バルバルの人々・3


「一ヶ月の仮入学ですか?」


 アリの端正な顔が歪んだ。

 アガサが今までのすべてを打ち明けた時だった。

 彼はいきなりアガサの手を取ると、わなわなと震えながら言った。


「ああ、バッラーの神は、私になんという試練をお与えになるのだろう?」


 アガサは目をぱちくりさせた。そして、小声でフレイに聞いた。


「ねぇねぇ、バッラーの神って何者?」


 フレイもひそひそと耳元で囁く。


「バルバル王国に伝わる伝統の神様の名前さ。どうやら、イスラム教が土着宗教と合体して生まれた厳しい戒律の宗教って話だ。バルバル王国は、宗教国家でもあるんだ。宗教を信じているなんて、ソーサリエとしては珍しいんだけれど」


 アガサは胸を張って反論した。


「あら? 私だって、イギリスにいた時は、ちゃんと教会に行ったわよ。ちゃんと夜寝るときは、お誕生日のケーキはバタークリームではなくてチョコレートクリームにして、ってお祈りしたし……」


「……救われないな、ねーさんに頼られた神さんは」


 フレイは、力なくため息をついた。

 そんな二人に構うことなく、アリは一人、苦悩の世界に陥っていた。


「ああ、私にはとてもこの美しい人を救う手だてが思い浮かびません。そして、神の導きにより、せっかく出会えた運命の女性を、私は手放すことになるのでしょうか? 神よ!」


「あ、あの……」


 いつの間に、アガサはアリの運命の人になってしまったのだろう? あまりに大げさである。


「だいたい、なんでアガタが美しい人になるわけ? その美的感覚、やっぱ特殊だよな」


 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、アガサはフレイの口を塞いだ。ちなみに、口どころか、頭ごと締め付ける形になってしまったが。


「我が国の財宝をすべて献上して、マダム・フルールの気持ちを変えられるのならば、私はあなたのためにそうします。でも、あの方は、そういったことがお嫌いで……」


 いきなり、アリがひらめいたようである。


「そうだ! 困った時は、奴隷を使えばいいのです!」


 ひょいひょい手を振ると、どすん! とばかりにイシャムがやって来た。


 この場合、普通は【お呼びでございますか? 旦那様】だろうが、マダムのいたずらにより、ちょっと違う。


我輩わがはいを呼びつけたな、この野郎!」


 これで怒らないアリも不思議だ。


「イシャム様、お願いです。アガタ姫にロウソクに火を灯す方法を伝授してあげて欲しいのです。たしか……あなた様は、その技を習ったはずでしたね?」


「ああ、確かに習ったかもーん? でも、もう忘れたかも知れないのう」


 イシャムはあぐらをかき、ヒゲを撫でながら斜め上を見つめて考え込んだ。



 イシャム・サラディン、19歳。

 だてに7年もソーサリエの学校にいるわけではない。

 土の属性はマスターした。だが、卒業には少なくてもあと一種類の属性を、ある程度使いこなせなければならない。

 土のソーサリエとして一級品の彼だが、他の属性はからっきし。故に卒業できずにいる。

 だが、一応は火と風をかじっているのである。やっと、中央パスを手に入れたばかりのアリよりは、頼りがいがあるというものである。


「まぁ、我が輩もロウソクに火くらいつけたことがあるわな。いっちょ、やってみマホウか? ってか?」


 とても寒いダジャレだが、これもマダム・フルールのセンスなのだろう。 

 アガサもフレイも一瞬凍り付いたが、イシャムは奥の部屋に行ったかと思うと、小さな燭台を持って来た。


「うんじゃ、フレイを貸してちょ。魔法には、集中することが大事なんだがの、ソーサリエと精霊の魔力バランスっていうのが、最も大事なんじゃよ」


 イシャムはヒゲをひっぱりながら、偉そうに説明した。

 アガサはうんうんうなずきながら、フレイをイシャムに差し出した。

 すると、まんまるな手でイシャムはひょいとフレイを掴み、何やら古ぼけた計りの上に乗せた。


「ああいかん、羽を閉じて。浮かばないでおくんなせぇ」


 真剣な顔つきで、フレイと反対側の皿の上に分銅を置いてゆく。針が微妙にゆれ、止まった。だが、次の分銅を乗せても、針は微妙に揺れて、再び真ん中で止まる。


「なるほど、重さはこのくらい……」


 アガサには、素人目に見てもフレイの体重が量れたようには見えなかった。だが、ソーサリエにはわかるのかも知れない。

 次にイシャムは、やはり古めかしい尺を取り出して、細かにフレイを計りだした。

 羽の長さ、幅、身長、頭の大きさなどを計り、紙に書き付け、その後何やら計算しだした。


「イシャム様、どうなのでしょうか?」


 アリもやや不安そうだった。


「おうおう、心配しなさんな。やっと、やり方を思い出して来たわな」


 ……やっと?

 では、今までのことは何だったのだろう?


 アガサはますます不安になった。


「そう不安がるではない。今までは、フレイのもつ魔力の推測をしていたところなんよ。何事も下準備、敵さんの実力を測るところから、始めなければの」


「おいらは敵なのかい?」


 計られ疲れたフレイが呟いた。


「おうよ、ソーサリエと精霊は力と制御の戦いなのよ、では、いくわい!」


 イシャムは、もごもごと呪文を唱えた。


「ロウソクに火、つきんさーい!」


 実はこの呪文は、火の精霊言語で唱えられた。

 しかし、直ちにマダム・フルールの自動翻訳によって、誰にでもわかる言葉に置き換わる。

 とはいえ、アガサの耳には聞き慣れた言葉に感じた。おそらく、イミコやジャン・ルイは、母国語に加えて火の精霊言語を使って話しているのだろう。

 アガサは、無理矢理英語で念じるから、きっと駄目なのかも知れない。

 その証拠に、イシャムの前に置いてあったロウソクに、ぱっと灯がともった。


「うわ、すごい!」


 と、アガサが叫んだとたんだった。

 火は、いきなり一瞬大きな炎となって、ぼわっと、盛り上がって消えた。

 後には、顔を真っ黒にして呆然とするイシャムと、完全に燃え尽きたロウソクが残っていた。


 唖然として、イシャムを見つめるアリとアガサ。

 イシャムは目をぱちくりさせ、いつものようにヒゲを撫でた……が、ヒゲは触れたとたん、ぱらぱらと落ちてしまった。


「あ、う……我が輩のヒゲ……」


 イシャムは大ショックを受け、おーんおーんと泣き出した。

 まさに噴水のような涙である。ミント茶の中にも降り注ぎ、あふれんばかりである。


「う、おいら、泣く奴は嫌い……」


 フレイは涙を避けるようにして、ひらひらとアガサのほうへと飛んできて、肩に止まった。

 代わりにアガサの左肩に止まっていた土の精霊ジンが、ふらふらとイシャムの方へと飛んでいった。

 そっとイシャムの肩に止まり、得意のおべっかを言うつもりだったようだが、土砂降りの雨のようなイシャムの涙に、ジンもあっという間に濡れネズミとなった。

 ぶるるんと羽を震わせたとたん、滝のような涙におし流され、あわれ、ミント茶の中にぽちゃんと落下した。

 あまりのイシャムの悲しみように、アガサとアリはその場を離れるしかなかった。


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