第17話

「……御奈ちゃんが『傷の人』だったの」

 それが何を意味しているのか、珠菜にはまだわからない。

「ねえ御暁さん、本当にごめんなさい。悪気はなかったの」桔京は芹の機嫌をなおそうと躍起やっきになっている。「そうだ御暁さん、机の上にある飴食べてよ。私が一生懸命作ったんだよ」

「今はそういう気分じゃない」

「そんなこと言わないで。みんなも食べて、アメリカで凄い人気のポピーおばさんのシュガーソースっていう高級なシロップが入ってるんだよ。すごく高かったんだから」

「ポピーおばさんのシュガーソース?」その言葉に御奈が反応する。「待って、みんな。その飴を食べちゃダメだよ」

「……どうして?」桔京が不審そうに眉をひそめる。

「猛毒だから」と御奈は言った。

「え?」

「おまじないのグッズとか売ってる通販サイトで買ったんでしょ? たくさん作って、みんなに配った数だけ願いが叶いやすくなって、魔法がとけるから味見は絶対禁止って言われてるんでしょ?」

「御奈ちゃん、どうしてそこまで知ってるの?」

「いま世界中で問題になってる。アメリカで七十人、中国で二百人以上死んでる。たちの悪すぎるイタズラで、製造者は逮捕されてるけど未回収のものがまだかなり出回ってるの」

「ははっ……それもうちょっとだけ早く教えてほしかったな」と羽祇は力なく笑っている。

 手には飴の包み紙。口の中に飴玉。その体は電源をきられたように、ゆっくりと倒れていく。


【残り時間 〇秒】


『傷の人』の正体は葛谷御奈だった。しかし、彼女から悪意のようなものは感じなかった。

 それどころか御奈のおかげで飴玉の秘密が解明された。

 桔京が無意識に毒を混ぜていたのだ。

 はっきりしたのは『傷の人』は『あいつ』ではないということ。

 それは間違いない──はずなのに。

 なぜかその結論を珠菜は受け入れなかった。

 何かとても重要なことを見落としている気がした。

 しばらく考えて、その理由がわかり、頭を抱える。

 それはいわば揚げ足取りのような疑問だった。偶然、そういう表現をしただけなのかもしれない。しかしその疑問は次から次へと悪い連想を進めていく。

 あのことについて、彼女たちはどこまで知っているのだろう。

 なぜ彼女だけ、あそこまで知っていたのだろう。

 その答を求めるため、珠菜はティーアの涙にふれた。


【残り時間 一〇〇秒】

 放課後の教室。おもむろに珠菜は口を開く。

「みんなに訊きたいことがあるの」

「……珠菜? どうしてここに?」

 芹は大きく瞳を開く。


【残り時間 九十五秒】

「私の家に、ハラマキっていう名前の犬がいるの。もう一週間以上行方不明なんだけど、みんな、知ってることがあるなら教えて」


【残り時間 八十九秒】

 首筋に氷をあてられたような緊張が室内を駆ける。

「どうして、そんなことを? 珠菜ちゃんのペットのことなんて」そう言ったのは桔京だった。

「ハラマキの体が刃物で傷つけられた写真、みんなも見たんでしょ?」

 時間がもったいないと思い、珠菜は先に進める。

 首筋の氷が頬までのぼってきたように、全員の表情がこわばる。


【残り時間 八十一秒】

「あ、あれ、あれは、あれは御暁さんがやったんだよ」羽祇が一歩前に出て主張する。「あいつ──知らない人から、そういうメールがきたんだよ」

「そうだよ、御暁さんがやったことなんだよ」香央がそれに同意する。

 そのことに反応は示さず、珠菜は本題に入る。

「じゃあみんな、二枚目の写真についてはどう思った?」

「二枚目?」羽祇が顔をしかめる。

 桔京も香央も芹も同じような表情をみせている。それが答だった。

「ありがとう、よくわかったよ」そう言って珠菜は、一人のクラスメイトを見た。「ねえ御奈ちゃん、教えてほしいことがあるの」

 葛谷御奈は、一人、離れた場所でスマートフォンを操作していた。

 次の瞬間、彼女の持っていたスマートフォンは背後に吹き飛び、教室の壁にはりつけにされた。

 一本の銀色の鋏が、スマートフォンをつらぬいていた。

 御奈はゆっくりと、前を向く。

「ごめん。あとで弁償する。だからスマートフォンじゃなくて、私を見て」と珠菜は言う。


【残り時間 七十二秒】

「すごいね、珠菜ちゃん。こんなこともできるんだ」感心しなが御奈は一歩ずつ珠菜に近づく。

「教えて御奈ちゃん。御奈ちゃんが『あいつ』なの?」

 珠菜の問いに教室がざわめく。

 御奈も少し驚いた様子で「どうして珠菜ちゃんが『あいつ』のことを? どうして私が『あいつ』だと思ったの?」と聞き返す。


【残り時間 六十七秒】

 それは些細な疑問だった。少し前のリトライで栖々木羽祇はこう言った。

『御暁さんは珠菜ちゃんのペットにかわいそうなことしてたんだよ』

 かわいそう、という言葉のニュアンスに引っかかりを覚えた。あの無惨な姿は、かわいそうで片づけられるものではなかった。でも、そこで思い出した。芹もハラマキのあの姿のことは知らなかったのだ。

 では何人が、あのハラマキを見たのだろう。あの写真を、御奈はどこで入手したのだろう。


【残り時間 六十二秒】

 珠菜の目の前で立ち止まり、御奈は言う。

「珠菜ちゃんの質問に答えてあげる。私は自分が『あいつ』だったらいいなと思っているけど、でも、たぶん違う」

「どういうこと?」

『はい』か『いいえ』で答えられるはずなのに、曖昧にはぐらかされる。

「珠菜ちゃんは自分がどうして自分なのか、考えたことある?」

「…………」質問の意図が掴めず、珠菜は言葉を返せない。

「私はずっと考えてた。どうして自分は自分なんだろうって。自分以外の人にも意思はあるのかなとか、もしかしてこの世界は私の空想が作り上げてるんじゃないのかな、とか」

 御奈は自分の指先を見つめながら言う。

「私はずっと、自分のことを『つめ』だと思って生きてきた」

「つめ?」

「そう、爪。世界が一人の人間だとするなら私は爪。理由もなく生えてきて、理由もなく切り捨てられる、ただの爪。だから、はじめて御暁さんを見たときは、まぶしかったのを覚えてるよ。ああ、この人は爪じゃなくて人として世の中に受け入れられてるんだろうなって。世界はいつだってちゃんと不公平に機能してるなって」

 そこで御奈は、あきらめたように笑ってみせる。


【残り時間 四十六秒】

「珠菜ちゃんは、どうして私を『あいつ』だと思ったの?」

「御奈ちゃん、ハラマキがひどいことされてる写真、持ってるよね?」

 珠菜の言葉に御奈は意外そうな顔をしたあとで笑って見せた。

「どうしてそんなことまで知ってるの? 誰にも見られてないのに」

「真面目に答えて」

「──『あいつ』から送られてきた画像の背景に見覚えがあったの。この学校の倉庫の裏だった。だから見にいったら、あんなことになってた。それで撮っておいたの」

「それは御奈ちゃんが『あいつ』だからじゃないの?」

「珠菜ちゃんの家族があんなことになったのは、たぶん今朝のこと。でも私が撮影したのはついさっき。画像を見れば撮影時刻がわかるけど、珠菜ちゃんにスマホ壊されちゃった」

「……ごめん」珠菜は素直に頭を下げる。

「あっ、そうだ」御奈は手を叩く。「撮影したとき脚にケガをしてここで着替えてたら、小さい女の子がいたの。屋上のウマアザラシが見たくて、工学部の見張りがいなくなるまでここで隠れてるって言ってた。その子が証拠にならないかな? 教卓の後ろに隠れてるはずだよ」

 しまった、と珠菜は渋い顔になる。乃愛のことを忘れていた。たぶん、今頃はもう──。

「それとも脚のケガ、見る?」御奈は黒のタイツをひっぱってみせる。

「……遠慮します」

 もう見た、とは言えない。


【残り時間 二十九秒】

「ねえ、珠菜ちゃん、珠菜ちゃんが『あいつ』をどう思っているのかはわからないけど、私は『あいつ』に感謝してるんだよ」

「どうして?」

 聞き捨てならなかった。自分をいじめて、芹を殺そうとしているのだから。

「私は『あいつ』から役割を与えられた。この世界で爪ではなく人としてあっていいと許された気がした。ねえ、珠菜ちゃん。珠菜ちゃんは自分にどれほどの価値があるのか考えたことはある?」

「ない、けど」

「例えば御暁さんは世界中から愛されてる王子様だと思う。でも珠菜ちゃんはその王子様から愛されてるたった一輪の花なんだよ。どっちの価値が高いと思う? 私はたぶん、花のほうだと思う」優しく、鋭く、尊ぶような複雑な瞳で御奈は珠菜を見つめる。「私も最初は王子様に夢中だった。でもいつしか花のほうに奪われてた。目も心も」

「…………」御奈が何を言っているのか、珠菜には届かない。

「私は今のこの世界が好き。でも『あいつ』はそれを壊そうとしている。私には償うべき罪がある。だから私はここでみんなの罪を引き受けて、この舞台から退場してもいいと思ってる」

 かつてのリトライを思い出した。あのとき御奈は何かを背負うと言って首に鋏を刺した。

「ここにいるみんなは珠菜ちゃんへの罪でつながってる。みんなの罪を私は知らないし、私の罪をみんなは知らない。だけど特別に私の罪を珠菜ちゃんに告白するよ」

「──なに?」と訊ねた刹那。

 葛谷御奈の唇が珠城珠菜の唇にふれた。


【残り時間 〇秒】


 白の部屋に戻される。

 唇に手のひらをあてて、珠菜は思い出す。

 以前、貧血で倒れたとき、保健室で眠りについていた。

 目を覚ますと、そばに誰かの気配を感じて、芹だと思ったら御奈だった。

 日頃からあまり表情に変化のない彼女の頬が少し紅くなっていて、熱でもあるの? と訊ねたのを覚えている。

 もしかして、あのとき。

「顔が紅いようだけど、熱でもあるの?」とティーアが声をかけてきた。

「えっ、いや、大丈夫だよ?」あたふたして、はぐらかす。

「今のリトライに成果はあった?」

「うん。だんだんいろんなことがわかってきた。どうするべきかはっきりとは見えてこないけど、たぶんあと五回くらいで芹を助けることができると思う」

 それは自信というより、確信に近かった。

 あの場所で何が起きているのかは、ほとんどわかっていない。でも、誰にもケガをさせることなく百秒間を過ごすことは可能だと思えてきた。

「それは難しい問題ね」とティーアは言う。

「……どうして?」

「あなたのリトライは、あと一度しか残されていない」

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