第151話 某大手のオネイロス編⑩ シンプル、故に美しい

 ――杉並区・某駅。

 終電から降りてくる人の中に、真藤の姿があった。


 真藤は、真っ直ぐに自宅兼事務所へ向かう。

 この物件は掘り出し物で、立地は駅から五分ほど、二階建ての白い一軒家で、家賃も相場より安かった。


 いままで生きてきて、占いや運勢などのスピリチュアルなものは一切信じていなかった。

 だが、会社を立ち上げてからというもの、物件もすんなり見つかったし、九十九を引き入れることも出来た。

 実は自分は……とてつもなく運が良いのでは? と、真藤は思うようになっていた。


 ふと見ると、部屋の明かりが点いている。

 ――九十九がまだ作業をしているのかも知れない。


 九十九は作業環境が気に入ったのか、ほぼ入り浸っていた。

 独り身なので今は何とも思わないが、将来恋人が出来たら、どこか別の家を探そうと真藤は思っている。


 ドアの鍵を開け、中に入る。


「ただいまー、九十九? いるのか?」


 鞄をテーブルに置き、ネクタイを緩めながら二階へ上がる。

 二階には九十九が持ち込んだ、真藤には良くわからない機材が山ほど置かれていた。

 機材の隙間から、ハーマンミラーの椅子をリクライニングさせて、天井に向かっていびきを掻く九十九が見える。


「おい、九十九、風邪引くぞ?」

「ん……誰?」


「いや、誰って、俺だけど……」

「ああ、真さんか、ふわぁあ……」


 九十九は大きく背伸びして、起き上がると首を鳴らした。


 真藤は近くの丸椅子に腰を下ろし、

「そうだ、今日は手応えがあったぞ。もしかしたら、オケアノスを実装できるかも」と言った。

「へぇ、よかったじゃん。どこ? 都内?」


「いや、地方だ。そういや、九十九のことを知ってたぞ? 名刺をもらったとか言ってたな」

「名刺を?」


「ああ、壇さんって人で、香川でダンジョンを経営しているそうだ」

「ぬぁ⁉ マジかよ……」


 九十九が肘をPCデスクに付き、額に手を当てた。


「ど、どうしたんだ?」

「……いや、まぁいいんじゃない? そこなら、下手な大手ダンジョンより……、テストには打って付けかもね」


 そう言って、九十九は手指のストレッチをした後、キーボードに向かった。

 細くて長い指、白と黒に塗られたネイルが目立つ。

 真藤には良さがわからなかったが、九十九の見た目は個性的だ。


「何か理由が?」

「うん、その壇くんがさー、結構なプロ達と仲が良いのよ。矢鱈堀介とか、京都十傑とも繋がってる。その辺のプロの意見が聞けるのはデカいと思うよ」


「え⁉ 矢鱈⁉ ちょ、それ本当か⁉」

「うん、だからさー、絶対導入決めて来てねー」


 九十九はカタカタとタイピングを始める。


「わ、わかった、頑張るよ」


 そう答えて、一階へ降りた。

 冷蔵庫から発泡酒を取り、ソファに凭れる。


 まさか、壇さんがそんなに顔が広い人だとは思わなかった。


「やっぱ、俺ってツイてるのかな……」


 独りごちながら、真藤はプレゼン資料を眺めた。


 *


 ――深夜。

 真っ暗な二階の作業部屋で、九十九の中性的な顔がモニターの光に照らされていた。

 その顔が見つめる画面には、古めいたチャットルームが表示されている。


 ――九十九が入室しました。

 ――IRΘISアイリスが入室しました。


IRΘIS 『まさか君からお呼びがかかるとは思ってなかった。それに……、懐かしいわ、まだ残ってたのね』


 ここは昔、ハッカー達から『smokers room喫煙所』と呼ばれていたチャットルームだ。

 今では使う者はいないが、非常時用にいまも保守されている。


IRΘIS 『それで、用件は?』

九十九 『D&Mで仕事をすることになるかも知れない』

IRΘIS 『わざわざ、それを?』

九十九 『一応、あんたの領域テリトリーだ。後で言いがかりを付けられたくないんでね』

IRΘIS 『酷い言い方ね。でも、誠意は十分伝わったわ』

九十九 『ならいい。干渉はするなよ?』

IRΘIS 『わかった、約束する』

IRΘIS 『あ、そうそう、ついでに見せてもらったわ。君の書くコード、私は好きよ』


 ――IRΘISが退室しました。


「ちょ⁉ クソッ……」

 返事をする前に、IRΘISは退室してしまった。


 九十九は慌ててセキュリティを確認する。

 侵入した形跡はない……ハッタリか?


 いや、あのIRΘISがそんな嘘を吐くとは思えない。

 ふと、オケアノスのコードの中のコメントに目が止まった。


 // simple∴beautiful


「う、嘘だろ……?」


 シンプル、故に美しい……か。

 あのIRΘISの評価、悪い気はしないが……、それと侵入されたのは別の話だ。

 九十九は舌打ちをしながら、またセキュリティを見直す。


 暗闇の中、タイピング音がいつまでも響いていた。

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