第五章 マヤとミル

第一話 ミルとマヤ


 俺たちは、マガラ神殿に帰ってきた。

 ミルには、俺の非道な行いも告げている。それでも、ミルは俺に付いてきた。


「リン?」


「あぁいいのか?」


「うん。僕が、リンの役に立てる。最高な気分。一つだけ心残り」


「え?」


「リンに抱いてもらいたかった」


「それは・・・」


「わかっている。でも、リンの説明だと、僕の身体をマヤが使うのだよね?」


「あぁ」


「それなら、リンが抱くのは、僕の身体で、僕だと言ってもいいよね?」


「え?」


「それに、多分、白い部屋で待つことになると思うから、僕がリンに抱かれるところを見られるよね?」


「ミル?」


 何か恐ろしいことを言っている。

 マヤは妹だ。ミルが嫌いかと言われると、好きだと思うが・・・。


「なに?僕、リンが好き。でも、リンが僕を好きになってくれなくてもいい」


 魔法陣が消えて、マガラ神殿に到着したのがわかる。

 ロルフは、先に祭壇に向かっているのだろう。


 俺は、ここに来て迷っている。

 確かに、マヤは大事だ。でも、ミルを犠牲にしたとしったら、マヤは喜ぶだろうか?そもそも、マヤがマヤとして覚醒する保証もない。そんなことに、ミルを巻き込んでいいのか?

 俺の横を歩いているミルは、不安な雰囲気は感じない。それどころか、機嫌が良さそうな雰囲気さえある。


 祭壇の間に、足を踏み入れる。

 マヤは既に居ない。


「リン。どうしたらいい?」


「本当に、いいのか?」


「うん」


 俺が言うのも違うと思って、それ以上は何も言えなくなってしまった。

 ミルを抱きしめるのが正しいのかわからないが、ミルを抱きしめる。耳元で、”ありがとう”と告げる行為が、自分の胸に突き刺さる。偽善だとわかっている。俺は、ミルに”死んでくれ”と頼んだ。ミルが”俺のためなら”と言ったことを利用した。マヤのために、・・・。違う、俺のために、俺が家族を死なせた事実から目をそむけるために、ミルに死んでくれと頼んだ。

 マヤは望んでいない可能性が高い。いや、望まないだろう。それでも・・・。


「ロルフ!」


 それでも、俺は・・・。

 マヤに帰ってきて欲しい。


『ミトナル様。祭壇まで来てください』


 ロルフの声が頭の中に響き渡る。

 ミルに伝えないと・・・。


 ミルは、俺の腕から離れて、歩き出す。


「え・・・」


 ミルの腕を握ってしまった。


「リン。駄目だよ。僕は、僕の意思で、リンの役に立ちたい。僕が”できる”ことを邪魔しないで、お願い」


「っ」


「そんな顔しないで、リン。僕は、小学生の時に、いじめられていた」


「え?」


「僕を助けてくれたのは、凛くんだよ。僕を、助けてくれた。あの地獄から・・・」


「・・・」


「その顔は、忘れているね。でも、本当だよ」


「でも、ミル。君は、高校になってから・・・」


「嬉しい。僕を知っていてくれた。僕は、それだけで十分だよ。リン。僕は・・・。リン。なんで、泣いているの?」


 頬を涙が伝っている。

 なぜかわからない。俺が泣くのは間違っている。心ではわかっている。感情が追いついていないのか?


「ミル。俺は・・・」


「リン。間違えないで、僕は”嬉しい”。やっと、リンからもらった物を返すことが出来る」


「え?」


「リン。僕の身体も心も、全部。全部、命も、リンの物。だから、僕は、リンに僕の身体を返すだけ。白い部屋に戻ることがあったら僕を抱きしめて、僕はそれだけで十分」


 ミルが、俺の手を優しく放す。

 握っていた手からミルの華奢な腕が離れる。ミルの暖かさが残る腕の中。確かに握っていた腕の感触。全てが離れていった。俺が望んだことなのに、こんなにも悲しく感じるのだ?俺がミルに頼んだことなのにこんなに後悔をしているのだ?


「ロルフ殿!僕は、どうしたらいい?」


『祭壇まで来てください』


「うん」


 最後とばかりに、ミルが振り向いて、俺を見て優しく微笑む。


「和葉!」


 和葉は、何も答えないで、前向いてゆっくりと進み始める。

 駆け出せば間に合うのか?俺が・・・?


 足が動かない。膝に力が入らない。


「ミル・・・。和葉・・・」


”適合率・・・。98.75パーセント。融合を開始しますが、よろしいですか?”


 機械音とまではいかないが、どこか無機質な声が祭壇に響き渡る。


「まっ」「お願いします」


 俺の停止の声よりも、前にミルの声が祭壇に響いた。俺が止めようとしていたのがわかったのだろう。後ろを振り向いて嬉しそうに微笑んだ。


”融合を開始します”


「あ・・・」


 ミルが立っている祭壇に大きな魔法陣が現れる。

 外側から光りだして、徐々に内側に移動している。


 魔法陣の全てが光によって描画された。

 天井方向に光が伸びていく、天井にも同じように魔法陣が描かれている。


 天井方向から、ミルに向けて何かが降りてきた。


『僕は認めない!』


「え?」「は?」『アルセイド様!』


 俺の叫び声と、ミルの疑問のような声と、ロルフの叫びが重なった。


『リン!僕が、ミルを犠牲にして喜ぶと思ったの!馬鹿なの!ミルも、私がそれで喜ぶと思った?僕は、嫌だ!ミルが犠牲になるのは絶対にイヤ!』


『アルセイド様?なぜ?』


『リン!何、この猫!』


『猫ではありません。アルセイド様に仕える。猫型の精霊です。マヤ様。お忘れなのですか?』


『え?知らない』


 なんか、ミルの頭の上で、マヤらしき声を出している光の珠と、黒っぽい色をした珠が話をしている。状況から、マヤとロルフなのだろう。

 俺だけではなく、ミルも唖然としている。


「マヤなのか?」


 光の珠に話しかける。


『リン!今は、ミルと猫と話す!』


 マヤなのは、間違いはないだろう。

 どういうことだ?誰か説明して欲しい。


 マヤとロルフが何やら言い争いをしているが、言葉として認識できない。


 1-2分だろうか、魔法陣が光を強くする。


 光が収まり始めると、俺の前にロルフが元の”猫”の姿で戻ってきた。


「ロルフ?」


「マスター・・・」


「どうした?念話じゃなくてもいいのか?」


「はい。疲れました」


「ん?マヤが何かしたのか?」


「・・・。いえ、ミトナル様が、マヤ様を説得されています」


「え?ミルが?」


「はい。マヤ様が、降臨されるまではうまく行っていたのですが・・・」


 どうやら、ロルフの回りくどい説明を咀嚼して考えると、ミルを捧げようとした時に、マヤに反対されたようだ。これは、祭壇に声が響き渡ったから理解している。俺が聞きたかったのは、そこではない。マヤが拒否する可能性もあるだろうと思っていた。

 ロルフの説明では、マヤの意識は”ミルの身体に定着してから芽生える”はずだったのだ。そのために、あの段階で拒否されるとは考えていなかったようだ。ミルの身体に乗り移ってしまえば、マヤが目覚めればミルの意識は自然となくなるはずだった。


 儀式には、問題は無かった。

 ロルフが言うには、マヤがマヤのままである可能性は、50%以下だった。アルセイドとしての意識が強ければ、持っていかれる可能性があった。


 俺は、ロルフを膝の上に乗せて座って、マヤとミルの話し合いが終わるのを待っている。

 お互いに念話で話しているのだろう、俺にもロルフにも会話の内容が聞こえない。光が明滅するので、中の様子は、確認が出来ない。時々は見えるのだが、話している内容は全く聞こえてこない。ミルが時々、身体を触るような仕草をしているのはわかるのだが、それだけだ。


「ロルフ」


「はい。マスター」


「マヤが必ず、マヤとして復活するわけじゃない。極小の可能性のように話していたよな?」


「・・・。はい。でも!」


「いいよ。理解は出来る。でも次は、許さない」


「はい」


 わかっていないロルフにもう一つだけ俺が感じたことを伝える。


「ロルフ。失敗していたら、俺はマヤだけじゃなくて、ミトナルを失っていた。この意味はわかるよな?」


「はい・・・。でも!」


「ロルフ。”でも”じゃない」


「はい。ごめんなさい」


「うん。それでいいよ。でも、まだ許せない気持ちがあるから、しばらくは”猫”として扱う」


「え・・・。はい」


「違う。そこは、”にゃ”を後ろに付ける。語尾は、”にゃ”で統一!」


「え?」


「ほら、ロルフ。”はいにゃ”と言えばいい」


「・・・」


 ロルフが、俺を見上げるが、許さない。

 この程度で、許してあげようとしている、俺は寛大だと思える。


「ロ・ル・フ!」


「マスター・・・。・・・。・・・。はいにゃ」


 ロルフの諦めきった顔を見てから、頭を盛大に撫でたところで、魔法陣の光が収まってきた。

 天井の魔法陣が消えて、ミルが乗っていた魔法陣の光が一点に集約し始めた。

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