思ったが、一応何で殺られるかを確認して今後の糧? にしようと、男の右手をさっと確認する。
男の手には、セロハンテープがあった。
嗚呼、そんなもんでこのアスカちゃん、人生ジ・エンドなのねん――、なんてことを思いながらも、最後の一勝負、もとい口答えを末後に遺しておきたかった。
滾る思いが私を突き動かす。
「だからテープはダメだっていってるじゃない……」
そう一人ごちて、この世を見納めて――なんて浸っていると、それまで一言も発さなかった男が、低く鋭い声で返答を寄越した。
「よく見ていただきたい!」
ピンと響く声にはなぜか抗えず、アスカちゃん思わず男の右手を二度見。
手にはやはりセロハンテープ。
「やっぱりテープじゃない……」
そう言うや否や、男が一瞬で間合いを詰めてきた。
女らしい絹を引き裂くような悲鳴を出す前に、男が眼前にテープをぐいと突き出してきた。
そして私はわかってしまったのだ、男が本当に持っているものの正体を。
「マスキングテープ……」
「そうです。セロハンテープと一緒くたにしないでいただきたい」
邪魔しましたね、と男は言ってのけて、またコピー機の前に戻った。
結構高い所に貼るものだから――いつも私は大変な思いをしているところだ――なんて思って見ていたけれど。あの男、たっぱのせいか、やすやすと貼ってのけてやがる。
しかもよくよく考えると、マスキングテープは通常、セロハンテープのように切りやすくケースに入ってはいない。マスキングテープは、手でビリっと切らなければいけないので、切り口が雑になるのだ。
マスキングテープは、本来プラモデルなどの塗装のときに、意図していないところにスプレーとかが飛ばないようにするためのものだ。セロハンテープみたいな使い方はできないはず……。
そこまで考えて気がついてしまったのだ。男の工夫に。
――やるじゃない。
と、思ったときには男はもうポスターを各コピー機の上(三台)に貼り終えていて、忍者さながらに音もなく退出するところだった。
「お邪魔致しました。失礼致します」
パタン、と音もなくドアが閉じられた。
あっけにとられた私に、その後の記憶はない。
☆
「……アスカちゃん、アスカちゃん! 大丈夫!?」
うーむと目をこすると、庶務課同僚の由香里が私の目の前にいた。その周りには、心配そうに見つめる男どもが。
「あ、うん大丈夫……、ちょっと貧血かも……」
「だめよ、しっかり休まなきゃ。医務室行く?」
「うん、ホントに大丈夫だから。あ、でもちょっとお手洗いだけ行ってくるね」
そう言って由香里の手を借り、よっこらせと心の中で掛け声をかけ(けっして口では言わない。華の24歳OLだから)、起き上がる。
男どもはなぜ手を貸さないのだろう、と思っていたが昨今の何をやってもセクハラになる現状ではうかつに手を出せないんだろうな、と思うと気の毒で仕方がない。役得、とか思ってぼやぼやしていると、後ろからばっさりイカれるかもしれないからだ。セクハラパワハラアルハラの3ハラ関連のポスターが最近貼られたばっかりで……。
――ん、ポスター?
やにわ意識がはっきり戻ってきた。そうだ、あの忍者風の男が何かコピー機の上に貼っていた!
いてもたってもいられず、「アスカちゃん! どこ行くの!」と由香里が呼ぶ声を振り切って、コピー機の前までずんずん進む。
そして見つけた。やっぱりあった、ポスターだ。
「あれは何!」
ポスターをビシっと指差し、追いついた由香里に振り向いて質問する。
「ああ、あれね。朝来た時に男の子たちが騒いでいたわよ。なんでも、朝のコピーがうんたらかんたらで。張り紙だけじゃなくて、管理職の人の机の上にも置いてあったらしいよ。みんな見つかったらヤバいって、急いで回収してたらしいけど……」
ボケた目を凝らしてよく見てみる。何々、新人の朝礼前の業務について――?
新人の朝礼前の業務の改善提案について
お世話になっております。非営利団体「裏の業務改善委員会」所属、仮面の忍者黒影と申します。以後お見知りおきを。
さて、紙面にも限りがありますので単刀直入に本題に入らせていただきますと、貴社が主に新人を業務時間外に稼働させている、というお話を風の噂でお伺い致しました。具体的には、コピー用紙の補充や車内清掃等々、いわば雑用を行わせている、ということです。
一部上場、かつ歴史のある貴社に限ってそんなことはないだろう、と私共も考えておりましたが、しばらくの実地調査の結果、そのような事態が日常的に行われていることが明らかになりました。
大変残念な結果になりましたが、強制的に貴社の業務改善を行うのではなく、まずはこうして啓蒙活動という形で、ポスターを張らせていただいております。後々に、メールでも同様の文面を送付させていただきます。
一週間ほどお待ちいたしますが、具体的な改善が見られない場合、またこちらで対処させていただきます。
お手数おかけいたします。何卒よろしくお願い申し上げます。
非営利団体「裏の業務改善委員会」 仮面の忍者 黒影
――ん? なんだって? 業務改善?
確かに私も新人の男の子が、朝早くからひいひい言って出社して、お金にもためにもならない雑用をしているのはよく見ている。というか、毎日そうだ。でも、それはそういうものだと思って、特に疑問なく見過ごしていた。
「ね、これ結構なことでしょ。なかなかこういうこと言えないよね~。でも、確かにあの作業は無駄だよね。コピー機の紙補充なんて、どうせ10秒くらいしかかかんないのにさ」
「毎朝全部のコピー機の中あけてチェックして満タンにするなんて、言われてみればナンセンスな気もするわね」
「でしょう? どうせ一日のどっかで紙切れるんだしさ。あと課長とかが使っていたときに紙切れのアラートが起こると、新人の子が飛んでいくの、なんか笑っちゃうもんね。多分そういうのも改善しろって『裏の』の人は言ってるんだよね」
なるほど確かに、言われてみるとナンセンスな話かもしれない。
朝何分もかけてコピー機を巡回するのもバカみたいだし、それに残業(早出?)の手当てがつかないのもシステム的に変だし、何より上司が紙切らしたら飛んでいくのが一番バカっぽい。
昔のグランドキャバレーで、タバコ咥えたらライターすぐ出す女じゃないんだから。
と、新人君の受難に思いをはせたところで、聞きなれない単語が由香里から飛び出したのを忘れていた。
「あのさ、サラっと出てきたけど『裏の』って何?」
さも常用ワードみたいに流れてきたけど、そこは気になってしまった。というか、実際見てしまったものとしては流すことはできないと思った。
「えー、アスカちゃん知らないの~?」
知らんから聞いてるんでしょ! と思ったが、そう言えばどこかで聞いたことがあるようなないような、という気もする。
「言われてみれば、どこかで聞いたことがあるような気もするわね」
「そりゃそうでしょ! 研修の時に、恭子さんが言ってたじゃない」
研修、というと一年以上前の話である。あのことは若かった――と明後日の方向に思いをはせそうになるが、グッと踏みとどまり記憶を掘り返す。
「……あー、なんか言ってた、かも」
うっすら思い出した、ような気がする。
「恭子さんが『この業界は、というか日本のビジネス界には昔から言い伝えがあって、なんか悪いことすると忍者が飛んでくるわよ~。最近では『裏の業務改善委員会』なんていうのが暗躍したりしなかったり、うふ(はぁと)』とか言ってたじゃない!」
「うふ」のところを由香里が再現しても、恭子さんのセクスィな感じは1ミリも再現できてはいなかったが、なんとなくそんなことを言っていたのをペキカンに思い出した。
一応由香里の名誉の為に思い直すと――念のためだ。念のため――決して由香里がブスだとかそういう意味では決してない。むしろ、社内の妹にしたいOLランキング(もちろん非公式)ぶっちぎりの一位を獲得している由香里である。
要は、その人にはその人の魅力の出し方があるということである。この場合は、やっぱり妹がふざけでグラビアアイドルの真似をしているようにしか見えなかったワケで。まあかわいいちゃかわいいのだけど。
「私もそんな話忘れてたんだけど、でも実際にこういう張り紙を見ちゃった以上、なんか興奮しちゃうよね! ホントにそんな義賊みたいな集団あるんだ、って感じ!」
興奮する由香里をぼーっと見ながら、そんなのもいるのね~と考えてしまった。義賊ってよりは、完全に忍者だったけど。
「そういえばアスカ、体調大丈夫? もしかして『裏の』の人に襲われちゃったとか?」
そう言ってきたので、何気なく、
「うん、実はそうなのよん」
そう返すと由香里にぐわんぐわんと肩をゆさぶられた。
「どんな人! どんな声! というか、何で! ずるい!」
ずるいって何よ、とも思ったが気迫に負けて答えてしまう。
「あー、声はなんか低いけど渋いというか……」
答えてしまったのが運の尽き。やにわ由香里が飛んで行ってしまったかと思うと、息せき切らしてアイパッドを抱えて帰ってきた。「こんな人!?」と画面を見せつけてきたのは、驚くほど荒い解像度の、よく見れば忍者装束にも見える男が一人。
「うーん、多分。っていうか、画像荒すぎてよくわかんないよ」
言い終わらないうちに、由香里は「いいな~いいな~なんでアスカだけ……」とかぶつぶつ言い始めた。
「なんだってそんなに興奮するのよ。ただのデカい大男じゃない。しかも、不法侵入じゃなくて?」
由香里はキッと目をむいて、私の方にズンと踏み出した。正直、凄い圧迫感だった。かわいいからいいけど、これがあの大男だったら死んでるね、とも思う。
「ミステリアスな黒影様の魅力をわからないなんて! 現代の義賊。赤ジャケ以降のルパンも真っ青な紳士ぶり! 嗚呼、私も会いたかった~」
とても古いタイプのうっとりポーズで相変わらず圧をかけてくる。両手を揃えて左の頬に置き、そのまま首をかしげる。目はもちろんキラキラのハイライト付きだ。
「そんなに言うなら、サインの1つでも貰えばよかったね」
「駄目、そんなんじゃないの!」
テキトーな返事を繰り出すと、また怒られた。何なんだコイツは。
放っておくと、そのうっとりポーズのままとうとうと忍者男について語りだした。
なんでも、「裏の」というのは、さっきも言われた通り現代の義賊で、秘密が多くミステリアス(私には不審者にしか見えなかったが)、神出鬼没、ズバット参上ズバット解決らしい。
正直なところ、由香里が長々とまくし立てたワリにはあまりに情報量が不足していた。
正直にその旨を伝えると、
「ミステリアスな黒影様だから……」
そう言ってちょっとフリーズした後に、アイパットで他の画像を見せつけてきた。やはりどれもまともに取れた写真とは言い難い。
いやあこれじゃあね、と言おうとするのを制止されて、「じゃあこれ!」と言って動画も見せつけられた。
暗いオフィスに、どうやら男が一人。また解像度がこれでもかというぐらいには悪い。かろうじて何人か人が移っているのは確認できた。おそらく3人程度。
一人はおそらく例の忍者男だろう。とすると、残りの二人は仲間か――と思っているうちに一人の腕がキラめいた。
一人の男が、もう一人の男に一瞬で詰め寄ったかと思えば、ありえないスピードの反射でもう一人がバックステップ。そのまま画面外に飛び出して、一瞬で戻ってくる。残った一人が帰ってきた男にとびかかったが、近づいたかと思うとすごい勢いでふっとばされ、これもまた画面外に飛び出していった。
ははあなるほど、この男が黒影だな、なかなか強いじゃないと思うと、また吹っ飛ばした男の方につっこんでいった。
数瞬の後帰ってきて、カメラの方を一睨みしたあと、部屋の外に消えた。
要約すると、黒影氏が謎の男二人をぶっ飛ばした、ということの気がするが、この動画が何を意味しているのかさっぱりわからない。
これはね、と語り始める由香里氏。もはや黒影フリークであることは疑いようはない。
「これはね――背景から説明しますとダメダ製薬の研究所の職員が労基の三六協定を完全に逸脱させられて、古代エジプトの労働者よろしく奴隷のごとく働かせられてた現状があったわけですよ。再三の『裏の』の警告を無視していたから、黒影様が実力行使で施設を破壊しに来たのを、オフィスの犬どもが妨害しに来た、って動画らしいよ。で、それを黒影さまがぶっ飛ばしちゃうの。かっくい~よね!」
言っていることの8割は理解出来なかった。分かったのはこの忍者男がそれなりに腕が立つということと、私にはワケがさっぱりわからない話がこの日本のビジネス界にはあるということだ。
じゃあなんで忍者が研究所を破壊しに来るわけ、という疑問は拭えない。でも実際に、ダメダ製薬に不審者が侵入して研究所が爆発四散した、みたいな記事が載っていたゴシップ紙は中吊りでそういえば見たような気もする。
どこまでが本当でどこまでが嘘かわからなくなってきた。現実と虚構の境目があいまいになると、それはそれで面白いのだけども。でも業務に1ミリも関係ないのもまた事実で。
そういうわけでまだ喋り足りない由香里に、「ありがとねん」と声を掛けて、自席に戻ることにした。
知らない情報の洪水に酔いそうだったこともあるが、これ以上与太話につきあってられないということと、そろそろ業務が始まるので現実に戻ろうというところだ。
由香里が「え~」という顔をしていたのは、もう笑って無視する。
ばたばたしていたが、一日の始まりだ。
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