4 森の毒

【冒険者ウルバノ】



 森に入りすでに2日目、一行はオッソネグロを追い慎重に進む。


 先頭はウルバノ、彼はシェイラから追跡術を学びながら地を這うように獲物の足跡を追っていた。


 ……あれ? 見失ったか?


 ウルバノはオッソネグロの足跡を見失い、顔を上げた。


「足跡が切れた……め足かな?」


 ウルバノが振り返りシェイラに確認すると、すでに彼女は後方を警戒していた。


 止め足とは、野性動物が自らの足跡を逆にたどるようにして戻り、狩人の目をくらませることである。

 ウルバノはこれをシェイラから学んでいた。


「警戒するんだ。かなり追い付いてきたぞ、止め足を使って後ろから襲うつもりかもしれない」


 シェイラの忠告に一同は頷く。

 もはや彼女の指示を疑うものはこの場にいない。


 人が手を入れていない森を歩くのは並大抵の事ではない。

 シェイラは素人に等しい集団を引き連れ、飢えも渇きもなく先導しているのだ……その優れたサバイバル知識は荒くれ冒険者を心服させるのに十分であった。


「でもよシェイラさん、今まで逃げ続けたヤツが急に反撃をすることがあるのかい?」


 マリオが軽口を叩くが、その顔は緊張で引きつっている。


 今までの道中、シェイラからオッソの賢さと強さは十分に聞いていた。

 その強力なモンスターの待ち伏せと聞けば、彼も緊張せざるを得ないのだろう。


「熊は賢いぞ。4人の狩人に追われていれば逃げる。逃げながら、こちらを観察しているんだ」


 この言葉を聞きソニアが「それなら、今も?」と不安げに周囲を見渡す。


「そうだ。逃げられないと判断するか、戦って勝てると見れば来るはずだ――もうここは向こうの縄張りなんだぞ」


 見ればシェイラが示す大きな木には、獣の爪痕がハッキリと残っていた。オッソネグロだろう。


「シェイラさん、止め足意外に熊はどんな手を使うんだ?」

「色々かな……川を歩く時もあるし、同じ所をぐるぐる回る時もあるぞ。ここは昨日歩いた場所だ」


 ウルバノはすでにシェイラに弟子入りした気分で教えをうけている。


 ……このくらいできるようにならなきゃな、パーティーを組むんだから。


 すでに彼はシェイラと旅をすると勝手に思い込み始めていた。そのために少しでも差を埋めたいと必死なのだ。


 若さゆえの愚かさ、妄想である。


 熊の爪痕を観察していたシェイラは「思ったよりも大きい」と呟き、腕を組んで「うーん」と唸りだした。


「シェイラさん、どうかしたのか?」

「思ったよりも高い位置に爪痕があるんだ、このままじゃ厳しいな……毒を使おう」


 ウルバノの問いに答えながらシェイラはえびらに手を伸ばし、小さな筒を取り出した。


「それが毒なのか?」


 ウルバノの言葉にシェイラは小さく「いや」と短く答え、朽ち木に生える小さなキノコをナイフで小削こそぎおとした。


「作るんだ。この森は毒になるものが多いから良いのができるぞ」


 シェイラは自然な仕草でキノコを筒に入れていく。

 その手慣れた様子にウルバノはうすら寒いものを感じた。


「へえ、毒か。そりゃ良いや。その毒を食らったらどうなるんだい?」


 マリオがいかにも馴れ馴れしくシェイラに尋ね、筒を覗き込む。


 美しい森人エルフはただ一言「死ぬだろうな」と呟きニコリと笑った。




――――――




 夕刻



「シェイラさん、暗くなる前にキャンプにしないか?」


 オッソネグロの足跡を追うウルバノは顔を上げてシェイラに尋ねた。

 森の日暮れは早い、早めの夜営が必要なのだ……これは彼がシェイラから学んだことである。


「……うん……いや、何かおかしいぞ?」


 シェイラはピクリピクリと長い耳を動かして周囲を探る。

 その緊迫した様子に皆が警戒を強めた。


「おかしいぞ、他の獣の気配がない! 気を付けろっ!」


 シェイラの声が合図となったか、やや離れた茂みがガサガサと大きく鳴り――何かが飛び出した。獣だ。


 大きな獣は飛ぶような速度で一直線に向かってくる。速い。

 強烈な獣の臭いが鼻を打った。


「バラバラになれっ! マリオは火で怯ませるんだっ!!」


 シェイラが指示を飛ばすが、それどころではない。

 茂みから飛び出した大きな獣は「ゴアッ! ゴアッ!」と小さく吠えながら目にも止まらぬ速度で見る見るうちに接近していた。


 ……は、速い、デカすぎる!?


 ウルバノはその獣がオッソネグロなのか、確かめる余裕すらない。

 やっとの思いで身を縮め、粗末な盾を構えるのみだ。


 モンスターとの戦は初めてではない、人を殺したこともある。

 だが、この獣は今までウルバノが戦ってきたモノとは全てが違いすぎた。


「ゴアアァ!!」


 そのままの勢いで獣はマリオに飛びかかり、その巨大で組み伏せる。


「うわっ!? 助けてくれっ!!」


 助けを求めるマリオはすでに血まみれだ。

 必死で獣の顔を抑え、押し戻そうと必死にあがいている。もはや魔法どころではないだろう。


 ……やばいぞ、逃げなきゃ殺されちまう!


 近くでソニアの悲鳴が聞こえた。


「――は! や、」


 言葉が詰まって発音できない、息苦しい。

 皆ここで死ぬのか――そう考えるとウルバノはたまらない恐怖を感じる。

 足は震えて動かず、体は金縛りに掛かったようになってしまった。


 その金縛りを破ったのはシェイラだ。

 彼女が放ったのであろう矢は狙いを過たず、マリオにのし掛かる獣の下顎に突き刺さる。


 獣は苦しげに「ゴアッ! ゴアアアッ!」と後ろ足で立ち上がり、前足をばたつかせて口元の矢をへし折った。


 見れば獣の背にはもう一本矢が突き立っている。これもシェイラが射たのだろうか。


「こっちだ! 毒矢を射たのは私だ!! こっちに来いっ!!」


 シェイラが獣に向かって叫び、続けざまに矢を射かけた。


 ……駄目だ! 囮になるつもりか!?


 その瞬間、ウルバノは雷を受けたような衝撃を感じた。

 彼女は1人でバケモノのような獣と戦っているのだ。


 ……そんなことが許せるかっ!


 ウルバノはありったけの勇気を振り絞り、盾を構えたまま全身で獣にぶつかった。


「おおらぁっ!! 殺らせるかよ!!」


 ウルバノはウォーピックを振るい、獣に突き立てる。

 だが効果は薄く、逆に厚い毛皮と脂肪に阻まれて抜き差し出来なくなった。


 ……やば、死んだ!?


 そのまま獣の前足がウルバノを襲い、ぶっ飛ばされた彼の意識は遠のいていく。


「――逃げろ、何をしてるんだ!」


 どこか遠くで、シェイラの声が聞こえた気がした。




――――――




 ……俺、死んだのかな? なんか柔らかいな?


 ウルバノは後頭部と顔に不思議な感触を感じて目を開いた。


「あっ、目が覚めたな」


 なんと、彼の眼前にはシェイラの顔があった。

 心配げに覗き込む彼女の髪が顔にかかり、くすぐったい。


 ……あれ? シェイラさん? この柔らかいものは?


 ウルバノは頭の下にある柔らかなものに触れ――


「こらっ! エッチなことは駄目だ! 薬を塗ってるんだから大人しくしろっ!」


 シェイラはムッとした顔で睨んできた。怒った顔もかわいいな、とウルバノは見当違いなことを思う。


 ウルバノの頭の下には太ももがあった。シェイラに膝枕をされていたのだ。

 それは治療のためかもしれないが、何とも言えない気恥ずかしさがある。


「あ、ごめん、薬を?」

「ダメだ、動くな。オマエはオッソネグロに殴られたんだ。爪で額を裂かれているぞ」


 その言葉にウルバノは思わず額をさわり、鋭い痛みを感じた。かなり広く裂かれているようだ。


「触るな。薬がとれるだろ? 首は折れてないから安心しろ」

「……首が」


 さすがにこれにはゾッとした。

 確かに、あの大きな獣の前足ならば人の首をへし折るなど簡単なことに違いない。


 しかし、何だか変だ。

 シェイラが怒っている気がする。


 ……尻をさわったから? いや、それにしては……


 この依頼の中で彼女が怒りを見せるのは初めてである。

 ウルバノは何とも言えない不安を感じた。


「シェイラ、さん……怒ってるのか?」


 この言葉に彼女の整った眉がピクリと動いた。


「ああ、怒っているぞ。忘れたのか? 私は毒を使ったんだ。あのままオッソネグロを走らせれば死んだんだぞ……なのに何をしてるんだ」


 シェイラは「このバカ」と呟き、プイッと顔を逸らせた。


 命を懸けた自分の特攻が無意味だったことはショックではある。

 だが、シェイラが自分を心配してくれた、怒ってくれた。

 この事実は若いウルバノを舞い上がらせるには十分だった。


「シェイラさん、俺と、その――」

「寝ろ、火は私が見ていてやる。休むんだ」


 その言葉に誘われるようにウルバノの意識は再び暗い淵に沈む。


 ……ああ、シェイラさんは俺を心配してくれたのか、俺好きだ……


 体が休息を欲しているのだろうか、彼は幸せな妄想に抱かれて眠る。


 また何か、シェイラが話しかけてくれた気がした。




――――――




 オッソネグロを退治したが、モンスター退治は対象を仕留めて終わりではない。


 まずは解体である。


 毒を用いたために肉や内臓は捨てるが、毛皮は持ち帰ることができる。

 モンスター退治はギルドからの報酬以外にもこうした戦利品を得ることができ、実入りがよい。

 若く貧しい彼らがオッソネグロの毛皮を捨てて帰ることなど、できることではないのだ。


「へっ、無駄なことして毛皮を傷つけやがって」

「うるせえ! かじられてピーピー泣いてたくせによ」


 負傷したウルバノとマリオは完全にかやの外、解体はシェイラとソニアが行った。

 無論、ソニアは素人同然でありシェイラの教えを受けながらである。


「なあ、俺さ……彼女の旅についていきたいんだが、どう思う?」


 ウルバノがポツリとこぼすとマリオは「ちょっと格が違いすぎるだろ」と苦笑した。


「それでもだ」


 ウルバノが言い切ると、マリオは小さく驚きを見せた。

 別に彼らは親しい友人でもないが一応の付き合いはある。


 普段のウルバノは粗野で、愛想のない若者だ。

 いつもの彼を知るマリオはその決意のほどを察した。


「いいんじゃねえの? あ、礼は言っとくぞ。オマエが割って入らなきゃ俺は死んでたかもな」


 マリオは吊るされた自らの左手を眺めて苦笑いをした。

 骨折、裂傷、その傷は軽くはない。


「一杯おごれよ」

「わかってるよ」


 なんとなく会話はこれで途切れたが、気まずい沈黙ではない。

 決してウルバノは悪い気分ではなかった。


 さすがに何もしないのは悪いのでオッソネグロの皮はウルバノが担いだ。

 しかし、皮だけになってもそれなりに重く、なにより臭い。


 ……だけどな、ここからだ。


 等級に差がある冒険者についていくなら荷物もちからである。

 ウルバノとシェイラの等級は同じではあるが、ここまで差を感じればさすがに同格待遇は無理がある。

 そこに不満はない。



 怪我人を抱えた帰路は遅い。

 2日以上の時間をかけ、サルガドの冒険者ギルドにたどり着いたのは正午を過ぎたころだった。


 さすがにここまで来れば皆の気も弛み、笑みがこぼれる。


 そして、ギルドに入るや否やシェイラが「あっ、エステバ~ン」と甘えた声を出し、カウンターにいた男に飛び付いた。


「むかえに来ちゃったのか? 私が心配だったんだな? 毎日待ってたんだろ?」


 全身からハートマークを撒き散らしながらシェイラは男の胸に「ふがふが」と顔を埋めている。


「シェイラさん、スッゴい良い男じゃない? 紹介してよ」

「だめだっ! エステバンは私の婚約者なんだからなっ! エステバンは私が心配でずーっと待ってくれてたんだっ!」


 シェイラとソニアはキャピキャピした雰囲気で騒ぐが、ウルバノの耳には何も入らない。


 男は明らかにただ者ではない雰囲気をまとう鍛え抜かれた肉体と甘いマスクの持ち主である。

 その男振りは同性のウルバノでさえ見惚れるほどだ。


 ……えー、うそやん。なにそれ……


 シェイラは「エステバンと一緒にいたくて森を出た」とか言っている。

 人に言えぬ事情とは駆け落ちだったらしい。


「あー、なんだな。おごるのは娼婦がいいかな?」


 マリオが隣で「はは」と乾いた笑顔を見せ、ウルバノの頬を何か熱いものが伝った。



 余談ではあるが、ウルバノはおごりで抱いた娼婦に入れあげて今回の報酬も全てスッたらしい。

 若さゆえの過ちは、常に苦い。




■■■■



ウルバノ、マリオ、ソニア


その後、彼らはパーティーを組み、それなりに活躍した。

10年ほどで引退し、皆で金を出しあって商売をはじめたのだから立派なサクセスストーリーである。

尻の軽いソニアはウルバノとマリオの子を産んだが、なんだかんだで関係は破綻しなかったようだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る