第7話

 暗い、本当に暗くて何も見えない。

 見渡す限りの黒があたしを取り囲んでいる。

 その中にあたしは一人きりで、村の皆の姿はどこにもない。


 皆を探し出してやろうと、あたしは暗闇の中を手当たり次第探しまわった。

 でも、いくら歩き回っても誰も見つからず、家の影すら見えてこない。


 だんだん怖くなってきた。

 とにかく見知った何かを見つけなければと、歩く事をやめて駆け回った。

 それでも何も見当たらない。何も、見つからない。


 ……母さん、父さん。誰か返事をして。


 あたしの願いは闇の中へ消えていく。

 返事はない。帰ってくるのは反響するあたしの声だけ。

 風の音でさえ聞こえない。

 息が切れる。あたしは膝に手をついて息を整える。


 ……ねえ。誰かいないの。


 言葉が、また闇の中へ消えていく。

 誰でもいい。犬や猫でもいい。

 とにかくあたし以外の声を聞かせてほしかった。


「エリス。エリス、どこにいるの。早く帰ってらっしゃい」


 聞き覚えのある声だった。

 母さんの声だ。

 振り返ると、母さんは何事もなかったかのようにそこに立っていた。


 さっきまで何もなかったはずなのに、一体いつからそこにいたのだろう。

 気にはなっていたけれど、そんな些細なことなんてどうでもよかった。

 一目散に母さんのもとに駆け寄り抱きついた。


「どうしたの。何か怖い事でもあった?」


 母さんはあたしを抱きとめてくれて、頭をやさしくなでてくれる。

 それだけで恐怖は、どこかへ消えてしまった。


「もう、変な子ね。もうすぐ夕飯だから、家に帰りましょう。お父さんも待っているからね」


 母さんはあたしの手を握り、どこかへ歩いていく。

 だが、どこへ行くというのだろう。

 ここには闇しかないはずだ。あたしの家も、友達の家も、何もなかったはずだ


 けれど、母さんにつれられて向かった先には、ちゃんとあたしの家があった。

 辺りを見れば友達の家も、村長さんの家もあった。

 気がつけばそこにはちゃんとあたしの暮らす村があった。


 何だ、ただの気のせいだったのか。

 私は安心して一人息をついた。


 それを見ていた母さんは首をかしげて、にこりと笑っていた。なんだか恥ずかしくなったあたしは、母さんを追い抜いて家の中へ先に入った。


「おかえり、エリス」


 椅子に腰掛けた父さんがあたしを迎えてくれる。


 ……ただいま、父さん。ごめんね、遅くなっちゃって。


「まったくだ。父さんはお腹が減って死にそうだったんだぞ」


 父さんの目の前に並ぶ料理の数々。

 どれもがかぐわしい香りを漂わせていて、食欲をこれでもかと 掻き立ててくる。


 ……どうしたの、これ。今日って何かの記念日だっけ?


「いいえ。今日父さんが大きな獲物をしとめてきてね。折角だから贅沢に全部使って料理したの」


 ……え?村の皆には分けなかったの。


「いいんだよ。僕がこれを捕えたんだ。どうしようが僕の勝手さ」


 父さんは得意げにそう言って笑ってみせた。

 なんだかいつもの父さんじゃないみたいだ。


「さあ、ご飯にしましょう。エリスも座って」


 母さんはあたしの背中を押して、椅子に座るように促してくる。

 素直に従って、椅子に腰掛ける。

 そのお陰で目の前に広がる料理の数々がよく見えた。


 見えたお陰で、あたしは気づいてしまう。

 それが何で出来ていたのかを。


 それは、あたしの父さんと母さんだった。


 父さんと母さんが丸焼きにされて、机の上に寝かせられていた。

 そんなはずはない。父さんと母さんは今、目の前にいるのだから。


 目をこすってもう一度よく見る。

 でも、その肉の固まりは間違いなく父さんと母さんだった。


 父さんと母さんは、肉になった父さんにナイフを突き立てて、丁寧に切り分けていく。


 ちょうどそれは父さんの腹の肉だった。

 皿の上で、一口で食べやすくなるように切り、何の迷いもなく口に運んでいく。


 父さんは長い間咀嚼して食べる癖がある。

 目の前に座る父さんも口の中で何度も噛み続け、ゆっくりの飲み込んでいく。


 母さんも同じように、父さんの肉を口の中へ運んでいく。

 おいしそうに肉を食べ続ける二人。

 やがてナイフもフォークも使わずに、肉に食らいつくようになっていた。


 それは獣の食事を見ているようだった。

 父さんは父さんの肉にかぶりつき、母さんは母さんの肉にかぶりつく。


 頭がおかしくなりそうだった。


「どぉじだの。なんでだべないの」


 母さんがあたしの方を向いた。でも、その顔は母さんではなかった。

 血によって赤く染まったその顔は、魔物の顔に変貌していた。


 ……いや。こないで


 あたしはさっと立ち上がって後ずさる。

 母さんの姿をした魔物はにたにたと笑みを浮かべながら、ゆっくりと追いかけてくる。


 ……こないでよ。


「何を言っているの。折角私が作ったのよ。食べてくれないと、お母さん悲しいわ」


「そうだぞ。母さんが作ってくれた料理を、残してはかわいそうじゃないか」


 ……うるさい! お前達は父さんと母さんじゃない。


 目の前の二人の魔物はニタニタと笑いながら詰め寄ってくる。

 あたしはどうにか玄関の扉の前にたどり着いて、家を出ようと扉を押した。


 だけど、扉は開かなかった。


「あら、お出迎えをしてくれるの。優しいのね、エリスは」


 母さんだった魔物の言葉の後、扉は何事もなく開かれる。

 力任せに押していたあたしは、バランスを取る事が出来ず、そのまま前のめりに倒れてしまった。


 痛みをこらえながら前を見ると、いくつもの足が地面からのびていることに気がついた。


 その足は人の肌色をしていない。

 黒い足。影が人を真似たような黒い足がいくつものびていた。


 「いらっしゃい。ゆっくりしていって」


 怖い、出来る事なら見たくはない。けれど、あたしの思いとは裏腹に、目はゆっくりと上へ上へと視線を移していく。


 黒い足達の上にあったもの。そこには、後ろにいる魔物達と同じ顔がいくつも並んでいた。その口には何かを咥えている。


 それは、村人の顔だった。

 友達の顔。小さい子供の顔。老人の顔。


 いくつもの顔という顔が苦悶の表情を浮かべて、白く濁った目であたしを覗き込んでいた。

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