テスト本番・2



 テストを前に、緊張しているのは、アガサだけではない。

 実は、マダム・フルールもいつもの彼女らしからぬ緊張をしていた。

 学長室の椅子に座って、精霊たちに命令して、次から次へとリラックスできるハーブ・ティーを運ばせていた。

 なので、やや広さのある明るい部屋は、心地よい香りに包まれていた。

 が、テストの監視員として呼ばれているプロフェッスール・モエは、アレルギーを引き起こし、何度もくしゃみと鼻かみと眼鏡の上げ下げを繰り返していた。

 それにも負けず、マダム・フルールは緊張を解くため、いつものミステリーを読んでいた。


「ああ、もう心臓が止まりそう……」


 彼女は、本を胸に抱きしめて言った。そう、ちょうど犯人にヒロインが追いつめられている瞬間だった。

 マダム・フルールは、確かにこのテストに緊張していた。

 ……だが、緊張で、動じるマダムではなかったのだ。

 彼女の今日は、全く日常とは変わらない。

 見かけも中身も、やはりマダム・フルールは、マダム・フルールなのである。


 結局、マダムはアガサについて色々推理を展開したが、読んだミステリーの結末が常に正解でないように、ひとつも正解にたどり着けなかった。

 散々考えた末、フレイがドジだった……という、最初の答えに戻っていた。

 だが、問題はファビアンの脅しだった。彼にフレイを任せるのは、さすがに危険がある。

 そのために、火水の精霊を封印した方法を、ファビアンに伝授する必要がある。


(でも、わすれちゃったもんね。わすれたことは教えられないわ。だいたい、できたこと自体、偶然だったしぃ)


 その偶然の産物で、マダムの学長の地位は確保されている。そんなことがばれたら、大変である。


(ファビアンに弱みを握られるなんて、ほんと、うかつ)


 マダム・フルールは、ふとため息をついた。そして、ぽんと本を投げ捨てた。


「名探偵登場で、すべて解決。また、予想が外れたわ……」


 でも、マダム・フルールには切り札があった。


(ようするに……。アガタさんを合格させればいいってことよ)


 もちろん、アガサの合格はソーサリエの学校に火災の危機を招く危険性がある。誰も、賛同しないだろう。


(ようするに……。ロウソクに火がつけばいいってことよ)


 火災の危険性については……。


(まぁ、心配してもね。私って幸運だから大丈夫じゃない? だいたい、火水の封印に触れて大丈夫なんだから)


 そこで、人生すべての幸運を使い切った……なんてことを考えるマダムではなかった。

 マダム・フルールはニコニコ微笑みながら、精霊オールに命令した。


「今度は、ハイビスカス・ティーでお願い」




 学長室の窓の外に、フワフワと浮かぶ物が二つあった。

 だが、それに気がつく人はいなかった。

 マダムは、窓に背を向けて机に向かってお茶を飲んでいたし、モエは目がしょぼついて、眼鏡を何度も拭いていた。

 そして、入ってきたアガサは……緊張のあまり、何も見えていなかった。


「大丈夫かしら? アガタ……」


 イシャムの絨毯の上で、イミコが心配そうに呟いた。

「大丈夫ですよ、イミコ。たとえ天と地がひっくり返ったって、アガタが受かるはずないですから」

 カエンがしゃあしゃあと囁くと、イシャムがカエンを捕まえて握りしめた。


「あんたさん、そいつは言ったらあかんのマリモ羊羹」


 誰も意味が分からなかった。

 さすがのジンさえ、フォロー不能であった。

 それはイシャムのせいではなく、翻訳しているマダムせいなのだが、時々その事実を誰もが忘れ、イシャムをヘンなヤツに仕立ててしまうのである。

 アリの絨毯が重なるように近づいた。


「ああ、アガタ姫のあの顔色! 真っ赤ではないですか? 熱でもあるのでしょうか?」


「青いよりは、マシだと思うけれど……。緊張しているな」


 ジャン‐ルイも、窓を覗き込むようにして不安気に眉をひそめた。



 誰もが、今日の日のためにできる限りのことをした。

 まったく成果のほどは現れなかったが、努力だけはした。

 それですべてが許されるほど、この世はミラクルがあるとは思わない。

 でも、最後まで見届けよう!

 それが、仲間たちの一致した意見だった。


 アガサは、ゆっくりとマダム・フルールの前へと歩を進めた。

 右手・右足が同時に出たけれど、気がつかない。後ろでドアがバタン! としまった時、さすがに驚いて跳ね上がってしまった。


 ――フレイ……。

 入ってきているよね? み、見えないだけだよね?


 アガサは、チラチラと部屋の隅を目だけでぐるりと見渡したが、やはりそれらしき気配を感じない。

 マダム・フルールは本を精霊に拾わせ、自分でしまい、ニコニコと微笑んだ。

 だが、先に声を掛けてきたのは、いつもにもまして、厳しい顔のモエだった。


「アガタさん、ロウソクに火をつけるテストですけれど、公正にお願いします。いいですか? ポケットにマッチを隠していませんか? 手の中にライターはありませんか? チャッカマンもダメ、瞬間焚き付けも禁止、火打石も、ルーペも、全部、出しなさい!」


 モエは、眼鏡をひくひくとあげた。


「出せません」


 アガサは、小さな声で言った。


「どうしてです? 出せない時点で、あなたの合格は認めがたいですわ!」


「だって……持っていないんです」


 モエは、ううう……と唸った。


「そ、そうですか。でも、どうやら火の精霊もお持ちでない。それは、試験に対する冒涜と思いますが?」


「たぶん、見えていないだけで、いると思うんですけれど……」


 アガサは不安になった。

 まさか、先生にも見えていないなら、本当にいないとか?

 その不安を打ち切るように、マダム・フルールが口を開いた。


「いてもいなくても、火がつくかどうかがすべてです。アガタさん、覚悟はいいですね?」


 マダム・フルールが、燭台を出した。バラの花をあしらったかわいい台に、ピンクの細いロウソクがのっている。

 アガタは、息をのんだ。


「もちろん……です!」



 精神統一。

 はあーっと息をすい、もう一度、吐き出す。

 アガサは目をつぶり、手を合わせ、その手を大きく回して、パン! と前で叩いた。そして、手をガシガシすりあわせた。

 別に意味はないが、そのほうが精神統一ができると思ったのだ。

 そして、集中。

 呪文を――


 ぱっ!


 とたんに、ロウソクに火がついた。


「まーっつ! おめでとう! アガタさん! がんばりましたのね!」


 いきなり、マダム・フルールが立ち上がり、満面の笑顔で拍手しだした。

 その横で、モエが固まっていた。眼鏡が半分と両肩、それに顎がガーンと落ちていた。

 アガサも何が起きたのかわからず、呆然としていた。

 だが、マダム・フルールが駆け寄って、アガサをはぐはぐ、そして両手を取って大きく振り回すのだった。


「これで、あなたもソーサリエの学校の生徒ですわ!」



 窓の外でも、一瞬の静寂のあと、歓喜の声が上がった。

 イシャムとイミコは抱き合って喜び、アリも涙を流していた。

 だが、ジャン‐ルイだけは違った。


「……何か、ヘンだ」


「はい?」


 仲間が一斉に固まった。


 だが、もっと固まっていたのは、アガサだった。

 はぐはぐを繰り返すマダム・フルールの耳元で、ついに、疑問を囁いてみた。


「あ……あのお……。私、まだ、呪文を唱えていなかった……」


 でも、マダムはアガサの言葉を遮るように、首根っこを捕まえ、ほっぺにキスをした。


「いいの、いいの。どのような方法でも、火がつけば合格。その後は勉強すればいいんですのよ」


 たしかにもっともと言えるが……。

 アガサは疑問で頭がいっぱいだった。


 ――でも、呪文を唱えない魔法って、あり???


 その時だった。

 学長室のドアが、ノックも無しに開いた。ファビアンが現れたのだ。


「マダム、遅れて申し訳ありません。アガサの行方不明の精霊・フレイを連れてきました。テストは、これから……でいいですか?」


 つらっと涼しい顔で、氷の王子は言ってのけた。

 アガサを抱きしめていたマダム・フルールが固まってしまった。

 モエがファビアンに歩み寄り、手の中の容器のフレイを観察した。

 眼鏡を上げ下げしながら、精霊の姿を確認したのだった。


「たしかに、アガタさんの精霊フレイですわ。となると……今の炎は???」


 ――精霊無しに、魔法を使えるソーサリエはいない。


 あたりが急にシーンとした。

 やはり、その静けさを破ったのも、マダム・フルールだった。


「あ、あらー? モエちゃん、嫌だわぁ……。ちょっと冗談。冗談だったのよぉ。ほら、アガタさんってかわいいから、ちょっと夢なんか見せてあげてもいいかしら? なーんて。ほほほほほほ……」



 窓の外の仲間たちが、ガーンとショックを受け、絨毯が墜落しかけた。

 ジャン‐ルイが、ふうとため息をついた。


「やっぱり? そんなことだと思った……」


 イミコが不安気に言った。


「やっぱり……。マダム・フルールは、アガタを合格させたかったんだわ。でも、ファビアンは、それを恐れていた。だから、アガタの邪魔にきたの。もう……きっとダメだわ!」


 ついにイミコは泣き出した。


「ファビが……そこまでアガタの邪魔をするなんて……」


 ジャン‐ルイも天を仰いだ。


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