第一章 Ⅸ スタンド アップ トゥ ザ ヴィクトリー

09 スタンド アップ トゥ ザ ヴィクトリー



「あめんぼあかいな あいうえお うきもにこえびもおよいでる!」


「ダメだ!リート!もっと腹から声を出して、一音一音はっきりと!」


「あめんぼあかいな あいうえお うきもにこえびもおよいでる!!」


「叫べばいいってもんじゃないよ!そんなものじゃ、小エビは沈んでしまうよ!いいかい、ボク達召喚士サモナーに必要なものの一つは詠唱だ。一切の淀みなく、はっきりとした音で、契約した召喚獣との契りを形にしなければならない。それにはまず正しく美しい発声発音が必要不可欠なんだ。ハイ、もう一度頭から全部通して!」


 俺とシェリアのギルド組合登録手続きを笑顔でカルメンさんに丸投げしたメイは、その足で俺達を連れてこの屋外の修練場へとやってきた。それが30分前。


「あめんぼあかいなーあいうえおーうきもにーこえびがーいっぱいだー!」


 晴れ渡る空の下、元気いっぱい小エビ達の生命の息吹きを高らかに謳い上げるシェリア。


「聞いたかい?リート。シェリアの小エビ達の生命を讃える賛美の祝詞を!彼女のように言葉の一つ一つに命を宿らせるんだ!」


 ふざけているのか大真面目なのか判断に困るメイ先生のボイスレッスンはそれなりに熾烈を極めた。

 

 もしかしなくても、メイも大概残念なのではなかろうか...そんな考えが頭をよぎり始めた矢先に、


「おーおー、やってるやってる。リートー!アンタに会いたいってヤツが来てるんだがよー!」


 カルメンさんが剥き出しになっているヘソのあたりをポリポリ掻きながら、こちらへ向かってくる。


「やぁ、カルメン。登録は終わったのかい?意外に速かったね。」


「まぁ、今は感謝祭の真っ只中だしな。仕事自体はそこまで多くねぇからよ。それより、リート!アンタに客だ。礼を言いたいんだそーだ。」


 俺に客?礼?誰だ?トルネソのおっさんか?


「いーぞ、入ってきて。あん?なんでそんなにビビってんだよ!だーいじょーぶだって。ウワサ程の危険人物じゃねーからよ。」


 カルメンさんに連れられてきた人影は二つ。一人は松葉杖を突きながらこちらに向かってくる短髪の男。もう一人は、そんな男を支えながらもオドオドきょろきょろとこちらの様子を伺う小柄な女性。


「ねぇねぇ、リートリート。あの男の人ってあの時の...」


 隣のシェリアが胴着の裾を引っ張りながら、こちらに向かってくる二人に指を指して視線を向ける。そうか...昨日の...


「「メイ本部長。お疲れ様です。」」


 揃ってメイに挨拶をするお客さん。


「あぁ、君も無事なようで何より。どうだい具合は?ゲルダン。」


「セレナの治療のお陰で何とか動くくらいは...それにそちらのリート君に礼も言わないというのは、余りに不実に過ぎますので。」


「だからって、ホイホイ動き回れる状態じゃないんだから。お兄ちゃん。」


 男の方がゲルダンさん、女の子がセレナさん。だろうか?その二人が改めて俺とシェリアに視線を向けてくる。


「リート・ウラシマ君で間違いないかな?昨日は迷惑をかけてしまったみたいだね。後からこのセレナに顛末を聞いたのだが、どうしても礼を言いたくて医務室から抜け出してきてしまった。私の名前はゲルダン・カプリカ。戦士ファイターだ。昨日は世話になった。ありがとう。」


「......セレナ・カプリカ...治癒術士ヒーラーです。昨日はお兄ちゃんを助けてくれてありがとう。」


 妹のセレナちゃんは俺と目を合わせようとせず、兄貴の背中に隠れるようにして、ちらちら俺とシェリアの様子を伺っている。なんか怖がられてるのか?


「いや、こっちこそ出すぎた真似しちゃって済みませんでした。あのうしくんがあんまりにもムカついて、こっちの都合で水を差しちゃって...でも、少し安心しました。結構酷い状態だったから。」


「セレナが一晩、私の治療をしてくれたお陰さ。私より余程優秀な冒険者だよ。」


 後ろに控えているセレナちゃんを見やったゲルダンさんが優しく微笑む。


「よかったねー、リート!ゲルダンさんも助かったし、よかったよかった!」


 俺の横にいるシェリアに視線を注ぐカプリカ兄妹。


「あっ!ワタシの名前はシェリア!今日からリートとグリグランギルド組合に入ることになったの!よろしくね!えーと、ゲルダンさんとセレナちゃん!」


 シェリアは戸惑っているセレナちゃんの様子を気にすることなく、彼女の方に駆けていってその手を握る。誰の懐にも恐れることなく踏み込んでいくシェリアのアレは一種の才能なのだろう。常に緊張の表情を崩さなかったセレナちゃんの表情がみるみる柔らかくなっていく。


「今の話なんだが、今日のトーナメント決勝が終わるまでは誰にも口外しないで欲しいんだ。これは本部長命令。いいかな?ゲルダン セレナ。それと...カルメン。君が一番心配なんだけど。」


「ねぇねぇ、メイちゃん。どーしてどーして?」


 セレナちゃんの手を握ったまま、メイに問いかけるシェリア。


「いいかい、シェリア。例えば君がリートのために頑張って美味しい食べ物をリートに用意したとする。なのにリートは君にありがとうの一言さえ言わずに、別の女の子の話を聞いてもいないのにペラペラと喋り出す。そんな時、君はどんな気持ちになるかな?」


 例え話の中とはいえ、俺という人間がド外道な男に脚色されていく。もっと違う例え方もあるだろうに。


「それはスッゴくイヤ!胸のところがイガイガするもん!」


「そう。頑張った優勝者がそんなイガイガした気持ちにならないように、フォローして上げるのもボク達の仕事でもあるんだ。わかってくれたかな?」


「うん!なんとなく!みんながイガイガした気持ちになるのは面白くないもんね!」


 シェリアの笑顔を見たメイは優しげに目を細めた後、こちらに向き直る。


「よし、それじゃあ休憩時間は終わりだね。リート、言葉の次は身体を使ってもらうよ。前鬼、軽くリートを揉んでくれないか?」


 メイが手にした紙の依代が突如青白い炎を上げて燃え出し円を描く。その梵字に似た文字で構成された炎のサークルから、額に一本角を生やしたメイドの姿が像を結んだ。


「彼女は前鬼。さっきお茶を淹れてくれた後鬼のお姉さんといったところかな。戦闘に関しては前鬼は正に鬼の様に強いよ。油断していると腕の一本や二本じゃ効かないからね。これから...そうだな。30分、ノンストップで前鬼と遊んでもらう。覚悟は出来てるかい?リート?」


 心底愉しそうに極上の笑顔を寄越すスパルタ黒髪ぱっつん陰陽師。だんだんこいつの本性が見えてきた。ノンストップで30分?!上等じゃないか!こういう方が俺向きだ。


「シェリア!これからメイに酷いことされるかもしれないけど、怒らないで見ててくれ!別にメイも俺を苛めたいワケじゃないはずなのかもしれない、メイビー!俺はシェリアが応援していてくれればそれだけで頑張れるから!大人しく見ていてくれないか?!」


「わかったー!!リート!がんばれーー!!!」


 両手を振り回して、ぴょんぴょん跳ねながら応援してくれるシェリアの声に後押しされて、目前の前鬼を見据える。


「良かったら、君たちも見ていくかい?ゲルダンとセレナそれにカルメン。面白いものが見れると思うよ?特にアフターケアのためにセレナには残っていて貰いたいんだけど。」


「私も彼の闘う姿は見ておきたいです。」

「セレナちゃんもいっしょにリートの応援しよ!ねっ?」

「シェリアちゃんがそう言うなら...」

「アタシは言われなくても見ていくつもりだったけどな!」


 なんか、外野が色々言ってる。


 ......さて集中、集中。眼を閉じて息を吸って細く長く吐く。自分自身の核である丹田に意識を向ける。普段より強い脈動。うん?緊張しているのか?それだけではない気がする。なんだ...この感覚。


 軽く両足を蹴って、拳を握る。よし、いける!

 相手は正真正銘の化け物だ。不安は無いわけじゃないが、それ以上の闘争心が身体を熱くしていく。


 こちらから仕掛けるか?その刹那...

 目の前の前鬼の姿がかき消える。


  疾いッ...!


「ちぃっ!!」


 ガードを下げていた左に瞬時に回り込まれ、鬼が放つ必殺の拳が眼前に迫る。流石にワンパンKOは後免被る!


 無理矢理上体を捻り、狙いである顔面をずらしてなんとか回避。

 ...するがその拳は容赦なく顔の皮膚を拳圧だけで裂いていく。


 おいおい、マジかよ。何が腕の一本や二本だ!ワンパンKOどころじゃない。こんなん急所に貰ったら一撃でオダブツだ。


 カウンターを狙いにいくか?いや、ダメだ。相手は鬼。しかもあの安倍晴明の式神だ。よしんば、カウンターを合わせられたとしても、一撃必倒のビジョンがまるで見えない!


 まずは相手の動きに意地でもついていく。集中しろ、全身を総動員して初動の気配を掴め!


 ..................今っ!


 前鬼が無造作に足を踏み出し、モーションに入る。

 

 よし見える!......彼女の足が大きく、天を衝くように上がっていく。目の前に広がるパンツの色は赤。


 来るっ!かかとッ!!


 どこで受けたとしても粉々に粉砕されるだけの膂力が乗った鉄槌。それを皮一枚を犠牲にして回避する。頬と肩から飛び散る鮮血。


 振り下ろした後であればなんとか一撃を食らわせることが出来るっ!ここだッ!


 俺がどうにか習得に漕ぎ着けた技の中で最も信頼している必殺の一撃。使うなら今しか無い。


 前鬼のかかとが地面に吸われていくその瞬間。その腹部に拳を押し当てる。


 ......ミキキッ!


 乾いた音が耳に届いて......

 

 ..................前鬼のかかとが修練場の地面を粉砕した。


 舞い上がる土塊。粉塵。衝撃波。それらと共に宙を舞う己の五体に意識を戻す。地面を割るほどの衝撃を間近で受けたせいか、上手く頭が回らない。


 うっわ、高ぇ......何メートル吹っ飛ばされてんだよ?

 10メートルくらいか?わかんねぇ?あぁ、空が蒼いな......

 なんか前にこんなことがあったような...


「リ......!...ん...れー!!」


 ...声が...聞こえる。


「リィトぉーー!!がんばれーーーー!!!」


 シェリアの声。がんばれって、俺を呼ぶ声。身体が墜ちていく。あたまがしたであしがうえ。身体が動かない。


「リィぃトぉぉぉー!!!がんばれぇーーーー!!!!」


 あぁ、わかってるって。シェリアおまえが見てくれてるなら、鬼だろうとなんだろうとブン殴ってでも前に進んでみせる!


 .........その瞬間、俺の身体が何かと繋がった。


 墜ちていく俺に止めを刺すべく拳を構える眼下の前鬼。更に強まる俺の脈動。どくんどくんどくん。五体にほむらの息吹きが駆け巡る!


 ―――思ったよりも早かったね...ボクの想像以上に君たちは深いところで繋がっているみたいだ―――


 脳を揺さぶるメイの声。そりゃどーも。


 総身に満ちていく龍神の焔がこの世界に揺らめく幻素エーテルの存在を知覚させていく。


 そうか、これがこの世界の本当の入り口なのか。


 握った拳に今まで感じたことの無い力が籠る。シェリアの声が俺の全身を焔に変える。全身に走る俺だけの龍脈が咆哮を上げる!!!


ァァァァァあああああああああああああああっッッッ!!」


 技術もクソもない乾坤一擲の右ストレート。ただ力任せにブン殴るだけの愚直な一撃が鬼の拳を打ち据える!!!


 その拳の激突が、巨大な炸裂音と共に空気を地面を揺るがしていく。氾濫する幻素エーテルの奔流。


 ここまで出来すぎた覚醒劇をしておいて打ち負かされるなんぞ言語道断だろう!そんなん誰も求めてねぇんだ!


 打ち合う拳に意志ちからを込める!前鬼の足元が衝撃でめり込んでいく。あと少し!あとは意地の問題だ。


 シェリアが見てんだよ!カッコつけねーワケにはいかないだろうが!!


 歯を喰いしばり、全てのちからを振り絞って拳を振り抜いた......


 轟音 衝撃 閃光 その全てが修練場を包んでいく。


 まだだ。これで終わりじゃない!意識を闘志を切らすな。油断も容赦もしない。足が震えて、手も上がらない。それでも拳を構え直す。


 前鬼は何処に?!


「ハイ!お疲れ様!前鬼もよく働いてくれたね。流石はボクの式神だ。予定より大分早いけれど、これで第一段階の半分は修了だ。」


 パンパンと手を叩きながら俺の目の前に現れるメイ。


「シェリア。良く我慢してくれたね。もうこっちに来ても大丈夫だ。辛い思いをさせてしまった。思う存分リートを抱き締めて上げてくれ。」


 メイがパチンと指を鳴らすと同時に何かが割れる音が聞こえて、シェリアがこちらに駆け寄ってくる姿が見えた。


「リート!リート!!リート!!!リィトぉーー!!!よがっだよぅーー。」


 全身をシェリアに抱きすくめられる。またこのパターンか。うん?でもアレ?シェリアの全力の割には苦しくない?


「あぁ、リートの身体は今龍神の加護が働いているからね。シェリアの全力の抱擁にだって耐えられる強度が備わってるよ。だから思う存分抱き締めてもらって大丈夫。」


「ふぇぇぇん。よぐわがんないけど、よかったー!!えへへ。」


 涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃのシェリアの頭を優しく撫でる。


「ありがとな。シェリアの声がしっかり届いたから、俺は頑張れたんだ。」


「えへへ。やたっ!がんばったもん、ワタシ!だからもっと撫でるがよい!!」


 ぐちゃぐちゃの顔はそのままにシェリアの顔がほころぶ。...うん。頑張った甲斐はあったかな。


 そんな漠然とした達成感を胸に、俺の意識は気持ちのいい微睡みの中へと堕ちていった。

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