チェンジリング・4


 気がつくと、フレイは元気を取り戻した……を通り越して、アガサたちの三倍は大きくなっていたのだ。

 今や、フレイの髪の毛は逆立って天井に付きそうだし、先ほどの恨めしそうな顔の隈は、真っ赤に妖しくつり上がっている。しっかり床に着いた足下からは、既に煙がぷすぷす上がり始めていた。


「きゃあああ! 大変!」


 イミコが悲鳴をあげた。


「えええ??? 私、できない! ファビアン、助けて!」


 アガサはすっかり動揺して叫んだ。


 このままでは、この間、アリを焼き殺した時のように、大爆発だ!

 それでなくても、図書館のような火事になってしまう!


 ……と思いつつ、アガサは少しだけほっとしていた。

 ファビアンがいる。彼は、フレイの力を押さえ込むだけの力があるソーサリエだ。

 万が一、アガサのことを何とも思っていなかったとしても、自分が焼け死ぬような真似はしないだろう。

 だが、ファビアンはシリアスな顔をして叫んでいた。


「アガサ! 君しか止められない! 僕の力は使えない!」


「はぁ?」


「レインが、ロウに封じ込められている!」


「ぎゃああああ!」


 思わず叫んでしまった。

 たしかに、先ほどカエンがレインをロウで固めて封じ込めて、そのままだ。

 これでは、いかにファビアンが優れたソーサリエであっても、力を使うことはできない。

 道理で、冷静なファビアンも、動揺して青くなるはずだ。


「で、で、でも! 私には無理よ! 何度やってもダメだもの!」


「ダメでも、根性でなんとかしろ!」


「そ、そんな!」


 ……と言いつつ、アガサは本当にそれしか方法がないと感じた。


 私がなんとかしないと!

 ファビアンもイミコも……いや、もしかしたら、この寮ごと爆発するかも知れないのよ!

 やるのよ! がんばるのよ! アガサ!


「フレイ! 爆発しないで! 落ち着いてよ!」


 アガサは力一杯叫んだ。

 だが、命令するソーサリエのほうが落ち着いていないのだ。精霊が落ち着くはずがない。

 フレイは、既に天井を突き破りそうなくらい、膨張している。いつ自爆してもおかしくない。


「だめだ! 伏せて!」


 ファビアンの声が響いた。


 ば、爆発するううううう!


 だが、爆風は来なかった。

 アガサはぎゅっとつぶった目を、そっと開けた。

 いつの間にか床に伏せていて、しかも目の前が何となく青い。それもそのはず、ファビアンの青いマントがアガサを覆っていた。

 起き上がろうとしても、起き上がれない。何か重たい。


「? どうして爆発しなかった?」


 ファビアンの声が響くと同時に、アガサに覆いかぶさっていたものがなくなった。

 ふと見ると、ファビアンが不思議そうな顔をして、髪をかきあげていた。

 とたんにアガサは恥ずかしくなった。

 いきなりのことでわからなかったが、フレイが爆発すると思った瞬間に、ファビアンはマントをアガサに掛け、そのまま押し倒したのだ。

 そして、身を挺してアガサをかばってくれた。

 本当に爆発していたら、それで助かったとは思えないが、かばってくれたっておうことが、アガサには信じられなかった。


 フレイは、また姿が見えなくなっていた。

 爆発を自粛して、また縮んでしまったのか、それとも、爆発すかしで消えてしまったのか?

 どちらにしても、消えてしまった。

 そのかわり、へなへなと崩れ落ちているイミコと、やはり崩れ落ちているカエンがいた。


「あ、あ、あ、私。どどどどどどーしたの?」


 イミコが動揺している。だが、それを聞きたいのは、アガサのほうである。ついでに、お嬢ちゃん座りができるイミコに感動してしまう。


「どうやら、フレイの爆発を防いだのは……この人らしい」


 額を伝わる汗を拭きながら、ファビアンが呟いた。


「君はどうやら、ジャンジャン以上に力がありそうだね。恐れ入ったよ」


「え? あ、わ、あ、わ、私がぁ……?」


 イミコは声が震えていた。

 学校一のソーサリエであるファビアンにお墨付きをもらえるとは、イミコもたいしたものである。

 が……。


「そんな……私は、愚図でのろまで何の役にも立たなくて……。しかも、フレイを死なせてしまったんだわ!」


 褒められたのに、どわーっと泣き出すイミコ。

 カエンが回りをひらひら飛びながら、ぺこりと頭を下げた。


「ブローニュ殿。お気になさらず。イミコは褒められるのに慣れていないので、動揺しているだけです」


「そ、それに、私の髪が赤いまま。フレイは死んでいないわ」


 アガサも、思わずイミコの実力に圧倒されていた。


「イミコのおかげで助かったわ。ありがとう」


「あ、アガタ。私……」


 うるうるるん……とした目で、イミコはアガサの手を取った。アガサも思わず目の中に星を浮かべてみた。

 手に手をとって、女の友情を確認する二人だった。



「でも、これでアガサが学校にいる危険性が、よくわかっただろう?」


 突然、冷静さを取り戻したファビアンが言い出した。

 はっと、手を取り合ったまま、硬直する二人。確かに、今回はどうにかなったが、常にイミコの力が発せられるとは限らない。

 アガサは、やはりとても危険な存在なのだ。


「僕が、マダムと取引したとかしないとか、そんなことじゃない。アガサがこの学校にいることは、とても危険が伴う。アガサのことを思っても、学校の安全を考えても、アガサはここにいるべきではないんだ」


 そう言われても、ぐうの音もでない。


「マダムは気まぐれだ。アガサの仮入学を気まぐれで許したように、本入学も気まぐれで許すかも知れない。気まぐれでこの学校を燃やすわけにはいかないだろう?」


 アガサはうつむいた。

 確かに、フレイと一緒にいたい。でも、今の爆発の時でさえ、自分一人では何もできないことを思い知らされた。

 根性だけでは、何も解決しないのだ。


「わかったら……君からここを去るべきだ。これは、君のためでもある」


 ファビアンの言葉は、とても説得力があった。



 ――確かに私一人じゃあ、フレイを抑えきれない……。



 もう、学校を去るしかない?

 アガサの頭の中に、諦めの文字がちらついた。

 でも、本当にダメ? 本当に本当にダメ?

 冷たい水のソーサリエの瞳を見つめる。じっと……。


 ――本当に、ファビアンの言う通りだわ。


 私一人じゃあ、フレイを抑えきれない。学校にいられない。


 アガサは、よろり……と壁にもたれると、カエンにロウソク漬けにされたレインを持ち上げた。

 見事にカチカチである。


「……そうよ、私一人じゃダメだわ。だから、一人じゃなければいいんだ」


 アガサは、レインを握りしめた。そして、再びファビアンのほうに向き直った。


「ファビアン!」


 急に大声で呼ばれて、氷の王子の眉がピクッと動いた。

 アガサは、大きく深呼吸して、さらに大きな声で言った。


「私とペアを組んでください!」


「はぁ?」


 アガサのいきなりの告白に、びっくりの声をあげたのは、イミコとカエンだった。

 告白を受けたほうのファビアンは、さすがに目を丸くしてた。


「ちょ、ちょ、ちょっと、アガタ! いったい急にどうしちゃったの?」


 イミコが、アガサのおでこに手を当てた。熱でもあると思ったらしい。

 その手を払いながら――といても、本当に熱があるほど、アガサは真っ赤になっていたのだが――アガサは大真面目な顔をしていた。


「私一人じゃ、フレイを抑えられないっていうなら、ファビアンが常に一緒にいてくれて、フレイを抑えていてくれればいいのよ。そうすれば、ホール・パスだって手に入れられるかも……」


 その言葉を遮るように、ファビアンが大きく手を振った。


「よしてくれ。どうして僕が君の世話をしなくちゃならないんだ?」


「あら? フレイの世話よ、フレイの。だって、あなたはフレイの力がほしいんでしょ? ほら、利害が一致した!」


 熱っぽい目で迫るアガサ。ファビアンは、たじたじと後退した。


「利害……って。一致していると思っているのは君だけだ。僕は、まったくありがたくはないね」


 クールな瞳をふとそらし、ファビアンは不機嫌そうに呟いた。

 

「だいたい、どうして君はそういう奇抜なことを考えるんだ? 自分がダメなら人の力を借りよう……だなんて、調子が良すぎるじゃないか!」


 どうやら、ファビアンの頭の中には、この展開は予想外だったらしい。かなり、不機嫌そうである。

 だが、アガサのほうは大真面目なうえ、自分の恋路も掛かっている。


「調子が良くたって何だって、私はフレイと一緒にいたいもの!」


 そう、ファビアンとも。

 一石二鳥のいいアイデアであり、けして引けない。


「とにかく! 僕はこの話から下りさせてもらう!」


 苛々しながら帰ろうとするファビアンの前に、アガサは立ちはだかった。


「この話は断れないわよ! 私の手の中に、レインがいるもの!」


 水の瞳がますます冷たく冴え渡った。


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