第3話

 私が意識を取り戻したとき、目の前には木板の天井が並んでいた。


 ぱちぱちと薪木がくすぶる音が聞こえてくる。


 私が起き上がると、目の端で何かが動いた。


 エルフだ。

 短く切りそろえられた金髪から、長い耳の先が顔を出している。


 エルフは私を見るや否やすくと立ち上がり、家を飛び出していった。


 一人取り残された私は、改めて周りを見る。


 丸太を隙間なく並べて作られた壁。

 右手側に暖炉。

 正面にこの建物の入り口。

 左手側には丸い窓があった。


 窓から見える空は夕闇に染まり、紫色の雲が渡っていく。気を失ってから、ずいぶんと時間が経ってしまったようだ。


「お目覚めになりましたか」


 気づくと一人の老エルフが、玄関に立っていた。その後ろには、さっきまでここにいたエルフが、ひょこりと顔を出している。


やじりに塗ってあった毒にあてられたようです。村のものが解毒薬を持っていてよかった。危うく村人の恩人を殺めてしまうところでしたよ」


 肩には、包帯が巻かれていた。気を失っている間に治療が施されたようだ。


 老エルフは杖をつきながら家の中へと入り、私の隣へ腰を下ろす。


「クルセルと申します。この度は村人を助けていただきありがとうございました」


 クルセルは深々と頭を下げた。


「なぜ人間の言葉を使える」


「ああ、それですか。昔、帝国内で奴隷として働いていたことがありましてな。その時に教え込まれたのです。といっても、もう数百年も前の話ですが」


「奴隷?」


「貴方の歳では話でしか聞いたことがないでしょう。かつてエルフと帝国は戦をしておりましてな。残念ながら私たちエルフの民は敗れ、帝国の奴隷となりました。炭坑、造船所、農園。働かされた場所は様々でした。私の場合は鍬をもって農奴として農場で働いておりました」


 そこまで話して何かを察したのか。「あっ」と声を挟む。


「あまりお気になさらないでくださいよ。今さら貴方たちを恨むということはいたしません。まあ、中には禍根を捨てきれずにいる者もいますが、それもごくわずかです。今ではこの通り、奴隷となっていた者たちは解放され、自分たちの国で平和に暮らしています」


「戦……」


 魔法と剣が交錯し、血と肉で彩られる戦場。


 人間の絶叫とエルフの言葉が響く荒野。

 クルセルの言葉にふと脳裏にあの光景が浮かび上がってくる。


 だが、それがクルセルの言う戦と同じものであるはずはない。


 帝国は侵攻と侵略という名目のもとに、数々の戦を繰り広げ領土を広げてきた。その数えきれない戦の中に、クルセルが兵として戦った戦があっただけだろう。


「その時分の皇帝は、エルフに対して大層な差別意識を持っていましてな。手荒い扱いを受けておりましたよ。確か皇帝は……ドミティウス。そうドミティウス・ノースと言いましてな。我々はあのクソ皇帝めと、よく罵っておりました」


 クルセルは快活に笑ってみせるが、思っても見なかった名前に私は言葉を無くした。


 ドミティウス・ノース。

 エルフへ戦を仕掛けた張本人であり、私をはじめとした兵士たちを戦場に送り出した皇帝の名前だ。


 末端の兵士であった私でも、その名は耳にこびりついている。

 

 訳が分からない。

 クルセルの言葉が真であったとするなら、あの戦から数百年の時が経っていることになる。


 にわかどころではない。とうてい信じられるものか。


「あの。どうかなさいましたか。顔色がわるいようですが」


「……いや、何でもない」


 私の脳裏に走った動揺は、そう簡単に拭えるものではなかった。


 いぶかしげに首を傾げたクルセルは、私の代わりに言葉を続ける。


「では、私はこれで。何か御用がありましたら、そこの者にお声をかけてください。貴方の身の回りは彼女にやらせますので、何なりとお申し付けくださって結構です」


 クルセルは家を後にする。

 エルフはぺこりと私に頭を下げた。


「お前は言葉がわかるか」


「少し、なら」


 消え入りそうな小さな声で答えた。

 その声色から女であることはわかったが、それ以上のことはわからなかった。


 エルフはこちらに背を向けて暖炉の前に立つ。


 薪木を二、三本、暖炉の中へくべていく。

 火の粉が、薪木がくべられる度にぼうっと暖炉から舞い上がった。チラチラと赤い光がきらめき、消えていく。


「ちょっと、水、汲む」


 エルフの女は玄関に置いてある桶を手に、薄暗がりの村へと出て行った。


 私は暖炉の火を呆然と見つめていた。

 火は組まれた薪木の上に乗った新たな薪木を飲み込み、息を吹き返したかのように燃え盛る。

 

 家の中を暖色と揺らめく陽炎で満たしていく。


 夢。

 そう、これは夢だ。

 死の間際に私の脳みそが生み出した一夜の夢だ。


 私が戦い散った戦から数百年の時が経った世界、そんな世界にいきなり飛ばされるなど馬鹿馬鹿しいにも程がある。


 さっさとこの奇妙な夢からあの世へと向かおう。私は静かに目を閉じ、亡者の列に加わるべく闇の中へと身体を預けた。

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