第一章 焔龍の姫君 ー グリグランの日常 ー

第一章 Ⅰ ラブストーリーは突然に

01 ラブストーリーは突然に



 揺れる。浮かぶ。沈む。


 身体全体にめり込む地面のゴツゴツとした感覚。それに意識を引っ張られて微睡みから目を覚ます。


 段々意識がハッキリしてきて、まず最初に感じたものは、圧倒的な風圧だった。小学生の時に乗った初速180kmのジェットコースターがこんな感じだったような気がする。


 顔の筋肉が全部後ろに引っ張られる。顔中の穴という穴から、鼻水だの涙だの涎だの色んな液体がこんにちわ。


「うわば、あばばばばばばば!!」


 異世界に転移してきた俺、宇良島李依人うらしまりいとの記念すべき第一声。


 息が出来ない!


 下半身が固定されていないせいか、上体を起こそうとした途端に全身が風に煽られ吹っ飛びそうになり、慌てて目の前の赤い岩のような突起にしがみつく。風に煽られ、バタバタと派手な音を立てるコンビニ袋。


『ひゃんっ!なに?なんなのー?』


 こっちの台詞だ。なんなのだ。ここは。少なくともまともな状況じゃない!


 慌てて周りの状況を確認するために、辺りを見回す。


 .........空にいた。上が蒼で下が茶色のキレイなツートンカラーが360度。横には岩のような鱗っぽいものに包まれた巨大な紅い翼。


 ここは、地上じゃ、ない!


 せっかく拾った命をこんなところで無駄にするわけにはいかない。必死で赤い岩に回した手の力を強める。


『ひゃんっ!!なんかムズムズするー!背中?背中に何かいる?!』


「さっきからひゃんひゃんひゃんひゃんうるせー!こっちは死にそうになってるんだ、それどころじゃねー!」


『ふえっ、誰かいるの?乗ってるの?だからムズムズするの?』


 さっきから、なんとなく耳に入ってきていた[声]に改めて耳を傾ける。どうやらこの声の主の背中に俺は乗っているらしい。


「どこのどなたか存じませんがー、もう少しゆっくりと飛んでくれるとー、助かるんですがー!じゃないと、俺、死ぬ!死んじゃう!!」


 ダメ元で声の主とのコミュニケーションを図るべく、風で張り付く喉が裂ける勢いで叫ぶ。


『えぇっ?!たいへんだー!じゃあ、ゆっくり飛びますねー。』


 こちらの緊迫した状況とは真逆のひどく間延びした声。


 直後、身体を襲っていた風の圧が弱まり、ゆるゆると高度が下がっていく。


 ...これなら何とかなりそうだ。


 危機を回避した身体が弛緩して、次第にはっきりしてくる意識と理性。


「ふあー、マジで死ぬかと思った。一日で二回死にそうになるって大概だなー。ありがとう、助かりましたー!」


 未だ全容が見えない声の主にお礼を言う。


 すると、今までその背にかくれていた前方の機首にあたる部分から、長い首とその先にある頭部が露になり、ゆっくりと俺の方に向けられる。


『いえー、ご無事なようでなによりですー。良かったですねー、死ななくてー!』


 こう言ってはなんだが、とてもバカっぽい声が目の前の頭部の動きにリンクして脳内を揺らす。ちょっと可愛らしい。


 うん、コレはアレだ。ドラゴン......だよな。火ぃ吐くヤツ。今日びのドラゴンはスゲえな。萌えボイス実装とは恐れいる。


 目の前にいるドラゴンちゃんにも負けず劣らずのバカっぽい感想を頭に思い浮かべる俺。


 なんにせよあの状況で振り落とされなかっただけでも十分奇跡だ。


『あれー、アナタはもしかして人間さん?ワタシ見るのは初めてで...あっ、そもそも人界に出てきたのもこれが初めてなんだけどー。』


 なんか急に元気に話を始めるドラゴンちゃん。


 流石にこのままシカトを決め込むのは男としてどうなんだろう。

 とても人懐っこい声色につられて自然とこっちの口調も砕ける。


「へー、そうなんかー。実は俺もここに来たのは初めてでさ。ワケわかんないうちにキミの背中に乗っかっててさー。正直おしっこチビるかと思いましたよ。」


 ガクンとドラゴンちゃんの体が揺れる。


『ええっ!?やだっ!出しちゃってないよね...』


 不安そうにこちらに視線を送るドラゴンちゃん。


「あぁ、ゴメンゴメン。出しちゃってないから安心してくれ。」


『それなら安心だー。よーし!お腹が減ってきちゃったし、このままどっかで休憩しよう。そうしよう!人間さんも落ち着きたいよね?ねっ?』


 ...確かにどこか地に足が着いた状態でゆっくり状況を整理したい。幸い、俺をどうにかして食ってやろう、とかその類いの邪な感情は目の前のドラゴンちゃんとは無縁の様に思えた。


「わかったー。提案に乗りましょう。どっか適当なところに下ろしてくれたら嬉しい。」


 どうやら一息つけそうだ。


 ドラゴンちゃんの羽ばたきが徐々にゆっくりになっていって、それに合わせて着地ポイントと思われる岩場が近づいてくる。


 おぉ、この感覚は初体験だ。飛行機というよりヘリの離着陸のイメージが一番それっぽい。


 ドラゴンちゃんの背中にしがみついたまま、その様子を観察していると、いつの間にかズシンという衝撃と共に彼女の四本の足が地面に吸い付いていた。


『ふー、着陸成功だー!人間さん!もう降りてだいじょうぶだよー!』


 そう言ってドラゴンちゃんはその長い首を真っ直ぐにして地面に頭をぺたりとつける。


『ん?どうしたの?早く降りちゃえば?』


 これは彼女の首を通って頭を踏みつけて降りろということだろうか?ドラゴンだろうと何だろうと女の子の頭を踏みつけるというのはひどく抵抗がある。


「いんや、俺このまま飛び降りるから大丈夫。気ぃ使ってもらっちゃって悪いな。」


『えぇー、危ないよぅ。』


「へーきへーき、それなりに鍛えてるから。よっと。」


 彼女の背から飛び降りる。目算で2メートルちょいなら問題無い。衝撃を各関節に上手く分散させて、異世界の地面に降り立つ。


 よし、身体の調子は問題無し。


 というか、こうやって地面に立つのは凄く久しぶりなような気がする。


『ねぇねぇ、人間さん。おなか減ってない?よければ人間さんの分もごはんとってくるけど?』


 こちらに首を傾げながらこちらに気を使ってくれるドラゴンちゃん。


 何を持ってきてくれるかはわからないけれど、こちらもあれから何も食べていないことを思いだして御相伴に預かろうかと口を開く寸前、手にしていたコンビニ袋の重さを確かめる。


「あー、待ってくれ。こっちも食い物持ってきてたの思い出した。せっかくだし一緒に食べるか?」


『えっ!いいの!ワタシ人間さんの食べ物って食べたコトないからすごく興味あるんだー!ホントにくれるの?!わーい!』


 巨大なしっぽをブンブン振り回すドラゴンちゃん。砂ぼこりがすげぇ...


「いーよ、あげるあげる。これも何かの縁だしな。それにメシはみんなで食った方がずっと上手い。」


 言いながら袋の中の魚肉ソーセージを取り出す。中の数を確かめたら30本くらい入っていた。どうりで重いハズだ。


 包装しているビニールをやぶいて、オレンジ色のフィルムに包まれたソーセージを取り出す。先端の金具をかじりながら捻ってやれば、プルンとしたピンク色のソーセージが頭を覗かせる。


「ほれ、食わせてやるからお口開けなさい。ほら、あーん。」


 ドラゴンちゃんの頭の前に立って鼻先にソーセージを掲げる。

頭の中でイメージしていたドラゴンの乱杭歯より、ずっとキレイな口元。


『えへへ、いただきまーす!あーん。』


 素直に口を開けるドラゴンちゃん。


 こりゃ、すげぇ迫力だな。


気圧されないように踏ん張りながらその口内にソーセージを投入。


『はぐはぐ。あぐあぐ。......ん?んんーー!!』


 しっぽの風切り音がブンブンからヒュンヒュンに変わって、生み出された衝撃波みたいなのが近くにあった岩山の一角を吹っ飛ばす。


「待て!落ち着け!旨いのは分かったから!一旦落ち着こう?な?まだあるから!」


『ホント?まだくれるの?!やたっ!...でも、ワタシのサイズじゃ一口で終わっちゃうし......あっ!そーだ。ばあやが教えてくれたの使っちゃおう!そうしよう!』


 なんだか一人で盛り上がってるドラゴンちゃん。こちらも自分の分に取りかかるべく、彼女から目を離して黙々とソーセージのフィルムを剥がす。


 突如背後からリィーンと聞こえる鈴のような音色。


 刹那、周囲の風そのものを巻き込むようにドラゴンちゃんがいた空間が収縮していって、人型の光となって周囲を明るく照らす。


「ワタシさえてる!凄いぞ、ワタシ!!これならきっとお腹いっぱいあのおいしいの食べられる!!そうだよね!人間さん!!」


 人型が放つ光量が次第に落ち着いていって、その輪郭が鮮明になっていく。


「そーだ。ずぅっと人間さんって呼ぶのも失礼だよね!何よりごはんくれるいい人間ひとだし、名前くらい聞いておかなくっちゃ!人間さん!アナタのお名前は?!」


 ひかりのさきにあらわれたのはすっぱだかのおんなのこだった。


「うらしま りいとです。」


「うん?......ウラシマリート?変な名前だねー。ねぇ、それ食べないの?」


 女の子は無邪気な顔をこちらに向けてくる。...すっぱだかで。


「あ、あぁ。そうだな、食べよう食べよう。」


「食べよう!食べよう!」


 俺の腕をぐいぐい引っ張ってくる。...すっぱだかで。


 別に女の裸なんぞ、思春期真っ盛りの高校生の我が身としては腐るほど液晶越しに眺めておるわ!片腹痛い!動揺なんてしてあげないんだってばよ!


 女の子の裸体をマジマジと観察。別にやましい下心なんてこれっぽっちもない。ホントだよ?


 この娘はアレか...そういうコトなのか?ドラゴンちゃんの姿が消えて、この裸一貫の女の子が現れて...つまりは...


「えへへ、すごいでしょー。ばあやに教えてもらっていっぱい練習したんだー。人間体になるの!」


 確かに凄い。色々凄い。ホントに凄い。たゆんたゆんだし。反面、すらりとした四肢は引き締まっていて、腹周りなんかは一切無駄な肉はついていないし、肌だってとても健康的な色艶で日の光を浴びてキラキラ輝いている。


 おそらくドラゴンとしての自意識しか持っていない彼女は、この姿が一番自然なんだろう。だとしても、彼女の無知に甘えてその裸体を余さず視姦するというのは、流石にどうなのか?


 何よりこのままいけば、俺の理性が先に音を上げてしまう。


 心の中で血涙を流し、吐血を繰り返しながらなんとか言葉を紡ぎ出す。


「なぁ、ドラゴンちゃん。キミがその格好のままだと色々と食事をするのに問題が出て来てしまう。なので、キミのそのいっぱい練習した力とやらで、俺のように服を出すことは可能だろうか...」


 無邪気な笑顔を見せるすっぱだかの彼女の目を真っ直ぐ見ながら決死の覚悟で尋ねる。


「あっ、そーか。裸だワタシ。リートもコレじゃ落ち着かないよね。ちょっと待っててね。すぐ創っちゃうから!」


 素肌を晒す彼女の背中から、ドラゴンだった時のあの翼が出現してその身体を包み込む。


 コレでなんとかなりそうだ。


 一瞬彼女の身体が煌めいて、光の先に装いを新たにした彼女が現れる!



......肌色の比率は先程と何も変わっていなかった。


 大事なところが三点隠れているだけで、むしろ先程よりいやらしさが増していた。


「んもう一声だ!もっと布面積を多目にしてくれ!!!」


「わかったよぅ。リートはワガママだなぁ...」


 再度、彼女の身体を翼が覆う...


 彼女の紅蓮のロングヘアーに合わせたような真紅を基調とした活動的な装いをその身に纏ったドラゴンちゃんがようやく俺の目の前に現れた。


「どう、リート!これで百点満点?!」


 この世界での独自のデザインであろう刺繍があしらわれた真紅のミニのワンピース。個人的にノースリーブなのは非常にポイントが高い。


 さらにそのすらりとした手足を覆う薄手のシルクを思わせるグローブとニーハイソックス。


 どちらも彼女のやんちゃそうなルビーの瞳の印象から違わないそのコーディネートは言わずもがな百点満点だった。


「百点満点だ!!よくやった!頑張ったな、偉いぞドラゴンちゃん!」


 拳を握り震わせながら俺は叫ぶ。長かった自分との戦いはここに幕を下ろした。


「ねぇ、リート。そのドラゴンちゃんっていうのやめてよぅ。ワタシの名前もちゃんとあるんだから。」


 そうか......彼女の名前。おっぱいであたまがいっぱいになって聞くのを忘れていた。


「あぁ、悪い。そうだよな。まずは自己紹介からだよな。お前さんの名前を教えてもらってもいいか?」


 彼女は大きく息を吸って腰に手を当てながら、雲一つ無い晴天にその名前を響かせた。


「ワタシの名前はシェリア!シェリア・サラマンデル・ユーツフォリア!この世界を支える四幻神よんげんしんほむらの龍神の一人娘。よろしくね、リート!」


 そう言ってシェリアは俺に手を差し出してくる。彼女が語った中で名前くらいしか理解は出来なったが、それだけでも十分だった。


 その手を握り返した時の彼女のはにかんだ笑顔は、俺がいた世界の太陽や、今この世界を照らしている太陽の光より数段輝いていて...


 この異世界にきて良かったと心の底から思うことが出来たのだ。

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