九章

第107話

 帝都が炎に包まれる少し前。

 ドミティウスは帝都の中心に現れた。


 突然現れたエルフに、帝都の住民たちは驚いた。


「なるほど。しばらく見ない内に、発展を遂げたようだ」


 大通りを歩く人の群れ。背の高いいくつもの建物。

 跳びかう声は勇しく、また生き生きとしていた。

 露頭に迷う浮浪者も、こじきたちもいない。


 平和を取り戻し、人々は幸福を掴み取った。

 これこそが民たちの望んでいた、都の姿なのだろう。

 そして現皇帝や、かつてドミティウスを裏切った人間たちが夢見た、平和の形なのだろう。


 ドミティウスは、自然と拍手をした。

 帝都の礎を築き上げた、先人たちへ向けて。

 ここに栄華を作り上げた、帝都の民たちに向けて。

 そして、その平和をこれから乱すことへと、ささやかな謝意を込めて。


「貴様らは私に容赦をしなかった。ならば、私も、それに習わなければなるまい」


「お、お嬢ちゃん、どうしたんだい?」


 一人の老人が、ドミティウスに声をかけた。

 お嬢ちゃん。その呼び方が自分を指していることに、ドミティウスは気づかなかった。

 だが、すぐに自分の姿形を思い出し、彼はにこりと微笑んだ


「いいや、なんでもない。少し、下がっていてくれ」


 そう言うと、ドミティウスは掌を老人に顔に突きつけた。

 その直後、老人の顔が吹き飛んだ。

 

 活気のある声が消える。

 これまで聞いたことのない、衝撃音と破砕音。

 民たちの視線がドミティウスに集まる。


 彼らは理解ができなかった。

 なぜ少女の体が血に濡れているのかを。

 なぜ首のない老人が、そこに立っているのかを。


 だが、次にドミティウスが女の顔を吹き飛ばした時、ようやく民たちも理解に及んだ。


 あの少女は、敵だ。侵略者だ。我々を殺すものだと。

 そして理解は恐怖を呼び起こした。


 悲鳴。悲鳴。悲鳴。

 通りのあちらこちらから、悲痛な叫びがこだまする。


「そうだ。悲鳴をあげろ。貴様らの王が、今戻ったぞ」


 ドミティウスは手を空中に向け、空を引きさく。

 空はひび割れ、裂け目が生まれる。


 夕闇の空に浮かんだ黒い裂け目は、次第に空を飲み込み、ついには帝都の上空をすっぽりと覆い隠してしまった。


 ただの雨雲ではないことは、空を見上げる民衆の誰もが分かっていた。

 そして、現れるはずのないものが黒の中から顔を出した。


 それは、数多の顔だった。

 人間、エルフ、ドワーフ、リザードマン、オーク、レイス、ゴブリン……。

 この世界にいる種族たちが、裂け目から帝都を見下ろしている。


 魔物達の顔には獲物を狙う獣のように、歯をきしませ今にも飛びかからんとうずうずしている。

 一方魔物以外の種族達の顔には無が浮かび、何の感情も汲み取ることもできない。


 オークが、ゴブリンが女子供を脳天から叩き潰す。

 手近にいる人間達を貪り、思うがままに鏖殺していく。


 魔物達の餌食となって路上に転がり、血反吐と臓物の海に沈んでいく。


 悲鳴は恐怖を助長し、絶叫は非飛地を狂乱にかりたてる。

 魔物たちから逃れようと、帝都の民達はおもいおもいに逃げ走る。

 

 突き飛ばされた女が、逃げ惑う民たちに蹴り殺される。

 母を見失った子供が、魔物に脳天から食い殺される。

 父は子を守るために、自らを犠牲にする。だが、彼が守ろうとしたものは、すでに魔物によってなぶり殺される。


 逃げる、逃げる、逃げる。

 でも、どこへ?

 どこへ逃げれば、助かる?

 どうすれば生き延びられる?


 誰もの頭に浮かんだ。まだ生にすがりつこうとしていた。

 こんなところで死んでたまるか。

 平和になれた民であっても、生への執着心はいまだに手放さなかった。


 だが、空から降り注いだ死人が、彼らのささやかな執着心を、根こそぎ打ち砕いたのだった。

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