第105話

「ジャック……!」

 

 ユミルが叫んだ

 喉の振動があばらに響き、激痛が体を刺す。

 歯を噛み締め痛みに耐える。

 ユミルは体を引きずりながらジャックの元へと近寄って行く。


「ジャック、ジャック起きて」


 ユミルは何度も声をかける。

 しかし、反応はない。

 片腕は切り取られ、あらぬところに転がっている。

 断面からは血が流れ、ジャックの顔は死人のように白くなっていた。


 ユミルがジャックの口元に耳を近づける。

 かすかな吐息が耳にかかる。

 まだ息がある。

 安堵するが、このままでは長くはもつまい。


 ジャックの腰から鞘を留めていたベルトを取る。

 そして、鎧の下から切られた腕に巻き付ける。

 

 血管を閉めたことでいくらか血の流れも少なくなった。


 後は助けを待つばかりだが、それがいつになるのか彼女には検討もつかなかった。

 出入り口の扉は、未だに閉ざされたまま。

 外から誰かがこじ開けてくる様子はない。

 隠し通路があるかもしれないが、探している余裕はない。

 ユミルもまた、満身創痍の身だったからだ。


 ただジャックの生命力を信じて。

 外にいるエドワード達が助けにきてくれることを信じて。

 今は待つこと以外ユミルに選択肢はなかった。


「大丈夫……。貴方は、こんなところで死なないわ。…死ぬはずがないわよ」


 自らの衣服の一部を破り、ユミルはジャックの傷口に押し当てる。

 麻色だった布は一瞬で血が滲み赤く染まった。


「お願い……。死なないで」


 目の前に現れた死への恐怖と不安が、ユミルの内側を引っ掻き回し、感情をもてあそぶ。


「お願いよ。お願いだから、死なないで」


 沈黙はユミルに不安を与え、絶望を募らせて行く。


 ジャックが死ぬはずはない。

 何度も自分に言い聞かせても、ジャックの顔からはみるみると生気がなくなっていく。


 もしかすれば、このままでは……。

 そう思わないではいられない。 


 背後からの物音は、彼女に希望を与えてくれた。

 ユミルが振り返ると、扉がゆっくりと開いていき、外から光が差し込んで来る。


 視線の先には数人の人影が見える。

 人影達はしだいにユミルの方へ近寄ってきた。


 敵か。そう思ったユミルは腰から短剣を抜き取り、逆手にもって構える。

 満身創痍の身ではあるが、そう簡単に死んでたまるものか。

 その一心で目先の陰を彼女はきっと睨みつける。


「ジャックさん、ユミルさん。無事ですか!?」


 その声には聞き覚えがあった。

 ユミルに近づいてきたのは、コビンだった。

 彼はユミルを見つけると一目散に駆け寄って行く。


「大丈夫ですか。お怪我はありませんか」


「ええ……。私はたいしたことはないわ。それより、ジャックを」


 ユミルの視線を追って、ロビンの目は横たわるジャックの姿をとらえる。


「分かりました」


 ユミルに向かってこくりとうなずいたコビンはジャックに近寄り、腕の止血に取りかかる。


 短く素早く呪文を唱え、両手をジャックの腕の断面にかざす。

 コビンの手に浮かんだ光が、ジャックの腕の傷口を覆い隠す。

 しばらく経つと光が消え、傷口も見事に塞がっていた。


「応急処置ですが、傷口は塞いでおきました。後は診療所でちゃんとした治療をうけるだけです。……待っていて下さい。今仲間を呼んできます」


 コビンは一人、扉の方へとかけていく。

 ユミルはコビンの後ろ姿を見送る。

 不安から解放された瞬間、強烈な眠気が彼女を襲った。


 コビンがユミルを呼んでいる。

 それに応えられぬまま、彼女は意識を手放した。

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