5 森の夜

 ファビオラの屋敷で軽い食事をご馳走になり、一晩を明かすことになった。


 意外にも森人エルフは肉を好み、野菜はあまり食べないのだとか。

 これは『森の木々と生きる森人は植物を食としない』と言う大昔の考えの名残らしい。

 もっとも、今では住居に木材を使うし、ある程度は穀物も野菜も食べるそうだが、それでも彼らは獣肉を好む。


 種族が違えば主義主張は色々あるのだ。

 日本にいた頃も菜食主義の人はいたし、肉食主義もあって不思議じゃない。


 また、森人の寝具は実に質素で、毛皮の敷物と、何やら不思議な繊維を編み込んだような掛け布団で眠るようだ。枕は見当たらない。


 俺は森人の集落に入るのは初めてで、見るもの全てが珍しい。

 少し緊張もあり寝付けずにいると、躊躇ためらいがちに誰かが部屋に忍び寄る気配を感じた。


 気配からすると女が1人、敵意は無さそうだ。


 恐らくはノエリア――家主のファビオラならば、用件があれば堂々と来るであろうし、シェイラが族長の家に忍び込むとは思えない。


「ノエリアさんか」


 俺が声を掛けると、部屋の外で息を飲む気配があった。

 そして、やや間をおいて「はい」とノエリアの声が聞こえた。


「その、お母様が……エステバン様にお礼をいたせと」


 俺は寝床から半身を起こし、姿を見せたノエリアと向かい合った。


 ……なるほど、こうきたか。


 俺は内心で動揺しつつも納得した。

 この世界では大切な客人をもてなすために妻や娘を馳走することは、ままあったことらしい。

 今ではすたれた風習ではあるが、一部の地域では今もなお残ると聞いたことがある。


 据え膳食わぬは男の恥、俺もこのシュチュエーションで我慢するほど枯れてはいない。


「手の傷は良くなりましたか」


 俺はノエリアの手を取り、寝床に引き込む。

 小さく驚いたノエリアが「あ」とあえいだ。


 寝床で無防備な姿を晒す彼女は美しい。

 森人特有の白い肌とスミレ色の瞳は何とも言えず幻想的だ。

 少し華奢な体つきだが、これも森人の特徴である。


 俺は小さな唇を吸おうと顔を近づけ……異変に気がついた。

 ノエリアがポロポロと泣き出したのだ。


 ……まあ、豚人オークに拐さらわれた直後にこれは泣くわな……


 俺は「ふうーっ」と息を吐き、ノエリアから離れた。

 寝床に胡座あぐらをかいて座り、彼女を眺める。


「お母様の言いつけで、仕方なく?」


 ノエリアは無言だ。

 だが、しくしくと泣かれればにぶい俺でもさすがにわかる。


「お好きな相手がいるのですね?」


 俺の問いに堪えきれず、ノエリアは顔を隠して嗚咽を洩らした。


 これにはさすがに俺の息子も力を失いしなびていく。

 泣いてる女をいたぶる粋人もいるだろうが、俺にその手の趣味はない。

 どちらかと言えばМ気質なのだ……それはどうでも良いか。


「無理はせず、お帰りなさい」


 俺が促すと、彼女は「お許しください」とよろめくように部屋を出た。


 ……なんだかなあ……早く寝るか。


 すっかり気が削がれた俺が中途半端な状態で残された。

 こんな時はふて寝をするに限る。俺は布団を被り忘れることにした。



 すると、やや間をおいてから再び人の気配を感じた。

 次なる闖入ちんにゅう者は躊躇ためらいを見せず、素早く俺の布団に滑り込んでくる。


「わ、ちょっと……」

「ふふ、お嫌かえ?」


 何とファビオラである。

 母が娘の代わりをすると言うのか、俺はその大胆な行動に驚きを隠せなかった。


 ファビオラは実に美しい。

 一糸まとわぬその姿は、俺の男をうずかせる充分な威力を秘めていた。


「ノエリアさんの身代わりに?」

「そうじゃ、わらわの夫は既に亡い。寂しい後家を慰めておくれ」


 ファビオラは妖しく笑い、裸身を絡み付かせてくる。

 さすがに先ほどノエリアに生殺しにされた俺は我慢の限界だ。


 だが、先ほどのことを思えば素直にファビオラの誘いに乗るのもしゃくではある。

一言くらいは釘を刺してやりたいところだ。


「ファビオラ様、娘さんにあの仕打ちはむごいのでは……」


 俺の抗議を聞き、ファビオラは「言うな、我らにも事情がある」と唇で言葉をき止めた。


 これが止とどめとなり、土俵際で僅かに堪えていた俺の理性は陥落した。


 ……もう、どうにでもなれだ。


 俺は半ば自棄やけになり、ファビオラを抱き寄せた。



 森人の体からは、嗅いだことの無い不思議な香りがした。




――――――




「……一応、理由を聞いても良いですか?」


 事後、俺はファビオラと体を寄せ合いながら事情を尋ねた。


「エステバン殿に惚れてしもうたのじゃ」

「いや、そう言うのじゃなくて」


 俺は苦笑いし、取り合わない。


 ファビオラは「つれないのう」と妖艶に笑う。

 また、俺の男がずきんと疼きだした。


 ……いかんいかん。気をしっかりともて。


 俺は自らを叱咤し、目に力を込めてファビオラを見つめる。


たねをな、分けてもらおうと思うてな」

「種とは……子種ですか?」


 俺の間の抜けた質問に、ファビオラは俺の男をギュッと握って応えた。これには堪らず「痛て」と声が出る。


「おことには何か他に種があるのかえ?」


 ファビオラは俺をもてあそびながら心底楽しそうに笑う。


「この森に住む森人はな、我が氏族14戸だけじゃ。皆が親族、血が濃すぎるのよ。近年は薬を用いねば子も産まれず、産まれても皆ひ弱じゃ」


 ファビオラの言葉に、俺は「なるほど」と頷いた。

 この閉鎖された村落の中で近親婚が進んだことを彼女は案じているのだろう。

 森人は寿命は長いが繁殖力が弱いと聞いたことがある。それは近親婚の影響なのだろうか?


「しかし、人間と森人が子を成して良いのですか?」

「駄目かえ? 我らはしゅも近く、子も成しやすい。妾の父の父は人間じゃったそうな」


 これには少し驚いた。

 勝手にハーフエルフは蔑まれたり差別されるようなイメージをもっていたが、全然そんなことは無いらしい。


「ならば何故、森に隠れ住んでいるのですか? 人をたくさん招けば……」

「数の少ない我らは食い物にされるの」


 俺はファビオラの言葉に「なるほど」と納得した。

 世の中は善人ばかりではない。見目が美しく、長生きする森人は人間の欲を刺激するには充分だ。

 隠れているからには過去に何かあったのだろう。


「いくら交配ができるからとて豚人や地人ドワーフは生理的に受け付けぬ。子を成すならばエステバン殿のような優しくたくましき男が良い」


 ファビオラが「んー」と口を寄せてきた。

 これを拒む理由はない。


 しばし、互いの舌を絡ませ会話が途切れたが、これで誤魔化されてはいけない。

 俺は自らの理性を励ました。


「ノエリアさんは好きな相手がいると言っていましたよ、ご存じですか?」


 俺の言葉にファビオラが「知っておるわ」と眉をしかめた。

 どうやら意に沿わぬ相手のようだ。


「シャビィじゃ。あの愚図め、特別な手柄を立てれば話を聞いてやろうと思うたに……今回も妾はシャビィにノエリアの探索と救出を任せたのじゃが、実に頼りなきことじゃ」


 ファビオラは「ふう」とため息をつき、首を振った。

 どうやら彼女はシャビイを評価していないようだ。


「慎重といえば聞こえは良いが、だらし無いのじゃ。今回も仲間を集めておる間におくれをとりおった。エステバン殿のように遮二無二に突き進む強きおすが女を得るものよ」

「まあ、そうかも知れません」


 ファビオラは辛辣だが、道理ではある。

 日本人だって収入が多かったり、社会的な地位があるほうが結婚しやすいだろう。

 森人エルフの尺度では『強さ』が優先されると言うだけだ。


 無論、ファビオラの苛立ちはそれだけではあるまい。

 彼女は娘の気持ちを考えてシャビイにチャンスを与えたのだ……おそらくは今までに何度も。

 それをモノにできないシャビイが歯がゆいのだろう。


 俺はこの話で色々と腑に落ちた。


 ……なるほど。初めにシャビイが突っ掛かってきたのはそれか。


 シェイラが戻り、ノエリアの危機を知ったファビオラはシャビィに奪還を命じたのだ。

 無事に取り戻せれば『特別な手柄』としてシャビイをノエリアの婿として認める腹積もりだったのだろう。

 シャビィが率いていたのは豚人の討伐隊であり、ノエリアの探索隊だったのだ。


 そこに、俺が割り込んだわけだが……別に悪いことをしたとは思わない。

 ノエリアの救出が遅れれば彼女がどうなっていたかは想像に易い。


「なるほどね……何となく事情は分かりました」

「過ぎたことは良い。それよりも、もう一戦所望じゃ」


 ファビオラは会話を切り捨て、俺に馬乗りとなる……素晴らしい景観だ。

 彼女の森人として破格の体型スタイルは人間の血を引いているからなのかも知れない。



 俺は日本で蓄えた知識を総動員し、ファビオラを迎え撃った。

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