八章

第93話

 どんよりとした曇り空が空を覆っている。今にも稲光が空を割って降り注いで来そうだった。

 

 暗雲立ち込める空の下。ジャックとユミルは大学に向けて足を向けていた。

 大学へは以前と同様にあの倉庫のような建物を使うことになる。

 だが、あの時のような温厚さは二人から消えていた。


 怒りと不安。二つの感情がない交ぜになった険しい表情を二人は浮かべている。


「……ああ、ローウェン様。それにユミル様も」


 建物に入ると、使いの男が立っていた。どうやら二人を待ちわびていたらしい。

 二人に気が付くと、彼はすぐに近寄ってきて、深く頭を下げた。


「申し訳ありませんでした。この度は、何とお詫びしたらいいか……」


「詫びはいい。いいから、大学の方へ連れて行け」


 ジャックがすごむ。


「……かしこまりました。では、こちらへ」


 強張った表情を見せながら、男は二人を連れて廊下を進む。右手にあったドアにプレートを差込み、ドアを開いた。


 集会場。とでも言ったらいいだろうか。高い天井にはシャンデリアがぶら下がり、フロアには立て数列に長い机が並んでいる。壁には茶色の壁紙が使用され、窓からは外の光が射し込んでいた。


 集会場には数人の大人たちがいた。声を潜めて、何やら話をしている。

 ジャックとユミルが姿を表すと、その声が消えて、視線をジャックたちに向けた。


「ローウェンさんとユミルさん、でしたね」


 大人たちの中から、恰幅のいい男が前に進み出てきた。校長のレイモンドだ。


「何故エリスがさらわれた」


「それは私にもわからないのです。詳しい事情は、彼女にお聞きください」


 そう言うと、レイモンドは教員の中から二人の男女を呼び寄せた。

 女は青白い顔をうつむかせたままで、二人に顔を向けない。男、ロドリックはそんな彼女の肩を叩きながら、彼女に代わって口を開いた。


「この度は本当に申し訳ない。我々の不始末でこんな事態になってしまって」


「貴様らの詫びを聞くために来たのではない。エリスの居場所はどこだ」


「それが分かればもう貴方達に伝えている」


「……その女は」


 ジャックは顎を使って女を指す。

 ジャックの言葉の端々からでる棘が刺さったのか、彼女の体がピクリと跳ねる。


「……その時授業を受け持っていた先生だ」


 その言葉を言うまでに少しの時間があった。もしかすれば、彼女を手にかけてしまうのではないかと言う懸念が、ロドリックにあったためだ。


 だが、その懸念は決して間違いではなかったことが、現実となって現れる。


 ジャックはおもむろに女の元に歩み寄ると、襟首を掴み、そのまま壁へと叩きつける。うっと苦しげな声を漏らす女だったが、目の前にあるジャックの顔を見て、血の気が引いた。


「す、すいませ……」


「謝ってほしいわけではない。貴様から謝罪されたところで何にもならない。ただ、あの子にもし何かあれば、貴様の首を切り落とさなければならなくなる。それくらいのことをしでかしたのだ。嫌とは言わせんぞ」


 女を掴む手に力が込められる。首を絞められ、女はジタバタと手足を悶えさせる。


「やめなさいよ。その人をいじめたところで何にもならないことぐらい、貴方にもわかるでしょ」


 横合いから彼の腕を掴み、ユミルが止めに入る。

 だが、ジャックは彼女をちらりと見たきり、腕を女から離そうとしない。

 それでもユミルは、ジャックの顔から目をそらすことはなかった。

 それが功をそうしたのか。ジャックはゆっくりと腕の力を抜き、女を解放する。


 苦しげに咳をしながら、女はそれまでジャックの手があった己の首筋をさする。

 傷ひとつないのだが、嫌な圧迫感はさすったところで拭い去れない。


 だが、そんなことを目の前の男に喋ればどうなるか。どんな阿呆でもわかることを理解できない彼女ではない。息を整え、震える膝を支えながら女は立ち上がる。


「何があったか話せ。それ以外のことを喋る必要はない」


 冷えた視線を女に浴びせながら、ジャックは言った。


「……あの日は、子供達と一緒に大学近くの森で薬草採集を行なっていました。ここの近くの森は薬草が豊富で、フィールドワークにはちょうど良かったのです。護衛に、ゴーレムを各班に一体ずつ配置していました」


「ゴーレム?」

 

「土魔法で作られた自立人形だ。術者の護衛や荷運びの道具に使われる。外で授業を行う場合には安全を考慮して、ゴーレムを同行させることが義務づけられている」


 注釈を女の傍らに立つロドリックがしてくれる。

 一旦はロドリックに目を向けるが、すぐにジャックは女を睨みつける。


「続けろ」 


 ジャックの口から放たれる一言に女は耐え切れなくなったのか。それとも、自分の不甲斐なさに堪え切れなくなったのか。女の目には次第に涙がたまっていく。

 

「終了を告げる鐘の音がなると、子供達が森の中から帰ってきました。私は事前に決めておいた集合場所で子供達を待って、点呼をとり、確認が出来た子から教室に戻すようにしていました。でも……」


「エリスだけが戻ってこなかったのか」


 ジャックの言葉に、女はこくりとうなずいた。


「心配になって他の先生を呼んで森の中を探したのです。ですが、エリスちゃんの姿はなく、粉々に壊されたゴーレムだけが森の中に残されているだけでした。……本当に申し訳ありません」


 涙声で頭をさげる女。だが、ジャックの頭からはすでに彼女の存在は消えつつある。かける言葉があるとすれば、


「この女を連れて行け」


 その一言だけだった。

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