ラッキー・ガール暗殺法

執行明

第1話

 ここ数年ほど、世界の二大勢力のひとつであるS連邦は、対立するA国に対して、軍事的にも外交的にも経済的にも、不利になる一方だった。S連邦の指導層の信じるところによれば、S連邦の誇る経済システムであるS主義は、A国の堕落したJ主義より遥かに優れているはずだった。

 にもかかわらず、S連邦政府がどんな策を立てても、それはA国に予測されていたかのように、外れてしまうのだった。

 連邦政府は大量の諜報員を投入してその秘密を探らせ、原因がスージー=ローハンという20歳そこそこの若い女性にあることを突き止めた。諜報員がA国政府機関の者から聞き出したところによれば、その女性は、次にS連邦がどんな手を売ってくるか、全て予想してしまうのだという。彼女は信じられないほどの政治的、軍事的才能があるに違いないと思われた。

 S連邦情報部は、当然の対策に出た。スージー・ハーロンを消去することにしたのだ。

 その結果、連邦情報長官は今、首脳陣の目の前で、針のむしろに座らされている。国家最高指導者たる書記長の質問、そして首脳陣全員の氷の視線。それを和らげることのできる材料を、彼は全く持っていなかった。いや、彼自身、暗殺失敗が信じられなかった。

「説明を聞こうか」

 そのまま話すしかあるまい、と情報長官は覚悟を決めた。

「……前回、我々の選りぬきの諜報員による暗殺計画に失敗した我々は、例の、フリーの狙撃手を雇いました。これまで数多くの要人暗殺事件に関わり、百発百中、一度も的を外したことがないという男。皆様よくご存知の、あの男です。彼の射撃の腕は、オリンピック級などという言葉ではとても追いつきません。あのスナイパーに高額の謝礼を支払い、わが国諜報機関は彼に、“彼女”の暗殺を依頼しました」

 一息ついて、情報長官は目だけを周囲に走らせた。かの殺し屋の凄腕ぶりは、この国の首脳陣ばかりでなく世界中の政府高官や経済的実力者が知っている。だが氷の視線の温度を少しでも上げた者は、一人もいなかった。

「結論から申し上げます。1発目の弾丸は、信じられないことですが、外れました。あの銃の名手が、まるで素人のごとく的を外したのです。彼は素早く2発目の弾丸を発射しました。しかし一機のラジコン飛行機が弾道に入り込み、ライフルの弾道を逸らせました。呆然とするスナイパーを連れて我々は撤退しました」

「前回も同じようなことを言っていたね」

 書記長が口を挟む。

「はい。前回は地上から遠距離からのライフル狙撃ではなく、わが情報員が近距離から拳銃で狙いました。が、暴走したオートバイがたまたま情報員に激突して……」

「さらにその前は確か、炭疽菌を塗りつけた郵便物が、配達ミスで彼女の自宅に届かなかったんだったね?」

 大汗をかきながら、やっと「はい」とだけ情報長官は答えることができた。

「そんな偶然が続くと思うかね?」

「……いえ」

「そうだ。君の部下の誰かが、あるいは君自身がA国に暗殺の情報を流し、妨害させているとしか考えられんことだ」

「書記長、決してそのような……」

 

 そのとき、末席にいた高齢の人物が挙手をした。

「何かね、科学庁長官?」

「いえ、微力ながら情報長官の弁護をさせていただきたいと思いましてな」

 情報長官は科学庁長官に驚きの視線を送り、首脳陣は隣席の者とひそひそと会話を交わした。これまで科学庁長官は、己の分野に直接関わらないことには一切発言しないタイプの老人だったからだ。ましてや、武力行使や諜報関係についての荒事となると、眠っているとしか思えない様子でただ聞いているばかりだったのだ。

「実は、我が庁が管轄するS連邦超心理学研究所の主任教授が、かのスージー・ローハンに興味を持ちましてな。科学庁の海外諜報網を使いまして、資料を収集しておったのです」

 海外諜報網が科学庁にあることすら、他の大臣には初耳である。

「教授、入ってきたまえ」

 科学庁長官の声と同時に、眼鏡をかけた初老の男が入室してきた。

「彼が先ほど申し上げました、超心理学研究所の主任教授です。教授、説明を」

 教授は咳払いをし、話し始めた。

「我が連邦が超心理学関連の研究で最も力を入れておりますのは、ご存知の通り、遠隔視や予知能力の軍事利用の可能性についです。が、私自身の専門は少し違いまして、人間の“運”というものを独自に研究しております」

「運が超心理学の範疇なのかね?」

「実際に研究しているんならそうなんだろう。黙って話を聞こうじゃないか」

 産業大臣がまぜっ返し、外務大臣にたしなめられる。だが教授は全く意に介さず、説明を続けた。

「長年の研究によりまして、私は人間の幸運を定量的に測定する方法を考案し、昨年ついに測定器の開発に成功いたしました。この成功に至るまでに祖国に支給された予算は全て、人民による毎日の尊い革命的労働の成果得られたものであり、私は一日たりとも感謝の念を……」

「君の思想的優良さはよく分かった。が、本題に入ってくれまいか」

 書記長みずからにそう言われ、教授はもう一度咳払いをした。

「結論から申し上げます。我が研究所の調査班が、スージー・ローハンを遠距離から科学的に測定しました結果、彼女の幸運の量はおよそ7.77×10の155乗フォルトに達することが分かりました。フォルトというのは人間が持っている平均的幸運を100とした単位ですが、これほどの幸運の持ち主は、他に世界に1人も存在しないでしょう。また歴史上一度も存在したことがないと断言できるほどの運の良さです」

「それはつまり、何を意味するのかね?」

「ミス・ローハンは、なんらの専門知識もなければ、天才的頭脳も有しておりません。ただやたらに幸運であるだけだ、ということです。彼女がA国の中枢に毎日のように召喚されてやっていることは、ただ我が連邦の動向を、A国の役人たちが提供する、考えうるあらゆる選択肢の中から、運任せに当てているに過ぎないのです」

「それです!」

 情報長官が叫んだ。

「我々は彼女の現状や過去を徹底的に調べました。しかし、彼女が何の能力に優れているのか、まったく分からなかったのであります! 何もないということなら、全ての説明が付くのです!」

「静かに」と書記長は命じ、再び教授に向きなおった。

「それで、対策はあるか?」

「通常の暗殺の方法は、彼女には通用しません。銃器その他どんな武器で狙おうとも、世界一の幸運児に命中することはないでしょうからな」

 情報長官は大きくうなずく。彼の失態が、失態でなかったことが証明されようとしているのだ。

「では、たとえば彼女をS国に亡命させ、S国のために働かせるというのはどうかね?」

 教授は首を振った。

「残念ながらスージー・ローハンは、両親から受けた思想的影響により愛国者です。実際にも確かめておりますし、論理的帰結でもあります。国に貢献することが彼女にとって喜びであるからこそ、彼女の幸運がA国に有利に働いているわけですからな」

「幸運ではどうにもならない方法、たとえば彼女のいるA国首都全体を焦土にしてしまうというのは? いくらなんでも回避できんだろう」

「そもそもA国への軍事攻撃を不可能にしているのが、彼女なのですが」

「幸運を使い切らせてしまうことは出来ないのかね?」

 口を開いたのは、財務大臣だった。

「よくあるだろう。急に大金を手にした者がそれをきっかけに却って不幸になる、という話が。スージー・ローハンに、大金などの莫大な利益を与えるのだ。それによって彼女が幸運を使い切れば、後は暗殺することができるのではないのかな?」

「慧眼です」と教授は誉めそやした。

「その方法で通常の幸運児ならば、幸運を奪うことができるでしょう。しかし我が連邦全土、いや地球そのものの支配権をミス・ローハンに与えたとしても、彼女の幸運の一万分の一を浪費させることもできはしないでしょうな」

「どうすればいいのだ……」

 首脳陣は頭を抱えた。

 だが教授は眼鏡の奥を光らせ、薄く笑った。

「ご心配には及びません。近日中に、必ずやミス・ローハンを暗殺してご覧に入れましょう」


 日曜の正午、恋人と連れだって歩いていたスージーは、ふと道の向こう側に目を留めた。好物のホットドッグの屋台だ。ちょうどお腹が減っていた。

 二人が道を渡ってホットドッグを1つ注文すると、店員は言う。

「好きな数をひとつ言ってごらん。このモニターに出てくる数字を当てられたら、ホットドッグもう一つサービスするよ」

 スージーはやったと思った。クジ引きを当て損ねたことなど、この世に生まれてから一度だってない。

「クリス、あなたの分も貰ってあげるわ。3よ」

 モニターはしばらく、ピカピカと悪趣味に色を変えていたかと思うと、


 3


 と表示した。

「おめでとう。はいお姉ちゃん、彼氏と仲良くな」

 スージーは笑顔で2つ目のホットドッグを受け取り、恋人に手渡した。二人が道を渡って戻ろうとしたその時。

 

 ドカッ!!


 トラックに衝突されたスージーの体は10メートルほど飛び、アスファルトに叩き付けられた。誰が見ても即死であった。

 ホットドッグ屋の扮装をしたS連邦情報員は、小型マイクで連絡した。

「……任務に成功しました。でも……」

 情報員は好奇心を抑えることができなかった。

「でも、なぜ彼女はあっさり死んだのです?」

 マイクに出ていた教授は、事もなげに答えた。

「幸運がゼロになったんだよ。さっきホットドッグを当てたことでね」

「ホットドッグ一個で? オリンピック級の殺し屋に命を狙われ続けても、一生に一発の弾丸も絶対に当たらないといわれる、あの彼女が?」

「そうだよ。君も当ててみるかい」

 諜報員は慌ててかぶりを振った。

「気にすることはない。当たりゃしないよ。好きな数を言ってごらん」

「じゃあ……7で」

「7だね。ボタンを押してごらん」

 諜報員がボタンを押すと、

      29875020558205776925902385656562182566632021062830586218104816289234856651812922948567723734667720298366510087436783610345871601834109874651751801432760723411113240750374076324705603265321470641060346315615061032473150650156306501651065106510640316510651305346501076510610651056651051605160561053105610463106505614051040516164156132087650374575435613783013701874010833347563819103445867013034651333456687010108676510316465102361060786610221……


「なにか沢山数字が出てきましたが……故障ですか?」

「正常だよ。最初に言ったとおり、ランダムに数を表示しているだけだ。ただし、とんでもなく桁の多い数字をね」


9283865160123875612756731810108225658827273281028735656210108272745671827566019827255575180128735665661018376661651527287501825655541756831092874697264638734766139318374656519155374668191875……


「いつ終わるんです? まだ続いてますけど」

「さあねえ。何しろ本当にランダムだから、どんな巨大な数が『当たり』なのか見当もつかないのだよ」

 イヤホンを通して淡々とした教授の声が聞こえてくる。

「幸運の消費量は、その幸運によって得られる利益の大小だけで決まるのではない。その幸運に出会える確率の大小にも左右されるのだよ。どんな大きな利益も、必然的に得られるものならば幸運の消費量は小さい。逆に、百万人に一人の確率でしかめぐり合えない事情で利益を得れば、ささやかな利益でも多くの幸運を消費する。おまけのホットドッグを彼女に当てさせるのに使ったこのコンピュータは、あらゆる数からランダムにひとつの数を表示するようにプログラムしてあった」

 あっ、と諜報員は叫んだ。

「そうか、数は無限に存在するから……」

「そう。彼女の運の量が10の155乗だろうと1万乗だろうと、無限にはかなわない。無限大の中から唯一の『当たり』を引き当てた彼女は、全ての幸運を使い切ってしまったんだよ」

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ラッキー・ガール暗殺法 執行明 @shigyouakira

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