第185話
「……私の友達よ。エリス、少しこの人達と話をするから、向こうに行ってなさい」
「うん。分かった」
エリスは素直に頷くと、階段の方へと向かって行った。
「……どういうことだ」
エドワードは静かにユミルに尋ねる。
「記憶がないのよ。自分が育った場所も、出会った人も、これまであったことも。全部忘れてる」
「そんな……。それでは、ジャックのことも」
「ええ。残念だけど」
ユミルは肩を落としてエドワードに言う。
しかし、ユミルの言葉と態度だけでは、エドワードの動揺を抑えきれなかった。
「……あいつは、あの子を救うために命を落としたんだろ? それなのに、あの子はジャックのことすらも覚えていないだと。そんな、そんなことがあってたまるか!?」
「あんまり大きな声をださないで。エリスが驚くわ」
エドワードはユミルの言葉にはっとする。
おもむろに階段の方へ視線を向ける。
エリスが不安そうにこちらをじっと見つめていた。
「……すまん」
「ううん。いいの。私だってエリスが最初私のことも分からなかった時は、驚いたもの」
ユミルは、弱々しく笑った。
「全く、思い出す兆しもないのか?」
「ええ。全く。でも、反ってよかったのかもしれないわ。自分のせいでジャックが死んだなんて考えたら、エリスが可哀想だもの」
ユミルはエリスに手を振った。
すると、彼女は微笑みながら、手を振りかえした。
「もう少し早くにここを訪れるべきだったんだけど、気持ちの整理がつかなくてね。気づいた頃には、もう一年も経ってた。すっかり帝都も変わったみたいね。ロドリックから色々聞いたわ」
ユミルは言う。
これ以上、この話題に触れて欲しくはない。
言葉の外にあるユミルの意志を、エドワードは感じ取った。
「ああ。市民達の協力で、着々と復興は進んでいる。まあ、遅々としたものだがな。一歩一歩、地道にやっている」
「あれだけ被害にあったのだもの。すぐに復興できるはずはないわ。コビンくんやカーリアちゃんを、こき使っているんでしょ?」
「ああ。存分に働いてもらっている。なあ、お前ら」
カーリアとコビンは互いに顔を見合わせて、気まずげに笑って見せた。
「あんまり無理をさせないであげてよ。若いからって体が壊れないわけではないんだから」
「わかっているさ」
二人は互いに微笑みを交わした。
だが、表情とは裏腹に、二人の間にある緊張ときまずさは、いまだ拭うことができなかった。
「お前は、これからどうする」
「しばらくはロドリックの村でゆっくりしようと思ってる。そのあとは、また冒険者家業をやろうかなって。いつまでもくよくよしているわけにはいかないから」
「エリスは、また大学に入れるのか?」
「エリスのことは……まだ決めてない。右も左も見失ってしまったあの子に、何かを決めさせるわけにもいかないし。まぁ、おいおい考えていくわ。焦らなくても、私達エルフの寿命は、すごく長いから」
肩をすくめながら、ユミルは言った。
「そうか……何か必要なことがあれば、遠慮なく言ってくれ。些細なことでもいい、困ったことがあればいつでも手を貸そう」
「僕たちも、力になれることがあればいつでも呼んでくださいね」
「遠慮は、いらないから」
コビンとカーリアはユミルを見つめながら、言う。
「二人も、ありがとうね」
ユミルは頬を歪めた。
だが、その笑みに含まれた悲しみは、晴れはしなかった。
おそらくこの先も、ずっと彼女に悲しみが付きまとうのだろう。
エドワードは思う。
だが、言葉にはしなかった。
それは、言葉にしなくとも、いいものだ。
「……さて、俺たちはもう行くとしよう。あいつのために、ゆっくりと祈ってやってくれ」
エドワードはユミルの肩を叩くと、コビンとカーリアを連れて、階段へと向かう。
「あなたも、アリッサを大切にね」
エドワードの背中に向けて、ユミルが言葉をかける。
エドワードは振り返ることなく、手をひらひらと横に振ってユミルに応えた。
エリスは、階段に座ったままエドワードを睨み付けている。
まるで初めて会ったときのような、警戒と恐怖が彼女の目に宿っている。
本当に、忘れてしまっているんだな。
エドワードは改めて実感した。
「驚かせてごめんな。
にこやかに頬を歪ませながら、エドワードはエリスの頭を撫でる。
くすぐったそうにエドワードの手を受け入れながら、エリスは目を細めている。
エドワードへの警戒も幾分和らいだようだ。
「さぁ、ユミルの元へ行きなさい」
「うん。じゃあね、おじさん」
エリスは駆け足でユミルの元へと向かっていく。
すっかり伸びた金色の髪が、ゆらゆらと揺れている。
その背中をエドワードはどこか寂しそうに見つめていたが、すぐに踵を返して階段を降りて行った。
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