神秘殺し

竜山藍音

第1話

 囲われているようだ、と彼は思った。

 この街は、囲われている。この世界は、囲われている。

 無論、実際に巨大な壁などで囲われている訳ではない。世界を覆っているのはもっと大きな『何か』だ。概念的な話だ。

 空を仰いでも、見えるのは灰色の雲ばかり。きっとこの天候も、彼に囲われているという印象を与えるのだろう。最後に青空を見たのはいつだったか、まるで思い出せない。昼間でも薄暗いこの街で長時間外にいると、何だか頭がおかしくなりそうだった。


 その日は、一見何も変わらなかった。いつもの下校時刻、いつもの通学路。けれどその日だけは、微妙に何かが違った。異変に気が付き、普段の抜け道を通らなければ、あるいは違う結末もあったかも知れない。彼がいつも近道として重宝している、その道さえ通らなければ。だがその日の彼は家へと急ぐあまり、異常には気が付けなかった。例の道に入るまでは。

 その時点で、彼──舘田たちだ裕翔ひろとの運命は決定した。


 ◇◆◇


 あれは三年前のことだった。

 普段なら、どうということも無い道だ。

 人通りもなく、ビルに囲まれて明かりのないこの道には、あらゆる生命がその根を降ろすことを拒絶したような雰囲気があった。

 だからこそ、その光景は異色だった。

「なんだ、コイツは」

 そこには、獲物を貪る超大型生物の姿があった。

 目を疑う。

 ソレは、裕翔が見たことのある生物の中では、犬に近い形状をしている。だが、彼の知るどんな犬より大きく、凶悪なオーラを放っている。獅子よりもなお大きな体で、。恐竜と見紛う程強靭な顎で、骨までも噛み砕く。この空間における絶対王者の姿が、そこにはあった。

 不意に、怪物が面を上げた。目が合った瞬間、己の死を覚悟する。否、覚悟せざるを得なかった。

 だが、自分も喰われるのだと諦めかけた時、奇跡は起こる。

「はあぁぁああ!!」

 叫び声と共に、裕翔と同じくらいの年齢の少女が飛び降りて来たのだ。元よりこの道なら飛び降りる場所はいくらでもある。少女は重力を受けて加速し、いつの間にか手にしていた、ナイフと呼ぶにはやや長い短剣を、怪物の心臓に突き立てた。

 怪犬は一声大きく鳴き、そのまま息絶えた。

「怪我はない?」

 犬の背から降りた少女は、そう言って気遣うように顔を覗き込む。その顔は端正で、間違いなく美少女の部類に入るものだったが、服が全て真っ黒だったせいでこの道では少々不気味に見えたのと、何よりナイフを振るった姿が印象的過ぎて、裕翔はちっともときめかなかった。

「大丈夫。君は?」

 裕翔としては、「君は大丈夫なのか」と訊いたつもりだったのだが、言葉が足りなかった。結果として、的外れな答えが返ってくる。

「わたし? わたしは七島ななしまれい。異能力者だよ」

「異能力者?」

 馴染みのない言葉だった。一、二年前の彼なら飛びついたかもしれないが、今の彼は既にそういったものに対する興味を失っていた。

 思わず問い返したが、その少女──玲が答える前に別の声が割り込んで来たので、答えは得られなかった。

「玲、仕留めたか?……その彼は?」

 いつの間にか、これもまた全身を黒く塗ったかのような服装の男が玲の後ろに立っていた。裕翔や玲よりも少し年上だろうか。落ち着いた大人の雰囲気がある。

みたいだから能力者だと思ったんだけど、能力スキルについて知らないみたい」

 新たに現れた男は失礼にも「はぁ?」と声を漏らし、少し考え込むようにしていたが、やがて顔を上げ、

「少年、ご両親は?」

 と尋ねた。

「両親?なんで?」

 口を挟んだのは玲だ。裕翔よりこの男との付き合いが長いであろう玲にも分からない事が、裕翔に分かるはずもないのだが、彼にはさほど疑問に思うことはなかった。男は玲の質問を華麗に無視した。

「親はいないが」

「一人暮らしか?」

「? ああ」

 裕翔が正直に答えると、男は口の端をニヤッと吊り上げた。

「取り敢えず、俺達の拠点アジトに来て貰おうか。詳しい話はそこでしよう。少しばかり協力して貰うぜ。ところで少年、名前は?」

「舘田裕翔だ」

 名前を訊く時は自分から名乗るべきだ、と彼は常々思っているのだが、それでもこの男にそれを主張する気にはなれなかったので、大人しく名乗った。何に『少しばかり協力』させられるのか、不安はあったが。

「そうか。俺は津葉本つばもと聖司せいじだ。よろしく頼むぜ」

「……よろしく」

 差し出された右手を、渋々取った。


 ◆◇◆


「それにしても舘田か。珍しい姓だな」

 そういうお前も十分珍しい苗字だろうが、と内心でツッコミを入れつつ、先を行く聖司の後をついて行く。

「……なぁ、いつまで歩くんだ?」

 既に30分は歩いている。いい加減目的地も分からずに歩くのが嫌になってきていた。

「心配すんな。もう着いたさ。ここだよ、俺達のアジトは」

 そこは、古びたビルだった。廃ビルと言ってもいい。聖司に促されて中へ入ると、電灯自体は天井に付いていたが、電気が通ってないのか、それとも蛍光灯が切れているのか、明かりは付いていない。

「おかえりなさい、ボス」

 暗がりから、一人の少年が出てきた。裕翔よりも年下だろうというその少年は、これもまた黒いシャツ、黒いズボン、黒いスニーカーというスタイルで、黒いところに立っていると、まるで顔だけがそこに浮かんでいるように見える。

「しばらく俺の部屋に誰も近づけないでくれ」

 それだけ言うと、聖司は奥の階段を昇り始めた。玲も無言でついて行く。裕翔は現状ただの部外者、もしくは不審者なので、二人の陰に隠れるようにして歩いた。

 元は何の建物だったのだろうか。歩きながら思う。元がどんなに立派な建物だったとしても、今はどう見ても立派な廃ビルである。床のタイルはひび割れているし、窓ガラスは割れ落ちたのだろう、ところどころベニヤ板で塞いである。

「このビルは、元々貸テナントだったらしい。俺達がここに来た時にはもうこんな廃ビルだったから、どんな奴がどんな事務所構えてたのかは知らねえけどな」

 裕翔の考えを知ってか知らずか、突然聖司が話しだした。ただ何となく裕翔には、考えを読んだのではなく、話を始めるきっかけを探していて、それがたまたまこの建物のことになっただけだろうと思った。

「まあどんな奴がどんな場所にどんな事務所開こうがソイツの勝手さ。だけどよ、この辺が多くねえか?それも、この頃一気に増えた。なんでだと思う?」

 彼の予想は的中したらしい。話が早速違う方向を向き始めている。

「知らない。不景気だからじゃないのか?」

「ま、普通はそう思うよな」

 裕翔の返答に、聖司は不満そうだった。

「回りくどいな。普通じゃないって言いたいんだろ?」

「玲!」

 何の脈絡もなく、聖司は裕翔の後ろをついて来る少女を呼んだ。その声はやや怒っているようにも聞こえた。

 聖司は今までになく低い声で、

「コイツは俺の客だ。

 と続けた。

 ハッとして振り返ると、彼女の手には、一振りのナイフが握られていた。

「そんなところだろうと思った。そら、ナイフ寄越せ」

 聖司に凄まれ、玲は渋々ナイフを渡した。

 人の事をいきなり刺そうとするような少女でも、聖司の指示には逆らえないらしい。

「あん?一つだけか?」

「どういう事だ?」

 裕翔が尋ねた。『一つだけ』であることに疑問を懐くとすれば、それは二つ以上あるはずだと暗に言っているのに等しい。故に、刺されることになりかねない裕翔としては、気にしない訳にはいかないことだった。

「いつもなら二つのナイフを用意するんだよ、玲は。予備も合わせりゃ三本か四本な。両手でナイフを扱うのが彼女のスタイルだ。だが、ここには一本しかない。これでもう一本、いや、もう三本を使って刺されたら元も子もねえから、気を付けてんのさ」

 聖司は律儀に丁寧に説明してから玲に向き直る。

 その玲はしばらく項垂れていたが、やがて意を決したように顔を上げ、しかし消え入りそうな声で、

「他のは、斬ったら、消えたの」

 と言った。


 ◆■◆


「ボス達と一緒に上に行った人、誰なんだろうね」

 廃ビル一階。先程ここへ戻って来た聖司に声をかけた少年が、ソファに寝転びながら言った。このソファは、どうやら外から持ち込んだものらしく比較的綺麗で、ビルの雰囲気に合っていなかった。

「そんなもんオレらが知るかよ。だがまあ、大方新入りだろ」

 別の男が答える。彼はもうじき春になるというのに、黒く長いコートをマントのように肩にかけていた。

「私達もそうやって聖司にスカウトされたからねえ。人数的には、あと一人余裕があるし」

 受付らしきカウンターに腰掛けた少女が同意した。玲よりも、それどころかソファに寝転ぶ少年よりも年下と思われるこの少女も、やはり黒い服で全身を固めていた。

 今やこの空間には、四人の男女が集まっていた。いずれも身に付けるものを全て黒で統一しているので、一見すると影があるだけのようにも見える。

 長コートの男が、未だに一言も声を発していない人物の方へ視線を向けた。

直哉なおや。テメェはどう思う?」

 直哉と呼ばれた青年は、読んでいる本から目を離すことも無く、

「さぁ、興味無いから」

 と答えた。一同揃って『またか』という顔になる。

「テメェには本以外に対する興味ってもんがねぇのかよ」

「そんなことはないよ。ただ彼が新入りだったとして、僕が期待するのは『の邪魔をしないで欲しい』ってことだけだね」

 ぶっきらぼうな答えに対し、長コートの男は嘆息した。

「テメェみてえな協調性のねぇ奴が実験を失敗に導くってのが分かんねえのかよ」

 直哉はようやく顔を上げた。

「僕が実験を失敗させるって?君、本気で言ってるのか?僕ら『セプテム』が一番失敗に近い理由は、君がいるからだって、まだ気付いてないの?」

 二人とも、同時に立ち上がった。互いに睨み合いながら、一歩ずつゆっくりと歩み寄る。そこにあるのは協調ではなく、誰がどう見ても対立だった。

「やるか?クソ野郎」

「君のような低能が僕に勝てるとでも?」

 二者間の緊張感が極限まで達し、後はもう爆発するだけ、という段になってようやく、第三者から声がかかった。

「いい加減にしなよ、直哉、あつしのに、お前達が好き勝手喧嘩するせいでめちゃくちゃなんだから。これならまだ『ウーヌス』にいた方がよっぽどマシってもんだよ」

 カウンターに座った少女だった。

 彼女の周りには、素人にも分かる程濃密な殺気が充満している。『これ以上騒ぐなら、私がお前達を殺す』という、明確な意思表示だった。

「…チッ。分かったよ、瑠羅るら

「……」

 二人とも、いかにも不承不承といった調子で離れた。彼らとて戦闘能力がないではないが、その二人でも勝てないだけの力が少女にはある。故に彼らは離れざるを得なかった。

「実験に失敗した時のことを考えなよ。死ぬのは君達だけじゃないでしょ」

 少女――瑠羅はそう言いながら立ち上がり、とびっきりの笑顔と共に、彼らにとっての呪いの言葉を吐き出した。

「下手すりゃこの国ごと、地図から消えるんだよ?」


 ◇◆◇


「消えた?」

 聖司は信じられないものを見たという顔で玲と裕翔の顔を見比べている。

「…どういうことなのか、説明して貰えるんだろうな?」

 裕翔は、いい加減展開について行けなくなってきていた。

「あー、うん。勿論だ。だがまあ、こんな廊下で話すことじゃねえ。もうすぐ俺の部屋だ。そこで話すよ」

 今や彼らは階段を離れ、三階の廊下を歩いていた。一階のロビーと比べ、廊下は狭く、いくつかの扉が並んでいるだけの、質素な空間だった。

「ほら、ここだ。取り敢えず入ってくれ」

 そう言って聖司が指し示した部屋は一際狭く、寝る為のスペースしかないような部屋だった。元は物置か何かだったのではないかと裕翔は思った。

「ボロい部屋で悪いな。まあ座れ。椅子ならそこにある」

 部屋の隅に、古い椅子が重ねて置かれている。それに座れというのだろう。何だか分からないままに呼ばれた身として、立って話を聴く道理はないので、大人しく腰を下ろした。

「それで、お前さん。能力スキルについては何も知らないんだよな?」

「その類いのモノが出てくる小説を読んだことはあるけどな。実在の存在としては知らないな」

 それはあくまでもフィクションの話であって、そんなものが実在するなど考えもしない。無論あればいいとは思う。子供にとって『超能力』とは憧れるものだ。特に男子は。

「まあ、それが普通だよ。俺達の能力はな、最新の科学の賜物らしい。つっても、俺は研究者じゃねえからな、どういう仕組みなのかは知らねえ」

 聖司もまた、椅子に腰掛けた。足を組んで、尊大な態度で裕翔と対面した。

「要するに、人為的に生み出されたもんってことだ。誰がかは知らねえ。どうして俺達に目を付けたのかも分からねえ。ただ能力を付与するのは大して難しいことじゃねえ。何せよく分かんねえ薬を投与するだけだからな。稀に先天的に持っている奴がいるらしいがな」

 聖司は腕に注射をする真似をした。

「そんでこの能力ってのも、まだ試作段階らしい。だから俺達を使って実験をしてるのさ。俺達には拒否権なんてもんはねえ」

「実験?」

「そう、実験だ。この辺りに廃ビルが多いのは、、なんだぜ。そんで、実験の目的はな――魔術師と対抗することだそうだ」

「魔術師?」

 聞き慣れない言葉のオンパレードである。スキルに続いて魔術師とは…。

「俺も俄かには信じられなかったんだがな、いるらしいぞ。つーか、さっきの怪獣も魔術師の…使い魔、だったか?そういうやつらしい」

 聖司も魔術師についてはよく知らないようだ。

「じゃあ、なんであの怪物を退治したんだ?それも実験とやらの為なのか?」

「まあな。この実験の『主催者』がな、実験を始めるって時に言いやがったことが一つあってな。『既に主だった魔術師の方々には君達のことを伝えてある。魔術を滅ぼす為に遣わされた特使である、と。魔術師は君達を排除しに来るだろう。君達はそれを追い返しても良し、捕まえてもいい。殺してしまっても構わない。この実験において、君達はあらゆることが許される』ってなもんさ。恐らくあれは、俺達を探してこの辺りまで来たんだろうさ」

「なるほどな。大体分かった」

 魔術師、というのがどのような人間なのかは分からなかったが、聖司自身も知らないようなので、それは訊かないことにした。

「詳しいことを話す前にだ、一つお前さんに質問しておくことがある」

「質問?何だ?」

 聖司が改まった調子で言うので、裕翔も思わず身を固くした。

「舘田裕翔、お前、俺達に協力してくれねえか?俺達の命を守るために、お前の力が必要なんだ」

 裕翔は一瞬黙って嘆息した。

「はぁ…。協力だって?さっきも言っていたな。それはお前の言う『実験』ってのを手伝えって言うのか?」

「そうだ。ただし、お前はもうこの実験からは逃れられない。俺達の味方になるか、敵になるかの二択だ」

「何だと?」

 聖司の返事に、裕翔は驚愕した。

 それが単なる脅しではないと、彼の顔が雄弁に物語っていたからだ。

「言っただろ。俺達には拒否権はねえ。関わっちまったら、その時点でもう逃げ道はねえんだ。味方になるならこの先の説明をしてやろう。だが敵になるなら話は別だ。詳しいことを知られる前に始末する。お前にはこのアジトも知られちまってるしな」

「関わったら、その時点で道は閉ざされる、か」

「お前はアレを見たんだろ?ならその時点でお前の運命は決まっちまったんだ。アレは能力者か魔術師にしか見えない類いの怪物だ。だがお前は魔術師じゃねえ。魔術師なら、アレを恐れる必要はないからな。アレに対する恐怖を見せたお前を、俺達は『先天的な能力者』だと判断した。だからお前に訊くんだ。お前は、敵か?味方か?」

 冗談じゃない、と裕翔は思う。裕翔は既にに憧れを持つ年代は過ぎていて、今更そんなものが実在すると言われても、困惑するばかりだ。

「敵対する気はない。大体、ここで敵対したところで俺の勝ち目はないからな」

「なら、協力して貰うぜ」

 聖司は唇の端を吊り上げ、裕翔に腕時計のようなものを投げ渡した。それはよく見る腕時計の如く金属製のベルトが付いていたが、文字盤があるべき場所に、どう見ても時間は示されていなかった。かと言って、何が示されているのか裕翔には分からなかったが。

「最近話題のスマートウォッチとかいうやつと一緒にするなよ?ソイツはもっとハイテクなもんらしいからよ」

「らしいって…結局知らないのか」

「おう、俺は機械には疎いんでな」

 お前が疎いのは機械じゃなくて科学全般だろうと思ったが、口には出さなかった。初対面の相手にそこまで面と向かってズケズケと言うほど、自分の性格は悪くないと裕翔は思っていた。

「それで?これを着けろっていうのは分かるが、そうするとどうなるんだ?」

「着けてからのお楽しみだな」

 聖司が相変わらず人を食ったような笑みを浮かべ続けているので、一瞬躊躇ったが、最早後には引けぬと覚悟を決めて腕に嵌めた。

 カチャッと子気味良い音がして、それは裕翔の腕に巻き付く。

「おう、装着したな?するとソイツは──取れなくなる」

「何!?」

 慌てて外そうとするが、もう遅い。外す為のスイッチのようなものはなく、またどれだけ力を込めてもビクともしなかった。

「どういう仕組みかは例の如く分からんが、そういうもんだ。諦めろ」

「なんだそれ。そんなのアリかよ」

 裕翔が負け惜しみにも似た苦言を呈すと、聖司はきょとんとした表情を浮かべた。

「何言ってんだ。魔術も異能力もあるんだ。このくらいの事で驚いてちゃあ身がもたねえぞ」

「そうは言ってもな……」

 あまりにも酷過ぎて言葉が出ない。魔術も異能力も未だ信じられていない裕翔には、ただの理不尽でしかなかった。しかし、それはそれとして、外せないという現実を認められない程頑固ではなかった。

「これはこれでいいとして、俺はまだその能力スキルってやつを信じた訳じゃないんだがな」

「あん?まだそんなこと言ってるのか。まあいいさ、ちょっと見てろ」

 聖司は少し意外そうな顔をしたが、すぐに元の顔に戻って、先刻玲から取り上げたナイフを裕翔の方に投げた。顔を目掛けて真っすぐに飛んでくるナイフ。それは距離が極近いこともあって到底避けられる様なものではなく、裕翔の顔の真ん中に突き刺さる運命にあった。


 だが、その運命を改変するのが異能力である。

 裕翔の顔の目の前で、直進していたはずのナイフは突如垂直に上へ方向転換し、そのまま天井に突き刺さった。


 一瞬の内に、死を覚悟して奇跡を目の当たりにするなどという経験は、当然裕翔にはなかった。自然、口調は刺々しいものになる。

「……死ぬかと思ったぞ」

「そいつは失礼。だがこれで分かったろ?」

「今のが能力スキルか。地味だな」

「まあ俺のは特に地味だからな…」

 聖司はやや恥ずかしがるように頭を搔いた。

「玲、お前のなら俺のより少しは分かりやすいだろ。見せてやれよ」

 部屋の入り口を塞ぐように黙って立っていた玲は、突然投げられた指示に戸惑った様だった。顔にありありと困惑が浮かんでいる。

「……」

「……」

「……分かった」

 長い沈黙の後、玲は袖を肘まで捲り、両手のひらを裕翔に向けた。

「…見ての通り、今わたしは何も持ってない。袖も捲ったから、その中に物を隠していても取り出せない。OK?」

「OKだ」

「一瞬だから、目を離さないでね」

 手のひらを上に向ける玲。その指が、ゆっくりと曲げられていく。

 手が完全に握られる直前、彼女の両手には計二振りのナイフが現れていた。

「はい、おしまい。これがわたしの能力スキル。手元にナイフを作れるだけ」

 寂しげに笑う。

 見守っていた聖司は、何かを思い付いたという顔で裕翔と玲に声をかけた。主に玲にだが。

「なぁ玲。そのナイフのうち一本を、裕翔に渡してくれねえか?」

「?」

 玲にも裕翔にも意味が分からなかった。

 分からないが、それでも分からないなりに言う通りにする。

「──!?」

 渡せなかった。

 ナイフの柄に裕翔の指先が触れた瞬間、まるで初めからナイフなどそこにはないかのように、その存在が掻き消えた。

「やっぱりな」

「どういう事だ? 知っていたのか?」

「嗚呼、さっきお前の事を『先天的な能力者』って言っただろ? それがお前の能力って事だ」

 聖司は淡々と答えた。

 その事に気が付いたのは、先刻玲から「斬ったら消えた」と聞いた時だろう、と裕翔は予想した。

 斬られた方も気が付いてないのに、斬るという「行為」を受けて何かが発動し、その結果ナイフを消滅させたとは考えられない。

 逆に、他の誰にも気付かれずに人を斬りつけられるような玲が斬る瞬間に無意識に能力を解除しナイフを消したとは考えにくい。

 であれば、考えられる可能性は「常に発動していて」「触れたものの能力を無効化する」ということだ。

 よく考える時間があれば、もっと他の可能性も精査出来ただろうが、この時の彼らにはそのような時間はなかった。

「これが、俺の能力だって?」

「そう。ただ、常に発動しているから、体質と言ってもいいかも知れねえな。神秘を消す体質。さながら『神秘殺し』ってとこだな」

 聖司がよく考えずに放ったその言葉に、裕翔は引っ掛かりを覚えた。

「なぁ、神秘を消すってのは、能力に対してしか有効じゃないのか?それとも、魔術にも効くのか?魔術師がいるなら魔術もあるだろうし、魔術だって神秘みたいなもんだろ?」

 聖司は顔を顰めた。ゆっくりと口を開く。

「あー、そうだな。うん。正直、俺には分からん。魔術師じゃねえからな。分からねえが、階下したに魔術師が一人いるから、ソイツに訊くといい。嗚呼、安心しろ。ソイツは俺達の仲間だ」

 騙されてるだけじゃないのか、と裕翔は思ったが、流石にこの場でそれを言うのは憚られたので、無言で頷いた。

 彼らのような胡散臭い奴らに敬意を払う必要なし、と判断して敬語すら使わない裕翔だが、それでも相手が仲間だと思っている人物について根拠もなく騙されてるとは言えなかった。

 その時、手首に巻いた端末から、男とも女ともつかぬ合成音声が響いた。

「初めまして、四十九人目の被験者。私に名はありませんので、『教授』とでもお呼びください。其方からの声は届きませんので、悪しからず」

「嗚呼、ソイツは実験の主導者だ。俺達も会ったことはない。会ったのは代理の『助手』って奴だけだ。ま、軽く説明してくれるから大人しく聞いとけ」

 裕翔から、なんだコイツはという質問を目線で受けた聖司が早口で答えた。早口でないと、次の言葉に重なってしまうと危惧したのだろう。実際、聖司の言葉が終わるか終わらないかという所で再び『教授』が語りだした。

「貴方達には、一つ実験をして頂きます。簡単に言えば、生存戦バトルロワイヤルです」

「七人ずつ、七つのチームを作り、そのそれぞれが、己の命を懸けて戦う。それだけの話です」

「加えて、魔術師とも対立して頂きます。ここには幾分か私の私情が絡みますが、諸君の能力スキルとは、科学を以て神秘を再現したものですので、魔術と対極に位置するものとして、挑みたくなってしまったのです」

 作られた笑い声が響く。裕翔としては、笑い事じゃなかったし、もう勘弁してくれと叫びたい気分だった。

「改めて、諸君の果たすべき課題を述べましょう。一つは、『自分達以外の六つのグループを全滅させる』こと。誰か一人でも生きていれば、全滅とは言えませんので、不許可です」

「二つ目は『魔術師を倒す』ことです。既に主立った魔術団体には通告しています。魔術を滅ぼす為に遣わされた特使である、と。魔術師は君達を排除しに来るでしょう。君達はそれを追い返しても良いですし、捕まえても良いでしょう。殺してしまっても構いません。ですので、この時点で魔術師との戦闘を経験したグループもあるかも知れませんね。これによってグループが全滅したとしても、脱落になりますのでご注意ください」

「この実験において、君達はあらゆる事が許されます。どんなに残虐非道な行為でさえも、です。この実験の勝者となれば、世界を手にするだけの能力を手に入れることが出来るでしょう。科学、魔術の両世界を手中に収めれば、あらゆる願いは叶えられる。出来ない事などなくなるのです。それに比べれば、多少の犠牲など気にすることではありません」

「期限はありませんから、存分に励んで下さいますよう、お願い致します。なお、辞める際には死ぬ以外の方法はありませんので、悪しからず」

 声は、始まった時と同じように、唐突に止まった。静寂が部屋を支配する。

「じゃあまた一階まで降りよう。と、その前に一つ言い忘れてた事があった」

 ややあって立ち上がった聖司が、険しい表情を浮かべて言った。

「言い忘れてた事?」

「嗚呼。舘田裕翔、お前はその腕輪を身につけている限り俺達の仲間だ。但し、お前が俺達に仇なすような様子があれば、その時は腕輪の有無など関係ない。容赦なく排除する。これはお前以外の誰に対しても同じだ。いいな?」

 頷くしかない状況だった。

 玲のナイフを無効化出来るとはいえ、真っ当に力比べをしたら聖司には敵うはずがない。線の細い裕翔に比べ、聖司は筋肉質で、よく鍛えられているようだ。そのような相手に対して真っ向から逆らえる程の度胸を、この時の裕翔は持ち合わせていなかった。

「…オーケイ。分かった」

 裕翔が頷くと、途端に聖司は元のような快活な笑みを顔中に広げた。

「そんじゃ、改めてよろしく頼むぜ裕翔。能力者グループ『セプテム』へようこそ、ってな」


 ◇■◆


 一階では、合わせて四人の少年少女が、思い思いの時間を過ごしていた。

「おいお前ら。ちょいとツラ貸せや」

 聖司が、不良みたいな言葉遣いで呼びかけた。案外、昔は不良少年だったのかも知れない。

「あ、ボスに玲、それから──」

「コイツは最後の新入りだよ。そら、顔合わせだ、顔合わせ」

 例の、入口で声をかけた少年が好奇心に塗れた表情で声をかけてくる。

「舘田裕翔だ。よろしく」

 裕翔は率先して挨拶した。少しでも自分の印象を良くしようというか、悪い第一印象を持たれない為に彼なりに考えた結果である。

「ぼくは片岡かたおか一真かずま。一応、ぼくも能力者だ」

 少年──一真が応えた。目線を部屋の奥、綺麗めなソファに深く腰掛けた長いコートの青年へ向ける。

「あぁ?嗚呼、オレの番か」

 青年は聖司より遥かに悪人の口調で裕翔達の方を睨め付けた後、自分の番と気が付いて飛ぶように立ち上がった。

「オレは藤村ふじむらあつしだ。そんでもって、あっちで本読んでるクソ野郎が島崎しまざき直哉なおやだ」

 青年が指さした先には、我関せずという様子で読書に耽る別の青年の姿があった。視線を受けて顔を上げたかと思えば、

「…? 僕に何か用でも?」

 と、こんな調子である。

「あー、アイツはいつもあんな感じだ。気にするな」

 聖司がフォローした。全くもってなんの慰めにもならないが。

「OK、次行こう」

 裕翔は裕翔でスルーする。これ以上直哉に時間を使っても無駄だと判断した。

 未だ自己紹介をしていないのは、ゴスロリ風の衣装に身を包んだ、十歳程の少女のみだった。

「初めまして。私は奈以亜ないあ瑠羅るら。まあ、これは本名じゃないんだけど」

 作り物めいた笑顔で少女は名乗った。

「偽名?」

「そうだよ」

 あっけらかんと瑠羅は肯定した。さも当然のように。

「私の本名を知ってる人なんて、今は一人もいないと思うよ。苗字だけなら聞いた事がある人はいるかもしれないけどね」

 やはり偽物らしい笑いを顔に貼り付けたまま、少女は語る。裕翔には、彼女を構成する全ての要素が嘘で作られているような気がした。



 それは、三年たった今でも変わっていない。


 ◆◇◆


「裕翔?聞いてる?」

 急に声をかけられた。それを契機に、過去へ飛んでいた意識が急速に戻って来る。

「…済まない。聞いてなかった。その、ちょっと昔を思い出していた」

「昔っつーと、ここへ来る前か?」

 敦が食いついた。彼は何故か裕翔がここへ来る前のことを聞きたがるのだが、残念ながら今回は違う。

「…ここへ来た時の事だ。例えば、聖司の詐欺みたいな説明とか、玲にいきなり斬りつけられたこととか、敦のチンピラっぷりとか、直哉の自分勝手ぶりとか、瑠羅の胡散臭さとか」

「あれ?ぼくは?」

 やはりというか、当然のことながら一真に尋ねられる。

「ないな、特には」

「悲しいなぁ」

 素っ気なく答えたが、さほど悲しくなさそうだった。

「一真は特に印象に残るような特徴ねえからな。瑠羅だとか、直哉と比べりゃ記憶からも薄れるだろうさ」

 敦の言葉に対し、この日初めて直哉が顔を上げた。その顔には、不満がありありと浮かんでいた。

「敦、あの瑠羅と僕を並べるのは止めてくれないか?彼女と並べる程の異常者じゃないよ、僕は」

 この意見を、敦は聞き入れる他なかった。誰も反論を持ち合わせていなかったから。

「話が逸れてるぞ、お前ら」

 聖司から叱責が飛ぶ。

「実験において俺達に課せられた二つの課題、忘れた訳じゃないだろ?『自分達以外の六つのグループを全滅させる』ってのは、期限が設定されてねえとはいえ、もう三年間進展がないのも事実なんだぞ。この状況でこの任務ミッション、ノロノロしてる余裕はねえだろ」

 三年前、自己紹介の前、手首の端末から聞こえてきた『教授』を名乗る合成音声によって課せられた二つの課題。もう一つは『魔術師を倒す』だ。こちらは多少の成果はあった。だがこれもまた期限はなく、強いて言うなら『一つ目の課題を達成するまで』やり続けなければならない。

 あれから三年。未だ倒れたグループはなく、「ウーヌスI」「ドゥオ」「トレース」「クァットゥオルIV」「クィーンクゥェ」「セクスVI」「セプテム」計四十八名、未だ健在である。

「『ウーヌス』を例外として一グループ当たり七人。コッチも向こうも七人。直接ぶつかるにはやりにくいんだよ。特に俺達『セプテム』はワケあり揃いだからな。そう簡単にはいかねえんだよ、これは」

 とは、かつて「さっさと攻めればいいじゃないか」と言った裕翔に対する聖司の台詞である。

 ワケあり揃いなのには理由がある。

 何しろ『教授』が優秀な者から順にグループを編成したので、七番目のセプテムは余り物の寄せ集めみたいなものだったのだ。当初は人数すら足りていなかった有様である。聖司と敦、それに直哉の三人しかいなかった。一真、玲、瑠羅、そして裕翔は後からスカウトされて参加したメンバーである。

 後になってそれを知った裕翔は、道理で騙すように参加させるのが上手いわけだ、と一人で納得した。

 そして、今回のミッションはいつになく躊躇いたくなるものだった。

「……そもそも、瑠羅の救出って必要なのか?」

 奈以亜瑠羅の救出。それが今回彼らの果たすべき任務である。

「さぁな。アイツが勝手に行ったんだから、自分で何とかしろって話だし、そもそもアイツがこの中で一番強いんだから、必要ねえ気もするんだよな」

 単純な戦闘力なら、瑠羅の右に出る者はいない。無論聖司も力は強いし、玲の身体能力には目を見張るものがある。敦とて能力を使えば常人では発揮出来ない程の怪力を見せる。

 それでも、瑠羅には敵わない。

 直哉や一真も、そう。彼らはそもそも戦闘系能力者ではないので、仕方ないとも言えるが。

 瑠羅は異常なのだ。

 余りにも強力な能力を持っていながら、大抵の魔術は扱える。能力者でありながら魔術師というのは、珍しいことであり、同時にとても厄介なことだった。

 何しろ魔術師と対立している身である。瑠羅の事を本当に仲間と見ても良いのか、裕翔は決めかねていた。

 加えて、彼女の精神性にも大いに問題があるのだ。


 彼女には、倫理観というものが完全に欠落しているのだから。

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