食育

執行明

第1話

 異変が起こったのは、小学5年生の時だった。

「ねえケンタくん」

「なんだよ」

 小声で話しかけてきたのは、東京に住んでいる従弟のタカシである。タカシとその両親は夏休みを利用して、田舎で農家を営んでいるケンタの家に遊びに来ていた。

 タカシはすぐにケンタやその友人たちと仲良くなれた。が、田舎の子どもたちにも、敵対グループというのはあるものである。彼らに追われ、ケンタとタカシは家のビニルハウスに隠れていた。タカシはそこで初めて、切り離されてスーパーに並んでいる実の部分だけではない、「なっているピーマン」というものを見たのだった。

 悪童たちに聞こえないよう、ささやき声で二人は会話を交し合った。

「ケンタくん。ここのピーマン、ちょっと変わってるね」

「うん?」

「ほら、ちっちゃなでっぱりがあるよ」

 そう言ってタカシはケンタに、ピーマンを1つもいで手渡した。確かにそのピーマンは変わっていた。

 底の方から2つ、そして両脇から2つずつ、小さな突起が見えていたのだ。

「ああ、ときどき変な形のがあるんだよ。スーパーじゃ、キレイなのしか並んでないからな」

「でもみんなそうだよ」

「え?」

 ケンタはピーマンなど見慣れ過ぎていて、よく見ていなかった。慌てて他のピーマンを次々と手に取ってみた。

 確かにタカシの言うとおりだった。あのピーマンもこのピーマンも、すべて4つのとんがりを持っていた。

「なんだこりゃあ」

「いたぞ!!」

 ケンタはつい普通の声を出してしまい、敵対グループの少年達に見つかる破目となった。タカシとケンタは全速力で走って、なんとかケンタの家まで逃げ帰った。

 ケンタの父親は茶の間でのんびりとビールを飲んでいた。ケンタの言うことを聞くと、ピーマンのことを報告した。

 父親はすぐ出かけて行き、二時間後に物凄く不機嫌な顔で帰ってきた。商品価値があるのは普通、形の揃った野菜だ。

「ケンタ、お前、野菜に何かしたんじゃないだろうな」

 ケンタは首を横に振った。冤罪もいいところである。何をすれば野菜がああなるというのだろうか。

「オオノさんとこに行って来る」

 焦った様子で父親は隣家へと向かった。隣家といってもかなり大きな畑を挟んでいるので、それなりの距離がある。

 隣家では無農薬有機農法の野菜を作っている。そういうものを有難がる人たちには、ある程度形が崩れていたり、虫の喰い痕があるような野菜を歓迎する傾向にある。自分たちが特別な、意識の高い消費者であることを野菜の見た目から確認したいのだ。外見に過剰に執着するのはどちらの消費者も同じである。そして隣家では、タカシの家の普通の野菜のうち形のくずれたものをこっそり買い取って、有機野菜の中に混ぜ込んでくれているのだ。

 ケンタの家では普通では売れない野菜を処分できるし、隣家では格安で野菜を仕入れることができる。しかし当然、隣家も無尽蔵に買い取ってくれるわけではない。形の崩れた野菜の数がやたらに増えたりしたら、いかに鈍感な有機農業信者にもバレてしまう。父はどれだけ買い取り量を増やしてもらえるか交渉に行ったのだった。

 もちろん小学生のケンタに、こんな大人の取引が理解できたわけではない。

 ただ、父親が夕方、おもしろくない顔で帰ってきて、母の前で首を横に振ったことは確かだった。


 翌日、ケンタとタカシは川へ魚とりに行った。

 タカシもすぐにやり方を覚えたが、今度はケンタが首をかしげることになった。

「ヒレが長いんだよ。これと、これが」

 捕った魚のお腹の方から出ている4本のヒレを指してケンタは言った。タカシは同じ種類の魚を詳しく見たことがなかったので分からなかったが、確かに普通の魚のヒレより、ちょっと長いような気がすると同意した。

 タカシとケンタは魚を入れたバケツを持って、ケンタの学校の先生の家へ行った。ケンタの担任は理科が専門の若い先生で、生き物にとても詳しいのだ。

 先生は獲った魚を難しそうな専門書と見比べて「確かに胸鰭と腹鰭が長いね。これはアユのヒレの長さじゃない」と言った。

「でも他の特徴は、まちがいなくアユだ。別の種がどこかから川に入り込んできたわけじゃない」

 ケンタは、先生に昨日のピーマンのことを話した。

「ふうん」

 先生はしばらく何事かを考えていた。

「調べてみるよ。何か分かるまで、川で採った魚は食べないほうがいい」と先生は忠告し、2人を家に帰した。


 その翌日、先生はケンタの家に来た。

 結局ケンタの畑で作っているすべての種類の野菜を何個かずつ分けてくれというのだった。

 父親は最初、断ろうとしていた。自分の畑の野菜が何か怪しいから調べさせろなどというのは、どう贔屓目に見ても愉快な申し出ではない。だが、もし野菜に何か――たとえば、とんでもない毒物が含まれているとか――起こっていた場合、誰かが食べてしまう前に調べないと大変なことになるという先生の説得を受け、しぶしぶ承知した。

 ピーマンの他にトマト、ダイコンなどの野菜が目の前に並べられた。

 どの野菜にも、4つの突起がついていた。特にダイコンやニンジンなどはどれも二股になっており、さらに両脇からも分かれている。人間の手足のように。

「まるでマンドラゴラですね」

 きょとんとしているケンタとタカシを見て、先生は笑って説明してくれた。

 マンドラゴラというのは外国の昔話にでてくる野菜のお化けで、引き抜くときにものすごい悲鳴を上げて、その悲鳴を聞いた人は死んでしまうのだそうだ。

「先生、縁起でもないこと言わねえで下さいよ」

 父親は渋い顔をした。

「いや失礼。ほんの冗談です。とにかく、収穫にはまだ間があるのでしょう? 安全が確認されるまで、ご自宅でも決してこの野菜は召し上がらないで下さい」

 魚のときと同じことを言って、先生は帰って行った。

 

 3日後に、先生と一緒に県の役人がやってきた。

「マンドラゴラどころじゃない」

 先生は呻き声をあげた。初めて見る役人たちの声はもはや、悲鳴であった。

 それぞれ程度は異なるものの、手足に見える分かれ目の位置から察して「顔」がありそうなところに窪みができていた。まるで人間の目や口のように。さらに4つの突起の先端には、それぞれ切れ目が生じていて、手足の5本の指を表現しているようだ。

「変化が早すぎる」

 そう言って先生は、それから毎日ダイコンや他の野菜を、幾つかずつサンプルとして持って行った。ケンタも手伝った。

 毎日毎日、少しずつ人間に似てくる。5日もすると、ダイコンはもはやダイコンには見えず、気味の悪い人形のようなものになっていた。顔にあたる部分の窪みはますます人間の顔に迫ってきていた。豆や果物、ジャガイモなど球形に近いものは、人間の全身ではなく生首に似はじめていた。

 アユのヒレはますます伸び、図鑑で見た深海のサンキャクウオのようになった。違うのは、胸びれだけでなく腹びれまで伸びていることで、いわばヨンキャクウオである。それと反比例して、尻尾の方が小さくなっていた。そして頭は丸くなっていく。カエルになりかけのオタマジャクシみたいだった。が、カエルのようにずんぐりした体型にはならなかった。ダイコンやピーマンと同じく、だんだんと人間に似てくるのだ。

 しかもアユだけではなく、他にも色んな魚が同じように形を変えている。不思議なのは、変わる魚はものすごい速さで毎日毎日形が変わっていくのに、変わらない魚はまったく変化しないことだった。

 先生はケンタにこんな話をしてくれた。

「僕が子どもの頃ね、なんて言ったかなあ、テレビでなんとかマンってヒーロー番組をやっていてね。悪い科学者たちが色んな動物を不思議な機械で進化させて、人を襲わせるんだ。その動物が進化した怪物たちっていうのがね、みんな人間みたいに立って歩くんだよ」

 先生は続けた。

「もともと人間は、というより全ての獣は、魚から進化してるんだ。ユーステノプテロンという魚のヒレが発達してできたのが、獣の四つ脚や鳥の翼、人間の手足なんだよ。ちょうどこのアユみたいにね。

 もちろん、テレビで怪物が立って歩くのは、人がぬいぐるみを着て怪人をやらなきゃいけないからなんだけど、ひょっとしたら今の動物たちも、人間と戦う力をつけるために進化しているのかもしれない。いつの日か、人間は彼らに襲われるのかも……」

 ケンタが怯えた顔をしたのに気づいたのか、先生は慌てて笑顔を作ってみせた。

「大丈夫だよ。普通の生き物が立って歩いたり、巨大化して襲い掛かってくるなんて、そんなのはテレビや映画の中だけの話さ」

 それを言うなら生き物の形がいっせいに変わるというだけでテレビや映画の中にしかない話なのだが、先生がタカシを安心させようとしていることは分かった。

 もういいよ、手伝ってくれてありがとう、外で遊んでおいで。先生はそう言って、ケンタを青空の下へ送り出した。


 その晩、テレビのニュースを見て一家は仰天した。

 形が変わってきているのはケンタの家の野菜だけではなかったのだ。何百キロも離れた別の地方でも、同じような野菜が発見されたらしい。

 テレビの中ではその野菜は「ヒトガタ野菜」と呼ばれていた。どうも見つかったのは一つだけらしく、奇妙な突然変異なのか、誰かのいたずらで作られた人工的なものかぐらいに思われているようだ。生物学者や植物園の職員、超常現象研究家といった人たちが、ああでもないこうでもないとコメントを交しあっていた。

 三十分ほど見ていてCMが終わったとき、司会の女性アナウンサーがこう付け加えた。

「ええ、ここでお知らせがあります。全国の視聴者の皆様から『同じようなヒトガタ野菜を自分のところでも見た』というお電話やメールが続々と寄せられております。すでに対応が困難なほどの数のお電話が来ておりますので、同様の体験をされた視聴者の方は、なるべくメールにてお知らせくださいますよう、お願い致します」

 その番組で火がついた。


 日本中の農作物が同じ現象を起こしているらしいことが間違いない事実として報道されたのは、翌日のことだった。

 テレビに映ったヒトガタ野菜たちは、ケンタの家の農作物の数日前の姿だった。父親は認めるのを渋ったが、どうやらケンタの家の畑がいちばん「ヒトガタ化」が早かったらしい。

 食品業界は大パニックになった。全国で野菜の値段が十倍以上になった。当然だろう。人間の形をした野菜なんて、いやどんな形であれ、正体不明の異変に影響されていることが一見して明らかな野菜など、恐ろしくて食べられるはずがない。『野菜ゼロ健康食のススメ』などという本が、筆の早い、それに比例して書く内容がいい加減なライターによって書き上げられてベストセラーになった。

 誰もがヒトガタ化していない野菜を手に入れようとして、熾烈な競争が行われた。たまたまヒトガタ化の遅かった畑の農家は大儲けをしたが、大した違いはなかった。ほんの数ヶ月ほどの差で、ほとんどすべての農家の野菜が同じようにヒトガタ化したからだ。

 もちろん、あらゆる大学や政府機関が必死になって原因を突き止めるべく努力したが、まったく何の手がかりもつかめなかった。

 真っ先に分かったのは、それらの野菜からは異常な化学物質や微生物や放射線など、まったく検出されなかったということだった。ラットその他のどんな実験動物に食べさせてみても、なんの病気も遺伝的な異常も起こさなかった。

 次に判明したのは、ヒトガタ野菜が遺伝子レベルで変異を起こしており、つまりヒトガタ野菜の種子から誕生するのは、やはりヒトガタ野菜であるということだった。しかしDNAをいくら分析しても、ヒトガタが毒を持ったり、危険な物質が残留したりしている気配は、まったくなかった。

 つまり、自然な変異とまったく区別がつかなかったのである。

 ある学者は、この現象を「人間に喰われないための合理的な進化」だと言った。自分達を喰う事に人間が抵抗感を覚えるよう、このような形に変化したのだと。ケンタは先生がこの説に賛意を示すのを聞いたことがある。しかし、あくまでも仮説に過ぎず、具体的な証拠は何もない。

 ついに科学者たちは「現在知られている限りのあらゆる科学的な調査方法に基づけば、ヒトガタ野菜は『食べても安全である』と結論せざるを得ない」という合意を発表した。

 しかし気味が悪いことには変わりがない。人々は少しでもヒトガタ化の遅い作物を高値で取引するようになった。

 次に、人々はほとんどのヒトガタ作物を丸ごとのままで売らず、もとの形が分からないように加工して売ろうとした。これには消費者団体や主婦団体が噛み付いた。元の野菜がヒトガタ野菜であることを隠蔽するのは許せない、消費者がヒトガタでない野菜を選択する権利を侵害しているというのだ。

 特に、ヒトガタ化の進んでいない野菜を買える比較的高所得層の婦人にこの手の意見が目立った。当然だろう。どうせヒトガタ野菜しか買えない低所得者ならば、その事実を見えなくしてくれるのはありがたいが、選ぶ余裕のある者は確実にヒトガタでないものを選びたい。貧乏人に足を引っ張られるのはまっぴらだというわけだった。

 一方、業者の側では、形の変わって見栄えの良くない作物を加工して売るのは昔からやってきた正当な商行為であると反論する。形や大きさの不揃いなトマトはトマトジュースになる、昔からやってきたことではないか。そもそもヒトガタ野菜なんて言葉はマスコミの作り出した俗語に過ぎず、法律用語でも科学用語でもない。どこまで変形していればヒトガタなのかという明確な定義もない。単なるフタマタ大根かも知れないものに「ヒトガタ野菜」なんて表記はできないと言う。

 国会は新しい法律を作り、「ヒトガタ化した加工野菜を売るのはかまわない、ただし、材料がヒトガタであることを明記すること」と業者側に義務付けた。そうすればヒトガタ野菜を避けたい消費者は、高いお金を出してもそうすることができる。ほんのわずかの間、この法律を推進した政治家達は世論に褒められた。

 ほんのわずかの間である。

 選択の自由などというお題目は、たちまち無意味なものとなった。ほとんどすべての野菜がヒトガタ化し、非ヒトガタ野菜がニンジン一本十万円などという値段に跳ね上がるのに、一年とかからなかったからだ。結局この法律は、ヒトガタ野菜をそうと意識したくない消費者たちに、精神的負担を課し続ける役割だけを果たすことになった。「この野菜はヒトガタですよ。ヒトガタですよ。ヒトガタですよ。あんたたちは人間と同じ形のものを食べてるんですよ……」と、業者は加工商品にも書き続ける義務を負い、消費者はそれに耐えることを強いられたのだった。

 家畜も同じ運命を辿った。牛や豚は、後ろ足で立ち上がった。最初はまるで動物園のレッサーパンダやミーアキャットのようにたどたどしい歩き方だったが、それを可愛いと思う人間は1人もいない。しかも日を追うごとに彼らの骨格は直立二足歩行のスタイルを兼ね備え、牧場はミノタウロスの村と化した。さらにニワトリなどの鳥類は外見の変化に加え、オウムのように人間の言葉を真似る能力まで身に付け始めた。

 魚たちも、蛙になる寸前のオタマジャクシという段階で変化が止まったわけではない。彼らも変異した。体の前半分からヒトガタになり始めて人魚のようになったり、逆に下半身から変化したりした。

 およそ食用の生き物すべてが、変形していったのである。

 食用の?

 そう。それは奇妙な共通点だった。ヒトガタになるのは、人間が食用にしている生物に限るのだ。このことはかなり早い段階で指摘されていた。ケンタが川辺で気づいた、ヒトガタに変化しない魚は、人が食べない魚だったのだ。

 それではというので、これまで一般には食べられてこなかった生物の栽培や養殖も試みられるようになった。野草にネズミ、野鳥、爬虫類、両生類、深海魚から昆虫に至るまで、あらゆる生物が試食され、なかには意外と美味しいことが発見されて、食料品として立派に流通したものもあった。が、さらに不思議なことにそんな生物でも、人間が食べるようになってしばらくすると、ヒトガタに変わり始める。

 結局、人々は諦めて、人間そっくりの物を我慢して食べることにした。慣れてしまえばどうということはない。人間たちは最初、必死に自分にそう言い聞かせた。後には言い聞かせるまでもなく、本気でそう思うようになっていった。

 実際、ヒトガタの味は変質していなかった。豚は二足歩行していようが豚肉の味がしたし、ニワトリの肉はいくら人間の口真似をしようとあくまで鶏肉であった。

 いや、むしろ味は向上していた。

 あるテレビ局が料理番組の中で、数名のタレントに二皿の同じ料理を食べさせ、味を比べさせた。片方はヒトガタ食物、もう一皿は貴重な非ヒトガタ食物でできていたが、外見からは分からないように料理されていた。その結果、ヒトガタの食物のほうがずっと評判が良かったのである。

 この番組に出演していた某女優はテレビ局を告訴した。彼女はヒトガタの食物を絶対に食べないという信念の持ち主なのに、告知されず食べさせられたと。テレビ局側は報復として、その女優が残り少ない非ヒトガタ食物を大金に物を言わせて買い占め、庶民を「人食い人種」と呼んで侮蔑している私生活をワイドショーで大公開し、女優を失脚させた。彼女は経済的にも立ち行かなくなり、庶民たちに混じってスーパーで安売りのヒトガタ食物を食いつなぐしかなくなった。

 ヒトガタ生物たちは、あいかわらず人間に食べ続けられることになったのである。

 こうして『ヒトガタ事件』は終息した。いや、定着してしまった。


「……お久しぶりです、先生」

 ケンタは老人に挨拶した。

「久しぶりだねえ、ケンタ君」

 当時とは変わった、しわがれた声で先生は答えた。

 もちろんケンタの外見も、あの頃からは変わってしまっている。もう父や母も亡くなり、ある会社で重役を務める彼を、

ケンタなどと名前で呼ぶ人間は周囲にいなくなっている。

 あれから四十年。

 ようやく、食用の生き物たちが形を変えたわけが分かった、とケンタは考えていた。その意見を先生に話したところ、先生はしわがれた声で「きっとそうだね」と頷いたのだった。

 あの生き物たちは、食べられないために人間の姿を模したのではなかった。

 食べられるために模したのだ。

 人間そっくりの生き物を殺して食べることに慣れていった人間たちは、少しずつ、本物の人間を殺すことにも抵抗がなくなっていった。現に殺人事件の発生率は、あらゆる国で数百倍以上に膨れ上がっている。戦争と内戦も急増し、世界人口は減少へと転じた。減少率はどんどん高まっている。

 生き物たちの最大の天敵、人間を、人間自身に淘汰させる。これこそが彼らヒトガタ生物が進化した、自然の目的だったのだ。


 ケンタと老人の頭上を、自衛隊の航空機が飛んでいく。

 第三次世界大戦のはじまりだ。


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食育 執行明 @shigyouakira

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