第20話

 それは虚言や暴言の類いだった。

 算段があったわけでも突破口になると賭けに出たわけでもない。ただのでまかせ。

 これまでと同じことをしても、これまでと同じ結果しか返ってこないのはわかっていた。

 だから全てを壊すつもりで、これまでにない言葉を口にした。

 その結果、確かな変化は訪れた。

『あいつ』が、信じられないような顔でこっちを見ていたのだから。

 それが功績なのか罪過ざいかなのかは、まだわからない。


【残り時間 八十八秒】

「なに言ってるの、珠菜。どうして珠菜が『あいつ』を?」芹は怪物と遭遇したような目で珠菜を凝視する。

「珠菜ちゃんが……『あいつ』なの?」羽祇は状況を理解しようと必死にみえる。

「そんなわけ……ないよね?」香央は手に持っていた香水の瓶を落とした。

「…………」桔京は目をぱちぱちとさせているだけで。

「──嘘だ」御奈だけが、まっすぐに疑ってきた。


【残り時間 八十二秒】

「嘘じゃないよ。私、みんなが私に何したのか知ってるよ?」珠菜は言う。「羽祇ちゃんはカンニング。香央ちゃんはお金をとった。桔京ちゃんはチョコにスパイスを入れて、御奈ちゃんは──」珠菜は御奈を見ながら人さし指で唇をなでてみせる。

 全員、唖然としている。御奈だけ、化学反応のように頬を紅く染めた。


【残り時間 七十六秒】

 チックタック チックタック

 その音を聞いて珠菜の背筋に緊張が走る。咄嗟とっさの判断でポケットからスマートフォンを出して、ミュージックアプリを開き、ある曲名をタップする。

 ウマウマウーマ、ウマウーマ──と、場にそぐわない歌が流れる。

「ウマウママーチだ!」わんぱくな声を上げながら、教卓の中から乃愛が飛び出した。

「──誰? その子」と芹は言う。


【残り時間 六十九秒】

「本当に珠菜ちゃんが『あいつ』なの? だったら何が目的だったの?」と香央が訊く。

「……なんだろうな」必死に頭を働かせて、不自然にならない言葉を探す。「みんなに……イタズラがしたかったのかな?」そこで一つ思い出す。「そうだ、机の上にある桔京ちゃんが作った飴は食べない方がいいよ。私がこっそりゴキブリの卵入れたから、食べたらお腹の中、すごいことになっちゃうよ?」

 そう言って、思わせぶりに笑ってみせた。

 その下手な芝居は不気味な印象を上手く周囲に与え、結果、香央と桔京は表情を歪め、手に持っていた飴を床に落とした。


【残り時間 六十四秒】

 既に限界だった。短い時間になれないことをつづけて心臓が破裂しそうでいる。

 筆と絵の具があればキャンバスとして使えそうなほど、頭の中は真っ白だった。

 ここまでは何も起きていない。しかし、これから何が起こるのかはわからない。

 まばたき一つ、呼吸一つが未曾有みぞうの惨事の引き金となりそうで、息もできない。


【残り時間 六十二秒】

 ティーアは言った。これまでリトライしてきたことに無駄なものはなかったと。

 そのほとんどを無駄に消費してきたのに、なぜあんなことを言ったのだろうか。

 それとも本当に、無駄なものはなかったということなのだろうか。


【残り時間 六十一秒】

 そういえば、と珠菜は思い出す。あのときあの場所で感じたあれは何だったのか。

 そういえば、なぜあの場所に、あの人がいたのか。


【残り時間 五十九秒】

 チックタック チックタック

 音に反応して乃愛を見る。乃愛は不思議そうに珠菜を見返す。

 少女の首からげられた懐中時計、それはアニメのグッズの皮を被った爆弾。

「────」


【残り時間 五十五秒】

 そしてひらめいてしまう。


【残り時間 五十四秒】

 究極の手段を。


【残り時間 五十三秒】

 それは妄想や願望などという生易なまやさしいものではなかった。

 見上げた夜空をいろどる星々を自分に都合よくつなげて、それが水瓶や天秤に見えると言い張るような絵空事。


【残り時間 五十二秒】

 だが同時に、それは確かに揺るぎなく美しい星空を自分の中に描いていた。


【残り時間 五十一秒】

「でもおかしいよ」羽祇は言う。「珠菜ちゃんが『あいつ』で珠菜ちゃんがあのプリントを配ってたなら、珠菜ちゃん……御暁さんに、その……いなくなって、ほしかったの?」彼女なりに言葉を選んでいることが伝わってくる。

「…………」

 珠菜は狼狽うろたえているのが見抜かれそうで、すぐに声を返せない。しかし、沈黙が不審を生むのもわかっていた。


【残り時間 四十六秒】

 嫌というほど過去から学んでいる。立ち止まってはいけない。

 これが最後のチャンスなら、全てを出し尽くそう。例えそれが最悪の言葉で親友を斬りつけなくてはならないとしても。

「そうだよ」珠菜は可能な限り平静を装い口を開く。「私は芹が嫌いだった」

「──え?」

 声だけでもわかる。想像以上に相手が傷ついていることに。

「ねえ芹」しっかりと相手と目を合わせる。「私、芹が私に何したか全部知ってるんだよ? だから──」人さし指を窓に向ける。「だからはやく、ここからいなくなってよ」

 そう言われた瞬間の芹の表情を見て、今すぐ机の上にある鋏で自分の首を刺したくなった。

 かけがえのない存在にこんな顔をさせてまで、自分は、何をしようとしているのだろうか。

「珠菜……」絶望的な顔で「……ごめん」とつぶやき、御暁芹は窓に向かって走り出す。


【残り時間 三十五秒】

 もう一瞬のミスも許されない。

「乃愛ちゃん、ごめんね」

 珠菜は手にしていた鋏をひらき、刃を歩斗家乃愛に向けていだ。

 懐中時計の紐がきれて、それを奪い、開いた窓の先へ全力で投げる。

 芹の頭の横から追い抜き、懐中時計は一足先に窓の外へと落ちていく。

「あっ、ウマウマタイマーが!」乃愛は懐中時計を追いかけていく。

 芹は窓枠を掴み、飛び降りる。教室の中にいる誰かが悲鳴を上げる。

 懐中時計を取り戻すことしか頭にない乃愛も無我夢中で窓の外に飛び出した。

 珠菜もその後を追って窓から飛んだ。


【残り時間 二十九秒】

 落下の世界はそこに足を踏み入れた者を急速に死へとつなげていく。

 だが、くどいくらいここを経験した珠菜には、ほんのわずかな余裕があった。

 目を凝らせば見える。小さな懐中時計。

 珠菜はそこへ届けるように、祈りを込めて鋏を投げた。


【残り時間 二十八秒】

 鋏は乃愛と芹を抜いて校庭に着地寸前の懐中時計を貫く。仕掛けが作動して爆破する。

 銃声のような破裂音のあと、地中から大きな瞳が飛び上がってきた。

 それを愛らしいと表現する者もいれば、死んだ魚のようだという者もいた。

 膨らんだ巨大なウマアザラシのオブジェに芹と乃愛と珠菜は深く食い込み、そして弾かれた。


【残り時間 二〇秒】

 勢いよく地面に尻餅をつくが、我慢できない痛みではない。隣には芹があおむけに倒れていた。珠菜からは芹の後頭部しか見えず、安否が確認できない。

「──芹? ──芹? 生きてる?」

 反応はない。

「──芹」

 近づこうとした、そのとき。

「し……死ぬかと思ったわよ」と言って、こっちに顔を向けてきた。

「よかった……」珠菜はそのまま巨大なウマアザラシに背を預ける。

「わーい、おっきなウマアザラシみーつけた!」乃愛はウマアザラシの上で小鳥みたいにはしゃいでいる。

「……よかった」

 上を向くと、窓から顔を覗かせている桔京と香央と羽祇と御奈の姿が確認できる。

「……よかった」

 そこで珠菜の意識はとぎれた。


【残り時間 〇秒】

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