ひだまりの庭

白川ゆい

先生と私

 色とりどりの花が規則正しく植えられた広い庭園を抜けて、貫禄のある大きな屋敷に入る。純日本家屋という感じのそのお屋敷は、縦にも横にも長い。こんな大きなお家は今まで生きてきた中で他に見たことがない。

 私はどこにいるか分からない先生に向けて、「ただいまでーす」と叫んだ。すると、右側から障子を開けて男性が現れた。


「おかえりなさい三木さん」

「あ、原田さんこんにちは。いらしてたんですね」


 原田さん。いくつかは知らない。いつも皺一つないスーツを着て前髪はピッチリ七三、縁なし眼鏡を掛けた、今時珍しいほど真面目を絵に描いたような人だ。彼は先生の担当編集者で、よくこの家に出入りしている。見た目通り真面目な人だけれど、真顔でおかしなことを言うから笑ってしまう。


「先生はどこですか?」

「仕事部屋です」

「あ、じゃあちょっと行ってきますね」

「僕も行っていいですか」

「え、いいですけど……」

「最近AV見れてないので」


 一瞬固まった隙に原田さんがスタスタと歩き出す。ようやく意味が分かり、「はあ?!」と大きな声を上げた時には既に原田さんの姿は見えなかった。急いで走り出すとピカピカの木の床で足が滑る。けれど必死で原田さんを追い掛けた。長い廊下。原田さんに追いついたのは先生の仕事部屋の直前だった。


「な、何言ってるんですか原田さん!」

「何ですか」

「私と先生は、そんないかがわしい関係ではありません!」

「そうなんですか。先生が女の子を拾ってきてその女の子がここに住み着いてしまったので二人はそういう関係なのかと」

「そんなわけないです!それに住み着いてません!バイトです!」

「ほう。夜のお相手をするバイト……」

「先生の身の回りのお世話をする!バイトです!」

「うるせえぞお前ら!!!」


 スパン、と襖が開いて先生が私達を怒鳴りつける。よく考えれば、いや、よく考えなくてもそこは先生の仕事部屋の目の前だった。煙草を咥えた先生は額に青筋を浮かべて私達を見下ろしている。怖い。


「ご、ごめんなさい」

「いかがわしい関係とか夜のお世話とかふざけたことばっかぬかしてんじゃねえ」

「申し訳ありません。そのようなことがないならつまらないので居間に戻ります」


 ポカンとする先生と私を置いて原田さんは本当に居間に戻っていく。つまらないって。心の中でツッコんでいると「オイ」と横から声をかけられた。先生を見上げると、先生は私が持っているビニール袋の中を覗きこんできた。……近い。


「あ、こ、これ頼まれたものです」

「おう」


 先生に押し付けるように渡すと、先生はそれを受け取り部屋に入っていく。私も続いて入ると、そこは長い間閉め切っていたいたせいか煙草の煙や匂いが充満していた。ケホ、と噎せる私を先生は気にもしない。いつものことだからだ。


「ちょっと窓開けますよ」

「おー」


 先生は定位置の座椅子に座ると私が買ってきた漫画を読み出す。私はそんな先生を後目に部屋の片づけを始めた。煙草の吸殻、ぐちゃぐちゃに丸められた原稿、そしてお見合い写真に至るまで。先生にとって必要なものと必要でないものを仕分けしていく。ここで働かせてもらうようになってもうすぐ1年。先生のことは少しだけ分かるようになった気がする。

 先生はぶっきらぼうだし無愛想だし口も悪いけれど優しい人だ。優しくなければ素性もよく分からない小娘をバイトになど雇わないだろう。お昼に来てお昼ご飯を作り、一通りの家事をこなして先生に言いつけられた用事をする。それでお金を貰えるのだから悪くないバイトだ。家が広いから掃除は大変だけど。

 広瀬祐二郎。それが先生の名前だ。確かペンネームもそのままだった気がする。ミステリーを中心に、先生が書いた本は必ず売れるらしい。私は読んだことがない。先生に読むなと言われているからだ。ここは先生の実家だ。先生のおじい様は既に亡くなられているけれど大富豪で、ご両親は海外暮らし。だから先生はここで一人暮らしだ。


「今日の晩飯何」


 先生が漫画から顔を上げないままそう聞く。相変わらずぶっきらぼうだ。私は小さく笑いながら答える。


「今日は先生の好きな酢豚です」

「パイナップルは入れるなよ」

「分かりました、入れます」

「オイ!!」


 先生ツッコミ上手だなあなんて思いながら立ち上がった。


「これ、どうしますか?」

「あ?」


 先生は私が持っている冊子の束を見て盛大に顔をしかめた。そして大きな舌打ちをする。


「捨てろっていつも言ってんだろ」

「またタイプの人いなかったんですか」

「興味ねえ」


 ふいっと逸らされた視線。それに安心している私。おかしくなって笑ってしまった。


「じゃ、捨てときますね」


 私は先生の叔父さんや出版社のお偉いさんから届いたお見合い写真を燃えるゴミの袋に入れた。そして部屋を出た。

 先生を独り占めしたい。そう思い始めてもうすぐ半年が経つ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る