第35話 思わぬ来客がありました。
「や、ヤバい……」
試しに一回ぐらいはやってくれるだろう、程度に思っていた俺がバカだった。
嬉しい、確かに嬉しいのだが、忙しすぎるぞ!
うぅ、一人三枚程の染色を頼まれている。
俺は急遽、バケツを増やし、色順に並べ、間違えないように、キッチンタイマーとメモを駆使して染色をこなしていく。
「うぉおお!!」
大丈夫、最初の需要を乗り切れば落ち着いてくれるはずだ。
俺はそう自分に言い聞かせて、ひたすら働いた。
「ワンオペ問題ってこういう事なのかなぁ?」
タイマーを止めて染め物を回収した。
ざぶざぶと水洗いし、染まり具合を確認した後、壁際に干していく。
※ダンジョンの素材は乾きが早い。
若い男のダイバーが戻ったので、染め物を確認してもらった。
「うわー、綺麗に染まってんじゃん!」
「ありがとうございます! へへへ」
「また染めるとき来るわ」
「あ、もちろんです。よろしくお願いします」
ダイバーは軽く手を上げて、帰っていく。
見送りながら、今日は、新規客がかなり多いなぁと思う。
よーし、ウチの事を知ってもらうチャンスだ!
ついでにガチャや石鹸もアピールしておこう。
中へ戻り、再び染色と受付をこなす時間が続き、あっという間に午後。
大きい鎧やブーツなどの染め物は『特注』という形で預からせてもらう事にした。
ちなみに、特注品はお客さんと交渉して値段を決める。
参考までに言うと、いま解体しているレザーアーマーは1200DPで交渉成立となった。
ピチャピチャ……。
「ん?」
何か音がしたような気が……。
辺りを見廻してみるが、何もない。
なんだろう、まあ気のせいか。
明日は週末だからなー、気合を入れないとな。
フルル……ピチャ……ピチャ。
「!?」
気のせいじゃない?
俺は置いてあった雑誌を丸めて、ゆっくりとカウンター岩から出た。
虫? スライムか?
だが、いくら調べても何も出てこない。
「なんなんだよ……ったく」
俺は釈然としないまま、カウンター岩に戻った。
デバイスで各フロアをチェックしながら、麦茶を飲む。
ビューに映ったダイバーの赤い皮のマントが目に止まった。
これだけでも、印象がぐっと変わるんだなぁと俺は思う。
俺もルシールをカスタマイズしようかな?
そんな事を考えながら『月間GOダンジョン8月号』を読んでいると
「あ!」
思わず声が出た。
『業界大手ダンクロが店舗縮小を発表、すでに都内数店舗が候補に!?』
一体、何があったのだろう?
候補リストの中には、笹塚店の名前も挙がっていた。
リーダーが辞めたからかな? ま、ラキモンもいないし。
記事を読む限りでは慢性的な人手不足が要因となっているが……。
しかし、その一方で、景気の良い記事もあった。
『急成長する地方ダンジョン、鳥取県にある鳥取
色々と考えるなぁ、砂丘迷宮は一度は行ってみたいダンジョンだけど……。
ダンジョンもいずれコンビニみたいになってしまうのだろうか?
それはちょっと嫌だな。
昔からDPについては散々国会やニュースでも問題にされている。
現在、事業者からはダンジョン税を徴収しているが、個人からは徴収されていない。
これは個人がダンジョンから得られるDPが少ないという事と、換金の際にデータが国税に回るので現行の所得税法で対応できるとされているからだ。
チャプ……。
「ん?」
いかんいかん、疲れているのかな?
気にしないでおこう。
それから滞りなく営業を終え、売上を見て俺は
「うぉおお!!」と雄叫びをあげた。
新規客のお蔭もあるが、かなりのものだ。
これが続くとは思っていないが、自分の考えたアイデアが成果になって返ってくると、やはり嬉しい!
俺は上機嫌で後片付けを始める。
いつもは拭かない場所まで念入りに掃除をした。
「ラララ~♪」
歌を口ずさみながら、明日の材料を調達しようと用意をしていると、また何処からか音が聞こえてくる。
ピチャピチャ、ピチャピチャ……。
ふと、奥の方に置いてあった予備染料の入ったバケツを見る。
――それと目が合った。
「わっ!」
赤い染料を丸い手で掬って舐める、小さな金色の王冠を被ったモンスの姿。
「け、け、ケットシー?」
猫型モンスであるケットシーが染料を美味しそうに舐めていた。
な、なんで十五階にいるはずなのに……。
「ニャムニャム……」
ケットシーの知能は非常に高く、様々な罠を仕掛けてくる厄介な相手だ。モンスの中では中位種に分類されているが、かなり討伐難易度が高い。そして、中位種には珍しく、猫又(低位種)と呼ばれる眷属を増やす習性がある。
また、その愛くるしい見た目ゆえに、手を出せないダイバーも多い。
堂々としたもので、俺を見ても気にせずに、染料を舐めている。
ここから見ると、大きな黒白のタキシードキャットにしか見えない。
あの音は、ケットシーだったのか……。
どうしたものか? とりあえず声を掛けてみることにした。
「あのー」
「ニャム?」
ケットシーが金色に輝くアーモンド形の目をこちらに向ける。
「……」
なんと言えば良いのか、さっぱりわからない。
追い返してもいいが、また来られても困るし……。
「お前がここの
おお、話が通じる!?
「そ、そうだけど、何やってるの?」
「これは美味いニャム、いい匂いがするから来てみて正解ニャム」
トレントの樹液……。ケットシーにはマタタビのような物なのか?
うーん、よくわからん。
「ここに来られると困るんだよね。戻って貰えないかな?」
「ニャムッ? こう見えてニャムは高貴なモンスニャムよ? 指図は受けないニャム!」
赤く染まった手を舐めながら、ケットシーが言った。
うーん、仕方ないか……。
俺は肩を回してカウンター岩に戻り、デバイスからルシールを取り出した。
ま、追い返す程度にしておこう。
再びケットシーの所までいくと
「ニャッ!! ま、待たれよ管理者! はやまるでニャイ!」
ケットシーが叫んだ。
「え?」
振りかぶったルシールを止める。
「そ、そろそろ、おニャかいっぱいニャムね~。ふわぁ~……」
ケットシーはわざとらしく伸びをした。
……ホントに猫みたいだ。
「じゃあ、戻ってくれるのかな?」
「まあまあ、慌てなさんニャ。今、おニャか一杯で動きたくニャイ」
ゴロゴロと床に転がり始める。
これは……いかん! 幻惑かっ!!
俺は素早く岩陰に隠れた。
すると、ケットシーが
「チッ、ニャかニャかやるニャ。さすがは管理者といったところかニャ?」と起き上がった。
危ない危ない、ついモンスだという事を忘れてしまうところだった。
「お前……覚悟はできてるんだろうな?」
ルシールをペチペチと叩き、間合いを詰める。
「ニャハハ、じょ、じょ~だんニャムよぉ~」
ケットシーが舌をぺろっと出して媚びてくる。
怪しい……何か企んでるな?
「いいから、早く戻ってくれ。俺も帰りたいし」
「わかったニャムよ、戻ればいいんニャムね? 世知辛い世になったもんニャム……」
ケットシーは溜息を吐いて、ダンジョンへ戻る振りをするが、チラチラとこちらを伺っている。
何がしたいんだろう……。
「どうした? 何か言いたいことでもあるのか?」
すると、スタスタとこちらに戻ってきて
「管理者、あのスープを少しニャムにわけてもらいたい」と言う。
「スープ? ああ染料ね」
「ニャムも連日の戦闘で疲れてるニャムよ。管理者たる者、ダンジョンの管理の一環として、我々の……」
ケットシーが早口で捲し立てる。
「わかったわかった、持ってっていいから、もう来ないでくれよ?」
「その言葉、わすれるでニャイよ? ニャムとの契約を破ったものは……」
「わかったってば、ほら、このぐらいで良いのか?」
俺は大きめの瓶に染料を移し、ケットシーに訊いた。
「ニャム、そこの青いスープも頂こう」
とモフった丸い手から出した鋭い爪で指し示した。
調子に乗ってきてるな……。
やはりここでガツンといっとくべきか?
いや、後々何かしら悪さをされても困る。
ここは穏便に……。
「黄色も入れとくからこれでいいだろ?」
「おっと、管理者。ニャムは黄色は飲まないニャムよ」
ケットシーが俺をからかうように言った。
ちょっとイラっとしたが、ここは堪えて
「わ、わかったよ。はい、これでいい?」
「おお、かたじけニャい。これで日々の戦闘も頑張れるというものニャムね」
なんか調子いいな……。
「あ、ああ……。じゃ、頼んだよ」
「では、礼にこれをやるニャム」
ケットシーは草で出来た小さい物を何処からか取り出した。
「これは?」
「ニャムの草笛ニャ。困ったら吹くニャム」
「え? 来てくれるとか?」
なんか召喚みたいでカッコいいかも!
「いい音で癒やされるニャム」
「え……そ、そりゃ、どうも」
拍子抜けした俺を見て、ケットシーは尻尾を揺らせて満足そうに帰っていった。
終始、弄ばれた感が凄い。
「はぁ……疲れた」
俺はルシールを片付けて帰ることにした。
カウンター岩に置いた草笛を何気なく吹いてみる。
ピィ~~~♪
確かに悪くはない。
ふっと笑い、ダンジョロイドの横に草笛を飾る。
「さて、帰ろう帰ろう」
そして、俺は家路についた。
――深夜、十五階層。
ゴゴゴゴゴゴ……。
「ニャットシーさま、流石でございますニャ」
「ニャニャニャ、ニャムに任せておけと言ったニャろう」
ピチャピチャと染料を舐めるケットシー。
その背後には、無数の猫又たちがの尻尾が闇に踊っていた……。
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