第16話
旅路の最中に感じた嫌な予感。
帝都についてからしばらく静かになっていたが、エドワードの屋敷に着いてからというもの、ざわざわと彼の胸に荒波を立て始めていた。
そしてとうとう、その予感は形となって現れたのだった。
話はエドワードの部屋から始まる。
彼の部屋へ来たのは、何と言っても報酬をもらうためだ。
ほんの偶然のこととは言え、エドワードと約束を取り交わし、この日ついにその約束が果たされる。
革製の巾着袋の中に金貨と銀貨を適当に見繕うと、それをジャックに差し出してくる。ジャックはそれを受け取ろうと手を伸ばしたのだが、ここで事件が起きる。
「報酬ついでに、一つ、頼まれてはくれないか」
エドワードはそう言うと、ひょいと袋を上にあげた。
ジャックの手は空気を掴み、肝心の金をつかみ損ねる。
「頼み?」
「ああ。別に軍に入ってくれなんて言わないさ。俺が頼みたいのは、貴方にエリス君の面倒を見て欲しいんだ」
瞬間、ジャックの身体が固まった。返事がうまく思い浮かばず、疑問ばかりが彼の頭を埋め尽くす。
その中でもより輝きを放っていたのが、どうしてエリスの面倒をエドワードが頼んでくるのか。ということだった。
孤児院にいれることを決めたのは、何を隠そうエドワード自身なのだ。その方がエリスの為だと言って、彼女が生きる為だと言って。それなのに今になってあの小娘の面倒を見ろとは、どういうつもりなのだろうか。
ふと、長旅の記憶が蘇った。そういえば、エドワードとエリスがジャックに隠れて密談していたことがあった。まさか、これは二人が、と言うよりもエリスがエドワードのやらせようとしたことではないだろうか。
「どうかしたのか」
黙りこくるジャックを見て、怪訝そうにエドワードが尋ねる。
「……エリスが、お前に頼んだのか」
「ん? なんだ、あの子から何も聞いてなかったのか」
意外そうにエドワードはそう答える。そして、一度巾着をテーブルに置くと、椅子に腰を下ろす。
「確かに、あの子から直接頼まれた。貴方がエリス君を買ってくれるように、働きかけてくれとな」
やはり、エリスの差し金だった。
不信感はいよいよ募っていき、自然とジャックの視線が鋭さを増していく。
「言っておくが、俺だって最初から乗り気だったわけじゃない。孤児院に行った方が生活は安定するし、飢えに苦しむこともない。彼女にもそう薦めてみたさ。だが、彼女は折れなかった」
「それでお前の方が折れたと言うわけか」
「ああ。それ以上何を言っても頑として聞く耳を持たないし、叶えてくれなければ、孤児院で首をくくってやるなんて言い出すしな。まあ、それは半分冗談だとは思っているんだが」
あたりはすっかり暗くなってきていた。
エドワードはマッチをすり燭台に炎を灯していく。
小さな火がエドワードとジャックの間に置かれ、二人の顔を照らし出す。
「だが、何も無理強いさせるつもりはない。貴方が嫌ならそれでいいと俺は思ってる。だが、もしもエリスの面倒を見てくれるのであれば、俺の方からも援助をすると約束しよう」
「援助だと」
「貴方はまだ帝都にきたばかりで、右も左もわからない状態だ。生活基盤もなければ、収入源もない。明日からの生活にきっと苦労するだろう。だから、生活を送れるようになる間、金銭も寝る場所も用意する。それに仕事の斡旋もする。これが私からできる援助の内容だ」
悪い話では、ない。
いくらジャックも帝都に住んでいたことがあるとは言っても、所詮は過去の出来事だ。今の帝都は彼の知るものよりも格段に大きく、また複雑化している。
彼の知っている店も、場所もなくなっていることだって、容易に考えられる。
自分で探すよりかは、今の帝都を熟知しているエドワードに頼った方が、効率的に仕事も、住む場所も見つけ出すことができるだろう。
だが、それでもジャックの心には抵抗があった。
エリスに対する苛立ち、怒り、エドワードに対する不信感。
目に見えない感情という名の鎖が、彼を縛り付け、首肯をさせない。
「別に今すぐ答えを聞きたいとは思わない。時間はまだある。明日にでも答えを聞かせてくれればいい。それまで、この金はきちんと預かっておく。もしも貴方が断ったとしても、別に誰も責めやしない。この金も渡す」
その時だ。書斎のドアを誰かがノックをした。
「なんだ」
「夕飯の準備ができたわ。お話が終わったら、食堂にいらしてちょうだい」
それはシャーリーの声だった。
「わかった。今いく。……この話はまた後でしよう」
ジャックの肩を叩いて、エドワードは書斎を後にしていく。
重い腰を上げて、ジャックも彼の後に続く。
この後、エリスに会うのだ。
そう思うと気まずさを覚える反面、どうして自分がそんなものを感じなければならないのかと、ひどく苛立ちも覚える。
断るかいなか。エリスという存在を抜きにして、天秤にかける。
よりより利益のために、考えに考える。
その間に夕食を食べたはずなのだが、ジャックの舌には不思議と味というものは、残ってはいなかった。
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