同窓会と月曜日

 こんな事態になると誰が予想していただろう。いや、予想できない俺が馬鹿だったよね。うん。

「西岡さん、ちゃんと歩いてくださいよ」

「はあーい!」

 良い返事だなあもう。返事するなら実行してくださいマジで。

 ちょっと目を離すとガードレールとかにぶつかりそうな西岡さんを引っ張りつつ、支えつつ家を目指す。こんな事態に至った原因を思い出してみると……って思い出すほどのことでもない。西岡さんと向かった先が実は高校の同窓会だっただけだ。まだやると決定したわけじゃない、とか言われた気がするんだけど。

「まったく……何でこんなことになったんだか」

 ぼやいてみても理由は明白過ぎる。一言で言えば西岡さんのせいだ。

「それはですねー、わたしとわたべさんのおうちが近いからです! そしてわたしがのみすぎたからです!」

「そうですねー」

 笑顔で言われても困る。いいからまっすぐ歩いて欲しい。

「わたべさん、わたしの話きいてますか?」

「聞いてます聞いてます。家はこっちの方向でいいんですよね?」

 答えつつ尋ねると西岡さんは頬を膨らませた。

「きいてないです」

「聞いてますって」

 不機嫌な顔をしたままの西岡さんを引っ張って歩く。立ち止まられたらどうしようとも思ったけど、不機嫌な割には素直に付いてきてくれている。

「わたべさん」

「はいはい」

 これで相手が酔っ払いでさえなかったら良い雰囲気とかになったかもしんないのになー。

「すきです」

「はい。え?」

 聞き逃したわけじゃなくてしっかり聞いてたんだけど、言葉の意味が全く理解できなかったから思わず聞き返してしまった。

「やっぱりきいてないじゃないですかー」

「や、あの、びっくりして……」

 冗談ならもうちょっと心臓に優しい冗談にして欲しいです。

「びっくりですか?」

 にまー、と子供のような笑顔。楽しそうだなぁもう。

「あはは、びっくりしてる」

「あんまりからかわないでくださいね……」

「ごめんなさーい」

 天真爛漫な返事をされると、童顔なことも相まって女子高生とかを連想する。今度は俺を引っ張って歩き出したかと思ったら、すぐに立ち止まってこちらを振り返った。

「でも、ほんとうにきらいじゃないですよ」

「……それはどうも」

「きらいだからいたずらしてるんじゃないです」

 いや、それは何となく分かってたけど。

「ほんとう、です」

 俯いて、消え入りそうな声で呟く彼女が今にも泣きそうに見えて。

「西岡さん……?」

 名前を呼んでみたらこくりと頷いた……ように見えた。

「ねむいです」

「……耐えてください」

 一瞬だけ真剣な話に聞こえたのは眠気のせいだったらしい。脱力しつつ、また西岡さんを支えて歩き出す。

「ほら、もうちょっとですから」

「うう」

「ちゃんと歩いてくださいって」

「らいじょぶ、です」

 全然大丈夫じゃない。ろれつが回ってないし。俺が支えてないと立っていられるかも怪しい。

「西岡さん。もうまっすぐ歩けとは言いませんから自分で立ってください」

「らいじょぶですよー……」

「大丈夫じゃないですって」

 会話が成立してるかすら怪しくなってきた。もしかして背負っていく羽目になるかな。

「人にはちゃんと話聞けとか言ったんだから俺の話も聞いて下さいよ」

「うー」

 駄目だ、全然会話できそうにない。それとも返事らしいものが返ってきたってことは、一応聞こえてはいるんだろうか。

「西岡さーん」

「んー」

「好きですよー」

「ん」

 こくりと頷いた。それから、顔を上げて俺を見た。

「お返しれすか?」

 しっかり聞こえてた。さっきまでちゃんと会話できなかったのになんでだよ!

「えーと、まあ、はい」

「びっくりしました」

「それは何よりです」

 俺の服を掴んだまま、西岡さんは歩みを止めた。

「西岡さん?」

 何を考えているのか読めない顔で俺をじっと見上げる。

「びっくりしました」

「すみません」

 訳の分からない沈黙。西岡さんは俺を見上げたまま動こうとしない。いや、これは。これはどうなんだ。

 よく考えてみよう。俺はさっき、仕返しを多分に含むとはいえ「好きだ」と彼女に言って、言われた彼女はじっと俺を見つめている。これで魔が差さない男がいるだろうか。

「西岡さん」

 最後通牒のつもりで名前を呼ぶ。それでも彼女は動かなかった。だから、そっと顔を近付ける。酔った勢いなら許される、なんて酔った頭で浅はかに考えながら。

 彼女は何も、拒絶さえも言葉にすることはなかった。


 *


 どれだけ後悔しても日曜日は終わってしまう。そして、どれだけ後悔しても仕事をサボる訳にはいかない。つまり俺には、泣きたい気分で研究室を訪れる以外の選択肢は残されていないのである。

 今は十時四十三分。大丈夫、この時間なら彼女はゼミに行っているはず。

「こんにちは、日本バイオラボでーす……」

 いつもよりは控えめに声をかけて、そーっと研究室に入る。いつものように挨拶をしてくれる学生さん達に挨拶を返して、薬品の棚の脇に吊してある発注ノートを開く。

「こんにちは、渡部さん」

 心臓が跳ねて口から飛び出した。かと思った。

「に、にに西岡さん」

「そんなに驚かないで下さいよ」

「すみません。あの、でも今日ってゼミは……」

「ありますよ。でもサボりです」

「え」

「渡部さんとお話がしたかったので」

 これはもしかして、いやもしかしなくても怒られる流れですか。当たり前ですよね。いきなりキスとかしたらそりゃあね。訴えられても文句は言えないっていうか。

「実は土曜日のこと、全然覚えてなくて」

「えっ?」

 西岡さんは申し訳なさそうな顔で微笑んだ。いや、むしろ謝るべきは俺なんですが。

「友達に聞いたら、泥酔した私を渡部さんが送ってくれたそうで。ありがとうございました」

「あ、いえいえ」

 頭を下げられてしまったので、つられて俺もおじぎする。

「そしてごめんなさい。酔っ払いの相手、大変でしたよね?」

「あ、いや、そのー……」

 むしろキスできてラッキーでした、とか言う訳にもいかず。適当に言葉を濁すと、西岡さんが首をかしげた。

「もしかして私、失礼なことをしました?」

「いや、決してそういう訳じゃ」

 即答で否定したら、逆に嘘だと思われてしまったらしい。西岡さんがもう一度頭を下げる。

「本当にすみません。ええと、何かお詫びできればよかったんですけど……」

 何も持ってなくて、と申し訳なさそうな顔でうなだれてしまう。

「いやいや、本当に何もされてないですよ。普通に送っただけで」

 むしろ俺が申し訳ないです。土下座しても足りないくらいですごめんなさい。

「でも……」

 西岡さんは上目に俺を見て、それからぱっと顔を上げた。

「そうだ、じゃあ今度お酒をごちそうします」

「はい?」

 何故そうなる。

「渡部さんがたらふく飲んで泥酔したら私が家まで送ります。そしたら完璧じゃないですか?」

 何が完璧なんだ。

「そんなに飲みませんよ……」

「まあ送るのは冗談ですが」

 こんな時にまで冗談は欠かさないのか。

「でも、ご飯をご馳走させていただけませんか?」

「いや、学生やってる人におごらせるっていうのはちょっと」

「大丈夫です。バイトでしっかり稼いでますから」

 渡部さんにご飯くらいはおごれます、と胸を張る。

「それに私の気が収まりません。おごらせて下さい」

 そこまで言われてしまうと断ることもできなくなってしまう。それにまあ、彼女と二人きりでご飯できるのもいいかなと思わなくもないし。今度は実は同窓会でした、なんてこともなさそうだし。

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 少しは俺が払おう。そう心に決めつつ答えると、彼女は「美味しいお店紹介しますね」と微笑んだ。

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