第七章 閃と光  … 壱

 周囲にある民家よりも一回りも二回りも大きな、ゴシック調の建物の前にやってきた月島と東郷。

「ここが教会ですか?」

「あぁ。大きい建物だろう?」

「立派ですね」

 上を見上げて柱や屋根の部分に施された装飾などを見ていると、東郷が彼女の肩をトントンと指でつつく。

「おい、月島」

「へ?」

「口が開いてるぞ」

 呆れ顔で東郷は自分の口元を指さしながら指摘し、月島は慌てて口を閉じて、手で覆って口元を隠した。


 木製の戸を開けて中へ入ると、真ん中を縦断するように通路があるのが目に入った。そこには歴史を感じる、くすんだ色のカーペットが敷かれている。

 その先に祭壇があり、何本かろうそくが立てられていて、わずかな空気の流れで揺らめきながら、その輝きをたたえている。

「ほら、上を見てごらん」

「上……? わぁっ」

 東郷から促されるままに上を見上げた月島は、思わず感嘆の声を上げ、そして息を呑んだ。

 そこには今にも動き出しそうなほど写実的でダイナミックな、色彩に富んだ神話の世界が天井に描かれていたのだ。

「天井画、ですね」

「そうだ。あそこには、この地域に伝わる幾つかの神話の内、代表的なものの一場面が描かれているんだが、あそこを見てくれ」

 東郷は入り口から見て左側の中ほどに位置する画を指さした。そこには月島が元いた世界で見たものと同じ、れっきとした人魚の姿が描かれている。

 二人はその人魚が描かれている位置の下へと向かって、さらに注目した。

「重要なのはここだ。何体かいる人魚の後ろに集まって描かれている群衆は、この地域に住んでいた民だ。それで、反対側で槍を持って対峙しているのは、外の世界から責めてきた者たちを表しているんだ」

「じゃあ、本当に人魚はここの民を守っていた……?」

「その通り。人魚は相手の精気を奪うことによって戦う気力を削ぎ、それによって領地の外へ追い返すということをしていたんだ」

「ちょっと待って下さい。追い返すだけですか?」

「あぁ。何度攻め込んでも、精気を吸われて追い返される。その内、諸外国の兵士たちは廃人寸前までされて逃げかえる繰り返しに苦痛を覚え、攻め込まなくなっていく。そうなれば、上の者たちも容易に兵を出すことが難しくなり、攻め込めなくもなっていく。それによって、この土地を守ってきたんだ」

「他の土地や村を襲ったりはしなかったんですか?」

「そんなことはしないさ。言い伝えでは、人魚は普段温厚で無用な争いごとをきらい、避けていたというんだ。それから、人々に知らない言語やその当時はまだ未知、未発達だった知識を多く持ち、そしてそれらを教えていたことから、昔の人々は、人魚は時空を越えられると信じていたらしい」

「確かに、時空を超える力はあった。だから私はここにいるとも言えます。でも、人魚が人々を襲う姿も私は見ました」

 月島は疑問を口にしながら、思考を巡らせた。それを聞きながら、東郷は近くの長椅子に腰を下ろした。

「だとしたら、その人魚はこの神話に出てくる人魚とは別物なのかもしれない。或いは、操られていた、とか?」

 男の話を聞き頭を悩ます月島。腕を組みながら改めて天井画を見上げた時、あることに気が付いて、画と男の顔の間を視線が何度か往復した。

「あの、人魚と人って会話してたんですか? しかも、普段から姿が見えた?」

「あぁ、どういう風に意思疎通をとっていたのかは分からないが、実際に情報をやり取りしていたという記録は残っているらしい。それから、人魚は民衆の前では姿を見せていたこともある。暗闇に隠れる時や聖域で休んでいる時など、限られた時のみ姿を隠していたんだ」

 驚きの表情で、食い入るように画を見ている月島に、東郷は質問を投げた。

「なぁ、君が元いた世界とやらで何があった。なぜ人魚の力で時空を移動させられるようなことになったんだ」

 男の言葉に、月島は画から目を離して男の顔を見た。表情は真剣そのものだったが、あの檻の前にいた時の怖さはなかった。

「隣、いいですか」

 断りを入れて男の横に座る。何から話せばいいか、言葉を選びながら話し始める。

「私は、友達や家族を守るために軍に入ったんですけど、それとほぼ同時期に、私が暮らしていた街に人魚が現れたんです。初めは巨大な卵が出現して、それが孵化して割れると、中から多数の人魚が飛び出してきて、人々を襲い始めたんです。私たちはその人魚を対処するために出動したんですが、そこへ、人魚だけじゃなくて他の者たちも現れて、私はその者たちによって卵の中へと放り込まれてしまったみたいなんです。そこからは、何が何だかわからないままに時空を移動させられて、この場所に連れてこられたんです」

「他の者たち、とは何者だ」

 月島は小さく首を横に振り言葉を続ける。

「私と一緒に行動していた人は相手のことを知っているみたいでしたけど、私はさっぱりわかりません。一人は、白いワイシャツに黒いズボンを穿いた男で、それともう二体、黒いモヤで覆われた人型の怪物がいました」

「ワイシャツの男に黒いモヤの怪物が二体……? うぅん、すまないが聞いたことも見たことも無いな」

「そうですか……」

 自分が卵に落とされる前の出来事を話しながら、頭の中でその日の出来事が回想される。その度に、向こうの世界に残るヒヴァナやルーンたちのことが胸をよぎり、自分の不甲斐なさや無力感でいっぱいになる。

 ズボンにしわができるほど強く両手を握りしめ、こぼれそうになる涙をこらえる。

「私がいて何ができるのか、もうわからない……でも、早く戻らないと。ここにいたって、あの街の人々を救えない。だけど、戻る方法が分からない」

 堪えようとしていた気持ちや言葉が、ついに堪えきれずポロポロと溢れ出す。

 東郷はそっと月島の背中をさすり、かける言葉もなく、ただ天井画を眺めた。だが、そこにも答えは見つからない。

 そんな時、奥の祭壇の方から年老いた女性の声が聞こえた。

「黒いモヤでできた人型……」

「へ?」

 見ると、最前列の長椅子に一人、白髪で背中が曲がった女性が虚空を見つめて座っていた。

「あぁ、長老……」

 東郷は席を立ち、頭の後ろをポリポリとかきながらその女性に近寄っていく。

「カヤツリさん。また黙ってここに来たんですか? ご家族とかヘルパーさんが心配してますよ?」

 月島は涙を拭うと、ゆっくりと立ち上がって東郷の後を追った。東郷は、女性と目線を合わせるようにしゃがみ込み、膝や手の甲をさすりながら話しかけている。

「あの、その方は……?」

「へ? あぁ、何でもない。どこにでもいる、普通の長生きな女性さ。ほらカヤツリさん、家まで送りますよ」

 東郷は月島とカヤツリという女性を近づけたくないのか、素っ気なく、短く返答すると直ぐに女性へと向き直り、無理にでも立たせようとしている。

「人魚を見ない……災いが来るぞ……」

「また始まった……今は俺たちもいるから大丈夫だよ」

 虚ろな目を虚空に投げ、戯言のように何か言葉を繰り返しているカヤツリ。それに対して東郷は、やれやれと頭を振った。

「カヤツリさん、初めまして。私、月島えりって言います」

「ん? お、おい。月島、何してる」

 抱きかかえて立ち上がらせようとしていた東郷が慌てて女性を席に戻し、背後を振り返った。

 月島は慌てる東郷をよそに、女性の手を取って優しく握手を交わす。

「人魚ってどんな感じでした? どうやったら会えるんですか?」

「やめろ、ちょうろ……カヤツリさんは会話できるような状態じゃない。特にここ数年はほとんど抜け殻のようだ」

 月島の耳元に顔を近づけ、カヤツリに気を遣いながら耳打ちで東郷がそんなことを伝えた。

 だがその時、徐にカヤツリの視線が動き、顔が月島の方を向いた。すると徐々に目の焦点が彼女に合い始め、やがて口が動いた。

「あなた……デュプリケート……?」

「カヤツリさん……?」

「おばあさん、私のこと知ってるの?」

 しわの刻まれた手を震わせながら、カヤツリが月島に手を伸ばし、そっと頬へ触れた。その目は潤み、まるで彼女を慈しむような表情で見つめていた。

「可哀そうな……急に目覚めさせられて、無理やり顕現させられたのね……」

「それってどういうことですか?」

「待て、デュプリケートってなんだ。君は何者なんだ」

 カヤツリが久方ぶりに、文章として成り立つ言葉を発したこともさることながら、東郷は聞き慣れないワードに困惑を隠せない様子だった。

 それに対して月島が返答するよりも先に、カヤツリがまた独り言のように話し始めた。

「デュプリケート……災いを収める双子の巫女。だけど、今回は少し早すぎたのね。この世の理、『運命』というのは、一定の方向へ流れていくもの。けれど、それを見守り、正す者がいれば、その流れを乱す者も現れる。また、乱す者がいれば、当然、それを正す者がいるのもまた真理」

「それが、この娘(こ)だって言うのか?」

「ねぇ、カヤツリさん。その『乱す者』って、なぜ乱すの? なぜそんな人が現れるの?」

「あなた、日向へ出てごらんなさい。太陽に照らされたこの地上、そして私たち。ねぇ、何が見えるかしら」

 まるで禅問答のように、答えは言わず、何か別の視点を提示するカヤツリ。

 その問いに、月島はすぐに思い当たるものがあった。脳裏に、人魚の卵に落とされた後、彼女が追体験した数々の歴史。そしてあのモヤでできた〝奴ら〟の姿が蘇る。

 月島やルーン、ヒヴァナたちと対になるように相対するそれは、まさしく……。

「影、ですね?」

 月島の返答に、カヤツリはただニコリと微笑んだ。

「あなたに、デュプリケートにこれは釈迦に説法かもしれないけど、この世は常に均衡を保とうとするの。正しい流れが続けば続くほどに、そのひずみが少しずつ少しずつ溜まっていき、やがてそれは形や意思を持って暴れ始める。その原因と結果もまた、運命の流れ」

「それじゃあ、その運命によって起きた災いも、乱されたことによって受けた傷も、『運命だから仕方ない』って諦めないといけないんですか?」

「半分はその通り。だけど、もう半分は正しいとは言えない」

 カヤツリの口からまたしても出てくる頓智のような言葉に、月島と東郷は互いに顔を見合わせ、首を小さくひねった。

 カヤツリは月島の頭を優しく撫でながら、彼女に言い聞かせるように言葉を続けた。

「乱す者がいれば、それを正す者がいるのもまた真理。その為にあなた達が呼ばれたのよ」

 カヤツリが発した言葉を咀嚼し、自分なりに落とし込もうと言葉を飲み込んだ時だった。

「東郷さん、大変です!」

 教会の入り口が音を立てて勢いよく開かれ、そこから慌てた様子のカガミが飛び込んできた。

「どうした!」

「謎の外敵が二体。敵襲です!」

 東郷の表情が一瞬にして険しくなり、その場の空気が張り詰めたのを月島は感じた。

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光芒のデュプリケート 昧槻 直樹 @n_maizuki

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