第49話 水曜日になりました。
今日は水曜日、水蜘蛛イベントの日だ。
俺は気合を入れて早めにダンジョンに向かった。
カウンター岩へ向かい、デバイスを確認して俺は目を疑った。
え?
嘘だろ?
十六階層、確かにデバイスにはそう表示されている。
「え? 拡がったの……?」
胸が高鳴る。
落ち着け、そう言い聞かせてマップを確認する。
地下十六階、その中央に光る一つの点を見て、俺は息を呑んだ。
「む、紫色……?」
――レイドだ。
指が震える。
アドレナリンが過剰に分泌されているのだろう、指先から伝染するように、次第に身体全体がガタガタと震え始めた。
「え? マジか……?」
何度も何度も確認する、紫の光点を見つめ、間違いでは無いのかと必死に考えた。
「レイドだ……」
ハッと我に返る。
駄目だ! こうしちゃいられない!
急いでレイドボスの確認をする。
十六階層のビューに映ったのは、六本の足、蜘蛛の様な巨体に鬼の顔を持つモンス。
「う、牛鬼……!!」
牛鬼はレイドボスの中でも地域固有で発生する特殊なモンスだ。
「や、ヤバイ、と、とにかく開店準備と、ヘルプを頼まなきゃ!」
俺は慌てて開店準備を終わらせて、無理を承知で花さんに連絡を入れてみた。
電話に出た花さんに事情を説明すると、急いで来てくれる事になった。
「ふぅ、た、助かった……」
次に、サイトのイベント告知に、延期のお知らせを入れる。
その後、緊急レイドのお知らせをアップする。
〈四国震撼! 緊急レイド発生しました! D&Mに『牛鬼』降臨!!〉
これで良し、するとスマホが鳴る。紅小谷だ。
『ジョンジョン!! やったじゃない! わ、私もすぐに行くからっ!!』
言うだけ言って、電話を切る。紅小谷が直電とは、余程慌てていたのだろう。
リーダー曽根崎からもメッセージが入る。
『おう! レイドドンからの通知で知ったよ。おめでとうジョーン、でも今日は地獄だぞwww』※レイドドン……レイド通知サービス
た、確かに、笹塚時代の悪夢が蘇る。
『頑張って一日、乗り切ります!』
リーダーに返信をして、俺は麦茶を飲み干した。
――開店三〇分前。
戦々恐々、鶴立企佇。
実家の空き地まで連なる強者たちの列。
今か、今かとダイバーたちが地を踏み鳴らす。
蝉の声と喧騒が混ざり合い、もはや言語の意味をなくした一塊となってカウンター岩に届く。
「ジョーンさん! おはようございます!」
花さんが息を切らせて走ってきた。
「花さん! ごめんね! 本当にありがとうございます!」
俺は深く頭を下げた。
「いえ、良いんです。私レイド初めてで、ワクワクしてます! 頑張りましょう!」
「花さん……よーしっ! やるぞ~!!」
俺は手を開いたり閉じたり、肩を回したり、身体を解して超速受付に耐えれるように心の準備を始める。俺は虎だ! 接客の虎になるのだ!
花さんとアイコンタクトを取り、ゆっくりと頷く。
よろしい、諸君。
――戦争だ。
デバイスをOPENに切り替える。
「いらっしゃいませーーーー!!!」
山が動く。
ダイバーたちがカウンターに並んだ。
俺は出し惜しみ無く、持てる全てをだして次々にダイバーを送り出す!
「頑張って!」
「いってらっしゃい!」
「ご武運を!」
通常の倍以上の速度に、花さんは初めこそ戸惑っていたが、徐々に俺のスピードに慣れてくる。
「花さん、これとこれ、お願いします」
「はいっ」
「花さん、これをそちらの方に」
「ハイっ」
「おまたせしました! 次の方こちらへどうぞー!」
「こちらになりますっ!」
森羅万象、空即是色、この小さなカウンター岩の中で、俺達は宇宙と一体となっていた。
訪れるダイバーを含め、このD&Mダンジョン自体が輝きを増し、地球の片隅に光る一つの星となって、全ての思いが繋がっていく。
――点から線へ。
その線は一点を目指す!
全ては牛鬼を倒すために!!
――レイド開始一時間経過。
既に、思考と肉体は切り離され、浮遊感が襲う。
だが、身体は決められたプログラムに従うように、淡々粛々と受付を済ませていく。
――レイド開始二時間経過。
もはや、思わずとも口から言葉が淀み無く再生される。
自己を俯瞰で見ているような、そんな気がした。
――レイド開始三時間経過。
俺は宇宙を漂っている。
幾千の星々が瞬く中、俺の
終わりのない空間で、真っ白に光る花さんと手を取り合い、回転し昇華する。
「花さん、大丈夫?」
ハンカチで汗を押さえながら花さんは「はいっ」と答えた。
デバイスで牛鬼の状況を確認。
数十人のダイバーたちが、次々に牛鬼に攻撃を仕掛けている。
牛鬼の足、残り本数四本。
足を壊さねば、勝機はない。
ダイバーたちの攻防は一進一退、苦戦を強いられていた。
「ジョンジョン! はあ、はあ、どう? 牛鬼はまだ?」
汗だくになった紅小谷が到着した。
「残り四本です!」と俺は答え、紅小谷の装備を取り出す。
「どうぞ」
花さんが紅小谷に装備を渡し「ご武運を」と頷く。
「まかせなさいっ! このスタイリッシュダイバー、紅小谷鈴音に!」
そう言って、紅小谷がダンジョンへ走っていく。
長蛇の列は途切れること無く、終わりは見えない。
ちらほらと、カウンター岩前に転送されるダイバーたちが増えてきた。
そう、ここからが本番。レイド接客が地獄ループと言われる所以なのだ。
来店客入場と倒され戻った客の再入場、俺はさらにブーストを掛ける。
この速度についてくる花さんのポテンシャルに改めて驚いた。
これが……ニュータイプか?
――レイド開始四時間経過。
「間に合ったかなぁ?」
心配そうな表情で矢鱈さんがやって来た。
「矢鱈さん!」
周りのダイバーたちがざわめく。
『おい、あれ矢鱈だろ?』
『え? マジ?』
『ヤベえ、写真撮っとこうぜ』
普段はあまり実感しないが、矢鱈さんはカリスマプロダイバーにして著書多数。
ここにいるダイバーの大半は試験で『らくらく突破シリーズ』にお世話になったことだろう。
「いま、どんな感じ?」
俺は直ぐにデバイスを確認する。
「残り三本です」
「オッケーオッケー、じゃあ十分だね」
矢鱈さんは、ニヤリと笑い白い歯を見せた。
俺が装備を取り出すと、さらに「おぉ!」と、どよめきが起こった。
それもそのはず、都市伝説だと言われていた武器が目の前にあるのだから。
「いってらっしゃいませ」
花さんが矢鱈さんの『本当は凄いブロードソード+999』を渡す。
矢鱈さんはニコッと微笑んで
「さてと、じゃ、行ってくる」とダンジョンへ向かった。
矢鱈さんが参戦したとなると、時間の問題か……。
しかし、レイドは与えたダメージ量に応じたDPが発生する。
これだけ時間が経っていれば、いくら矢鱈さんでも取り分は少ない気がするけど……。
矢鱈さんがダンジョンへ消えた後も、ダイバーたちは『本当に凄いシリーズ』の話で盛り上がっていた。
カウンター岩に戻ってきたダイバーが興奮したように声を上げる。
『おい! 今すげぇぞ!』
周りのダイバーたちが
『どうしたんだ?』と戻ったダイバーを囲む。
ダイバーは堰を切ったように
『や、矢鱈だよ、あの人半端ない! まじで人間じゃねぇ!』と捲し立てる。
『まあ、ちょっと落ち着けよ』
俺は麦茶を注いで花さんにお願いした。
花さんがダイバーに麦茶を渡すと、一気に飲み干して
『あっという間に二本落としたぞ!』と言った。
またもダイバーたちがどよめく。
『マジかよ?』
『嘘だろ? だって四時間かけて三本だぜ?』
『いや、でも矢鱈だろ? ありえんじゃねぇか?』
俺は接客を続けながら、合間でデバイスを確認した。
「……」
言葉が出ない。
デバイスのビューには残り一本の足を引きずる牛鬼の姿があった。
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