総監生ジャンジャン

総監生ジャンジャン・1


 先に帰ったら? の一言を、何度も出しそうになる。

 アガサはイミコの手を引いたが、イミコの足は123段目の階段のところで、完全に止まってしまった。

 イミコは、カエンを使えば一飛びで部屋のある5階まで上がれるのである。しかし、彼女は強情だった。


「ごめんなさい」

 を連発しながらも、アガサと共に階段を上るという選択を諦めない。


「かえってアガタさんに迷惑をかけているとは思わないのですか?」


 などと、カエンが本当のことをいってしまうので、アガサとフレイは、つい、そんなことはない、がんばれと言ってしまうのである。


 アガサも疲れてはいるのだが、覚悟を決めた。


「私がおぶってあげるから! ほら!」


 そういって、階段にへたり込んでいるイミコに、身をかがめて背中を向けたときだった。



 目の前に、黒い尖った靴が見えた。

 そっと目でその先をたどると、赤毛をやや短く刈り込んだ黒いマントの少年が宙に浮かんでいた。

 マントの裏地はまるで火のように赤い。どうやら、この服装は3年生以上の火のソーサリエの制服らしい。同じマントを着た生徒を、何度か見かけている。

 アガサは、老人のようなへんな格好のままで、固まってしまった。


「君たち、そんなところで何をしているの?」


 少年はいきなり質問してきた。

 どうやら、授業か何かで吹き抜けを移動中、階段の途中で二人を見つけたらしかった。

 火のソーサリエらしい鋭い赤褐色の瞳だが、いかにも優しそうである。気さくな言葉であるが、どこか品がある。

 アガサもイミコも、すぐには返事ができなかった。


「バーンの主殿、実はわが主、イミコ・アイウチが階段途中で気分を悪くしてしまい、フレイの主殿が背負って部屋まで連れて帰るところでした」


 冷静に説明したのは、やはりカエンである。

 バーンの主と呼ばれた少年は微笑んだ。その肩先には、やはり火の精霊バーンがいたのである。クリクリとした愛嬌のある顔は、火の精霊としては珍しい。

 少年もきついところのない親しみやすい顔をしていて、どこかほっとする。


「では、僕が手を貸しましょう。か弱い女性が背負うには、この階段は長すぎますから。バーンとお二人の精霊がいれば、簡単なことです」

 そう言うと少年は、ぽんと指を鳴らした。


 そのとたん、不思議な空間が3人の精霊の間に浮かぶ。みるみるうちに空間は少年とアガサとイミコを包み込んだ。

 そして、いきなりの急上昇。あっという間に五階についていた。

 イミコはへたり込んだまま。

 そしてアガサは、あの腰をかがめた奇妙な格好のままだった。



「あーあ、ありがとう。にーさん。おいらのねーさんに代わってお礼をいうぜ!」


 フレイが興奮して叫ぶと、少年は軽く会釈した。


「マドモアゼルが困っていたならば、手を貸すのは男として当然です」

「わ、私もお礼を言わせてください! あ、ありがとうございました!」


 やっと硬直が解けたアガサは、ぺこっと頭を下げた。

 イミコのほうは、まだ固まったままへたりこんでいた。


「あなたたちはまだ、入学したばかりなんですね。僕は4年生のジャン‐ルイ・ド・ヴァンセンヌと申します。この火の学生寮の総監生をしています。困ったことがあったら、6階の1号室が僕の部屋ですから、精霊をお使いによこしなさい」


少年は、真面目な自己紹介をしたあと、いたずらっぽく笑った。どうやら本来は気さくな人らしい。


「……名前長いんで、気軽に、ジャンジャンとでも呼んでいいですよ」


 この学校で初めてであった親切な人である。

 アガサは感動して叫んでいた。


「わ、私は、アガサ・ブラウンです!」


 ジャン‐ルイの顔が、興味深げに微笑んだ。


「アガタ?」


 こくこくうなずくと、ジャン‐ルイはアガサに手を差し出して、握手を求めた。慌ててアガサはそれに応える。


「アガタって、僕の妹と同じ名前だ。なんだか他人とは思えないよ。どうぞよろしく」


「あ、あ、よろしくです! 一ケ月の仮入学ですけれど……」


「仮?」


「ま、まぁ……いろいろありまして……」


 言葉に詰まったアガサに、ジャン‐ルイはそれ以上の追求はせず、かわりにイミコのほうを見た。


「まだ具合が悪いですか? 手を貸しましょうか?」


 その言葉を聞いたとたん、イミコはばね仕掛けの人形のように跳ね上がった。それには、ジャン‐ルイも驚いたようだった。


「君の名前は?」


 さりげなく聞いた言葉なのに、イミコは返事もせず、口をしっかり結んでしまっている。

 この少年の何が気に食わないのだろう? と、アガサは一瞬思った。が、やがて答えは沸いて出た。

 イミコがしゃきっと立ち上がったので、彼は微笑んだ。 


「大丈夫なようだね? じゃあ僕はこれで」


 そういうと、ジャン‐ルイは爽やかな笑顔のままで、再び指を鳴らして上の階へと姿を消した。




「あぁ……素敵な人」


 アガサが思わず呟くと、その横でフレイが踊っていた。


「そうだろ、そうだろ! さすが、バーンの主だけあるぜ!」


 火の精霊が『さすが』というならば、彼は本当に立派な人物にちがいない。

 紳士だし、人当たりがいいし、それでいてどこか親しみやすいし。


「なぁ、ねーさん。どうせ恋をするならば、彼みたいな優しい男がいいと思うぜ!」


 フレイは、まるで説得するかのように言った。

 が。

 アガサは、そうは思わない。

 ひとつは、氷の王子様のほうが、容姿が自分好みだから。

 そりゃあ、ジャンジャンも素敵だけど、見てくれとの好みというものはけっこう大事なのである。

 もうひとつは……。

 はじめてこの世界で友人になってくれたイミコのためだ。

 彼女ときたら、すっかり呆然としたまま、再びへたりこみ、立ち上がれないでいるのである。

 これって……たぶん、恋だと思う。


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