露悪家から、君へ。

王子

露悪家から、君へ。

 天は二物を与える。常識の逆をゆくこれを私に確信させたのは、K君、君だ。

 私には他の人より秀でた脳が与えられただけだったが、君にはそれを含めた何もかもが与えられているように思う。こう書くと安っぽく聞こえるかもしれないが、優秀な脳細胞、恵まれた容姿、豊かな感受性、社交性、行動力、人脈、情熱……誰もが欲するものを、君は全て持っているように見えた。

 君と出会ったのは小学四年生のときだった。私の通う田舎の古びた学校に、君は東京からやって来た。

 都会からやって来た人間に対して、田舎の子供の反応は大抵二分される。物珍しい生き物として歓迎するか、相容れぬ異端者という固定概念から排他意識を持って迎えるかだ。私はそのどちらでもなかった。君のことをしばらく静観した。私の日常に楽しめる変化をもたらしてくれる存在かどうか見極めるために。

 私は君を認めた。君は予想を遥かに超えて期待に応えてくれた。退屈な日常の中に君という極めて優秀な人間が現れたことは、非常に喜ばしいことだった。君は、私の人生を良い方向に向かわせる指標となり、好敵手になると思った。

 君に近付くためにあらゆる手段を尽くした。

 テストの一週間前からは毎日必ず一緒に勉強をする時間を取ったし、君が放課後遊びに行く場所には全て付いて行ったし、君の親御さんにも気に入られていた方が良いだろうと思い、君の留守を見計らって「K君とご家族で食べてください」とケーキを持って行ったこともある。

「好いた異性にそれくらいマメにしてやれ」と君は笑うかもしれないが、私がこれほどまで真剣に考え、行動してきたのは、君に近付くことには大きなメリットがあると直感したからだ。理由はもう一つあるが、それについては後述することにしよう。

 私は幼いときから何もかもを計算して動いていた。結果的に私たちは自他共に認める親友と呼ばれる関係になることができたのは事実だ。


 私たちは同じ高校に入学した。

 私は相変わらず君と行動を共にしようと決めていた。朱に交われば赤くなる。愚者と行動を共にすれば、自分もまた愚者になるのだ。それは私の人生設計から言えばミスになる。私は常に最善の選択を心掛けてきたのだから、人付き合い程度のことでミスを犯すわけにはいかなかったのだ。

 しかし、人間というのは上手くいかないものだ、必ずミスを犯す。

 ミスの要因は幼馴染のA子だった。

 A子もまた優秀な人間で、県内最難関と名高いこの高校に入学した。もっともA子がこの高校を選択した理由は、A子が君に話したものとは異なるが、それは追々分かってもらえるだろう。

 A子と私の家は目と鼻の先だったので、幼稚園時代によく遊んでいたものだ。小学校に入学してからも仲が良かったが、君がやって来てからは疎遠になった。それは、前述したように私が君に張り付いてA子と接しなかったからだけではなく、A子が君に恋心を抱いたからだ。

 A子もまた君に近付こうと努力していたようだが、君の横には常に私がいた。A子は控えめな人間で、私たち二人の間に割って入るような図太い神経を持ち合わせていないことを私は知っていた。これも計算していたことだ。A子を君に近付けることは、私と君との人間関係に不純物が混じるということであって、私の人生においての不確定要素、デメリットになり得る。前述したもう一つの理由というやつだ。

 しかし、後にA子は不確定要素として再び私の前に現れ、結果、私の計算を狂わせることになる。

 A子は高校に入学してからも君に好意を抱き続けていた。いや、好意を抱いていたからこそ、あの高校を選んだのだろうが。

 君のことについて、幼馴染として相談を受けることがあった。少しでいいから言葉を交わせるよう取り計らってくれと頼まれたこともあった。どうやら、君に近付くためにまず私に許可を得なければならないと思っていたようだ。A子らしい行動だった。

 それはそれで私の計算どおりであったが、私は別のことにも気付いてしまった。

 君について話すA子の表情を見ていると、得も言われぬ嫌悪感を覚えた。時経つ内に、この嫌悪感が君に向けられていることが分かった。そう、君に嫉妬していたのだ。

 初めは、いつも私の側にいたA子が、もはや私の手の内にはおらず、君の手に渡ってしまった……言い方が良くないかもしれないが、所有権を失った感覚だと思っていたが、違った。私は、A子を好いていたのだ。

 君は覚えているだろうか。

 私は君を学校の屋上に呼び付けて、「A子のことをどう思っているんだ。A子にはどうやら好きな人がいるようなんだが」と問うた。私は努めて平静を装ったが、君のような賢い人間には通用しないことを知っていた。君は黙って私の表情を眺めてから、全てを見透かしたように笑って、「そうだなあ。A子さんのことは前から好きだよ」と言った。

 意地が悪いと思った。しかし、自分のしていることもまた、意地が悪く不誠実だった。

「A子を幸せにする自信はあるのか」と私が問うと、「ああ、もちろん」と君は答えた。

 このときに君と交わした約束を思い出してもらいたい。提案したのは君だった。

 確か、こんなやり取りをしたと記憶している。

「そういう君は、A子さんを幸せにできるって言えるのかい」

「そのつもりだ」

「じゃあ、一つ賭けをしてみよう」

「どんな賭けを」

「A子さんに心から『幸せだ』と言わせた方が勝ち。賭け金は、命でどうだろう」


 高校を卒業した私たちは、それぞれ別の大学へ進学した。私はA子の希望する大学に、A子と共に進学した。A子をマークしていなければ、勝機などあるはずがないと思ったからだ。他に取りうる選択肢などあるはずがないと思った。

 一方君は、アメリカの大学で医学の道に進むため日本を去った。A子から離れていくなんて、賭けのことを忘れているのか、はたまた冗談だと一笑に付しているのだろうと思った。所詮は青二才同士で女を取り合う色恋ごっこだったのだと。

 君がどう考えていようと、私には関係なかった。A子のことを本気で愛していたし、君より先にA子を心から幸せにして、賭けに勝つつもりでいた。

 大学を卒業すると同時に、私はA子と結婚した。それなりに大きな企業に就職して、A子は主婦として家庭を支えてくれた。何の問題もなかった。二年後に子供を授かり、その十年後には家を建てた。 

 全てが順調で、A子は心底幸せなのだろうと思ったが、直接口から「心から幸せだ」と聞いたことはなかった。幸せかどうかをわざわざ尋ねて口にさせるのは、卑怯な気がしたから訊かなかった。

 夏季休暇を利用して、君は我が家にお祝いに来てくれた。結婚祝い、新築祝い、出産祝いがいっぺんにやって来た。君が持って来てくれた年代物の赤ワインを開け、三人で乾杯した。とても楽しい日だった。

 それから一年後、A子が病を患った。急速に弱っていくA子を見るのは辛かった。

 国内の有名な病院という病院を渡り歩いたが、「ガンのようだが過去には前例がない、原因が分からないのでは治療もできない」と言われた。

 藁にもすがる思いで君に連絡を取った。著名な医師達に突き付けられてきた絶望的な所見を告げると、君は快く「診察しよう」と言ってくれた。

 A子から採取したガン細胞と思われるものを見て、「女性のみが発症するガンだ。最近私が発見して、現在研究中だ」と君は言った。救われたと思った。君が医学の道に進んでいてくれたことに感謝した。

 君は私とA子に説明してくれた。このガンについてはまだ研究途上だが、試作段階の薬がある。この薬は動物実験しか行っておらず、人間に投与したときにどんな副作用があるのか確認は取れていない。それでもいいのか、と。

 私たちには他の選択肢などなかった。宜しく頼む、と言った。

 君は「治験の謝礼金と相殺だ」と治療費を取らなかった。相手に負い目を感じさせないよう何気なく気遣うところが君らしいと思った。

 治療は成功した。憂慮していた副作用も、吐き気を催す程度で済んだ。


 A子の退院日、君は病院の正面玄関で私たち夫婦を見送りに出てくれた。白衣の君は、A子の命を救い、私の人生を救ってくれた。

 私が、言い尽くせないほどの感謝を「ありがとう」の一言に凝縮して君に伝えた。

 A子も、言い尽くせないほどの感謝を君に伝えた。

「ありがとうございます、私、今、本当に幸せです」と。

 そうか、そんな伝え方もあるな、と私は笑顔になった。久し振りに笑った気がする。

 君はというと、笑っていなかった。静かに私の目を見据えていた。

 すぐに私は気付いた。

 ほら見ろ、僕が勝ったじゃないか。

 君は黙って誇るような目をしていた。賭けは当然に生きていて、私は賭けに負けた。

 A子は、やはり私にとっての不確定要素だったのだ。


 君は、私に興味深いことを教えてくれた。

 愛情がなくても、人に心からの幸せを感じさせることができる、ということ。

 ゼロからプラスを幾つも積み重ねるよりも、マイナスからゼロへと転じさせる方が、人間は幸福をより強く感じる、ということ。

 そして、あらゆる賜り物に恵まれた人間……つまり天才には、目先の計算ごときでは敵わない、ということ。


 もしかしたら、君は私と出会ったときから、私の更に先を計算して生きてきたのではないだろうか。

 例えば、私が君に必死に張り付いているのを見てほくそ笑みながら、わざわざ親友になったとか。

 例えば、A子が君に好意を寄せていると知った時点で、私の計算を狂わせるための鍵としてA子を用意していたとか。

 例えば、私がA子を好いて君に探りを入れることを想定し、あの賭けを考え持ちかけてきたとか。

 例えば、君が医学の道に進んだのは、私とA子の結婚の祝い品として持って来たあのワインに、君が開発した女性だけに働く発ガン性物質を混入して飲ませ、後々私が君に泣きついたときに、予め用意しておいた薬で私たちを救い、A子に「幸せだ」と言わせ、最後には私の考えがいかに稚拙なものだったかを突き付けて完膚なきまでに打ちのめすためだったとか。

 妻の命を救ってくれた君を疑っているわけではない。単に可能性を列挙しただけだ。

 君は私が今まで出会ってきた人間の中で一番賢い人間だった。だから、今となっても、君がどこからどこまで計算していたのかさえ私には分からない。

 君ならば、こんな手紙を「意地の悪い冗談だ」と笑い飛ばしてくれると思っている。そうしてくれ。気に障ったようなら、すまない。

 妻を救ってくれてありがとう。

 私がいかに矮小な人間であるかを教えてくれてありがとう。

 さて、私は君との賭けに負けた。

 賭け金は命だ。もちろん約束は守る。だからこうして君に宛てて手紙を書いている。

 この手紙の内容は、他の誰にも知らせないでほしい。いや、こんなこと頼まなくても、君はこの手紙をA子に見せるなんて絶対にしないだろう。信じている。

 書きたいことは全て書いた。お別れだ。

 私にとって、一番の親友であり、一番尊敬に値する存在であるK君よ。

 さようなら。

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