BL野球軍 またはルールすらおぼつかない野球部員たちによる死闘のようなもの

紀ノ川 つかさ

第1話 しかたねえ野球をやるかの巻

 私立の男子高校、轟々学園の四月のある日である。

 新一年生の鳥居陽太は野球部室の前で緊張して立っていた。これから入部しようというところだ。高校の運動部だ。練習は厳しいであろう、上下関係もキツいであろう。部室は汗臭く小汚いであろう。しかし全て覚悟の上。鳥居は野球を愛している。中学でももちろん野球部だった。本当は野球の強豪校に入学したかったが、このあたりの強豪校は軒並み偏差値が低く、将来を心配する親に泣いて止められた。轟々学園の偏差値は比較的高く。合格して親は大喜び。しかし野球部の存在は聞いたこともない。この学校にはないのかと思い凹んでいたが、ちゃんと部活動の紹介欄にはあった。もう入部するしかない。

 思い切って部室の扉を開けた。


「新入生の鳥居陽太であります! 野球部の……」


 鳥居は固まった。そこはソファが置かれた内装も豪華な部屋で、中に数名の男子がいたが、誰もがこぎれいないでたちで、ユニフォームなんて誰も着ていなかった。全員の注目を浴びた。


「し、し、失礼しました!」


 鳥居は慌てて扉を閉めた。部屋を間違えたと思った。しかし部屋のプレートを見ると確かに野球部と書いてある。今度は恐る恐る扉を開けてみた。再び中の男子達の注目を浴びる。見ると全員かなりのイケメンである。


「あ、あのう、ここ、野球部……ですよね」


 本革らしきソファに低いテーブル、照明はシャンデリア風。まるで応接室だ。全く野球部室らしくない。


「うん、そうだ。俺が部長の空山信吾だ」


 一番奥に座り、こっちを見ている銀縁メガネの美男子が答えた。ウェーブがかかった髪はとても野球部員らしくない。そして彼にツッコミを入れるちょっといかつい男子。


「だから言ったじゃないか部長! 紹介文なんか出しちゃダメだって。こうやって来ちゃうじゃないか!」

「出さないわけにいかん。顧問はすぐにでも廃部にしたがっている」

「空山財閥の財力をもってすれば顧問なんか黙らせられるだろうよ」

「うちは財閥じゃないったら……まあとにかくまだ七人だ。大丈夫。あ、じゃあ、そこの君、適当にそこらに座って。名前がなんだって?」

「鳥居です。鳥居陽太」

「鳥居君、見ての通り、誰も野球やってないんだ。期待しないでね」

「はあ……」


 鳥居は失望の表情をするが、そこに先のいかつい男子が笑顔で声をかける。


「何しろ今部員が六人しかいねえからな。野球をやらずに堂々と遊んでられるわけだ。あ、俺は紺野丈。部長の空山と同じ三年な。お前、スポーツ刈りだな。ここでは適度に伸ばした方がモテるぞ」

「はあ……」


 ここでの『モテる』が普通でない意味を持つのは後々分かる。鳥居は他の部員も見てみる。確かにスポーツ刈りはいないようだ。童顔の男子、妙に痩せた男子、暑いのか扇子を使っている男子。いや、一人短髪はいた。何やら知恵の輪のような金属でできたパズルを手でひねくり回しているが、一向にできない。その彼がいきなり叫んだ。


「がーっ! むずがじー!」

「それは一番簡単なヤツだ」


 空山が冷たく言う。


「うぞだろおらぁ。なんか違うやづよごしだろー!」


 訛っているのか、単に滑舌が悪いのかよく分からない。


「だから板東には向いてないんだよ」

「ぷぷっ」


 紺野が笑う。短髪の男子は板東という名前らしい。


「紺野、おめーだってできねーだろ!」

「俺は十秒でできた」

「じゃ、そこの新人にやらすべ」


 板東は金属パズルを差し出し、それが鳥居のところまで回されてくる。二つの組み合わさった金属を外して二つに分けるパズル。そんなものやりたくはなかったが、見るとそう難しくはなさそうで、約五秒でできた。板東がまた叫ぶ。


「なんじゃおらぁ! なめどんのかおらぁ!」

「ぷぷぷっ」


 紺野が再び笑う。


「あのぅ、でも俺は野球の方が……」


 そう言うと空山が苦笑した。


「まああきらめろ。この辺のいい地域チームを紹介しようか?」

「よっ、空山財閥」

「いや、俺は一応甲子園に行きたいんですが……」

「ますます無理だな。第一、少なくとも野球のできる人数でないと活動ができ……」


 その時、部室の扉が開いて、えらく太った男子が姿を見せた。


「ごっつぁんです!」

「相撲部は隣だぞ」


 紺野が冷たく言う。


「いいえ、野球部希望。キャッチャーをやってましたオダイゴロウです!」


 胸を張って答える。なかなか元気がいい。


「おダイゴロウだと?」

「尾大、五郎です。入部させて下さいっス」

「だからほら空山ぁ」


 紺野がまたツッコミの目で空山を見る。


「うるさいな。扉を閉めてそこに座りな」


 尾大は鳥居の隣に座った。さっそく空山がさっきと同じことを言う。


「ええと、この部は見ての通り人数が……」


 そこで、また扉が開いた。普通っぽい男子が入ってきた。


「山田と申します。入部したいです」

「ああっ! おいおい、九人そろっちゃったよー」


 紺野が叫んた。


「どうすんのー?」


 空山はしばらく考えていた。


「……しかたない野球をやるか」


 部員のほぼ全員から異論が噴出したが、空山は上の棚を指さした。


「あそこの箱にユニフォームと用具一式がある」

「ええっ! そうだったの?」

「買わなきゃ怪しまれるだろ。グラウンド取るから着替えろ。練習に行くぞ!」


 とにかく野球をやってみることになった。


 

 着替えて用具を持ってグラウンドに集まったものの、部員は野球のルールをほとんど知らなかった。一応なんとなく分かっているような感じの部長である空山が指示を出す。


「ええと、ほら、あれ、誰か投げるんだろ?」


 全員ポカンとしているので、鳥居が答える。


「ピッチャーですか?」

「そうそうそれそれ。誰かピッチャー!」


 まだ全員ポカンとしている。紺野がぼやいた。


「専門用語言われてもなあ……」

「いいから誰か投げるやつ、やれっ!」


 空山もヤケ気味だ。


「あのう、俺中学でずっとピッチャーでしたか」


 鳥居が言うと、空山は鳥居の肩を叩いた。


「オッケー。よし、頼んだぞ!」

「え? い、いきなり俺がピッチャーでいいんすか?」

「他にやるヤツがおらん。あと、ボール受け取るやつ」

「キャッチャーですね」

「ごっつあんです!」


 尾大が手を挙げた。ピッチャーマウンドに鳥居、キャッチャーのポジションに尾大が入る。鳥居は何球か投げてみた。久しぶりだ。悪くない。腕が鳴る。尾大もしっかり取ってくれる。


「よし、誰かあの、バット振るやつ……あのほら、バッターやれ!」


 空山が言うと、真っ先に手を挙げたのは板東。


「お、おでがやるっ! パズルのかたきじゃ!」


 苦労していたパズルをあっけなく鳥居に解かれたのを根に持っているらしい。望むところだ。先輩だろうが誰だろうが返り討ちにしてやると、鳥居は意気込む。こういう闘争心はさすが球児である。

 板東はバットを持ってバッターボックスに立った。しかし、突っ立っているだけでバットを構える様子がない。空山が怒鳴る。


「板東、何やってんだ!」

「こ、このバットってどうやってづがうのだ?」

「知らないのかよっ! バットでボールを打つんだ?」

「打つぅ?」

「バットでボールをひっぱたくんだ!」

「おっしゃあ!」


 そう言うとバットを振り上げて走り出し、鳥居に襲いかかっていった。


「覚悟しろこのガキゃ!」

「うわああああああ!」

「ボールと一緒にミンチにしてやる!」


 鳥居は逃げだし、空山が怒鳴る。


「やめんかーっ! 交代だっ! 何も分かってねえっ! 誰かバッターやれっ!」

「よし、俺がやる」


 紺野がまじめな顔をして手を挙げた。


「頼むぞ」


 板東からバットを受け取り、バッターボックスに立つ。


「全く野球を分かってねえヤツばかりだ」


 紺野は吐き捨てるように言うと、いきなり股間にバットを挟んだ。股間からバットが生えているようなヒワイな状態である。


「さあ来いっ!」


 マウンドに戻っていた鳥居の目が点になる。


「な、何やってんですか?」

「お前のボールなんぞこれで十分」

「これ硬球ですよ。かなりの衝撃ですよ」

「俺の股ぢからをナメるなよ。いいから来いっ!」

「じゃ、行きます」


 鳥居は構えてストレートを軽く投げ込んだ。紺野が腰を振ると、バットに当たり金属的な音が響いた。ボールはほとんど飛ばず、目の前に転がってきた。紺野はというと、股間を押さえてうずくまっている。


「こ、紺野先輩……」

「効いたぜ……なかなかやるじゃねえか」

「今、そんな本気で投げてませんが……」

「お前にゃ素質がある」


 これを見ていた空山が怒鳴る。


「くだらねえっ! 交代だ!」


 空山は部員を見渡し。痩せた男子に目をつけた。


「よし六角、バッティングマシンだ!」

「はいっ、部長!」


 どういう意味か分からず、鳥居は空山と、六角と呼ばれた男子を交互に見ている。六角はしばらくバットを持ち、直立不動のまま目を閉じた。かなりの集中力があるらしい。もしかしてデキるバッターじゃないかと鳥居は警戒する。空山が説明した。


「六角は自分自身のことを機械だと暗示させることができる。機械が大好きな男だ」

「機械?」

「そう、だから今はバッティングマシンになりきることができるのだ」


 六角は再び目を開けた。切れ長で冷たい目をしている。鳥居は思わず身震いした。強敵だ。気を引き締めていこう。

 六角はバッターボックスに入って構えた。完璧な構えだった。気合い十分だ。鳥居も一呼吸して、投球の姿勢になる。


「行きますよ」


 六角は返事をしない。鳥居は外角ストレートの速球を投げ込んだ。六角はバットを振った。しかし当たらない。また振った。ボールはとっくにキャッチャーミットの中だ。また振った。またまた振った。振り続けた。要するに振る行為が止まらない。空山が怒鳴った。


「六角、ストップだ!」


 六角は動作を停止した。そして我に返ったような表情をして、空山を見た。


「いかがでしたか?」

「何やってんだ! アウトだ! 次、誰かやれ!」


 今度は扇子を持った男子が出てきた。髪は短く、なかなかの美形だ。


「いやー今度は俺がやりましょ。あ、俺は林三郎といいます。いやもう大変なんすから。こうもバッターがバッタバッターとやられちゃあねー」


 口調は軽いのだが、声が低くて渋いので何ともアンバランスである。六角からバットを受け取りバッターボックスに立った。扇子を尻ポケットに押し込んでバットを構える。


「いやもうグラウンドに出たのは久しぶりで、興奮して腰がグラインドなんつっていやもう大変なんすから」

「あの、投げていいんですか?」

「投げる? もちろん来なさい。ボール投げないでサボーる気じゃないだろね。いきなり球投げておっとタマげたなんつっていやもう大変なんすから……」


 鳥居は雑音に惑わされず低めのストレートを投げ込んだ。林のバットは動く気配もない。しかし口はひたすら動いている。


「あーそうそうずっと野球ができなくてね、俺達みなヤッキュウ不満なんつって」


 鳥居は尾大からボールを受け取り、再び投げ込んだ。やはり林は口以外は動かないようだ。


「しかしバットを持つのは苦しいですなあ。七転バットウなんつっていやもう大変なんすから」

「ストライクツーです」


 尾大が言って鳥居にボールを戻す。


「バットが活躍しないもんでとてもバッドなんつって。でも怒らないでこれでもがんバットるの」


 鳥居は三球目を投げ込んだ。もちろん林は動かない。


「今度は必ず打ちますって。なんたって野球は戦い。男と男の真剣なバットルなのよ。さあ来い!」

「いや、もう三球投げました」

「え? 三球投げてサンキューなんつって。もしかして終わり?」


 そう言って林は空山の方を見た。空山は冷たく言い放つ。


「三振だ」

「いえ、子供はできてません」

「妊娠じゃない三振だっ! 交代しろっ!」


 林はシブシブ引っ込む。今度出てきたのは、鳥居よりも幼く見える童顔の美少年。バッターボックスで鳥居に挨拶した。


「二階堂です。よろしく」

「おおおお待ってましたっ!」


 紺野が叫ぶ。負けしと叫ぶのは板東。


「お、おでの仇を取ってくれっ!」


 ついでに紺野がヤジる。


「やいこのイガグリピッチャー。二階堂を三振に取ったらただじゃおかんぞ! 百叩きにしてやる!」

「ええええ?」


 鳥居はビビって思わず空山の方を見る。空山は微笑した。


「ショタどものヤジを気にするな。そんなことはさせん。容赦なく三振に打ち取れっ!」

「空山ぁ! クソ部長!」


 紺野が怒鳴った。


「うるせーっ! 鳥居、デッドボールでも構わん! やっちまえ! 潰せっ!」


 妙に対立しているのがよく分からない。ただ、空山は自分のことを守ってはくれそうだ。鳥居は構えて、ストレート速球を投げ込んだ。二階堂はバットを振った。ジャストミート! しかし、ボールを打つことはできなかった。ボールの勢いに負けて、バットごと後ろに倒れてしまった。


「よ、弱い……」


 鳥居は思わずつぶやいた。当然のように紺野と板東のヤジが飛ぶ。


「このハゲーっ!」

「お、おばえのカーチャンデーベーソー!」


 さすがに低レベルのヤジなので動揺はしない。残り二球も、打つことができず二階堂は敗北した。


「いいんだ。これが俺の実力だ……」


 微笑しながら言う二階堂。童顔ながら一応サマにはなっている。


「俺が慰めてやるぜっ」

「お、お、おでが、おでが」


 空山は慰めるどころではない。怒り心頭である。


「どいつもこいつも一発も打てないじゃないかっ!」

「あのう、まだ部長がやってませんが」


 鳥居が恐る恐る指摘する。


「えっ……いや、俺はいいの」


 とたんに紺野や板東あたりからのブーイングが飛んでくる。


「あのう、俺、まだやってません」


 見ると、目立たないし、これといって特徴もない山田であった。


「おお! そうだったな。じゃあ打ってみようか」


 空山の指示で、山田はバットを手にバッターボックスに立ち、普通に構えた。鳥居も普通に投げ込んだ。すると普通に打った。レフト方向。守備がいてもヒットだろう。


「おお、ちゃんと打てるヤツがいるじゃないか」


 空山は感心した。これで今日の練習は終わりとなった。部室に戻り、着替えた後、山田が空山に伝えた。


「あのう、やっぱり俺、入部やめます」

「なぜ? どうして?」

「皆さん個性が強いんで、俺はあまり活躍できないかと」

「いや、そんなことは……」


 無いと言いかけて、見ると確かに山田は特徴も個性も特に目立つものが何もない。いかにもその他大勢、モブキャラである。不安になるのも無理はない。


「いやしかし、ここでの君はモブゆえに目立っているではないか」

「でも、やっぱりやめます」


 そう言って山田が去り、総勢八名となって野球ができる人数を割ってしまった。


「せっかく野球ができるはずだったのに……」


 空山はソファに身を預けた。

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