正しい火のつけ方・3


 眠たくなるほどの学校の仕組みを延々と聞かされて、アガサはあくびを噛み締めて我慢していた。

 あまりにも憶えることが多すぎて、脳の許容力を超えている。

 学校の仕組みは複雑だし、ホール・パスを持たないアガサには、立ち入り禁止場所が多すぎる。学校という名の牢獄の如し……である。が、さらに学生牢などもあるし、場合によっては退学もありえるそうだ。

 制服は支給される。上級生の制服のマントは、それぞれの属性を一目で見分けるための物らしいが、今のアガサには、他の属性の生徒に会う可能性はない。


 なんとも脈絡のない理解よりも眠気を呼ぶ話を聞きながら、アガサはふっと思った。


 ――つまるところ、彼とは会えないのかしら? 


 ごほごほごほ……と、モエが咳払いをした。


「まぁ、わからないことがあったら、ご自分の精霊に聞くとよろしい」

 で、長いモエの話は終わった。


 約1時間20分と30秒。凝り固まった足が動かない。

 結局は、フレイがすべて知っていることで、わざわざモエの話を聞く必要があったのだろうか?

 そう疑問に思いながらも、部屋を出たとたん。


「ちぇ! 相変わらず嫌味ばババァだぜ! モエバーは!」


 と、フレイが怒鳴りだした。


「だいたいアイツ、ねーさんの情報を知らねーはずはねーんだ。マダム・フルールから、ねーさんが火をつけられないことぐらい聞いているはずだ! それに、恩着せがましく長々と立たせて話を聞かせてくれやがって! 学校のことなら、おいらにまかせろっていうのによぉ!」


 カンカンに怒っているフレイの様子を見ても、当事者のアガサはぴんと来なかった。


「私、馬鹿にされているって思えるほど、ここのこと知らないから、それほど腹立たしくないんだけど」


「だからモエバーは言いたい放題し放題なんだよ!」



 廊下の向こうで待っていてくれたイミコが、アガサたちの姿を見て歩み寄ってきた。

 こんなに時間が掛かったのに、彼女はひたすら待っていてくれたらしい。お礼をいうと、イミコはうつむいた。


「うん、でも、私もそれほど取れる授業がないから……」


 イミコの言葉が終わらないうちに、カエンが止めを刺す。


「アガタさんのために、今日の授業はすべてキャンセルしたじゃありませんか? そのような嘘はおやめなさい」


「ひ、ひ、ひどいわ! 私、そんな……」


 イミコが泣き出す前に、アガサは再び彼女を抱きしめて、ありがとう、うれしい、あなたの心遣いが、を、連発しなければならなかった。

 内心、どうしてイミコの精霊とイミコの性格は正反対なのか? などと、不思議に思いながら。


「まぁ、それよりもおなかすいちゃったね。何か食べながら、お話しようよ」


 アガサの提案に、イミコは泣き止んだ。


「ええ、そうね。食堂も売店も、この階にあるから、ちょうどいいわ」


 ちょうどいい……というか、生活に関わる施設は、ほとんどが一階にあるのである。

 授業の教室は、二階から三階。その上が学生寮になる。

 つまり、アガサは、朝昼晩と食事のたびに232段の階段を上り下りすることになるのだ。

 小腹が減ったで、232段。喫茶店に入ろうで232段。図書館で本を借りようで232段である。

 これは早く空中歩行の技術をマスターして、どこにでも行けるようにならなければ、努力と根性も尽きてしまう。



 食堂には何人かの生徒がいて、挨拶してくる子もいたが、皆、イミコを遠巻きにしているらしい。というか、イミコが人と接しないだけなのだろうが。

 今までの豪華さとは違うどこか庶民じみた食堂だった。

 自分達の部屋の3倍くらいの大きさだろうか? これだけの大きな寮にいる生徒を食べさせるには、明らかに狭すぎる。

 豪華な宮殿の召使部屋を見学したような衝撃を感じる。

 ややきしむ椅子を引いて座ると、テーブルには誰かが書いた落書きすら残っていた。

 出てきた料理もまずい。


「ここは一年生と二年生しか利用しないから……」


 と、イミコは言った。


「三年生になってホール・パスを手に入れると、中央塔の下のエリアに出入りできるようになるの。そこの食堂は立派で食べ物も美味しいし、デザートにケーキやフルーツも食べ放題なのですって」


 ケーキの一言に、アガサはうっとりした。でも、ホール・パスを手に入れるどころか、学校にいられないかも知れない。


「イミコがホール・パスを取って、私のためにこっそりケーキを持ち出してくれるとうれしいのだけど」


 情けない声を出すと、イミコは美味しくないピザを食べる手を休め、大真面目になって言った。


「私、アガタと一緒じゃなきゃ、先になんて進まないわ。立派なソーサリエになることなんて、私には意味のないことですもの」


 茶色の真剣な眼差しに見つめられると、反論できなくなる。

 オチこぼれに付き合ってもらうのは、それほどうれしいことではないのだ。イミコはイミコの能力を伸ばしていって欲しいのに。


「イミコ、そういうことを言うと、アガタさんにはかえって負担になるものです」


 カエンの言葉に、真実を感じる。


「だって……」


 悲しそうにイミコはうつむいた。



 一度心を許したら、必死になって付いてゆく。

 それが相内火美子という少女である。

 彼女は、アガタが受けるなら……と、苦手な体育も取るという。

 困ったものだが、ここまで一途に思われると、こちらも面倒を見てあげなくちゃ……と思ってしまう。


 だから。


 帰りの階段も、魔法を使って先に帰れ! とは、言えなくなってしまうのだ。

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