第177話 日常よ再び
あれから一週間、もう連絡は無いと思っていたが、あのガキから呼び出された。
てっきり、キレてくるかと思ったが、まだ拡張の相談をしたいなんて言っている。
どこまでお人好しなんだか……これだからボンボンは。
砂山は高松市内のカフェに入り珈琲を頼む。
待ち合わせの時間は少し過ぎていた。
珈琲を手に店内を見回す。
「砂山さーん」
見ると、あのガキが手を振っていた。
ふん、何も知らずに呑気なもんだと、砂山は浮かべた笑みの奥で嘲笑した。
「どうもどうもー、失礼しますー、お電話ありがとうございました、どうですかぁ、その後……」
砂山は如何にも心配そうに振る舞う。
「はい、どうも効果がなかったようです」
「そうですか、実はジョーンさんには謝らないといけないことがありまして……」
「聞きます」
な、なんだ? 急に強気だな……。
「その、先日お渡しした『ダンジョン活性スーパーX』ですが、どうも不良品のロットをお渡ししてしまったようでして……」
「……なるほど、だから効果がなかった、と?」
「え、ええ……ですので検査済みの『ダンジョン活性スーパーXX』を持って来ました、こちらはスーパーXの上位タイプでして――」
「砂山さん」
「はい?」
「詐欺……だったんですか?」
チッ……こいつ。
「え、や、やだなぁ~、どうしちゃったんですか?」
砂山は調子よく誤魔化そうとするが、ジョーンは引かなかった。
「お父さんが研究者で、いずれは二人でダンジョンを買うのが目標だって言ってたじゃないですか! あれは、嘘だったんですか⁉」
その時、砂山の中で何かが弾けた。
「う……うるせぇ……」
「え?」
「うるせぇんだよ! お前みたいな恵まれたボンボンに何がわかるんだ!」
俺には金がいる……。
父さんは壊れたままだ……でも、ダンジョンさえあればまた……と砂山は顔を歪める。
「俺は爺ちゃんから一銭も受け取っていない! そりゃあ助けてもらったことはありますよ……家族だし、でも、借りた金は全部自分で稼いだ金で返したし、俺は砂山さんの思ってるようなボンボンじゃない! 俺は俺でちゃんと自分で戦ってるんですよ!」
「ぐ……」
何でだ……。
何でだよ……。
何でボンボンのくせに……。
何で……くだらない奴じゃないんだよ!
お前は全部持ってるじゃないか!
どうせ、誰かにお膳立てしてもらったんだろ!
俺だって、俺だって努力する場所があれば……。
ダンジョンがあれば……。
「俺は訴える気はありません」
「……え?」
「でも、もし俺以外に騙した人がいるなら、必ず自首してください」
「……」
どういうことだ?
何を言ってるんだこいつは……。
「俺は……俺自身にはあの粉、効果があったんです」
「な、何を言って……あれは」
「思わぬ需要を発見できましたし、それに、この件で大切な人が本気で俺の事を心配してくれたんだってわかりました」
ジョーンが席を立った。
「だから、お父さんの話が本当なら言ってあげてください、あの粉、俺には効果がありましたよって」
「う……」
「砂山さん、逃げたって何も変わらないです」
そう言って、ジョーンは振り返ることなく店を後にした。
残された砂山は、溶け落ちる氷をじっと見つめていた……。
*
一週間後。
あれから砂山さんは自首をした。
でも、騙されたのが俺だけで、被害を受けた俺自身が示談に応じたため厳重注意処分となった。
間に入った弁護士さんが言うには、前科はつかないが、犯罪歴が警察のDBに残るらしい。
俺はカウンター岩の椅子に座る花さんに、一部始終を説明した。
花さんは短く息を吐き、
「砂山さんに事情があったのはわかりました……でも、ジョーンさんを騙したことには変わりありません」と表情を曇らせた。
「うん……そうだね」
「冷たいようですが、なぜ人を騙すという方法を選んだんでしょうか? もっと、他に方法はあったはずなのに……」
「わからない、何か他にも理由があるのかも知れないけど……でも、それが騙しても良いってことにはならないしね……。まあ、俺もしっかりしてなかったのがいけないんだけどさ……」
「そうですよ! もう、ホントに心配したんですから!」
「ご、ごめんごめん……」
「ま、そういうところもジョーンさんらしいんですけどね……」
花さんは眉を下げ、やれやれと両手で頬杖を付いた。
「花さん、ありがとうね。心配してくれて」
「な、何を突然⁉ 言ってるんですか……しょ、職場の人の心配をするのは、当然ですから!」
「へへ、そっか」
「もう、何ですか!」
「いや、何も言ってないよ」
「いいえ、何か含みのある感じでした!」
「ちょ、違うって……」
「もー!」
花さんが俺を睨むが、すぐに「ぷふっ」と吹き出す。
そして、二人で顔を見合わせ、
「「あははは」」と大きく笑った。
何かこういうやり取りができるっていいな……。
結局、ダンジョンはウンともスンとも言わないままだけど、それはそれ。
先は長い……。
焦らなくても、いずれ大きくなってくれるはずだ。
いつかの五徳猫が言ったように、ゆっくり楽しむのも悪くないと思う。
それに、お礼ももらえるらしいしな。
何をくれるんだろうか……?
俺はちらりとダンジョンの奥に目を向けた後、二人分の珈琲を淹れる。
「花さん、珈琲でも飲もっか?」
「やった! ありがとうございまーす! ジョーンさんの珈琲、やっと飲める~」
「そんな褒めても時給は変わりません……」
「えーひどいー!」
「あはは……」
「……」
――深夜、D&M13階層。
池に浮かび上がった無数のバミューダマイマイ。
水面にはさざ波のような波紋が拡がっていた。
「やはりこの粉は良いねぇ……また分けてもらうか」
煙管を咥えた五徳猫がご満悦の表情で、池に粉を撒いていた。
*
――松山市、某住宅街。
「では、また何かありましたらご連絡ください」
「はい、ご迷惑をお掛けしました……」
走り去る車に頭を下げる砂山。
「……」
家に上がり、居間に入る。
相変わらず新聞紙の上で粉まみれになっている父の姿があった。
「ただいまー……」
「どこ行ってたんだ? こんなに遅くまで……あれ? まだ昼か、ああすまんな、研究していると時間の感覚がズレて困るな、ははは!」
――やり直したい。
「どう? 研究は?」
「見ろ昇、これは粘度を高めてボール状にしてあるんだ、これで持ち運びが楽になる」
――俺にもできるのかな……。
「ねぇ父さん、父さんが作ったこれ、効果があったってさ……」
「ん? 何⁉ そうか⁉ おぉ、そうかそうか、うん、そうだろうな!」
――逃げちゃ駄目なんだ。
砂山は自分の部屋の机の上から介護施設のパンフレットを持ってくる。
「父さん、今度……良いダンジョン物件を見つけたから見に行こうか?」
「おぉ、そうか! これで研究もはかどるな!」
「うん、そこならずっと研究できるからさ……」
「そうかそうか、良くやったぞ昇! さすがは私の助手だな!」
粉まみれの手で、父は砂山の頭をくしゃくしゃっと撫でる。
「うん……あ、ありがと……ご、ごめんな……父さん」
「そうだ昇、良い物を見せてやろう! これはダンジョン活性するZだ! 従来の倍の効果が見込めるんだ!」
何かわからない粉を瓶に詰めたものを、父は大事そうに抱えている。
「うん……」
「安心しろ昇、父さんはちゃーんと約束を覚えてるぞ? いつかすごいダンジョンを買ってやるからな! お前と二人なら日本一のダンジョンになるぞ!」
「うん……」
砂山の目から涙がこぼれた。
その瞬間、今まで心に堰止めていたものが、涙になって溢れ出した。
「忙しくなるぞ! え~……、あれ? 何だっけなぁ……そうだ! この活性するZで……、ははは、年をとると忘れっぽくて困るな」
「うん……」
「ダンジョン……そう、ダンジョンの……」
父は虚空を見つめ、ぶつぶつと何かを呟いている。
砂山は父の肩に、そっとカーディガンを掛けた。
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