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夕方のニュースは、流星群のピークを告げていた。テレビはだらだらと流し見しているだけで、みんな食事に夢中だ。佐久間はどんどん料理の腕を上げている。やはり、何をやってもそつなくこなす。
「美沙ちゃんは将来どうするか決めてるの?」佐久間が言った。
「幼稚園教諭の資格は取ろうと思っているけど、どうなるか分からないな。採用があるってことはやめたりやめさせられたりする人も多いってことだし、いつまで仕事するのか分からないから」
「結構、真剣に考えてるのね」香織は焼酎に手を出していた。賢治の買ってきた酒を消費したからである。
「そうよ。かおりんも考えなさいね」
「はーい」
「ブリトニーちゃんは?なんで休学してたの?」
「そうそう、それは香織からも聞いてないな」佐久間がキッチンに料理を取りに立ち上がりながら言った。
「うーん。話してもいいけど、つまらないからね」
「話してくださいよ。私も聞いてないんですから」香織が言った。
鰤谷は一呼吸を置くと、少しだけはにかんだ笑顔を浮かべて言った。
「ベンツを買うため」
*
「札幌からこっちにきて初めてバイトしたのが、大学の近くの喫茶店なんだけど」
「ああ、西門の近くの?」美沙が尋ねた。
「そうそう」
「マジですか?師匠」香織は驚いた。そこは香織が一時期通っていた店だったからだ。もっとも大村と以外は行ったことがないので、一年近くは行っていない計算になる。
「なんか恥ずかしいからいちいちチャチャ入れないでほしいな」鰤谷が言った。
香織は美沙、賢治、佐久間を順に見やって「お口にチャック」というジェスチャーをした。
「その喫茶店で働いていたT大学の学生がいたんだ」
「その人が師匠の好きだった人ですか?」
佐久間は大きく咳払いをして、香織を睨みつけた。
「ごめんなさい」
「そう。遅番だったから二人で後片付けをして帰ることも多くて、二か月くらいしたら向こうから告白してきた。最初は何となくで付き合ってみたけど、なんだか気が合って一緒に住むようになったの。面白い人だった。二浪してようやく国立大学入ったから、学生生活をどうやって過ごすかばっかり考えてたね」鰤谷はほとんどない野菜ジュースを一口含んで全員を見やった。
香織は全員が鰤谷の方を向いて真剣に話を聞いていたため、焼酎をテーブルに置いて聞き入ることにした。
「
「どういうこと?」美沙が口を開いた。
「まあ、死んじゃったんだよね、交通事故で。しかもベンツに轢かれてさ」
誰も何も言えないだろうと香織は思った。しかし、佐久間が喋り出した。
「鰤谷さんの元彼氏、淳さんって、岸川淳さんですよね?」
「そうだよ。ああ、同じ大学だもんね。知ってた?」
「知ってます。僕の、友達の兄で…」佐久間は言葉を選ぶような仕草でいった。
珍しく動揺して、目には涙が浮かんでいる。
佐久間が泣いているところを香織はみたことがなかった。
みんな、察して押し黙っていた。
「そうか…。君は、そうか。まあ、湿っぽい話をする気はないから。続けるよ?」
「はい、すみません」佐久間は布巾で涙を拭いながら言った。
「私もしばらくは何もする気が起きなくて。葬儀にも行かなかったし、部屋の荷物も片付けなかった。しばらくしてからご両親が淳のアパートに来て、荷物を持っていたみたいだけど、私の家で生活していたようなもんだったから、あんまり生活感はなかっただろうね」
鰤谷はジュースを取りに行こうと立ち上がったらしかったが、佐久間が気を利かせて飲み物をとってきた。もう涙は止まっていた。
「ありがとう」鰤谷は早速一口飲んだ。彼女の仕草は何でも画になる。
「夏休み終わった頃かな。淳が死んだのは去年の七月だったんだけど。あ、ごめん。話ぶつぶつ切って。九月頃になってね、淳が言っていたベンツのことを思い出したんだ。一回だけ一緒にホームページを見たことがあってさ。それを調べてみたんだけど、新車はあきらめて、中古狙いで検索して調べた。そうしたら、関西の方にそのクラスがあってさ、計算して月にいくら稼ぐか決めたのね。まあ、その額貯めるなら、大学行っている暇がないって判断になって、結局家計が苦しいので休学しますって申請してしまっていた。そうしてしまえば、自分には言い訳できないかなと思ったんだね、多分。とりあえず年内に資金をためると決意してバイトしてみたけど、生活費だってかかるから、切り詰め切り詰めとにかく働いたよ。そして、正月に実家に帰省するための交通費を使って関西まで取りに行った。その場で乗りたかったからね。それで今に至るって訳だよ。その年の前期のテスト受けてないから、授業も一緒なんだ」鰤谷は美沙を見た。
一通りの説明が終わると、鰤谷はにっこりと笑った。香織が感じたことのないような、いつもは隠している種類の優しさがその笑顔にはある気がした。
鰤谷の性格からして“自分で買ったものに執着する自分”がカッコ悪く思えたのだろう。『もらった』という表現をしたことの理由が何となくわかった。2人きりの時には見せない表情が見られるのも、こんな話を聞かせてくれるのもうれしいけれど、ちょっと寂しいと香織は思った。
「どうかな。何にも反応がないと怖いんだけど」鰤谷が言った。
「師匠って、本当に淳さんのこと好きだったんだなと思いました。だって、一回、一緒に見ただけで欲しい車のモデルを覚えていたってことでしょう?」香織が言った。
「僕もそう思いましたけど」佐久間が続けた。
「けど?」鰤谷が尋ねる
「その、ベンツを運転することって寧々さんにとっては他にも意味があるんじゃないかなと思っていて、そのあたりが引っかかりました」佐久間がおそるおそる聞いた。
「ああ、でも夢だったわけだからね…」鰤谷は特に感想を持たないような口調で言った。
「そうですか…」佐久間はぽつんと呟いた。
「素敵なことだとは思う。でも、思いつかないけれど、もう少し上手なやり方もあったような気がする」美沙が言った。
そこでみんな無言になった。
「やっぱり乗り心地いいっスか?」突然、賢治が口を開き、無邪気に聞いた。まだ酔いは醒めていない様子だ。
「乗りたい?しょうがないな。流星群、今日がピークだってよ。行こうか」
少し強引な気がしたが、鰤谷なりの気遣いが嬉しく、満場一致で行くことになった。
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