第二章 少女は森の息吹に触れる
第二章 少女は森の息吹に触れる -1-
ハズリットは満点に近い成績で試験に合格し、基幹学校の全課程を修了した。
しかし彼女の試験は、それで終わりではなかった。基幹学校を卒業した後の進路を、早急に決めなければならない。
しかし自分が何をすべきかまだ判らなかったハズリットは、進むべき道を決めかねていた。
もちろん、自分の住む〈旧市街〉を「なんとかしたい」という想いはある。希望を失った人たちに再び希望を与え、街を住み易くし、「新〈新市街〉」へと造り変える。
そのために自分は、何を学ばなければならないのか、何を学ぶべきなのか――。
何か一つに秀でていれば、それを伸ばせる大学なり企業なりへ行けばいい。しかし知に関して貪欲な彼女は、あらゆる分野に興味があった。そしてどの分野も、自分の「野望」の助けになりそうだと思えた。
彼女は考えれば考えるほど、一つを選び取ることができなかった。
幸い、正式に卒業するまで、まだ三ヶ月ほどある。どこへ行くかは、それまでに決めればいい――彼女はそう考えていた。
だが彼女の考えとは裏腹に、是が非でも彼女を獲得したい大学や企業側は、答えを急かした。のんびり待っているうちに、ライバルに掻っ攫われてしまうことを恐れたのだ。
彼らは水面下で熾烈な争奪戦を繰り広げていた。企業は大学と手を結び、彼女を両者で共有しようとする。大学は優れた研究者を引き抜き、ライバル校よりいい講師陣を揃えようと躍起になる。
このままでは彼女一人のために、教育現場は大混乱になる――。
そう気づいた彼らは協定を結び、困惑しきっているハズリットに提案した。
「我々を面接して欲しい」と。
本来受験すべき側が最高学府や企業に対し面談を行うなど、いまだかつて聞いたことがない。
卒業試験の数日前にトゥルーマン校長からこの話を聞いたハズリットは、呆れ顔でそう答えた。
しかし彼女の方から受験に赴ける範囲は限られている。時間的、経済的にどうがんばっても、選択肢はカリスト内になってしまうのだ。それが向こうから、しかも木星中から、彼女の
その数は一〇や二〇どころではない。名乗りを上げた全ての代表と面談するのは、軽く見積もっても数週間を要するだろう。それだけの時間があり、また選択肢が広がれば、向かうべき道も見えるかも知れない――。
そう考えたハズリットは、彼らの提案を受け入れた。
こうして「彼我逆転の面接」が始まった。
毎日、何人もの偉い教授や、企業の重役に会う。八歳という子供であり、しかもこれまで人との接触を極力避けてきた彼女にとって、それは精神的にも肉体的にもかなりの負担になるはずだ。
だがハズリットは音を上げなかった。それどころか、いままでになく溌剌としているようだった。
実際、彼女はこの面接を楽しんでいた。初対面の人間と長時間向き合うのは確かに疲れるが、それ以上に彼らの話は興味深かった。
彼らは基幹学校の教師とは違い、専門的な知識に富んでいる。中には肩書きだけの者もいたが、ほとんどが選りすぐりの識者だ。学ぶことが好きな彼女にとって、自分の知らないことを知っている彼らとの会話は、充分刺激的で楽しかった。
彼女は、これまでで一番充実した時間を過ごしているような気がした。そして、これからはもっとそんな時間が持てるのだ思うと、期待で胸が高鳴った。
それなのに。
何かが心の片隅に引っかかっていた。休憩時間や家に帰って独りになると、何かがチクチクと自分の心をつついてくる。そしてその「チクチク」に向き合おうとすれば、なぜか一人の少年の顔がちらつくのだ。
セピア色の髪と自信に満ちた琥珀の瞳を持つ、ヴァルトラントという少年。
卒業試験の日から数日が経っていたが、あの日の彼の言動は鮮明に思い出すことができた。だが彼女は、あえて思い出さないようにしていた。思い出すと罪悪感に囚われる。
どうして自分は、あんなことを言ってしまったんだろう。
ハズリットはふと端末を操作する手を止めた。
昼休み、面接から解放されたハズリットは、自習室で寛いでいた。興味のある論文を読んで気分転換していたのたが、不意に例の「チクチク」が始まり、論文に集中できなくなったのだ。
さっきから何度も同じところを読み返していることに気づいた彼女は、小さく息をついた。
彼は試験に間に合うよう、報道陣の目をごまかしてくれた。そして自分を侮辱したアントンにも立ち向かってくれた。
それらに関しては、感謝の言葉を述べるべきだった。人と付き合うのは苦手だし、あまり自分に干渉されるのも好きではないが、「助けてもらったら礼を言う」――それくらいの礼儀はわきまえているつもりだ。
なのに彼が振り向いた瞬間、口から飛び出したのが「ばか」のひと言だったとは。いままで他人に対して突き放すような言い方はしたが、罵ったことなどなかったのに。そして一体、彼の何に対して「ばか」などと言ったのか。
そもそも自分は、なぜあのとき無性に腹が立ったのだろう。あのときの自分には、彼の言動が納得できていたはずだ。
アントンの冷やかしに対して返したヴァルトラントの言葉は、彼お得意の「攪乱」だ。会話でもって相手を自分のペースに引き込むのが巧い彼は、アントンが期待する言葉の裏をかいたのだ。そして見事その術は嵌り、アントンの気勢を殺ぐのに成功した。その後の級友たちとのやりとりも、整合性を保つためにでっち上げたと推測できる。
彼のこれらの言動に、自分が腹を立てる要因は見当たらない。では他に原因があるのだろうか。
見逃していることはないかと、ハズリットはしばし考えてみる。だが結局原因を見つけ出すことはできなかった。
どうやら答えを得るための、要素なり定義が足りないようだ。これ以上考えても時間の無駄だ。
原因の究明を諦めたハズリットは、頭を軽く振って気を取り直すと、論文の続きを読もうと顔を上げた。
「ハズ、聞いてる?」
目の前にヴァルトラントの顔があった。
「――っ!」
ハズリットは辛うじて悲鳴を呑み込んだ。危うく心臓が口から飛び出すところだった。
「すごい集中力だね。何度も呼んだのに、全然気づかないんだもん」
ヴァルトラントが笑顔を作る。脇から乗り出すように彼女を覗き込んでいた少年は、身体を起こすと今度はモニタに目を向ける。
「何読んでるの――っと、どれどれ? 『植物の遺伝子操作における問題点とその対策』――? えらく難しいの読んでるんだね。俺にはサッパリ
ヴァルトラントは彼女の返事を待たず、一方的にしゃべりまくる。
ハズリットは落ち着かなかった。いつからいたのか判らないが、たったいま考えていたことが、少年に筒抜けになっていたのではないかと焦る。驚いた拍子に跳ね上がった脈拍が、まだ治まらない。
早くどこかへ行って欲しい。
そんな気持ちがつい
絶え間なく動いていたヴァルトラントの口が、ピタリと閉じた。ようやく彼女が彼の登場を歓迎していないことに気づいたようだ。
ハズリットは隣に立つ少年と目を合わさないよう、モニタを睨みつけた。いつものように無関心を装う。少年の顔を見るのが怖かった。
しばらくの間、少年は沈黙していた。だがひとつ深呼吸すると、一拍おいておもむろに切り出した。
「あのさ、ハズ。あのとき俺、ハズを怒らせるようなこと言った? もしそうなら、謝りたいんだけど……」
ズキリ――と、少女の胸が痛んだ。彼を罵ったことへの罪悪感がのしかかる。
ハズリットは何も応えず、じっとモニタを見つづけた。ヴァルトラントは固唾を呑んで彼女の言葉を待つ。
窓の外には、真っ暗なカリストの夜が広がっている。その先は、ここからは見えなかった。少年の真意が見えないように。
以前から、必要以上に自分と関わろうとするヴァルトラントを、ハズリットは煩わしく思っていた。
彼は何かにつけ話しかけてくる。放っておいてと言っても、無視しても、へらへら笑っているだけで全く聞きやしない。
どうして彼は、これほどまで自分に関わろうとするのか。母の元同僚の子供であるキーファと違って、ヴァルトラントは自分に干渉する理由などないだろうに。
「まだ怒ってるの?」
沈黙に耐え切れなかったのはヴァルトラントだった。静寂を恐れるかのように、少年は言葉を吐き出す。
「この数日、ハズが怒った原因を考えてみたけど解からなかった。一つ考えられるのは、俺がアントンに言ったことぐらい。もしかしたら、俺がアントンを嵌めようとしてあんなことを言ったんだと、ハズは思ったのかもしれないけど、あれウソじゃないよ。俺、ハズのこと好きだよ。大切な友達の一人だと思ってる」
また、ズキリとした。
何かが引っかかって、ハズリットは少年を見た。目が合うと、彼は反射的に笑顔を作る。それが突然、彼女の癇に障った。急に苛々してきて、彼女は思わずぶっきらぼうに言い返した。
「ここは自習室。静かにしてよ」
「あ……ごめん」
慌ててヴァルトラントは自分の口を手で塞ぐ。
「それと――」
口を開いたついでに、ハズリットはつけ加えた。
「そのヘラヘラした顔がすごくムカつく。あ、いま解かった。私、あんたのその八方美人で『みんな友達』、『好意の押し売り』なところが気に障るんだわ。別に謝ってくれなくていいし、構わなくていいから、どっか行って」
彼女の辛辣な言葉に、少年は目を丸くした。そして傷ついたような顔をした。明るい琥珀色の瞳が揺れる。だがそれは、すぐに長い睫に縁取られた瞼に隠された。
そして数回の深呼吸ののちに少年が目を開けたときには、もうその揺らぎは消え、いつもの力強い光が戻っていた。
しかし、彼はもう余計なことは言わなかった。口元を引き締めると、ただひとこと「
「
ヴァルトラントはそれだけ言うと、今度は振り返りもせずに立ち去った。
少年の姿が見えなくなるまで、ハズリットはその背中を見ていた。
どこかへ行って欲しいという願いが叶ったのに、ハズリットの気分は晴れなかった。
家路につく少女の足取りは重かった。
ヴァルトラントの一件もあったが、担任からの連絡事項がさらに気を重くさせたのだ。
「一度お母さんと会って、あなたのこれからのことを確認しておきたいんだけど?」
帰り際に担任に呼び止められ、そう告げられたハズリットは焦った。
担任の要望はもっともだ。ハズリットはまだこの学校の生徒だ。担任には生徒の親と話し合う権利がある。
しかし妙齢の女教諭に、〈旧市街〉まで家庭訪問させるわけにはいかなかった。かといって、「あの母」を学校に連れてくるのはためらわれる。それ以前に、一緒に来させる自信がない。
母はこれまで、娘の教育に関しては無頓着だった。転校の件も「好きにすれば?」だったし、成績の話も「ふーん、スゴイね」で片づけられた。恐らく今回も「勝手にしな」のひとことに決まっている。だから、母親にはまだ自分が基幹学校の課程を終えたと知らせていなかった。
どう切り出そうか。
憂鬱な気持ちを抱えて、ハズリットは〈旧市街〉地下の狭い〈参謀通り〉を歩く。
狭いといっても、かつて〈ヴァルトマイスター〉の主要地下通路だったものだ。〈新市街〉のメインストリートの半分以下とはいえ、高さ、幅ともに数メートルはある。ジャンクが溢れ、ごみごみしてはいるが、見通しは悪くない。〈旧市街〉にあって比較的安全な道であった。それでも〈
ハズリットの家は、この〈参謀通り〉から小道に入ってすぐにあった。地下二階、地上部が三階建ての古いアパートだ。
住人は比較的若者が多かったが、管理人の厳しい審査のためか、性質の悪い犯罪に手を染めるような連中はいなかった。
「お帰り、ハズ」
ハズリットが表玄関のドアを開く音に気づいたのか、管理人のマーゴ・ディズリーが玄関脇の部屋から出てきて声をかけた。
「クッキーを焼いたから、味見しとくれよ」
褐色の肌と半分以上が白くなっている黒髪の管理人は、そう言って少女に包みを渡す。
「ありがとう、ディズリーさん」
ハズリットは味見と称するには多すぎるクッキーの包みを両手で抱え、呟くように礼を言った。
「おや、元気ないじゃないか。またライアンの悪ガキどもに苛められたのかい? ったく、しょうがない奴らだねぇ」
勝手に決めつけたマーゴは、元からある額のしわをもう数本増やした。
「違う、そうじゃないの。学校のことが忙しくて、ちょっと疲れただけ」
慌ててハズリットは頭を振った。いじめっ子のライアンには腹も立つが、濡れ衣を着せてやろうとまでは思わない。
しかしハズリットの返事に、マーゴのしわは減らなかった。世話好きな管理人は、心配そうな顔で少女を己が胸に引き寄せた。
「こんなに細っこくて……。あんまりムチャするんじゃないよ。ご飯はきっちり食べて。病気になったら元も子もないんだからね」
マーゴの服に染みついた甘い匂いにむせそうになりながら、ハズリットはうなづいた。
「それと」
ひとしきりハズリットを抱きしめていた老管理人は、少女から離れると言葉を継いだ。
「外へ出るときは気をつけるんだよ。最近、余所者が多く入ってきてるからね。さっきも、見かけない若い男が部屋を探しに来てたんだ。胡散臭い奴だったんで、断わってやったけどね。それに、〈ヴァルトマイスター〉ではまだ聞かないが、〈ヴァルハラ〉なんかでは、
一人暮らしで人恋しいのか、言葉数の多い管理人は、真剣な表情で少女に言い聞かせる。
ハズリットはマーゴの言葉を最後まで聞いてやると、「わかった」と素直に応えた。そして管理人が満足して手を振るのを待ってから、その場を辞した。
最上階にあるラムレイ母子の部屋までは、階段を上らなければならない。
エレベータは去年壊れてから修理されていなかった。しかしカリストの低重力に助けられて、彼女は苦もなく階段を上がっていく。
最上階は三部屋あり、ラムレイ母子の他には若い女が二人住んでいた。マーゴのお眼鏡に適っただけあり、擦れてはいたが根は悪くない。やはり夜の商売をしているのか、帰宅時にこれから出勤しようとする彼女たちとすれ違うこともある。だが、今日はすでに出勤した後らしい。
静まりかえった彼女たちの部屋の前を通り、ハズリットは一番奥の部屋に辿り着く。
鍵を開け、一歩中へ入ると思わず立ち竦んだ。
部屋に男がいた。
見知らぬ男ではない。たまにやってきては、母と連れ立ってどこかへ行く。以前、男が母に〈
男の素顔は見たことがなかった。いつも濃いサングラスをかけているからだ。髪は薄いブラウンで、背は高く、肩幅のがっしりした体格をしている。〈アルター〉ではなく、かといって〈ノイアー〉でもなさそうだった。そして堅気でないことも確かだ。剣呑なオーラをまとったその男は、その辺のチンピラとは明らかに違う人種だった。
ドアを開けたときにはすでにハズリットの方を向いていた男は、彼女の姿を認めると、何事もなかったように視線を外した。そして懐から〈バーカルテ〉を取り出し、無造作にテーブルの上に置いた。
〈バーカルテ〉は非合法のキャッシュカードだ。本来様々な支払いには、生体認証が使われる。しかし個人が完全に特定できる生体認証では、金の流れをごまかすことはできない。
そして世の中には、金の使い道を知られたくない者が当然いる。そんな連中の苦肉の策が、個人情報を照合する管理コンピュータの目を眩ます仕掛けを組み込んだ記憶媒体――〈バーカルテ〉だった。
男が生体認証による口座間振替ではなく、〈バーカルテ〉を使ったということは、金の流れを不透明にしたい取り引きが行われているということだ。つまりこれは「本日の代金」ということか。
ハズリットは嫌悪感に満ちた目で男を睨みつけた。男はその目に動じることもなく、腕組みをしてじっと立っていた。
ハズリットは用心深くテーブルに近づくと、抱えていたクッキーの袋を置く。そしてできるだけ男から距離をとって、洗面所へと向かった。
バスルームへと続く洗面所のドアに手をかける。開こうとする寸前、中からドアが勢いよく開けられ、ハズリットの母リディアが顔を出した。
「ハズリット! ちょうど良かった」
口紅を塗りかけていたリディアは、一度顔を引っ込めてから改めて姿を現した。
念入りに化粧し、派手なスーツで身を包んでいる母に、ハズリットはわずかに眉を顰めた。酒臭くはなかったが、安物の香水の匂いが鼻を刺激した。
「あたし、これから出かけるから。遅くなると思うので、晩ご飯は適当にやっちゃって」
不機嫌な娘の様子にも気づかず、リディアは呑気に言うと、ハズリットに向かって手を差し出した。「食費を振り込むから携帯端末を出せ」と言っているのだ。
ハズリットは黙って母に従う。受け取ったリディアはさっき男が置いた〈バーカルテ〉をハズリットの端末に差し込むと、晩飯代とわずかな小遣いをハズリットの口座に振り込む。
「あんた、貯め込んでるのねぇ。まあ、バカスカ使うよりかはいいけど、必要最低限は食べてよね。でないとあたしが
口座の残高を確認したリディアはぼやいた。そんな母に、少女は心の中で悪態をつく。
ちょっとずつでも貯めておかなくちゃ、不安でしょうがないのよ。奨学金も返さなきゃならないし、大学へ行くようになればもっとお金がかかるんだから。
そこまで考えて、ハズリットは担任からの伝言を思い出した。他人の前で話すのはためらわれたが、いまを逃すと次はいつ話せる状態になるか判らない。
ハズリットは憂鬱な溜息をつくと、彼女の端末に続いて自分の端末でも〈バーカルテ〉の処理をしていた母に、おずおずと声をかける。
「お母さん、あの……」
「悪い、急ぐから!」
リディアはそう言い残すと、ひと言も声を発しなかった男の腕を掴んで玄関を飛び出していった。
「お母さん!」
少女の甲高い声だけが、虚しく部屋に響いた。
会話どころか、「お帰り」や「行ってきます」の抱擁もキスもなかった。
それは彼女の日常において珍しいことではない。しかし「それでも平気」とは言い難かった。大人びた思考を持っていても、ハズリットの本質はまだ幼い少女なのだ。母の手が無性に欲しくなるときもある。
「お母さん……」
茫然と母を見送ったハズリットは、冷たく閉ざされた玄関に向かって吐き捨てた。
「――の……ばかっ」
〈新市街〉の地下街は、眩いばかりの光に満ちていた。〈聖夜〉のための電飾が星の瞬きのようだ。広い通路の両側は大きなショーウィンドウがどこまでも続き、最新流行の服やプレゼント用の商品、お菓子などが、センスよく並べてある。
夕食の調達にやってきたハズリットは、ウィンドウをぼんやりと眺めながらどこへともなく歩いていた。食料の買出しといっても、別にお腹は空いていない。あのまま独りぼっちの家に居たくなかっただけだ。
彼女はよくこうやって賑やかな街を歩く。それだけでもいろいろと勉強になるからだ。経済や流通、人々の嗜好から考察する心理。またそれらを観察する目を養える。
少女はお決まりのルートをゆっくりと辿る。いつもの百貨店、いつものケーキ屋、そして、いつものブランドショップ。
そのデザイナーズブランドの店は、こじんまりとしているが、エウロパに本店のあるアリシア・オーツというそこそこ有名なデザイナーのものだ。婦人服に限らず、紳士服、子供服まで取り扱っており、シンプルで洗練されたデザインが評判だ。
ハズリットはその店の前で足を止めると、大きなウィンドウを見上げた。子供大のマネキンが数体、暖かそうな装いでポーズをとっていた。少女はその中の一つが着ているコートをじっと見つめた。
その落ち着いた藍のダッフルは、今シーズンのナンバーワンアイテムである。そしてヴァルトラントの着ていたものだった。
不意に、少年からコートを受け取ったときの感触が甦る。
身に着けるものや雑貨などは、いつもノミの市などで見繕う。その彼女にとって、高価な生地を使った真新しいコートは、柔らかくて、すべすべとした手触りが想像以上に心地よく、そして怖かった。
そう、こうして思い出すのが嫌だから、感触を覚えてしまうのが、怖かった。
あのとき私が動揺したのに、彼は気づいただろうか。ああどうか、気づいてませんように――。
そう祈った少女は、自分がまた少年のことを考えていること気づいて舌打ちした。何度も繰り返し襲ってくる負の感情に、思わず目を閉じた。
少年は自分に謝りたいと言った。だがそれは違う。謝るのは自分の方だ。自分が理由もなく腹を立てて、心無い言葉を吐いて彼を傷つけたのだ。
ハズリットは大きく深呼吸すると、目を開けてもう一度展示されているコートを見た。
――謝ろう。
ハズリットは決心した。ガラスに映る自分に大きくうなづきかけると、最寄りの
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