第五章 暗と転 … 壱
〈壱〉
一方、月島えりたちが暮らす世界。その世界の、ある都会の真ん中、幾つものビルが立ち並ぶオフィス街。そのビル群のうち、頭一つ分抜け出した三つのビルの上に、白い半透明の巨大な卵が出現した。
どの建物よりも高いビルの上に、突如として現れたからか、いつ誰がどのようにしてその卵をその場に置いたのか、そもそもそれは人工的なものなのか、誰一人として知る者はいなかった。
人々は時折上を見上げ、その奇妙な卵を携帯のカメラで撮ったり、それを友人や親などに送っては他人事のように気味悪がっていたりした。
或いはその物体をカメラに収めようと、幾つものテレビ局がヘリを出して、その撮影に挑んだ。
しかし、この時誰も予想だにしていなかった。そして、気付くものも誰一人としていなかった。この後の騒乱も、皆がこの物体の存在に気付いた時には、既に中が蠢き始めていたことも。
ティエラの魔法陣で転送した場所は、どの世界のどこなのかもわからない、建物と建物の合間にできた狭い僅かなスペースだった。
「ティエラさん。ここどこですか?」
「もしかしたら、エリたそにとって馴染みがあるかもしれない場所だよ?☆」
「私にとって馴染みがある場所?」
月島はルーンと互いに顔を見合わせて首を小さくひねりながらその場所から抜け出すと、通りに出た途端「あっ」と声を漏らした。
なんとそこは、月島の元いた世界、それと似通った景色が広がっていたのだ。
「まさか、ティエラさん。とっておきの場所って、月島のいた世界……?」
二人はティエラの顔を見るが、彼女は勿体ぶるかのように、何も言うまいと目を軽く閉じている。またしても目と目を合わせ、二人はもう一度辺りを見回した。
「あ、ルーンちゃん。よく見たら、看板とかの言葉が日本語とは少し違う気がする」
「確かに……表記や文法が少しずつ違うな。つまり、月島のいた世界に類似した、全く別の世界」
「ご明察☆」
肩を並べ、話し合っていた二人の後ろから、満足そうなティエラの元気な声が聞こえた。二人はその声を聴いて振り返る。
「ここは、第二小団に所属する天満みどりや東通路の故郷だよ。二人の推察通り、とても類似した世界なんだけど、二つの世界は文化背景や発展の歴史が少しずつ違うんだ」
月島は感嘆の声を漏らしながら辺りを見回す。そこの街並みはどこかの参道のようで、大きな道を挟んで両サイドに様々なお店が立ち並び、一本入った脇道や路地裏にも色々な商店や飲食店が見受けられた。
そんな街の様子に、見覚えがあるようで、どこか異国に迷い込んだような感覚も覚える不思議な気分になって、月島はついフラフラと歩き回る。
「おい、月島。あまりフラフラするな。人にぶつかるぞ」
「ごめん、ごめん。つい浮かれちゃって」
困った顔をするルーンに対し、月島はばつが悪そうに笑ってみせる。そしてルーンの隣に寄っていくと、二人はほぼ無意識的に手をつなぐ。
それを見てティエラは、心の中で微笑ましくもため息をついた。
(まったく、公の面前でイチャイチャしちゃってさ。やれやれ……)
「お二人さん。目的地はこちらですよ」
ティエラが先を歩き、先導するように大通りを山の方へどんどんと進んでいく。少し目線を上げると、紅葉した草木が上から三人を見降ろしていた。
「ティエラさん、これ、どこまで歩いていくんですか?」
先ほどの大通りからしばらく歩いた先、お店などがほとんどなくなり、崖と小川に挟まれた砂利道に変わり始めたあたりで、月島がティエラに尋ねた。
「まだまだ、もっと先だよ☆」
「うへ、ほんとですか?」
ふと、月島が隣に目をやると、ただ真っ直ぐに前を見て、涼しい顔で歩を進めているルーンの姿があった。
月島の視線を感じてルーンは横を見る。
「ん? どうした。私の顔に何かついてるか?」
「いや、なにも」
彼女たちの歩く砂利道は徐々に細くなっていき、また、勾配も少しずつついてきて、ほとんど山道を歩いているのと変わらなくなってきた。
ルーンやティエラとは対照的に、大粒の汗をぽたぽたと落とし、息もやや上がってきた月島。それを見かねたティエラが、きりの良い所で道の脇に避けて、一時休憩をはさむことにした。
「この辺で休憩しようか」
「すいません」
ちょうど待避所のようになっている場所に切り株がいくつかあったので、ティエラと月島はそこに腰かけた。ルーンはティエラから座らないのと訊かれ、「大丈夫です」と短く答えた。
「なぁ月島。入隊したからには、もう少し体力をつけないとだめだぞ」
「うん……」
ティエラはどこからか水筒を取り出すと、コップにもなるフタを月島に手渡した。
「まぁまぁ。はい、エリたそ。お茶どーぞ☆」
「ありがとうございます」
「ところで、ティエラさん、この先に何があるんですか?」
「答えを聞くは易し。まずは自分で考えてごらん」
楽し気に伸ばした足をパタパタとさせるティエラ。そんな彼女に促されて二人は全く同じタイミングで同じポーズをとりながら頭をひねり始めた。
「これから向かう場所は、刀に関する場所ですよね?」
「刀……武士……道場、かな」
「ルーンちゃん、あれじゃない? 刀ミュージアム的な」
「ん、みゅ……なんだ?」
「ミュージアム。博物館だよ。様々な刀剣が飾られてて、それらを間近で見られるんじゃない?」
「んー、なるほど。しかし、これだけ山の中に入っていくと、その線は考えにくいんじゃないか? やはり博物館というともう少し町に近い場所に作るのが一般的にも思える」
「あぁ、そっかぁ」
月島が肩を落とし視線を下げた時、ルーンが何かを思いついた。
「いや、もっと根本的なところか」
「え、なに?」
「これから行く場所、そこは鍛刀地じゃないか?」
「鍛刀地?」
「あぁ、鍛刀地とは、刀剣を製造する場所や地域のことだ。つまり、この先に刀工や刀鍛冶と呼ばれる方々がいらっしゃるに違いない」
「その通り。んー、ルナたそにとっては簡単だったかな?」
「そんなことありません。それより、本当にこれからお会いできるんですか? 一度会ってみたいと思っていたので、光栄です」
目を輝かせてやや興奮気味に話すルーンに月島は少し驚く。勿論まだ会って間もないが、それでも彼女のこの姿は珍しいと感じた。
「そっか、よかった☆ じゃあ早速その刀鍛冶さんのところに会いに行くんだけど、その前に、いくつか条件があるの☆」
「条件?」
「何ですか?」
「その刀鍛冶さんのところには、私抜きで、二人で行ってほしんだ☆」
「え、ティエラさんは来ないんですか?」
「実はね? 鍛刀地の周囲には結界が張ってあって、その結界の中に入れる場所も、一度に入れる人数も決まってるの。それで、その人数が二人までなんだ」
「なるほど」
「それと、これはもう一つの条件にも重なるんだけど、結界の中に入ると通信機器は使えなくなるの。だから、何かあったときすぐ反応できるように、私が外で待ってる。で、二人は予め通信機器系は全部電源オフっといて」
ティエラの言う通りに、月島はスマホの電源を、ルーンは無線のスイッチをオフにした。
それを確認したティエラは、膝をポンと叩いて立ち上がった。
「さ、行こうか。結界の入り口はもうすぐだよ」
三人は立ち上がりもう少し先へ歩いていくと、横道に入ったところに小川が流れ、その上に石の橋が架けられていた。
「あの橋のところが結界の入り口だよ」
「あそこが結界の入り口……?」
「どうした月島」
「いや、松明が焚いてあるとか、鳥居が立ててあるとか、もっと結界らしい感じなのかなと思ってたから」
「なに言ってるの、エリたそ。アニメの見過ぎじゃない?」
「とにかく、行くぞ」
ルーンが月島の手を引いて石橋を渡っていく。渡りきったところで後ろからティエラが声をかけてきた。
「あ、一つ言い忘れてたんだけど。刀鍛冶さんの前では、くれぐれも騒いじゃだめだからね」
「は、はい……」
「わかりました……?」
ティエラがなぜそんなことを言ったのか二人は分からず、ただその場を生返事でやり過ごし、二人は本格的な山道へと入っていった。
整備されていないつづら折りのような山道をひたすら登っていくと、二人の目の前に真っ直ぐな道が現れた。
その道の両側には、等間隔でペグが打たれ、その間に鈴のついたロープが渡されていた。
「鈴……?」
不思議に思いながら二人がその道に一歩足を踏み入れたとき、風も吹いていないのに、それらの鈴が一斉に揺れ、鳴り始めたのだ。
「え、なに?」
「おそらく、何者かがこの場所に足を踏み入れると鳴るようになっているのだろう。こういう機構は、簡易的な術としてよくある。特別、問題はないはずだ」
ルーンはそういって真っすぐと前を見据えながら歩いていく。その横を月島がルーンの腕に掴まってキョロキョロと辺りを見回しながら歩いた。
そうして歩いていると間もなく、二人の視界の先に、生け垣に囲われた敷地が見えてきた。
道の突き当りにある入口には扉はなく、ただ四角い大きな木の枠がそこにあるだけに見えた。
「あ、あそこが鍛刀地?」
「あぁ、おそらく。ただ、これは勝手に入ってもいいのか?」
「結界が張ってあるっていっても、それにしても不用心じゃない?」
二人が口々に好きなことを言いながら入口の近くまでやってきたとき、ふいに生け垣の陰から真っ白な浴衣に身を包んだ、小学生ほどと見受けられる少女が姿を現した。
「ようこそお寒い中、おいでなさいました。どうぞ、お入りください」
彼女たちの目の前で淡々と決められたセリフをただ述べたといった風に口にすると、その少女はぺこりと機械的に上体を前へ倒し、お辞儀をした。
呆気に取られてその少女の動向を見つめるしかない二人をよそに、浴衣姿の奇妙な少女はくるりと方向転換をして敷地の中へとマイペースにずんずんと進んで消えていく。
「あ、おい、ちょっと待って」
「ついてくるかどうかなんてお構いなしだね」
「何なんだ、あの子は」
仕方なく二人は、少女の後を追って入口の敷居を跨ぎ中に入った。
月島たちが、刀鍛冶のところへ向かっている頃。彼女たちの知らないところで、されど確実に彼女たちの周りに暗雲が立ち込め始めていた。
「ははぁ、これがあの兄弟が言ってた『人魚の卵』か。んー、もうじき生まれそうだねぇ。ククッ、こりゃあ楽しいことになりそうだ」
あの巨大な卵が現れたビルの屋上で、その卵を見上げながらニヤニヤと怪しく笑うのは、洞窟でモヤの〝奴ら〟と会話していたあのルシだった。
ルシはしばらく卵を眺めると、気が済んだのか、魔法陣などを使わずにその場から一瞬にして姿を消した。
彼の姿は洞窟にあった。どうやら思念だけ飛ばして視察を行っていたらしい。二人掛けのソファに浅く腰掛け、背もたれに身をまかせ頭をもたげていたルシは、ゆっくりと目を開け、ニタァと不敵な笑みを浮かべると、ため息のように言葉を漏らした。
「良い気分だ」
同じ頃。軍本部ではイミューとヒヴァナが険しい表情で何やら画面を見つめていた。
「発見が遅れてすいません。レーダーに反応がなくて……」
「反応がないってことはあり得るのかい。そもそも、これは加工映像ってことはないのかい?」
「その線も一応確認しましたが、残念ながら、本当のようです」
「チッ、参ったねぇ。それで、レーダーに反応が出ない原因ってのは分かってるのかい?」
「いえ……。ただ恐らく、この卵状の膜自体に何かしらの効果か術がかけられていて、それがレーダーと干渉して反応が出ないものと考えています」
イミューの言葉にヒヴァナは画面から目をそらしてため息をついた。
「じゃあ、あの卵が割れて中身が姿を現しても、現時点では、反応が出るかどうか分からないってわけか」
「ただ、これだけは確かです。向こうの世界の人間には見えていないようですが、私たちには映像越しでもハッキリ見えます。あの卵の中にいるのは、間違いなく人魚。〝奴ら〟です」
ヒヴァナは一呼吸の間、イミューの目をジッと見つめ、その後に「わかった」と口にした。
「とにかく、総轄部のメンバーと他部隊に連絡を回そう。話はそれからだ」
「はいっ」
イミューが連絡を急ぐ中、ヒヴァナはただ黙って『人魚の卵』が映し出された画面を睨んでいた。
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