アンドロイドは灰色の空の夢を見る

宮川あわ

第1話 青空の墓場

 

 ここはとても蒼くて広い世界




 私は何故、ここにいるのだろうか。



 ふと、疑問に思い、そう自分に問いかけてみた。


 見上げるほど、その空の青さは増し、下を見れば厚く濃い雲の海が広がっているばかりである。


 なんて見事で美しいグラデーションだろうか。


 思わず感嘆の声を上げたところで、かつて『王宮』と呼ばれた建築物の回廊の柱から手を離した。



 色のない、旧世界の遺物。


 その中をまるで懐かしむかのように、散策する。私に思い出なんて存在しないはずなのに。何故、懐かしい、などと考えたのだろう? わからない。ここに教えてくれる存在などいないからだ。




 この打ち捨てられた世界に重力なんて重荷は存在しない。


 現に、この建築物も、元あった場所からかなり遠くまで流されてきたのだろう。



 青い背景と流れる白い雲。色のないガラクタが、自由気ままに浮遊している。私はその中のひとつに手を伸ばした。



 無作為に選んだソレは、手の込んだ装飾の施された鍵付きの小物入れだった。


 よく見ると、箱の下部にゼンマイが付いている。興味のおもむくままに、ゼンマイを数回巻いた。


 しかし、小物入れは沈黙したままだ。


 壊れているのかもしれない。


 小物入れの蓋を開けると中には不規則に溝の入った円柱の物体が横に寝かされて箱にぴったりと納まっていた。


 なんだろう? 


 箱の隙間に二つ折りにされた紙きれを取り出す。


 おそらく書き手は急いでいたのだろう。たった二行の短い文章だったが文字と文字が全て繋がっており最後はかすれて消えかけている。


 書き手は誰に向けて書いたのだろう。


 困ったことに私には何が書いてあるかわからなかった。

 元々文字が読めなかったのか、それとも私の知らない言語で書かれているのか。


 全てが不確かで、確かめる術がない。存在は誰かに確かめられることもなく、ただこの空間を彷徨う私は、このガラクタ達と同じなのかも知れない。



 少し、頭が痛くなってきた。


 こういう時は空を見よう。


 小物入れを手放し、軽く飛び跳ねてみる。


 それだけで、身体は重力から開放され青い青い空に舞い上がる。



 あ、今日はツイてるかもしれない。



 雲海から飛び出した雲脈の隙間から、とても大きな半透明のクジラがゆうゆうと泳いでいる。


 クジラはここで何をしているのだろうか。


 クジラが雲脈の奥に消えていくのを見送ると、私は回廊から雲海に向って飛び降りた。



 と言っても、目を向くような加速度はなく、まるで綿雲のようにフワフワと下降していくだけである。


 しばらくして、雲の割れ目からガラスの板が姿を現した。


 その上にそっと、慎重に降り立つ。私の為にあるようだ。私がちょうど乗れるサイズだからだ。足の裏でガラスのヒンヤリした感触を楽しんでいると、少し下方にも同じような長方形のガラス板が見えた。更にその下にも、その下にも、永遠に円を描くように、下に下に連なっている。


 下には何があるのだろう。今まで海より下に潜ったことなんてなかった。


 興味惹かれるまま、私はガラスの螺旋階段を降りていった。まるで導かれるように。



 私は軽やかな足取りでガラスの階段を降りていく。


 その先に何があるかも知らないで。



 危ないものがあったら空に戻ればいい。危機意識の低さは、空の際限ない自由に比例しているのだろうか。



 どれだけ降りたかわからない。相変わらず空は美しいグラデーションを保っている。


 やがて、螺旋階段の先に、石造りを塔が雲海の中から姿を現した。


 また、新たな漂流物だ。


 私は興味津々と足を急がす。



 暫くして、私は屋根のない塔に降り立った。


 ガラスより冷たい、ゴツゴツした石の感触を確かめる。余りの冷たさに、私は一度大きく身震いをした。



 しかしここには、何も無い。塔から空を見上げる。


 辺りを見回すと、下階に降りる階段があった。


 私は、迷わず階段に足を踏み入れた。



 不思議と既視感があった。



 初めて訪れたはずの場所で。


 この冷たい石壁も、薄暗い通路も、かび臭い淀んだ空気も。何故か懐かしいと感じる。


 おかしい。私は物心つく前から、あの空にいたのに。



 見上げると、吹き抜けになった塔の天窓から空が見える。


 あんなに空を遠くに感じたのは初めてだった。


 しかし、それほど寂しさを感じないのは、空に執着が無かったからか、それとも下階にあるものに対する興味が勝っているのか。私にはわからなかった。頭を左右に振る。


 わからないものをいくら考えても意味が無い。



 石壁に手を伝わせながら私は下階にむかって階段を降りている。


 心なしか、回廊よりも浮遊物が多いように感じる。


 綿の飛び出た人形、針のない時計、錆び付いた日用品、折れたペン、破れた本…。


 ひとつひとつに手を出していたらキリがない。


 ぶつからないよう慎重に進む。


 私は飛ぶことが出来る。だから、ここからわざわざ歩かず、飛び降りても良かった。


 しかし、折角の体験を早々と終わらせてしまうのは、少しもったいない気がした。



 突然、階段の先から風が吹き込んできた。


 顔面に紙切れが張り付いた。何の紙か。見てみると何かの手紙のようだ。


 残念ながらこの手紙も私には読むことができなかった。だから、この黄ばんだ手紙が、いつ、何の目的で、誰から誰にも宛てられたものかわからない。


 しかし、ところどころ滲んだペンのあと。点々とあとの残る染みから、誰かがこの手紙によって涙を流したことがわかる。



 何がそんなに悲しかったの?



 私がそんな事知っているはずないのに。


 いや、気まぐれで、想いを馳せるのはやめよう。


 手紙を手放すと、他の浮遊物と同じようにゆっくりと私から離れていった。


 それを見送ると、再び私は下階を目指す。


 そうしなければならない理由なんてないのに。



 ひたすら、階段を降りる。


 どれくらい歩いたのだろうか?


 空は遥か彼方に行ってしまい、上を見上げても、ポツンと白い点が見えるだけである。


 再び、視線を下に向けたところで、私はある違和感に気が付いた。


 ここには遺物が浮遊していない。


 ありえない事だった。


 あの空にも、この塔の中にもたくさんの遺物が溢れていた。


 正体のわからない不安を感じる。


 しかし、ここで空に逃げ帰るなんて愚かな真似はしたくない。


 私は気を奮い起こすと、ほとんど光の届いていない先を見つめ、歩きだした。



 その先に何が待っているか知らずに。



 光はほとんど届かない。


 それでも、私は足を止めない。空気も壁も、床もヒンヤリとしていて、気持ちがいい。



 やがて、階段が途切れた。


 最下層に到達したのだ。


 やはり、ここにも遺物は浮遊していない。


 がらんとした石の広間で私は辺りを見渡した。


 ただ、ピチョンピチョンと雫が落ちる音だけが聞こえる。


 目の前は黒く塗りつぶされている。


 恐怖はあった。


 しかし、ここまで来たら進むしかないだろう。


 私は闇に向って駆け出した。



 何も見えない。


 空がとても恋しい。閉じこめられたわけでもないのに、とてつもない閉塞感を感じる。



 もはや、方向感覚も失い、ただただ暗闇の中を彷徨っていると足先に何かがぶつかる感覚があった。


 何だろう? と手を伸ばしたその時だった。



 悪いけど、そのランプ点けてくれないかな?



 人の、声だ。


 私は慌てた。声の元は壁に反響して何処から聞こえてきているのかわからない。


 急いで足元に転がるランプを持ち上げ電源を探した。


 電源らしい、突起物を数回叩くと、ランプはチカチカと点滅した後、ぼんやりと辺りを照らしだした。



 私は恐る恐るランタンのような形をしたランプを掲げた。



 あなたは、誰?



 視線の先に少年の姿を捉えた。


 彼はニコニコと格子の向こうから微笑みかけている。


 近付いて、もう一度問うた。


 しかし彼は笑うだけである。


 更に近付いて彼の姿を見て、私は絶句した。


 鉄の格子の向こうにいる少年はとても痛々しい姿をしていた。


 長い間手入れをされてない伸びきった髪に、埋もれた小さな顔は、何かに殴られた後のような痕がいくつかあり、大きく腫れているところさえあった。


 また、腕にも脚にも同様の傷があり、酷い火傷の痕、切り傷があり血が滲み、肌が爛れていた。


 更に、細い腕には頑丈な手枷が天井から吊り上げられており、その小さな体躯には見るからに重い鎖が絡み付いていて彼の自由を奪っている。



 酷い、一体誰がこんな事を。



 何故か、とても息苦しい。


 少年は相変わらず、笑んでいる。痛々しい顔を歪めて。



 君に会いたかったよ



 傷だらけの少年は、無邪気な口調で笑う。


 彼が身じろぎをする度に、重く錆び付いた鎖が擦れ合う音が響く。



 どうしたの? 何か恐ろしいものでも見たのかい?



 何を言えばいいのか考えている間に、彼は畳み掛けるように言葉を零す。


 ああ、この姿が恐ろしいんだね。でもこの姿じゃないと気付いてもらえないと思って。


 少年の声がグワングワンと反響する。



 気付けば、私は頭を抱え、檻の前でしゃがみ込んでいた。


 ランプが、手から滑り落ち、少年の足元に転がった。


 アタマが痛い。


 息が苦しい。


 気分が悪い。


 遠くで、幼子の笑い声が聞こえる。


 薄暗い路地に反響する声。


 私は、あの広い空で生まれたはず。


 だから、知らないはず。


 なのに、どうして?


 大きな水滴が石畳の上に落ちる。


 一つ、二つ、三つ?



 私は、滲んだ視界でそれを眺めている内に、ようやくそれが自分の涙だと気が付いた。



 私はどうして泣いているの?



 涙で滲んだ視界の先に少年がいた。


 少年はもう笑っていなかった。



 君はその答えを知っているはずだよ



 少年は淡々と答える。



 オレが今こうしている理由も、君の涙の理由も、この世界が生まれた理由もきっと、君は覚えている。知っているはずだ。かつての世界で起きた物語の顛末も……。



『かつての世界』? 一体何を言っているの?



 口にはそうした。


 しかしある心当たりはあった。


 先程から脳裏に浮かぶぼんやりとした温かい記憶。


 だけど……。



 私は知りたくないの。




 怖い……。


 思い出してしまうのが今は何よりもおそろしい。


 身体を震わせ、石畳の上に膝をついた。



 ごめんね。怖がらせちゃったね。大丈夫。思い出したりしないよ



 顔を上げると、滲む視界の先に申し訳なさそうにほほ笑む少年がいた。


 とても優しそうな柔らかい表情だった。



 もう少し近づいて、その顔をよく見せて



 少年に言われるまま、檻に近づく。


 彼はまるで旧知の者に会ったかのように顔をほころばせた。



 怒らないで聞いてほしいんだ。オレは一度君のことを忘れてしまったんだ。だけど、今度は君にオレの思い出がなくても、オレは君の思い出をこの身が朽ちても失わないよ。



 一体どういうこと?



 私はあなたとは初めて会ったの。


 しかし、私は何故か口には出せなかった。心のどこかでそのことを否定していた。とても懐かしいと感じた。


 ありえない。


 首を振る。だけど……。


 知りたかった。私が何者なのかを。彼ならば知っている。そんな気がした。



 あなたに聞きたいことがあるの……。



 例え恐ろしい真実を知ることになっても構わない。それが単なる好奇心なのか、それとも他に理由があるのかわからなかった。



 その時だった。


 突然、足下から風が吹き込んできた。


 ここは塔の中のはず。


 しかしその風はどんどん勢いを増している。



 ……!!


 石畳に亀裂が入っていた。


 慌ててその場から離れようとしたが、亀裂はどんどん広がる。



 この世界は君が目覚めることを赦さないんだ



 想像を絶する轟音が響き渡った。それに少年は悲しそうに笑った。その声はネジの外れた機械のような不安定さがあった。



 残念だよ。時間切れだ。まだ君と語り合いたいことがいっぱいあるのに……。



 少年の姿はどんどん離れていく。崩壊をやめない塔の中で手を伸ばした。



 待って! あなたは誰? 私が何者か知っているの?!



 彼は真っ直ぐ私の眼を見つめて答えた。



 オレは君を救う者。君は……崇高な支配者だ。



 それが、私が最後に聞いた少年の声だった。



 遂に、私は愛しい空に投げたされた。



 瓦礫と共に私は落ちていく。ただ、共に落ちていくガラクタにぶつからないように気をつけるだけ。


 やがて、落下の速度は徐々に下がり、ゆっくりと空中に浮遊した。周りの残骸たちも同じようにフワフワと浮かんでいる。


 深呼吸をして、身体をグーッと伸ばす。安心する。いつもの見知った私の空だ。固まっていた身体が、常温の空気に晒された氷のように溶けていく。



 あぁ、なんて清々しい気分なんだろう。透き通るような青い空間。


 私はやはりこの空の住人なんだ。だからこんなに安心する。


 ようやく心が落ち着いた頃、瓦礫のひとつに例の少年が引っかかっているのが見えた。


 全身脱力していてピクリとも動かない。


 ただ金糸の様な髪が外の光を浴びて輝きながら靡いていた。


 近づいても僅かとも動かない。恐る恐る近寄り、そっと触れてみる。


 そこで私は短い悲鳴を上げた。



 力なく腕が抜け落ちる。



 複雑に組まれた配線が音を立ててちぎれていく。


 唯一残った碧色の線が彼の腕が落ちるのをとどめている。


 顕になった首元には僅かなつなぎ目と、そこから錆が広がっていた。



 彼は人間ではなかった。



 腕と頭を支えながらゆっくりと抱き上げてみる。


 壊れているのか中の部品がガチャガチャと音を立てた。大きさは自分とさほどかわらないのに、思ったよりずっと軽い。いや、きっと彼が軽いのではなく、この空間が彼の重力を弱めているのだ。



 それにしてもアレは何だったのだろうか。


 まじまじと彼を観察する。錆や衣服のほつれはあるものの、塔の中で見た生々しい傷跡は見当たらない。私は幻でも見ていたのだろうか。しかし何故。


 首を振る。


 疑問を持っても誰も教えてくれはしない。


 機械人形が引っかかっていた瓦礫に足をかけると反動をつけて飛び上がった。


 綿毛のようにフワフワと下降するのも楽しいが、こうやって風を切りながら飛ぶのも心躍る。


 とても心地よい。天の原を気ままに生きるほうが性にあっている。



 やがて私はゆっくりと速度を落とすと回廊に降り立った。


 そして迷わずある部屋に向かった。


 大きな窓に面した広い部屋。内壁は剝げ落ち石壁が顕わになっており、カーテンは破れ床に落ちている。しかし、この部屋の広さと、わずかに残る壁の装飾から、相当高貴な身分の人物が住まいにしていたと感じることが出来た。


 その部屋の至る所にガラクタが乱雑に積まれていた。


 ここに自然と集まったというより何者かが意図的に集めたようだった。


 誰がどんな意図を持って集めたか気にはなったが、どうでもよかった。


 そんなことよりも、確かこの辺りに……。



 私は彼を豪華な椅子の上に座らせた。くすんだ金に縁どられ背もたれの高い椅子は、確か玉座という名前だったか……。


 そして白いファーの付いた赤いマントを肩にかけ、変形した王冠をのせた。


 うん。よく似合っている。彼は私を支配者だと言ったが、彼のほうがよっぽど様になっている。


 私は、ガラクタの中からつぎはぎだらけの布を引っ張り出すと布の両端を掴んでくるりと廻ってみせた。



 今宵、私が王様に踊りを披露いたします。なんてね。



 しばらく私は適当に廻ったり、飛んだり舞を楽しんだ。


 やがて私は舞いに飽きて、布を手放すと大窓から碧落の空を眺めた。


 雲が悠々と流れている。おもむろに回廊に出ると、回廊の柱に手をついて大きく深呼吸をした。


 ここはとても蒼くて広い世界



 私は何故、ここにいるのだろうか。



 ふと、疑問に思い、そう自分に問いかけてみた。


 見上げるほど、その空の青さは増し、下を見れば厚く濃い雲の海が広がっているばかりである。


 なんて見事で美しいグラデーションだろうか。


 思わず感嘆の声を上げたところで、かつて『王宮』と呼ばれた建築物の回廊の柱から手を離した。


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