第2話
テレビがラグビーの試合を映している。ルールを知らないせいもあってか見ていてあまり楽しいとは思わない。突然、実況者が大きな声を出したかと思うと一人の選手がボールを持って走っていき、かと思うと突然ダイブした。どうやらトライと言ってポイントが入るらしい。実況者が興奮しているのはある意味当然とも言えるが意外なのは北沢も興奮しているという点である。
「君はラグビー知ってるのか? 」
「ん? ああ、昔少しだけ習ってた時期があった。1年くらいでやめたけどね。母がまだ、マシだった頃だ。今なら習い事なんて論外だよ」
「へえ」
北沢も決して細いわけではないがテレビに映っている筋肉隆々の男達とは比にならない体つきだったためラグビー経験者というのは意外だ。それはそうと、どうも北沢は母とあまり仲が良くないらしい。現に今日も北沢の家に行こうとしたのだが、間違いなく親が反対するとのことで結局私の家に集まることになった。
それから、特に記憶に残しておく必要のないレベルの会話が続き、しばらく経った頃「あっ」と北沢が何かを思い出したかのように言うと彼の肩掛け鞄から
「これをみてくれ」
と一枚の写真を取り出し、私に見せてきた。その写真はどこかの山の上から撮られた写真で街を見下ろす形になっている。山の自然と街全体を一望する景色の割合が絶妙で写真などには全く詳しくない私が見ても良い写真だということが分かった。緑川駅らしき建物が見えることからこの街を撮ったものだと判断できる。打ち上げの時に駅の写真を撮っていた北沢の姿を思い出し、北沢は写真撮影が趣味なのだろうかと推測する。
「君が撮ったのか? 」
「いや、僕が物心ついた頃には部屋にあったんだ」
「なら親が撮ったのか? 」
「まさか、僕の親はプレゼントをくれるほど慈愛に満ていないよ」
「なら、誰が撮った写真なんだ? 」
「日付を見てくれ」
北沢はそう言いながら写真の右下に印刷されたこの写真が撮影された日時を表す数字を指差した。
98:11:13
つまり1998年に撮られた写真という事だ。
「古いな」
どうりでこんな建物あったかな?と感じる訳だ。
「僕はこの写真は前の人生、つまり前世に関わっていると思うんだ」
北沢は真面目な顔で突拍子もない事を言い出した。
「何を根拠に? 」
私がそう尋ねると
「僕は写真撮影が趣味なんだ。だったら、前世の僕の趣味が写真撮影だったとしてもおかしくないだろ」
と何の根拠もない事を言った。私は推測が当たっていた事に少しだけ喜びを感じ、そして言った。
「それは根拠として不十分だ」
「だから、今からその写真が撮られた場所に行く。方角的にそこは多分金銅山だ」
北沢はそう言うと写真をしまい、立ち上がると、置いていた肩掛け鞄を持ち上げ「行こう」とだけ私に呼びかけ、部屋の扉を開けて1人でそそくさと出て行ってしまった。
「おい、ちょっと待ってくれ」
私は焦って立ち上がり財布だけをズボンのポケットに入れると北沢の後を追った。
金銅山まではそう遠くないのでバスで向かう。急いで家を出てきたため上着を着忘れ、少し肌寒い。その上、空は灰色の絵の具をこぼしたかのように一色で染められており、太陽光が全く届かないため、それがより一層寒さを助長する。北沢は相変わらず野暮ったい髪型、こげ茶色の上着にジーパンという格好のせいで自身の魅力をわざわざ自分の意思で破棄しているように見える。黄色の塗料で塗られた太い鉄パイプに時刻表が付いているだけのみすぼらしいバス停の前でバスを待ちながら北沢に尋ねてみた。
「行って何をするんだ? 」
すると北沢は振り返り私の目を見ると
「行ってから決める。同じ場所で同じ構図の写真を撮ると何か起きるかもしれない」
と不敵な笑みを浮かべながら言った。そんなオカルトめいた、或いは運命めいたことが起きるとは現実的に考えてありえない。しかし、北沢ならそんな事が起きても不思議ではないように感じた。しばらく、待っているとベージュ色の車体に茶色のラインが入っているこの地域ではお馴染みのバスが来たので、私たちはそれに乗り込む。バスの中は休日の昼間であるせいかそれなりに人で埋まっており、私たちは後ろから2番目の唯一2席分空いている席に座った。目的地までは約20分ほどかかる。時折、バスが上下に揺れ、それがゆりかごの如く眠気を誘発する。今週は大量の課題に追われ寝不足気味だったこともあいまってか、気づかぬうちに私は瞳を閉じていた。
はっとして目が醒める。いつの間にか寝てしまっていたようだ。金銅山前を降り過ごしてしまったのではないか。そう思い、焦って隣を見ると北沢がいない。周りを見渡してもたった1人の客の影も見当たらない。バスはどこかに停車しており、扉が開かれていたので一度下車してみる。すると、降りたバス停の前に金銅山にようこそという横断幕が掲げられていた。空を見上げると相変わらず灰色一色に染められていたが寒さは全く感じず、むしろじめじめと蒸し暑いように思えた。プシューという扉が閉まる時のため息の様な音に気がついた時にはもう遅く、運転手のいないバスはひとりで出発し、何処かへと走り去っていった。重力が普段の倍くらいに感じたことから直感的にこれは夢だと気づく。金銅山の方へ一歩踏み出した瞬間に地面が大きく揺れだし、黒い何かが突然私の上から襲いかかってきた。猛烈な圧迫感を感じ、そして、目が覚めた。
全身が少し汗で濡れている。これは先ほどの夢のせいか或いは、このバスの暖房が効きすぎているからなのかどちらかは私には分からない。乗客は変わらずほとんどの席を埋めており、隣の北沢も窓に頭を預けて眠っている。それにしても先ほどの夢が頭から離れない。私は昔からしばしばこのような比較的リアルな悪夢を見る事がある。そして、それ以上に恐ろしいのはこの夢の内容と多少間接的であっても似たようなことが現実でも起こるということだ。
あれは、3年くらい前の事だっただろうか。その日、私は地面が揺れ、家が崩れ、それが瞬間的に燃え上がるという悪夢を見た。そして、その夢を見た日の12時頃緊急地震速報が家中に鳴り響き大きな揺れに襲われた。幸い、我が家に大きな被害はなかったが、直下型地震だったらしく震源地近くでは家が潰れ、そして、燃え上がる様子が1日中テレビで中継されていた。
それより前にも、台風による浸水や大雨による川の増水など自然災害に関するいわゆる予知夢を見る事があった。もちろんこんなことを言ったところで誰も信じないだろうし、もしこの事をメディアなんかが取り上げて「預言者現る!」なんて言い出した日には私の大切な日常は消え失せてしまうだろう。ともかく、あの夢は予知夢である可能性がある。となれば、金銅山に近づかないというのが吉だろう。北沢の肩を軽く叩くと北沢は「ん」と「あ」のどちらともつかない声を出しながら目を覚ました。
「金銅山は危ない。引き返そう」
私がそう言うと北沢は
「え? どうして? 」
と当然とも言える返答をした。やはり始めから説明するべきだろうか。しかし、それで果たして信じてもらえるのか。
「えーとなんて言うかな。今、金銅山で何かが起こる夢を見たんだ。で、僕の見た夢はたまに現実になる。だから引き返した方がいい」
こんな言葉を信じる人など誰もいないだろう。それでも、私の真剣に訴える顔を見てか、北沢は私の言葉を一蹴することなく
「つまり、君は予知夢を見る事ができるということか? 」
と取り合ってくれた。
「ああ、そんな感じだ。信じてもらえるかは分からないけど」
「ふうん。まあ、君のことだからね。信じるよ。次のバス停で降りて、そんで帰ろう。命より大切なものはない」
「あ、ありがとう。信じてくれるのか? 」
正直信じてもらえるとは思っていなかった。実は、これまでも何人かにこの話をした事があるのだがまるで相手にしてもらった試しがない。もし、これで信じてもらえなければ1人でも帰ろうと思っていた先ほどまでの自分が情けない。
「お金の事と命に関わる事以外はまずは信じろってのは君の父の名言だろ? 」
北沢はいつかに私が投げた言葉をそのまま私に投げ返してきた。
「別に名言ではない。教えの内の1つだよ」
名言なんて大層なものではない。ただの普通のサラリーマンがちょっとだけ人生を楽しむためのコツとして教えてくれただけのことだ。
「なら、他の教えも教えてくれないか? 」
「言うべき時が来たなら君にも教えるよ」
北沢は「別に今教えてくれてもじゃないか」などと言いながらもそれ以上追求してくることはなかった。
「次は緑川駅前〜」
というアナウンスが入り、それから私が"止まる"と書かれたボタンを押す。すると、
「次、止まります」
という録音された無機質な声が聞こえてくる。果たしてこの声は何年ほど使われ続けられているのだろうか。少しの間、バスに揺られてから緑川駅前に到着する。行きはまた別のバス停から来たため、この緑川駅にくるのは打ち上げの時以来だ。例の謎のおじさん像を横目に広場を通り抜け、路地に入る。
「今、携帯持ってるか? 」
焦って家を出てきたため携帯すら持ってきていなかったため私は北沢に尋ねる。
「ん? 持ってるけど」
北沢はそう言いながら携帯、厳密に言うとスマートフォンを取り出した。
「金銅山が大丈夫か調べてみてくれ」
私のこれまでの経験上、夢を見てからそれが現実で起こるまでそんなに大きな時差があったことはない。即ち
「おい……これ……」
北沢は青白い顔で私にスマートフォンの画面を見せてきた。そこには「金銅山で大規模な土砂崩れが発生。多くの被害が発生している模様」という見出しのネットニュースが写っていた。
「やっぱり……」
私は小声で呟く。北沢は
「危なかった。持つべきものは予知夢を見る事ができる友人だな」
と何やら1人で言っている。私はいつも夢が現実になった瞬間、もし熱心に訴えていればもっと被害者を減らせたのではないかという意識に苛まれる。もちろん、きっとそんな事を言ったところで精神異常者の戯言としか受け止めてもらえないのが事実だろう。これは不可避で理不尽な自然災害であり、それを予知するのは人知が踏み込んではいけない範囲なのかもしれない。
前世の記憶がある北沢も予知夢を見てしまう私も、神様のほんの手違いで本来人に寄与されるべきでないモノを手に入れてしまった、或いは消去し忘れられた存在なのかもしれない。
私と北沢はしばらくそのネットニュースを前に立ち尽くしていた。誰かが捨てたビニール袋が風にあおられ、くるくると踊りながらどこかへ飛んでいく。雲で覆われた空はその向こう側にある太陽や宇宙をあやふやにしながらも、今が夕方である事をかろうじて私たちに教えてくれた。
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